いわば志願者2
女と歩くこと半日、俺一人ならば走り抜けているところだった。
この女が一緒にいることによって足並みを揃えなければならず、こうして徒歩で目的地へと向かわなければならなくなっている。
「あの、もっと速く歩けませんか。ただでさえ走れなくて遅れているというのに」
「しかたないじゃない。これが全速なんだから」
全速力の割に息の上がっていないことから察するに、彼女は一切本気を出していないのは明らかだ。
「どのくらいかかるか伝えましたけど、この調子じゃあ二日はかかりますよ」
「いいじゃない。長旅。私は好きね」
「こちらにも都合というのがあってですね……」
なぜこの女を言われた通りに連れているのだろうか。
そもそも彼女は『ついて行くね』といったのだから、ついてこれないのであれば放っておけばよいのだ。
あまりに遅れるようならどこかで脱落していただこう。
死体はずっと残るようなので、山奥かどこかで。
大先生の言葉を完全に信じたわけではない。この怠け者にとって、仮にこの世界で末永く死体を演じることになったとしても酷ではないだろう。むしろ望むところなのかもしれない。
そうして女の殺害計画を練っていると、岩肌がむき出しになった大山が横に寝そべるようにして俺たちを遮っていた。
「もしかしてこれ越えないといけないの?」
「なんならついてこなくてもいいんですよ?」
俺は優しさのつもりだった。殺さずに済むから。
それが途端に泣きそうな顔で言う。
「そんなこと言わないで連れて行ってよ。話し相手がいないから私に声かけたんじゃなかったの?」
「その時はそうだったんですけどね」
この山を越えようとするなら、今までの道のりで『歩けないー』などとごねているようでは不可能である。
到着を二日ほど先延ばしにすれば、山を迂回することができる。
だがこの女のためだけに、そこまでの労力を割く必要があるのだろうか。
「迂回するのもどうか……」
考えていることが、つい口に出てしまっていた。
それを見逃さず、ここぞとばかりに乗っかってくる。
「えっ迂回路があるの? だったら早く言ってよ! けってーい。それで右? 左?」
「いえ。でも二日かかるんですよ? さすがにしんどいでしょう?」
そう、この女は面倒事がきらいなのだ。ならばそれを逆手にとってより辛い道のりであることを強調すれば。
「二日? 構わないわ。長旅の始まりね」
短期間で頑張るのは苦手だが、長期間にわたって緩く頑張ることはできるのだろうか。
よくわからない好みだ。
俺は諦めて「こっちです」と歩き出す。
女も「おっけー」と軽い返事でついてくる。
出会った時とくらべて、かなり印象が変わった気がする。
あの憂鬱な態度はなんだったのか。
道中、隠れやすそうな岩陰に向けて攻撃する俺に女は尋ねる。
「
マナさ。それ何してるの?」
このあたりは賊の多い地帯だ。理由は3つ。
西の街へ向かうための基点であること。
山を越えられる一定以上の実力者しか、そもそも山に近づかないこと。
一見開けた場所のように見えて、岩や山の高低差などで隠れられること。
用心のための死角つぶしなのだが。
「素振りみたいなものです。たまにやっとかないと鈍っちゃうんですよ」
「そうなんだ」
適当に言っておいた。
突っ込まないところを見るに、相当HOの仕様に鈍いと見える。
装備だけでは下手に断定はできなかったが、ここまで来ると疑うまでもないかもしれない。
「いまいくら持ってますか?」
「お金の話? 何、案内料とかとるつもりなの? それなら残念でした。今は文無しよ」
少しでもあれば小さな街へ寄って、移動手段を確保することもできたのに。
「どうしたものか……」
「そう難しそうな顔しないで、もっと楽しくいきましょう!」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「……細かいこと言わないで足を動かしなさい」
本当にやっかいだ。
夕暮れに、そろそろ寝床を準備しなくてはならなくなった。
都合よく、さびれた廃村のような家屋群を見つけたため、今日のところはここで夜を明かすことにした。
建物はそれほど時間の経った様子はないが、中は空き巣にでも入られたのかというほどの荒れ放題だった。
「私だったら、絶対こんな汚いところには住みたくない」
などと言っているが、彼女の場合住んでいれば自然とこうなると容易に予想できた。
「そう言ってても仕方ないので。適当に綺麗そうなところを探しててください。私はちょっとやることがあるので」
「そう言って逃げるんじゃないでしょうね」
「だ、大丈夫ですよー」と棒読みな演技をしながら抜け出す。
「絶対戻って来なさいよー!」
背中に女の声を受けながら住宅群を抜ける。
今までマーキングし続けてきたので地図でだいたいの位置はわかっている。
なのに、どれだけ現在地を確認しても村と呼べる規模の建物は写っていなかった。
航空写真のようにかなり緻密な地図であるから、影ほどには写っていてもおかしくないのにだ。
考えられるとすれば、ごく最近できたプレイヤーメイドの建物たちである可能性だ。
それにしたってこの人気の無さは異常だ。
どこかのギルドの拠点だとしても中の荒れようから、未だに誰かが住んでいるとは考えられない。
だとすれば打ち捨てられたのかもしれない。
建物とあって、壊すのも簡単ではない。大抵の場合放置である。
だが、断言はできない。
そうした疑念から俺は地形を把握し、罠の設置に回らなければならなかった。
女を一人にしておくのは心配だったが、死んだところで不都合はない。
ついてこられるようにした上での不幸だ。俺ルールではセーフとみなすことができる。
恰好の狙撃地点である高い建物を中心として罠を設置する。
脱走ルートまで設定すれば十分だろう。
最悪の場合何事も無く夜明けを迎えられるまである。下手に気負いしない方がいいかもしれない。
女を探して村を徘徊すること、二周目に入ったところでようやく合流する。
「もう会えないかと思った」と涙目で言われては、多少なりとも罪悪感もわくが適当にあしらっておいた。
二階の部屋で、反対隅どうしで体を休める。
窓のシャッターはすべて閉めた。有事にすぐに外を見ることができないのが難点だが、その場合の逃走路も確保済みであるから問題はない。
「どうして」
俺が突然声を出したからか、女が驚いたように体を震わせる。
「どうして、あんなところで寝てたんですか」
まず、HOを始めてすぐにあそこに行くのが難しい。
さらに、しばらく歩けば南の街ぐらいにはたどり着くことができる。
あるいは、迷ったなら来た方向に180度転換して歩けばいいだけだ。
そんな気持からでた言葉だった。
「あんなところってそんなにまずかった?」
「まずいとすれば、プレイヤーを斬るのが大好きな人たちが見かけたら放っておかないでしょうね」
俺が思っているのは、そこにいるのが不自然な点であるから、『まずい』とはまた別だ。
「そんな人たちでも、私みたいな弱そうなのを相手にする?」
何も知らなければ、そういった疑問もわくのだろう。
「見た目と強さは比例しないですから」
「わざと弱そうに振舞う人なんているの?」
「いくらでも」
感心した様子で頷いているが、肝心の理由を答えてもらっていない。
それを目で促すように睨んでいるつもりだった。
「なに見てるの?」と鈍感に返されてははっきりと言うしかない。
「なんで、あそこに、居たんですか。聞いてるんですよ」
やや苛立ちを込めて言ったためか、少し面食らった様子だ。
「ああ……。その、変な話になっちゃうんだけどいい?」
急にしおらしくなるものだから、こちらとしても予想外だった。
どこかにいる理由を答えるだけで変な話になることがあるのだろうか。
俺が頷くと先を続ける。
「それは5年前……」
「は? どれだけ昔の因縁なんですか」
「まあ、聞きなさい」
そうして聞かされた女の話は5年越しの悲恋だった。
俺から言わせれば、本当にどうでもいい話だ。だが、ゲームに必死な俺も傍目には似たように映るのかもしれない。
「それで、その話とあの場にいたこととなんの関係があるんですか」
「もう、死んでもいいかなって……」
突然の重い言葉に、俺も動揺が隠せなかった。
「ど、どうやって?」
「だから、VRゲームにずっといれば苦しまずに死ねるかなって」
それを聞いて俺は安堵する。
本当に、これだから機械音痴は困る。
「VRシステムで死ねるわけないでしょう。普通に考えてください。体に危険が及ぶようなら、自動的に機械は停止します」
俺も最初は頻繁に強制ログアウトを食らったものだ。
死なせてくれと言っても、死なせてくれないようにできているのだ。
どうせこの女のことだ。積極的には死ねない。
手段があったから実行してみただけで、それが無理なら悶々としながらも次第に立ち直るだろう。ようは気の迷いだ。
元の世界に戻っても死ぬことはないだろう。
「そう、なの? はあ。もう苦労して損したー」
「苦労というと、あそこまで行くのは簡単じゃないでしょうね」
「どうやったら気が紛れるか、ずっと歩いてたの。そしたら、それもやる気なくなっちゃって寝てたってわけ」
そんなことだろうと思った。それより、歩くのも面倒とは。
「本当にこらえ性がないんですね」
「そんなことない! あんなに辛い思いをしたのに生きてるのよ」
「一度死のうとしたのにですか?」
「うーん……。まあ今はそうでもないかも……」
死に急ぐ一人の人間を救えたような気分になる。
実際は時間とともに強制ログアウトされ、そのとき初めて気づくはずだったのを、たまたま俺が教えてやっただけだ。
救ったわけでもなく、愚痴を聞いてやっただけにすぎないのだ。
それでも、俺によって心の動かされる人間がいるという事実だけで十分だった。
「それじゃあ、私ずっとゲームしてなくてもいいわけだし、もう落ちるねー。おーつ」
そう言って女がメニューを操作するので俺は、あっと声が出そうになる。
「あれ? どうなってるのこれ。マナ、あんたよく知ってるんでしょ。教えてよ」
「だから、ゲームじゃないって言ったじゃないですか」
よくわからないといった表情で俺を見る。
「現在、不具合か何かでログアウトできないんですよ」
それが今現在、最も公平な認識だ。大先生の言うとおり死ねば戻れるなどと、無責任なことは言えなかった。
「えー次の恋、探しにいこうと思ったのに」
「まあ、それが健全ですね。ですが、今は耐えるしかないですよ」
前向きになったようで、こちらとしても気分がいい。
それにしても浮き沈みの激しい女だ。
「マナが男だったらねえ。私が男だったら惚れてる」
唐突に俺の正体に直接刺さる言葉が出て、どぎまぎしてしまう。
そう言われてみれば今までかしましい女だと思っていたが、相性の良い仲だったのかもしれない。
会話も噛み合っていたような気がする。
俺が勘違いに気を回していると。
「あ、マナってなんで西の街ってとこに行きたいの。こっちが答えたんだから、そっちも答えなさいよね」
「んえ!? ああ……。不具合についての情報収集をね」
先ほどの『変な話』よりも、よほど変になってしまっていた俺は、それこそ変な声を上げてしまい赤面する。
薄暗くてよかった。からかわれる未来は消えた。
「情報収集ってことは、そこって人が多いってことよね」
「ああ、そうですけど」
俺は自分が男だと言おうか言わまいか迷いながら、適当に返事をする。
「じゃーそこで良い人探そっと! 明日は頑張って歩こう。んじゃおやすみ」
「実は私……ってええ? もう寝たんですか……」
俺が意を決したと同時にだ。なんという間の悪さだろうか。
頭が痛い。もう寝る。
目を閉じようとしたその時、目に痛い真っ赤な対人マーカーが光る。
単純に数えて15人。解除されている物も含めれば20までは増えるかもしれない。
その位置は徐々にこちらへ向かってきている。ただの旅人では無さそうだ。
大声を上げるわけにもいかず、肩を揺すって起こそうとするが、女は起きない。
焦りが背を登るが、正気を保たねばならない。
ここは毒樹の森にもミネを守った時にも似た地形をしている。
人数は多いとはいえ、ミネのように一緒に走って回るのと比べ、圧倒的に難度は低い。
単にこの建物の反対側で毒樹の森での戦いを再現すれば良いのだ。
不可能ではない。いや、女が動かせない以上そうしなければならない。
俺は、一人で逃げるという選択肢にも気づかず、殲滅戦を選んだのだった。