いわば志願者1
国家間チャットがやかましい。俺はカーステレオを切るように設定をオフにする。
現状において情報は貴重な資源だが、内容を眺めていると意味のないやりとりが永久に続きそうだった。
『会議はどこですれば』『Dはどこへ行った』『Yもいないらしい』
情報が錯綜し、実体すらも失ってしまう。
どうやら緊急事態なので一旦、休戦協定を結ぼうとしているようだ。
国家間チャットは国王のみが発言でき、閲覧は全プレイヤーができるシステムである。
ひとまずは国王どうしのやりとりは円滑にできないながらも、関係者に対して休戦の意を表明したいようだが、こうも進まない内容が繰り返されては見る気をなくしてしまう。
なにより、ほぼすべてのプレイヤーが敵のようなものである俺には関係のないことだ。
大先生から命じられた任務。より積極的なプレイヤー狩りだ。
誰に命令しているのかとも思うが、自らも帰れない可能性があるとなっては困ったものだ。
あのとき、大先生は言った。
君の記憶を通して、今のHOにアクセスしている。
それは君の記憶のほとんどの部分が、HOにまつわるものだったからだ。
そんな人間は通常存在しえないはずなのに、君だけは特別だった。
変換が行われることを察知した私は、すべてのHOプレイヤーの記憶を収集し、バックアップをとった。
プライバシーもあったものではないね。だけど、私たちはそれを秘密裏に収集した。
なに、機能の追加ではなく、VR技術の応用だからね。プログラムの書き換えだけで済んだ。
記憶のバックアップによって、私たちの元いた世界と今のHOとの間に新たなつながりが生まれた。
ただ、君の場合は記憶の偏りによって元の世界とのつながりがあまりに弱かった。
そこで私がつながりを補強することで、私は一度切れたHOとのつながりを取り戻し、君は元の世界に戻るための手がかりを得た。
すばらしい師弟愛だね。
でも、問題はそれだけでは解決しなかった。
私はプレイヤーキルが帰還手段だとして君に提示したが、それは君には当てはまらない。
アバターの体力の全損はとても手荒な手段なんだ。
だってそうだろう。もうひとつの現実と化したHOで死ぬんだ。
それでも帰還手段として使えるのは、弱いHOでの記憶を断ち切り、強い元の世界での記憶に引っ張られるからなんだ。
君がもしHOでの記憶を失ったとしよう。大半を占めているHOでの記憶をだ。
記憶喪失という状態があるね。
あれは脳の問題であって、肉体的な連続性を保持しているからその姿を保っていられるんだ。
今起きている現象は肉体を伴っている。連続性の流れから切り取られ、元の世界に保存された記憶でなんとかつながっている状態だ。
君がもし大部分の記憶を失ったまま元の世界に戻った場合、再形成される肉体はどんな形になるだろうね。
HOを始める前、数年前の姿?
そんなはずはないね。
だって、あるはずの記憶がない。なおかつ、基になる肉体もない。
そんなごくわずかな材料から生み出される人間ってどうなるんだろうね。
元のマナブ君とは似ても似つかない。
ただ震えるだけ。
白く突き出たそれは骨かな。血管もまともにつながっていないから血液は垂れ流しだ。
真っ赤な池の中央で、その肉塊は鳴き声とも嘆きの嗚咽ともつかない、空気の出入りを繰り返す。
そんな異形にはなりたくないだろう?
すべてのプレイヤーを帰還させれば、君に元の世界へ戻る手続きをしよう。
私直々に事にあたればHOから剥がすことができるだろう。
その手続を全プレイヤーにすればいいって?
そうなんだが、それには時間と費用がかかるんだ。
そうだね。アイナ君だから、HOの住人になるほうがマシなんだろうね。
HOで死に戻りした君は元の世界での記憶を失い、生粋の冒険者となる。君にとっては幸せかもしれない。
出自も思い出せない、自分が本当は誰だったのか。自分を操っていた別の記憶があったような、虚だけが存在を主張する。
相当にアイデンティティに悩むことだろうね。
だけど、元の世界で肉塊になるか、HOで死に戻りできるか。あるいは両方かもしれない。
どちらへ転ぶか、事情通の私でもわからない。
何なら一度死んでみるかい。
そうしたら私は次の適合者にアクセスできるからね。
君は私に協力しない限り、二重に死んだ状態でいる箱の猫なんだよ。
箱を開けても死因が確定するだけのね。
だから君が今のHOを選ぼうが、元の世界へ帰ることを選ぼうが、確実な未来を得るためにはすべてのプレイヤーをHOから排除しなければならない。
あまりにしつこい言い回し。9割方脅しだろう。
それでも、帰れない可能性について、俺のHOへののめり込み具合からありえない話ではないと感じた。
それに帰りたくないわけではない。
俺は真夜中のコンビニで、あの子に会わなければならない。
HOの女など、眼中にはないのだ。
それだけで大先生の命令に従う動機は半分ほど。
残り半分は疑いだ。
あからさまな恐怖心への煽り。逆に言えば、そこまでしてでも従わせなければならないということだ。
あるいは、プレイヤーを殺せばいいだなんて簡単に言ってくれるが、今各国が協力体制を整えようとしていることからもわかるように、皆この世界で生きようと必死なのだ。
それを空気を読まない俺が、いつも以上に張り切って殺戮をしようものなら、全勢力をもって叩き潰されるのがオチだろう。
それと関係して、あのまま廃屋にいた場合、いままでの態様を理由に秘密裏に殺されるか、拘束される可能性があった。
全国家の総力だろうが自治ギルドだろうが、毒樹の森でならば負けるはずなどない。
だが万が一を考えると、一度身を潜めてから暗殺に勤しむほうが安全で効率的だった。
そういった理由で俺は今、歩きで2日はかかる西の街を目指している。
平野の真ん中。地平線まで見えるようなたいらの上だ。視界はどこまでも伸び、自分が球の上にいるのだと実感する。
しばらく無心で走っていると、女が大の字でねている。
なぜこの距離になるまで自分は気づかなかったのだろうか。と疑問に思いながら声をかける。
「どうもこんにちは!」
にこやかに挨拶する。
「んん……」
女は呻くように喉を鳴らすと、寝返りをうって俺に背を向ける。
相手にされていない。
俺は屈みながら言う。
「私、マナといいます。ちょっとお話しましょう」
アイナと呼ばれるのは面倒だ。先に名乗っておく。
喉を開くように「んあ」とつぶやいたので、話してくれるのかと思ったが。
「やだ」
「やだじゃないです」
間髪入れずに禁止句を差し込む。
にもかかわらず、沈黙。
初期装備である灰色のタンクトップ。この場所に魔物は出ないとはいえ、ほとんど裸みたいな装備でここにいるのは不自然に思えた。
長い黒髪を鬱陶しそうに首元から跳ね上げ、背中に流す。その仕草に自分と似た、ものぐささを感じる。
俺はちょっかいを出したくなった。
「まあまあ、そう言わないでくださいよ」
そう言いながら俺は女の肩に手を置き、そのまま仰向けに引き倒す。
抵抗はなく、恨みがましく「ううーん……」と唸るだけだった。
薄目に遠くを眺めている。
そこからは青い空が反射してみえるかとおもいきや、濁った黒い瞳しかなかった。
むしろどこを見ているのかさえわからない。まさに節穴といったところか。
「なに見てるんですかー」
俺は女の目の前で手のひらを開いたり閉じたりして反応を伺う。
それでも女は瞬きひとつせず、ついには唸り声さえ上げなくなってしまった。
しかしここで諦めては、HO界のアイドルの名が泣くというものだ。
「うるさいんだけど」
眠そうに半開きだった目を見開き、その視線は真っ直ぐ俺を射抜く。おもわず動揺してしまう。
「え、ああ。ええ。はい」
そして二呼吸ほど置いてから。
「ごめんなさい」
と満面の笑みで返す。
「いや、簡単につれちゃいましたね」
「つれたってどういうことよ」
ようやくまともな会話になりはじめた。
女は体を起こす。
「それで、あなたの名前は?」
俺は女の問いかけを聞き流して問う。
こちらは既に名乗っているのだ。当然だ。
「いいでしょそんなことは」
「こっちが名乗ったっていうのに無礼な人ですね」
女は聞いているのか聞いていないのか欠伸をする。
「それより耳障りで目障りだから消えてくれない」
辛辣なお言葉だことで。
しかしようやく調子が出てきた。ここからが俺の独壇場である。
「いやですよ。長旅で誰ともしゃべれずに寂しい思いをしていたところに、ちょうど暇そうなあなたを見つけたんです。簡単には逃がしませんよ」
女は、はあと長いため息をついてから言う。
「そんなにさみしがりやなら、友達でも連れてくればよかったじゃない」
「友達が居ないから困ってるんですよう。それより、なにか話してください」
「なにかって、なに?」
息を吐きながら鼻から抜けるような、間の抜けた声。
「そうですね。私、吟遊詩人なんです。東へ西へ野を駆け、山を駆け。各地で面白い話を聞き、吟じるてまわるのです」
しばらく人と話していないせいか、次々と嘘が喉元に装填されていく。発射も淀みのない饒舌さだ。
「ふーん。あっ、なんでもいいけど、ここで歌わないでね。うるさいから」
相手にされなかったら適当にやろうと思っていたことを、先回りして潰されてしまった。
どこまでも面白みのない女だが、このくらいの距離感が俺には心地よかった。
尋ねようと思っていたことを、さも今思いついたかのようにわざとらしくあっと声を上げてからいう。
「なんでそんなにひとりになりたいんですか?」
それを聞いて女は初めての長考に入る。
いままで唸り声や黙れといった内容の言葉を、ノータイムで突っ返してきたのにだ。
小声で「そうか……」とつぶやきが聞こえる。
「別にひとりでいる必要はないじゃない。あーそうかそうか」
「なにひとりで納得してるんです?」
ひとりごとで勝手に合点している女に気味の悪ささえ感じる。
「わかった!」
「急に大きな声を出さないでくださいよ」
耳に手を当て、声量の調整を求める。
長いこと声を出していないと、自分の声量がわからなくなるというが、この女もそうなのではないかと思う。
「マナ、あんたこれからどこへ向かうの?」
いきなり呼び捨てかよ。と思うが、これを聞いた俺は、それはそれは嬉しそうな表情をしていることだろう。
なぜならそれはウィンチによって無意識にまで仕込まれた、女らしい仕草だからだ。
「西の街までですけど……」
「ええと、西ってどっちだかわからないんだけど」
HOには事実上、方位の概念はない。ただプレイヤーが街の位置関係から勝手に設定しただけの、便宜上の言い方のひとつに過ぎない。
人によっては上下左右と呼ぶこともあれば、方角自体を自分の都合に合わせてしまう横着な者もいる。
であるからして、西がわからないこと自体はそれほど珍しいことではなかったが。
「地図みせますね」
俺がわかりやすく解説してやろうと思ったのに女は。
「いや、どうせみてもわからないから。どの方向か指をさして、どのくらいかかるのかだけ教えてくれればいいわ」
なにがしたいのだこの女は。
地図はわからない、どこへ行くかは知りたい。
それはなにか間違っていないか。
しぶしぶ答える。
「これから日暮れまでいって、野宿をしてから半日。だいたい一日弱ってところですね」
「へえ。じゃあ私ついて行くね」
許可も求めない、あくまで決定事項の通達のように言う。
さすがの俺も、リスクを伴った行軍であるから安請け合いはできない。
「なんでそうなるんですか。そんな装備でついてこれると思ってるんですか」
「大丈夫だって」
へらへらと彼女は言うが、これを信じて良いものだろうか。
「大丈夫って……。今HOがどうなってるかわかってるんですか? ただのゲームじゃないんですよ」
「遊びじゃないんでしょ。わかってるってば」
話が通じない。
しかし、このまま能書きを垂れていても平行線のように感じられた。
「わかりました。自分の身は自分で守ってくださいね」
「はーい」
なぜか、話しかけたときと態度が逆になっているが、気のせいだと思うことにした。
あくまで俺が彼女をのせたのであって、のせられたわけではないからだ。