回想:大先生との別れ
1年ほど俺はこの神殺しの丘で訓練した。それはいわば、嫌がらせのエリート教育だ。
大先生には必ず別の目的があるにも関わらず、俺たちとっても面白い手段を選んで提案してくれる。そして、その作戦指揮は常に最善、正確だ。
そのメンバーたちにも文句はなかった。大先生は「うちはお前を含めた少数精鋭で行くんだ。これ以上増やすつもりはないし、うまくやってくれ」なんて言っていたが、みんな人の嫌がることが大好きなどこかひねくれたやつばかりだ。
密接な関係は築けなかったものの、ちょうどいい距離感は得たつもりだ。
強いて言えばマダラメとは住処が近いこともあって、ファミレスで会ったぐらいだろうか。それにしたって会ったっきり、特別に連絡を取り合う仲などになったりはしなかった。
その日は拠点の移動だということで、水上都市から離れ、本土の内陸にある毒樹の森と呼ばれる場所だった。
「大先生、ここは危ないんじゃないか? ただでさえ八方すべて強豪な街に囲まれてて、攻められたら弱いんだ。そのうえ毒蛇とかいう大物が出現するらしい。面倒なばっかりだ」
始めは環境が変わるとあって、乗る気だった。しかし実際に来てみれば鬱蒼とした森に、毒々しい魔物ばかり。鍾乳洞の美しい内装とは大違いだ。
こんなところで長い時間を過ごさねばならないと考えたら嫌になってくる。
「マナ君。わからないかい。攻められるからいいんじゃないか。それに毒蛇は大きな収入源になる。うまく独占できればおいしいと思わないかい」
その日、大先生はいつもと違って浮かれ気味で様子がおかしかった。
いつも冷静で計画をしっかり詰めてくる大先生が短絡的に、面白そうだとかおいしいはずだとか根拠の弱い理由で押し進めているのだ。
そうしていると、目の前大きな木の向こうに人の気配があった。
短剣使いがハチ相手に苦戦しているようだ。羽音も見た目も大きなそのハチに一進一退の攻防を繰り広げているのだ。
似たような武器を使っている点でわずかに共感、親近感がわいていた。
そんな俺を尻目に仲間たちは大先生の指示で散開していく。俺は余ってしまったため、大先生の背中を守ると思い周囲警戒に務める。
大先生はみんなが位置に着いたところを見計らって、草木をはらい、そいつに近寄っていく。
「おはよう。ここは私が使うから出て行ってくれないかい」
大先生が声をかけた。
「あなたはどなたでしょう。どこかで会いましたか?」
とぼけたやつだ。この手のやつはよく言う。どけという意思を察しているが、直接断りづらくて遠回しな口答えをしているのだ。
「さて、どうだか。それよりも、30秒前だ」
「何の話ですか?」
そいつは周囲を見回す。しかし何も見えないはずだ。隠れる技術に関しては相当な練度がある神殺しの丘だ。
年甲斐もなくかくれんぼをしたのもいい思い出だ。俺ばかり重点的に探されてひどい目にあったのは、思い出さないようにしておこう。あくまで美しい仲間との交流だった。
「20秒前」と言いながら大先生はこちら、つまり俺の方向を向く。
そしてパーティー回線で俺に呼びかける。
「マナ君、7時の方向に狙撃手。時間稼ぎでいい。頼んだ」
ここまで、はるばるついてきたヘイターがいるようだ。
「ご指名入りました、マナちゃん。がんばってー」
マダラメのいらない茶化しが入ったが、やることはやろう。
俺は7時の方角を探す。
そもそも方位がHOで有効なのかわからない。さらに新天地である。方向感覚などあったものではない。
「あ、あの。7時ってどっちでしたっけ……」
さすがの俺も自分のミスが明らかな状況で、無礼な態度はとれなかった。
俺が言葉を発したすぐ後、背後で氷の割れるような高い音がした。
「と、言うと思って確保済みだ。方位くらいは確認しておくように」
そう俺に声をかけてすぐに発声帯域を一般に切り替え、ファーストターゲットに告げる。
「あと10秒だぞ」
「だから何の話ですか」
さて、音の先を確認すると、凍結状態にあるローブの男。
HOにおける遠距離攻撃は魔法と弓だけだ。よって狙撃手と言えばそのどちらかということになる。
これがもし弓だった場合、もっと早くに攻撃が飛んできていたことだろう。半人前の俺に任せるぐらいだ。大先生は把握していたに違いない。
俺は役立たずの自分に歯噛みしながら、大先生の視野の広さに舌を巻くしかなかった。
「マスター。そろそろ行くぜ?」
我慢できずに、飛び出そうとする仲間のイチゼン。
「ちょっとぐらい待ちなよ」とたしなめるのはウィンチだ。
「もういいか」
大先生は振り向きながら矢継ぎ早に言う。
「ゼロ! お前たち。頼んだぞ」
まずはサナタの矢がヒット。続けて他のメンバーも草むらから飛び出し、あっという間に片付けてしまった。
一人相手にこの人数である。全員が一回ずつ攻撃して、相手の体力は全損だった。
「いやあ、楽勝だったな」
俺はせめてもの強がりで言ってみる。
「お前さあ……。それより後ろ見てみろよ」
珍しく俺に話しかけてきたイチゼンの言葉通り、振り返ってみる。
そこには大の字で倒れているセカンドターゲット。つまり魔法使いの狙撃手である。
「どういうことだ?」
もしかして無意識の内に倒してしまったか。また、知らぬ間に上達してしまったようだ。
「っふー。感謝してよねマナちゃん。私が麻痺矢をうたなかったら、死んでたかもしれないんだから」
サナタは集中を解いたときのいつものため息をつく。
「そうだ。やつは既に詠唱に入っていた。私でも間に合わなかっただろう。マナ君、ここでの活動が落ち着いたら特訓だな」
大先生はそう言ってにこりと微笑む。
ウィンチの特訓も十分厳しいというのに、大先生直々の特訓はそれ以上に厳しいのだ。特に、精神的に。
「かんべんしてください……」
一度に二人を倒した俺たち、神殺しの丘は森の奥へ進んでいく。
「ちょっと通るね」
そう言いながら一撃のもと、斬り伏せたマダラメ。
「マナ君そっちはだめだ!」
大先生の制止も聞かずに毒の沼にはまる俺。
「マダラメ、こないだの勘定もらってないよ。それとイチゼンとドク、先月の収支報告はまだかい」
移動中だというのに会計事務に勤しむウィンチ。
そうしながら目的地の建物をようやく見つけた。
見た目は穴だらけ。蜂の巣にしてやるぜなんてセリフがあるが、まさか建物にも有効だとは思わなかった。
円すい形の屋根の下に幅広の帯を巻きつけたような平坦な形。そうして、かつての姿をかろうじて読み取ることができる。
雨も風もしのげない。建物として期待された機能を果たせずに朽ちていた。
まさに廃屋と呼ぶのにふさわしいだろう。
「これだ。ちょうどここが森の中央だ」
大先生はこれを目印に今まで歩いてきていたらしい。
「え、大先生。もしかしてこれが俺たちの新しい拠点?」
俺は信じると心に決めていた大先生に対して思わず問うてしまった。
そして返ってくるのは、大先生の笑顔とともに短く。
「ああそうだ」と一言。
「はあ。しけてるねえ」
大先生と付き合いの長いウィンチさえも、さすがに苦言を呈さずにはいられなかったようだ。
しかし、そんな緩い雰囲気は次の瞬間、粘着質な声によって塗り替えられてしまう。
「派手にやってくれてるねえ」
廃屋の中から声がする。
「おや、先客がいたのかい」
いたって穏やかに大先生が対応にあたる。
窓枠にもたれかかり、目つきの悪いにやけ顔の男が姿を露わにする。
「そうさあ。俺たちの縄張りで暴れまわってくれてさ。どういうつもりなのかな。君たち」
やたらと語尾にゆとりをもって話すその男相手に、俺は呼吸のペースを忘れて過呼吸気味になる。
「HOでは土地の所有権は買えないだろう。すべては運営の物だ。私たちは借り物で遊んでいるにすぎないのだから仲良く使おうじゃないか」
その理屈には無理がある。
だが、武力行使でもって従わせる俺たちにとっては道理なのかもしれない。仲良くすることが、必ずしも善意で成り立っているものではないと知っているからだ。
「従わせる力を持つのが運営だけだとは限らないだろう? お前らがやってることと同じさ」
男が窓枠から離れ、ぼろ雑巾のようになった扉を開けて出てくる。
それと一緒に廃屋の影からひとりまたひとりと、重装備の兵士が歩み出てくる。
隅へ、端へ。追いやられている錯覚を覚える。
圧倒的な数の差を感じた。
戦いの予感に膝が震える。震えが肩にまで達しそうなところで軸足をいれかえ、なんとかそれを誤魔化す。
武者震いであるはずだ。鼻に上がってくる涼しさと共に視界が霞む。
この状況に押されてはならない。俺は自分に何ができるか考えなければならない。
それでも大先生は顔色ひとつ変えない。
「君の言う、従わせる力があるから好きにしているだけだよ」
「ならば、こちらも好きにさせてもらうがいいんだな?」
その一瞬だけを切り取られたような緊張感がはしる。
俺の思考もそれに塗りつぶされ、何も考えることができない。
なぜだ。今考えないならいつ考えるんだ。仲間からのいびりをかわすための思考力ではない。
広大なましろのまっただ中にいる。そこをどれだけ注視しようとも、どれだけ俯瞰しようとも何も得られない。五感はただ鏡面を滑り続け、止めどなく溢れてくる加速度に翻弄される。
「では、始めよう。終わりの無い戦いを」
大先生は、その言葉を言い終えた。
「お前らやったぜ。こいつら遊んでくれるってよお!」
男は自分たちを鼓舞するように叫ぶ。
それと同時に多量の矢がこちらへ飛来する。
大先生は暴風でそれを撃ち落とし、その後ろに控えていたドクが目眩ましの煙幕を張る。
「ブリーフィングは無しかい」
「逃げながらでもできるだろう」
口々に了解の合図を返す神殺しの丘メンバーだが、俺は未だに迷っていた。
俺は殺されることしかできない能なしなのか。
そんなはずはない。なんのためにギルドに入ってからの1年過ごしてきたんだ。
俺は走りだす。勝つために。
大量の追手を捌きながらまとまって逃げる。背中に熱気を感じ、魔法攻撃をされていると理解する。
パーティー回線から声が聞こえる。
「相手は守護の盾ねー。機動力活かせば勝てそうだけどどうかな」
「それに森だ。隠れ放題だぜ。マナは少し工夫しないとだめかもしれないが、俺たちなら攻撃しながらでもやっていけるだろ」
「そうなると、はぐれたやつを各個撃破するしかないけど、相手もばらけて行動するほど馬鹿じゃないでしょ」
「いや、しばらくこのままでやってみよう。サナタアトのマーキングに合わせて瞬間的に攻勢に転じよう。無理はしないように」
大先生はこの状況でも攻撃のことを考えているようだ。
俺の武器では射程が短い。攻撃に入った途端捕まってしまうおそれがあるため、気をつけなければならない。
「おーけー。5秒後に左後ろの女、両手剣持ちで」
サナタの指示。俺も5秒を心に刻む。
放たれたマーキング弾はそのまま女に当たり、弾ける。
女の鎧は真っ赤に染まり、鈍く発光する。
「いける!」
誰かの一声で俺たちの攻撃は完璧なタイミングで重なり、混成音で耳が満たされる。
浅い。しかし俺は真っ先に離脱しなければならなかった。
足にも体力にも自信のあるマダラメは、最後まで残っていたのが見えたが反撃を受ける前に離脱したようだ。
まずは失敗か。そう思ったとき。
「おっつーまずはひとり!」
サナタの声だ。最後のトドメを遠距離攻撃にて実現したようだ。
「いいぞ。その調子だ。ただ、今ので距離が縮まってしまった。一度散開して再集合しよう」
大先生の次の指示だ。この人数差を覆すためには距離感が重要である。俺から見てもこの判断は正しいと思った。
半数ずつ、左右に分かれて来た道を戻る。集合場所は廃屋だ。
だが俺は長距離の高速移動ではみんなに劣る。そのため死角を作ってもらい、俺だけ一旦離脱する。そしてしばらく隠れた後に合流だ。
煙幕とともに草むらに隠れる。このまま通りすぎてくれよ。
足音が1つ、2つ、3つ……。これはどこまで増えるんだ。分かれたうちの一方だというのに3パーティ分ほどが必死に追いかけている。
そのことから考えれば相手は最低でも3倍。もしくは相手も分断していた場合、6倍にまで膨れ上がるのではないだろうか。
嫌な考えが頭から離れない。
草むらから顔をのぞかせ、相手の後ろ姿を確認する。その中の一人に目がとまった。
あの腰に下げた細い刀身。あれは間違いなく先輩だ。
支援ギルドを立ち上げるなどと言っていて、守護の盾などというガラの悪いギルドに入っているとは。それとも、あれが今すぐでなくてもいいという言葉どおりの、下積み時代ということか。
まあいい。今の姿では先輩も俺が俺だとわからないだろう。
俺は迂回して廃屋を目指す。
「大先生、そっちはどうだ」
俺とは反対側へ逃げた大先生に、パーティ回線を介して返答を求める。
「大丈夫だマナ君。君の出る幕はなさそうだ。もう帰っていい」
どういうことだ。どこへ帰ればよいのか。
「マダラメはどうだ。生きてるか」
俺と同じ方向へ行ったが、俺の離脱後どうなったかはわからない。
しかし返答は無かった。どころか、他のメンバーも一言も発しなくなった。
「みんなどうした。そんなに余裕がないのか?」
一般発声帯域での言い争いになっている場合、切り替えが面倒で返答しづらいことがある。あるいは、乱戦状態になっていると声を出している暇がないのかもしれない。
嫌な予感を否定するための理由を探して、自分を落ち着かせようとする自分がいることに気づく。
いや、考えてもしかたない。まずは廃屋に到着しなければ。
走っていると、一気に木々の無い開けた場所に出る。不用意に出てしまったので敵に見つかるのではないかと、焦って草むらに飛び込む。
幸い気づかれなかったようだが、目的地には到着していた。先ほどの廃屋が見える。
「いや、ちょろかったっすね。こいつらが水上都市占めてたんでしょ? そうは見えねえけどなあ」
「いろいろと運が良かったんだよ。わざわざあんな田舎街までいって、小悪党を成敗してやろうってボランティア精神にあふれたやつがたまたま居なかっただけさ」
その言葉を俺は理解できなかった。
ただ、そいつらが倒れた俺の仲間の持ち物を漁っていることだけはわかった。
あれはみんなで貯めた金で買った首飾りだ。みんなで強いけど呪われてるんだって、おどかしながらサナタに上げたものだ。
めったに売りに出ないからって、かなり足りないのにウィンチが埋めてくれた。安くはなかったはずだ。金にうるさいウィンチも「たまには」なんてお人好しな部分もあるんだなと思ったものだ。
ドクのあれは、マダラメが偶然手に入れた最上級のレアアイテムだ。最上級と言っても、同じ等級の中では扱いづらいとされているものだ。
それでも、ひと財産築けるほどの一級品だ。始めは関係ない俺たちが「売ってギルド内で山分けだな」とか適当な冗談を言っていた。いつもどおりマダラメの懐に入って終わりだと思ったからだ。
ところが、そのときの気まぐれかなにか知らないが、性能に合致するプレイスタイルのドクにやるだなんて誰も予想しなかった。それほどまでにマダラメはがめついと認識されていたのだ。
他にも思い入れのある物ばかりだった。
それをまるでゴミでも漁るように分別され、引剥がされていくその姿を見て、俺は強く動揺してしまった。
結局、俺にできることは無かったのか。いや、無かったのではない。しなかった、考えなかったのだ。
俺はその日、いつもの鍾乳洞に戻って独り考える。
他のメンバーはあれから落ちたまま戻ってこない。
何度でも立ち向かって行く、そういうメンバーだと、俺と同じ志を持つ者たちだと、そう信じていた。
負けたのだとしても、次は勝とうという気概でも見せてくれればそれでよかった。
裏切られたような気分だ。
勝手に信じたのは自分だ。信じる、どころではなく依存だったのかもしれない。
彼らを仲間としてではなく目指すべき目標とし、俺の期待通りに動く英雄的な何かだと思っていたのではないか。
そう俺が期待していたから彼らも俺を子分のように扱い、俺の前では強がっていたのではないか。
そして、俺自信も彼らの期待どおり下手な下っ端を演じ続けてしまったのではないか。
だったら簡単だ。強い自分を演じ、自分だけに期待し、自分をただひたすらに磨き続ける。
それこそが、死んでいった彼らの偽りの英雄像に対する手向けだ。
次の日から、神殺しの丘のメンバーはいつもどおりにしていた。
あれだけの大敗を喫していても、何も変わることはなかった。
ただ一人、大先生を除いては。