006 「それじゃあ、また明日だね」
「君が和田誠君か?」
鋭い鋭利な眼差しで僕を射抜く。
その瞳に僕はどきっとし、吸い込まれるような感覚に襲われてしまう。
左手に持っているキセルも妙に似合っていた。
……ん? キセル?
左手に持っているキセルから少量ではあるが煙が立っている。どうやら使用中なのだということがわかる。
いや、わかるんだけども。
「吸っていいんですか?」
無論この場所で、の意味である。
僕は詳しくはわからないが何故だか室内で吸うのはいけないことなのでは? と思ってしまった。理由はわからないけど。
だが、僕がそう問い掛けた瞬間空気が変わった。
「質問したのは私が先だ」
それは眼差しと同じく鋭利な刃物のような冷たい鋭い一言。
だが、それは比喩的な表現なのにも関わらず、僕は刃物で刺されたような衝撃を与えられた。
それこそ「殺される!」と直感で感じてしまったほどに。
僕は慌てて頭を下げた。
「す、すみません! 僕が和田誠です!」
お好みならば土下座まで披露しかねない勢いである。
だが、店長は僕のその態度で満足したのか空気を元に戻し、
「ん。私は斉藤だ。わかってるとは思うがここの店長だよ」
そう言ってきてくれた。
礼儀や態度にうるさい人なのだろうか? 僕は心の中で対応に気をつけようと思った。
「まあ、あまり時間を掛けるのも時間の無駄だろう。早速だが履歴書を見せてもらってもいいか?」
「あ、はい」
がさごそ、と鞄の中を探り僕は履歴書を見付ける。
「これです」
「ん」
店長に履歴書を渡せば短く返事が返ってきた。
「ほう」
そして、軽く目を通すと感心したような声が上がる。
「君は国府宮学園の学生なのか」
「はい」
国府宮学園とは、僕の通っている学園の名前である。
「頭が良いんだな」
「……まあ、それなりには」
「そうか」
「……はい」
「合格」
「……は、い? え?」
え? え? え?
今何て言ったんですか?
「ん? いやだから、合格」
ぷはっとキセルを吸いながら店長はそう言った。
「え、えー……」
「なんだ不満なのか?」
「い! そ、そんな事はありません! け、けど、その」
「なんだ?」
「……こんな簡単に決まるものなのかと」
履歴書を渡してから一分も経ってない。
それどころか会話した時間でさえ三分も経ってない状態だ。
初めての面接だとは言ってもさすがに適当すぎやしないか? というのが僕の思うところである。
「簡単に、じゃないぞ?」
「そう、なんですか?」
「ああ。――そうだな、例えば国府宮学園の生徒だということは頭が良いだけではないだろう。無論、全員が全員優等生ってわけでもないだろうが、あの学園の生徒というのはそれだけで一般的な学生とは違う。わかるか?」
「……まあ、なんとなくはですけど」
それだけ有名な進学校、だという意味でなら僕も理解出来る。
自分が凄い、と言ってるような気分になるから、あまり好意的に受け入れられはしないけど。
「だとしたら、そんな凄い学園に通っているのに何故バイトを? と思うのが一般的だろうが、君の中学校を見れば分かる。少なくともこの近辺にはない学校名だからな。引っ越してきた、という可能性もなくはないだろうが、一人暮らしの可能性のほうが高い」
僕は店長の話を聞いて驚いた。
確かに、僕の動きは履歴書を見れば案外浮き出てくる。少なくとも他の人間よりも少ない選択肢しか与えられていないだろう。
「さて、ここでは一人暮らしだと仮定した場合だが。それだと概ね小遣いか、親のためになる。だが、小遣い稼ぎだろうと結局はそこまで親に金を出せさせたくない、といった気持ちの表れにも見えるからな。そこは入ってきてからの君の行動を見ればわかるだろう? 少なくとも金はたくさんもらってるけど、もっと遊びたいから、というタイプには見えん」
ふう、とここで店長はキセルを一回吸う。
キセルの臭い――というか、タバコの臭いが充満した。
「ならば、人格者として不適合ではないだろうと判断しただけだ。それに特技にバスケと書かれてる。体育会系と接客業の相性は割りと良いんだ。そこもプラスになる。……私はこう考えて採用と言ったのだが、何か聞きたいことは?」
トン、と店長はキセルを小さな火鉢のようなものの上に置いてこっちを見てきた。今度は吸い込まれそうな、妙な魅力を感じさせる瞳である。
それを感じて僕は食えない人だ、と思うのと同時に、敵わない、とも思った。
「……概ね仰ったとおりの理由ですよ。僕が働きたいと思ったのは。ですが、ひとつだけ聞きたいことが」
「なんだろう?」
「引越しだと仮定した場合はどうなって合格になったんですか?」
僕がそう問い掛けると、店長は一瞬目を開いて小さく笑い出した。
「くくく、合格ね。……そうだな。それも君の人柄を見て自分が働かなくても問題がないほど裕福な家、といった印象を受けなかったからだ。結局はいい加減な気持ちで働こうと思っている人間には見えなかった、というのが結論だよ。君の人格は悪くなさそうだ」
「……ありがとうございます」
なんだろう。面と向かって褒められたからだろうか妙に照れてしまう。
「それに今の会話で君の頭の回転も良いということが分かったからな。是非ともうちで馬車馬のごとく働いてもらおう」
「……」
くくくっ、と愉快に店長は笑う。
だが、僕は店長のように愉快には笑えない。
「馬車、馬?」
「ああ、安心しろ。勿論学業やらを優先するんだろう? 労働時間は君の志望通りの時間のみでシフトを組んでやる」
その言葉にほっとしかけた自分がいたが、不安は隠せない。
なんだろう。目の前にいる店長が魔王君よりも魔王に相応しく見える。
とりあえず、憎たらしく店長を見てみることにした。
だが、店長は何食わぬ顔して明後日の方向を見ていた。
「どうだった?」
暇なのだろうか、部屋から出てきた瞬間に勇者ちゃんがひょこっと話し掛けてきた。
「受かりましたよ」
僕は苦笑混じりに答える。
その表情を見てか勇者ちゃんも困ったような笑みを浮かべ。
「まあ、悪い人じゃないの」
とだけ言った。
まあ、それはなんとなく分かる事で、別に疑う事もなく頷く事にした。
「とりあえず、明後日の夜から働く事になったので、一緒だったら宜しくお願いします」
「うん。明後日ならあたしもいるだろうから教えられる範囲で教えるよ」
「お願いします」
と、そこでピンポン、とお客が呼ぶ音がしたので勇者ちゃんは「あ、ごめん。またね」と短く言葉を呟いて慌しく仕事へ戻っていった。
僕も彼女の後姿を見ながら「頑張って」と小さく応援したが、果たして聞こえただろうか。
「割と早かったな」
外に出た瞬間、魔王君がそう声を掛けて来てくれた。
入り口の横で腕を組んで待っていた魔王君はやはり絵になる。立派なハチ公だ。
「一瞬で採用されたからね」
帰るために歩き出しながら僕はそう言った。
すると魔王君は若干驚いたような表情をして、
「一瞬でか?」
と聞いてきた。
きっと盛ってると思われたのだろうけど、あまり語弊がないので僕は頷いて肯定する。
「それは凄いな」
「ね。僕も驚いた」
「で、働く事になったのか?」
「うん。明後日からね」
「そうか」
何気ない会話を交わしながら僕等は来た道を戻っていく。
すぐに終わったとは言え、既に時刻は夕方である。徐々に日も暮れ始め、周りの景色をオレンジ色に染め上げていく。
「そういえば、魔王君はどこに住んでるの?」
ふと気になったので聞いてみた。
考えてみれば、魔王君はあっちにいた、などという発言をしている。あっちとは具体的にどこを指しているのか僕には分からないが、僕の夢をあっちにいた時のと言っているあたりファンタジーな話ではよくある異世界の事を指しているのだろう。
という事は、だ。こちらの世界に単身で来てしまったという事になるのだが、果たしてどんな生活を送っているのだろう。
……非常に気になる。
「俺様か? 駅前のマンションに住んでる」
「へー……マンションねえ。……マンション!?」
「何をそんなに驚いてる?」
そりゃ驚くよ!
「いやだって、一人でしょ!?」
「そうだが?」
それが何か? という顔でこっちを見てくる。
「だって、魔王君、こっちに家族とかいないでしょ?」
「まあ、あっちにもいないが」
あ、なんか触れちゃいけない感じの話をしてしまった気分。
だけど、何食わぬ顔でさらりと言った魔王君を見る限り、ここで変に気を使うのはよくないだろう。
僕はそう判断して僕は努めて自然に話を続ける事にした。
「だとしたら尚更だよ。家賃とかどうしてるの?」
「家賃はないぞ? 購入してるからな」
「……はい?」
「生活費とかはそれなりに掛かるが払えなくなるような金額でもないしな。金には困らん生活をしてる」
「ちょちょちょちょ!」
「……なんだやかましい」
そう言うと魔王君はしかめっ面でこっちを見てきた。
対する僕は言葉に出来ない驚きを感じたせいか、金魚のように口をぱくぱく開く事しか出来ないでいる。
だが、いつまでもそんな状態になっているわけにもいかないので、ある程度収まってから僕は言葉を口にした。
「どこでそんなお金稼いだの!」
色々突っ込みたいが一番の謎はそこだろう。
「最初は夜の仕事でだな。ある程度そこで稼いでからは、今はその稼いだ金を元手に株とギャンブルで稼いでいる」
う、わー……。
僕は内心で物凄く引いた。
いや、引いたというと語弊があるが……なんていうか、住む世界が違うんだと改めて認識した。
まるで漫画のキャラクターみたいである。
「そう難しくないから誠も今度やってみるといい」
「いや、僕には無理そうだから遠慮しとくよ」
そういうのは生まれ持ったものがないと成功しないものである。
少なくとも僕はそういう星の下で生まれたようなものは持ち合わせていないようなので遠慮しとく事にした。
「そうか」
残念そうに魔王君は呟いたがこればかりは仕方がない。諦めてもらおう。
と、割りかと話し込んでいたためか、大きい十字路へと僕等は辿り着いた。
ここから右へ曲がれば駅前で、真っ直ぐ進めば学校。左に曲がれば僕の家となる。
つまり、ここで僕らの進路は真逆になるわけだ。
「魔王君は駅前だよね? 僕はこっちだから」
僕は左を指差しながらそう言う。
「逆なのか。そうだな、俺様はこっちだ」
そう言って魔王君は右のほうを差す。
「それじゃあ、また明日だね」
「……ああ。また明日だ」
それを最後に僕等はお互いの道の方向を向き、背中を向け合った。
別れ際、僕達はお互いに暖かい笑みを浮かべていたのが、僕にはくすぐったくて嬉しかった。
まおうが なかまに なった!