001 「俺様を餌に使おうとは良い度胸だ」
この物語はフィクションです。
「……はあ……はあ……」
「――どうした? お前の力はそんなものか」
薄暗い石造りの大広間に二人はいた。
片や漆黒のように黒い髪、血のように紅い瞳をした男。
片やこの世の全てを照らすかのような金色の髪に大空のように澄んだ青い瞳をした女。
女は肩で息をして、手に持っている大剣を杖代わりにし、なんとか立っているような状態であった。
それを余裕の表情で見下ろす男。
どう見ても女の敗北は避けられないように見えた。
しかし、
「まだ……まだ、終わってないっ!」
そう言ってぐっと手に力を込め、杖代わりにしていた大剣を両の手でしっかりと構える。
立つのがやっとと言われても仕方がない、不安定な体勢ではあったがその瞳はまだ死んではいない。――まだ心は折れていない。
その姿を見て全てを悟ったのだろう。男は口元を歪ませ、面白い玩具を――壊しがいのある玩具を見付けたとばかりに嗤った。
「くくくっ、では、参ろう」
そう言って男は女に向かって駆け出した。
手には何も持っていない、素手である。
が、男が右手に力を込めるとそこから蒼い火の玉がいくらか現れる。火の玉はまるで自らの意思があるかのように不規則ではあるが男の手の周りを飛び回る。不気味な光景だった。
だが、そんな光景を目の前にしても女は汗ひとつ流さず表情も変えず、堂々と男を迎え撃つ。まさに威風堂々と言う言葉が似合う有様であった。
男が右手を女に突き出す。それと同時に火の玉は女に向かって飛び出した。
それを女は大剣を一振り、上段から振り下ろす。たったそれだけの行動で火の玉は全て吹き飛んだ。
満身創痍、それに違いなかったが女の力はまだ衰えていない。まるで自らの生命力を燃やすかのように決死の表情を浮かべ足にぐっと力を込める。
「うぉぉおおおおおお!!」
そして、地の底から響くような叫び声と共に男へ向かって飛び掛かる。既に足を動かす力は残っていない。これが最後とばかりに全身全霊の力を込め女は剣を振った。
「ぬうっ!」
それに合わせて男も右手に力を込める。今度は火の玉ではなく蒼い炎が男の右腕に纏わりつく。
男には害はないらしく、その炎は男の体を傷付けることはなかった。
男はその炎で女の剣を防ぐ。
――ゴウッと剣がぶつかった瞬間に炎の火力が上がる。だが女は気にせず剣に力を込める。
男も先程まで浮かべていた余裕の表情を消し、全力で女の攻撃を防ぐべく、力を込める。
両者、一歩も譲らない。
「うああああああああああああああああ!」
「ぬおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そして、両者の叫び声。それと共に辺りを紫色の光が包み込んだ。
――光が消えた時、そこには二人の姿はなかった。
――僕は数年前に不思議な夢を見た。
いつか、なんてはっきりとした記憶はないけど記憶に残っているということはそんなに昔の事じゃないって事が分かる。だからきっと数年前の話だ。
その頃の僕はきっとゲームをし始めたくらいの年頃で、だからあんな夢を見たんだと思う。
魔王みたいな男と勇者みたいな女が戦う夢。
どっちも凄い美形だったのは今でも覚えてる。
この夢の凄いところはそれが二次元のようなアニメちっくな造形じゃなくて、三次元、それもやたらとリアルな造形だった事だ。
本当にいるんじゃないかって、そう思わせるくらいリアルだったのを覚えてる。
――さて、何故僕がそんな数年前の夢を今更ながらに思い出したのかと言いますと。その、ね。夢だと思っていた人がね。目の前にいたりするんですよね。とゆーか、目の前って言うか、隣?
僕は視線を横に向ける。そこにいるのは本に目を通す黒髪のスーパーイケメン男子校生。命名魔王君。
……いやだって、僕の夢に出てきた魔王にそっくりなんだもん。
ちなみにうちの高校の制服はブレザータイプで紺色のジャケットに学校指定のYシャツ(色は白、ピンク、水色から選べる)、グレーと黒と白のチェックのズボン。女子の場合はピンクと黒と白のチェック柄スカートなんだけどね。――凄い絵になっててムカつく。
なんか僕と同じ赤いネクタイ(学校指定)をしてるのにブランド物の高いネクタイに見えてくるくらいカッコイイ。
……ああ、いかんいかん。嫉妬のあまり話が変な方向に。
まあ、その魔王君が何故か隣の席に座ってるんです。もう目が点です。
今日から高校生活スタートだというのに既に高校生活が不安でいっぱいです。
え? いやだってさ、魔王だとは思ってないけど夢に出てきた魔王と瓜二つなんだもん。そりゃ不安になるじゃない? 正夢だったらどうしよー、みたいな? ああ、いやいや。あれだよ? もしかしたら魔王かも、とか思ってるんじゃなくて魔王みたいに恐ろしい人だったらー、みたいな? ……とりあえず、怖いんですよね。なんか夢に出てきた超絶イケメンが目の前にいるってだけで。
「はあ……」
僕は溜息をこっそり吐いて外を見る事にした。名簿順のおかげだろうか、僕は窓際の最後尾。外を見るにはうってつけだった。
憎たらしいくらい澄み切った青空に僕のやさぐれた心はますますやさぐれていった。なんだこんな綺麗な空は、悩みとか無さそうだな羨ましいなコノヤロー。といった具合に。うん、空を見るのは止めておこう。
となると、視線をどこに向けるのかに困る。教室内を見回してみるけど知っている顔はいない。まあ、見なくても分かりきってるんだけどさ。
さて、どうしようかな。僕は結局悩んだ末にほとんど無意識に魔王君へと視線を向けてしまった。
「ん?」
「あ」
目が合っちゃったよぉぉぉぉおおおおお!
どうしようどうしよう! ばっちりと合っちゃった!
しかも、なんという事でしょう! メデゥーサの目を見てしまったかのように石みたいに体が動かないよ!
僕は間抜けな声を出して挙句固まってしまった。
外から見れば冷静そのものなのかもしれないが内心はとてつもないパニックである。どれくらいパニックになったのかと言うとメデゥーサという単語が頭に出てきた瞬間、助けて! ペルセウス! と叫びたくなるくらいのパニックっぷりである。
だが、魔王君は目を合わせて動かない僕を不思議そうな顔で見つめるだけだった。本当に不思議そうに。
「――お前、何処かで逢わなかったか?」
ええええええええええええええええええええ!?
ナ、ナンパ! って違う! いや確かになんかナンパの常套句みたいだけど!
ま、まさか夢に出てきた事を言ってるのだろうか……って、そんな答え方したらやばいよヤバイヨ、アブナイデスヨー。
『お前、何処かで会わなかったか?』
『はい、夢の中で……』
オカシイヨオカシイヨ。
あー。でも、あれか。もし本当に夢の中で会ってたらおかしくないのか。……いやいや、十分におかしいでしょ。そんな訳ないじゃん。あー、でも、だったらどうやって答えればー。
僕は魔王君の問いに答えを返す事が出来ずにグルグルと一人で勝手に思考の海へと溺れていった。本当にどうしようもない。
頭を抱えだして悩みだした僕を、これまた不思議そうに魔王君は眺める。そりゃそうだろう、こんな簡単な問いに全力で悩んでいるのだから、そりゃ不思議でしょうよ。
「どっちなんだ?」
「はいっ! 夢の中でだったら!」
言っちゃったよー言っちゃったよー。突然の問い掛けに素直に答えちゃったよー。
僕の答えに徐々に顔が魔王君の表情が歪んでいく。怒りとも蔑んでいるとも評しにくい――が、負の感情の塊なんだということは理解出来る表情である。そんな表情で僕を見る。絶対これ変な奴だって思われてる。やっぱり魔王じゃないよこの人。当たり前だけど。
魔王君は暫くの間、その表情のまま僕を見ていたが、突然何食わぬ表情をして本へと視線を戻した。まるで今のやり取りは無かった事にするかのように。
――僕も視線を空に戻す。さっきまで憎たらしかった青空が今度は僕の心を癒してくれる。あははー、すずめがかわいいなー。
そのまま僕達の間で会話が交わされる事は無かった。
それは学校が終わるまで続いた。
今日僕が彼の事について知る事が出来たのはHRの時に自己紹介で「不破類」と言っていた彼の名前だけである。
ちなみに余談なんだけどね。彼がそう言った瞬間、女子達が「不破君……ぽっ」「不破キュン……」「類ちゃん……」みたいな反応になってた。あれはもう恋する乙女の顔だった。というわけで、恐らく僕のクラスの未来のカップル数が著しく下がった瞬間なんだと思う。男達はもうみんな獣のような形相だったね。僕はどうでも良かったからいいんだけど。……うん、いいんだ。血の涙流したくらいだからいいんだよ。
そして、僕は魔王君と接触する事無く一日を終えて……まあ、初日だから午前で終わったんだけど。
ただいま靴を履き替えるために靴箱の前にいます。友達はまだいません。
学校指定の内履きをロッカーの中に仕舞って代わりに外履きであるお気に入りのスニーカーを取り出す。
黒を基調としながらもところどころに存在する白と赤のラインがカッコイイと思って一目惚れして買ったスニーカーだ。だから僕は出掛ける時は極力このスニーカーを履く事にしている。
そのスニーカーを出来るだけ丁寧に履いた僕は、家に帰るべく真っ直ぐ校門へと向かった。
途中、これから何処かに遊びにいくと思われる集団がいくつか見えたけど気にしない気にしない。
その中になんか魔王君を校舎裏に連れて行こうとしてる集団がいるけど気にしない気にしない。
気にしない……気にしない……、――だめだ、気になる。
なんか見て見ぬ振りってのが駄目だって何かで読んだ気がする。いやまあ、かと言って勘違いで大事にするのもあれだから、とりあえず状況を観察すべく僕はこっそりと彼らの後を追った。そしたら、案の定魔王君は校舎裏のどこからも見えない死角の場所まで連れて行かれた。
「ちょーっと、話があんだけど、いいよな?」
僕がこっそりと覗き込んだ時には魔王君の胸倉を掴んでる男がそんな言葉を投げ掛けているところだった。
人数は六人。みんな制服を着崩してて身なりが派手だった。俗に言う不良ってやつなんだろう。
僕の学校はネクタイの色で学年の違いがわかるようになっていて赤が一年。青が二年。緑が三年って事になってる。――まあ、不良さんの中にはネクタイをしない人もいるけど、胸倉を掴んでる人は緑のネクタイをしていた。つまり三年生だ。
三年生が何で? と思うところがあったけど、続いた言葉で僕は納得した。
「オメー、顔が良いからよ。ちょーっと女の子に声掛けて体育倉庫とかに連れてきてほしいんだわ」
――、下衆め。
無意識に右手に力が込められる。
言葉が耳に入った瞬間、沸騰するかと思うような熱を体が帯びたのが分かる。
こいつら人間として最低だ。
「……理由を聞いても?」
……だが、魔王君の言葉を聞いた瞬間、僕の熱は冷めた。
頭では何を悠長な! と叫んでいるのにそれを無視して一気に冷めていく。
そして、何故そうなったのか僕は分かった。
「何をするつもりだった?」
先輩に対する言葉遣いじゃない。抑揚の無いタメ口。だけど、先輩達からの怒声が聞こえてこない。
当たり前だ。
何故なら、
「――早く答えろ」
その声があまりにも冷たかったからだ。
魔王君の問いに「ひっ」と情けない声を出して一人が腰を抜かす。ただ問い掛けられただけなのに、である。
胸倉を掴んでいた男の手がだらりと力なく魔王君の胸から落ちていく。彼もまた怯えているようだった。
「ほう。どうやら貴様等はとんだ下衆のようだな。――俺様を餌に使おうとは良い度胸だ」
その瞬間、魔王君の右拳が胸倉を掴んでいた男の顔にめり込む。めり込んだ音まで聞こえてきた。間違いなく骨までイッただろう。
それを皮切りに腰を抜かしている男以外が一気に魔王君へと飛び掛る。よく見ればナイフを持っている男までいた。
「危ないっ!」
この状況にさすがの僕も咄嗟に飛び出していた。
瞬間、魔王君と目があったような気がしたがそれは分からない。
ただ気づいた時には魔王君が右手を高く上げていた。
――パチンッ!
それは指パッチンの音だった。親指と中指を擦らせて鳴らすアレの音。
音が鳴るだけの何の意味の無い行為、その筈だった――
「ななななななあ!?」
僕は悲鳴、というか奇声を上げた。
魔王君を中心に竜巻が発生していたからだ。
先輩達は一人残らず竜巻の中に巻き込まれぐるぐると回っている。
――こんな偶然、あるわけがない。
笑顔で先輩たちを眺める魔王君を見て僕はそう確信した。それと同時に一つの単語が頭に浮かび、その言葉が脳内を支配する。
――魔王。
…………彼は本当に魔王なのかもしれない。