化粧まわし
静まりかえった広い室内。
男の横たわった寝台のシーツが目に残るほど白い。
鳥が外でかすかに鳴いている。
「どういう、こと ですか?」
実父の手を握った少年が絞り出すように問う。
先刻意識して高く出していた声がずいぶんと低く響いてしまう。
すぐ後ろに立っている少女も息をのむ。
男は一度深く息を吸い静かにはいた。
「光を失ったがそれによって得た事もある。
嗅覚聴覚が冴え気配にも敏感になる。
声色だけで嘘か本当かもだいたいわかる。
そして目の代わりに手でものをみるようになった。」
「手、で…?」
しっかりと握られた少年と男の手を見つめエヴァが呟く。
「成長した息子の姿を見ることができないとは…
わかっていたことだが、やはり咎は甘くはないのだな」
…息子…
シエラとエヴァは同時に息をのむ。
それは疑いではなく確信している口調だった。
「ど どうしますかシエラさん…?」
小声でシエラに耳打ちしつつ視線を泳がせながら、頭の中ではどうやら失敗に終わったらしい仕事の料金計算を猛スピードでしている。
しかしシエラはそれに答えず
しっかりと男の手を握ったまま押し黙っている。
「もう14.5歳になるのか?手にマメが出来ているな…
ああこのマメの出来方…剣をやるのか、よく鍛錬している手だ。
私も臥す前は騎士団長の任についていたのだが」
「ええ、知っています」
少年の言葉が男を遮る。
もうその声色に動揺はない。
「母はあなたの名や身分をはっきりとは教えてくれませんでしたが
剣は誰にも負けぬ腕であったとよく語って聞かせてくれました。」
…だから
…だから隠れて必死で
少女として育てられた彼にとって
母親に気がねしこっそりと、しかも師もなく独学で剣の練習をするのは生半可なことではなかっただろう。
エヴァは男の手を握る超美少女…じゃなくて少年の
見た目からは窺い知れぬ強さを垣間見たような気がした。
「あなたがいないあの家で母を守れるように」
あらゆる感情が含まれた少年の短い言葉に
男は深く息を吐き、やはり短く答える。
「ああ、ありがとう」
どんな謝罪も今となっては無意味だから。
そして二人はどちらからともなく口を閉ざす。
そんなやりとりをエヴァは息を殺し気配を殺し
とにかく「私は空気私は空気私は空気 あい・あむ・えあぁ~
あ、エヴァとエアーってちょっと似てるじゃーん?」とか念じながら
なんとかこの『他人が聞いちゃいけなさそうなシリアスな展開』から
逃れる手段を考えていたのだ。
そして、
今、まさに少年と男の会話がとぎれ沈黙した
適当に理由をつくってこの場を退出するのは今しかない!
「あ あのっ!私ちょっと化粧まわししてきます!!」
ガバリと会釈をしたかと思うと
そんな常套句を早口で告げ慌ただしく部屋をでた。
残された2人はエヴァが走り去ったドアを数秒凝視していたが
先にふと我に返った病床の男が恐る恐る初対面の息子に訊ねた。
「化粧まわし?今おまえと一緒に来てくれた娘さんは『化粧まわし』をしに行くといったかい??
私は見えないのでわからなかったのだが最近は相撲ブームとかで
若い娘さん達がまわしをしめたりしているのかい?
そうだとしたら何故私は失明なんてしてしまったのだろう…」
ちょっと本気で残念そうだ。
初対面の父のそんな反応に笑顔をひきつらせて息子が答える。
「…おそらく化粧直しのまちがいでしょう。」
「ああ、そうか。面白い娘さんだ。…恋人なんだろう?」
顔色の悪い男が悪戯っぽく口の端をあげて笑う。
シエラははぁとかえぇとか返事を微妙に濁し
喉元まで出かかっている『あの女とは今日あったばかりの赤の他人だ』という
セリフを必死で飲み込んでいる様子。
そろそろ書き溜めがなくなってきました。