↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/34

間章:畑を試す


 調べる。測る。そこまで終えて、日本側はようやく畑を変えることにした。


 ただし、変えるのは王国の全土でも、一つの村でもない。


 最初に選ばれたのは、リヴァーノ近郊にある王領の農地の一角だった。広すぎず、狭すぎず、長年の収穫の記録が比較的よく残っている。近くには水路があり、土質の違う畑もある。何より、普段そこを耕している農民たちが、試験への参加を受け入れてくれたのだ。


「それで、日本式の畑ってのはどこだ?」


 初日の朝、農民の一人が尋ねた。日本側の農学者は、地面に打ち込まれた杭を指さした。


「ここから、ここまでです」


「小さいな」


「試験ですから」


 畑には縄が張られ、いくつもの区画に分けられていた。


 何もしない区画。種の選別だけを行う区画。播く量を変える区画。排水溝を追加する区画。堆肥の量と熟成の方法を変える区画。農民たちがこれまで使ってきた方法を、そのまま再現する区画。そして、古い農書に記されていた方法を試す区画。


 畑を見た農民は、しばらく黙り込んだ。


「全部、違うやり方で作るのか」


「そうです」


「どれが一番いいのか、分かってるんじゃないのか」


「分かっていたら、こんな面倒なことはしませんよ」


 農民は少し考えてから、隣に立っていたヴァレシア人の農学者に顔を向けた。


「こいつら、本当に分かってないのか」


「たぶんな」


「大丈夫なのか」


「分からないことを分からないと言うところだけは、かなり信用していいらしい」


 日本側の研究者は、聞こえないふりをした。


 ◇


 最初に試したのは、種だった。


 これまでの調査で、ヴァレシアの農家の種の選び方には、かなり大きな差があることが分かっていた。大きな粒だけを残す村。穂の形で選ぶ村。前の年によく実った畑からだけ種を取る村。ほとんど選ばずに、収穫物の一部を翌年の分として残しておく村。さらに古い農書には、塩水を使って種を選ぶ方法まで書かれていた。


「では、まずはこれを再現してみます」


 桶に水を張り、塩を溶かす。


 ただし、「卵が少し浮く程度」という二百年前の記述を、そのまま使うわけではない。塩の濃度を少しずつ変えながら、種の沈み方を記録していく。沈んだ種、浮いた種、その中間の種。それぞれを分けて、発芽させるのだ。


「こんなことまで、分けるのか」


 ヴァレシアの農学者が聞いた。


「分けないと、塩水での選別が本当に効くのか、ただ昔からそうしているだけなのかが、分かりませんから」


「効くと思うがな」


「私も、そう思います」


「なら」


「思うことと、確かめることは、別のことです」


 数日後、結果が出た。沈んだ種の方が、明らかに発芽がそろっていた。育ち始めの弱い株も少ない。


 ヴァレシア側の農学者は、少し誇らしげに腕を組んだ。


「ほらな」


「はい。農書は正しかった」


「二百年前から、知っていたんだ」


「正確には、二百年前から“使える方法”を知っていた、ですね」


「同じことだろう?」


「少し、違います」


 日本側の研究者は、記録を示した。


「どの濃度が最も良いのかまでは、書かれていませんでした。条件をそろえれば、もっと安定させられます」


 昔からの経験則が、測定によって技術へと変わっていく。それが、最初の成果だった。


 ◇


 播く種の量を変える試験では、農民たちの方が不安そうだった。


「少なすぎる」


 一人が、畑を見て言った。


「ここは、いつもの量の八割です」


「地面が見えてるじゃないか」


「最初のうちは、そうです」


「麦ってのは、たくさん播くから麦畑になるんだ」


 隣の農民も頷いた。日本側の研究者は、反論しなかった。


「ですから、いつもの量で播いた区画も残してあります」


「少ない方が駄目だったら?」


「来年から、やめればいいんです」


「全部駄目だったら?」


「全部、やめます」


 それなら、と農民たちは納得した。


 日本人は、正しい方法を教えに来たのではない。一緒に失敗できる場所を作ったのだ。その方が、彼らにとっては受け入れやすかった。


 ◇


 排水の試験は、もっと単純だった。


 以前調べた、丘の上なのに春先に根腐れを起こしやすい畑。そこに、浅い排水溝を何本か追加する。深さ、間隔、傾きを、それぞれ変えていく。


「こんな溝で、何か変わるのか」


 農民は、半信半疑だった。


「分かりません」


「またそれか」


「ただ、水が抜ける速さは、変わっています」


 日本側は、土壌水分計の表示を見せた。だが農民たちには、数字そのものにはまだ馴染みがない。そこで日本側は、それを棒状の簡単な目盛りに置き換えた。「湿りすぎ」「適正」「乾燥」。それだけなら、一目で分かる。


「こっちは、まだ濡れているな」


「はい」


「溝を掘った方は、もう下がってる」


「はい」


 農民はしゃがみ込み、土を握った。


「確かに、違うな」


 機械の数字を見た後で、最後に確かめたのは、自分の手だった。日本側の研究者は、それで十分だと思った。


 ◇


 堆肥では、少し問題が起きた。


 日本側は、家畜の糞尿と藁を適切に混ぜ、水分と温度を管理しながら発酵させる方法を試していた。ヴァレシアにも、堆肥づくりはある。ただし、そのやり方は地域によって大きく違っていた。


「熱いぞ」


 農民が、堆肥の山から手を引っ込めた。


「腐ってるじゃないか」


「発酵しているんです」


「同じだろう」


「似ていますが、少し違うんです」


 内部の温度を測る。高い温度になることで、一部の病原体や雑草の種を減らせる可能性がある。


 だが、この世界の微生物の顔ぶれについて、日本側はまだ十分に理解していない。だから、地球で確立された温度管理を、そのまま正解とはしなかった。


 温度を変えて、いくつもの堆肥を作る。発酵の期間も変える。混ぜる材料も記録する。出来上がったものを分析し、さらに小さな区画に施して、作物の反応を見る。


「肥料一つ作るのに、ずいぶん時間をかけるんだな」


 ヴァレシア人の農学者が言った。


「妙な病気を畑中にばら撒くよりは、安くつきますから」


「それは、そうだ」


 ◇


 そして、研究者たちが最も集まったのは、魔法の試験だった。あの農書の一節である。


『春播きの豆は、種を播く三日前に弱き水術を施せば、芽の揃いよし』


 これを、試してみるのだ。


 まず、豆を六つの群に分けた。何もしないもの。普通の水に一定時間浸すもの。水分の量だけを同じになるよう調整したもの。農書に近い、弱い水の魔法を使うもの。強めの水の魔法を使うもの。そして、魔法使い本人にも、どの区画なのかを知らせずに処理してもらうもの。


「最後のは、何のためです?」


 参加したヴァレシア人の魔術師が尋ねた。


「使う人が『効くはずだ』と思うことで、無意識のうちに術を変えていないかを、確認するためです」


「そこまで疑うのですか」


「あなたを疑っているのではありません。実験を疑っているのです」


「よく分かりませんね」


「こちらでは、褒め言葉なんですよ」


 数日後、豆が芽を出した。さらに数日後、結果が出た。わずかではあるが、差があった。


「……出ていますね」


 日本側の研究者が、画面を見つめた。


 普通の水に浸しただけでも、発芽率は少し改善している。だが、弱い水の魔法を使った群は、それよりもさらに、芽の出る時期がそろっていた。


「水分の量は?」


「そろえてあります」


「温度は?」


「差はありません」


「魔法で処理した後の組織は」


「一部の代謝の指標に、差があります」


 魔術師が、得意そうな顔をした。


「だから、言ったでしょう」


「まだ、一回だけです」


「効いたでしょう」


「一回です」


「日本人は、疑い深い」


「三回、やります」


「三回?」


「最低でも」


 魔術師は、天井を仰いだ。


「農書を書いた人間は、こんな苦労はしていないと思いますがね」


 日本人の研究者は、笑った。


「だから、二百年経っても『効くらしい』のままだったんですよ」


 ◇


 青石も、試してみた。


『畑の四隅へ青石を埋めれば、虫害を避ける』


 石の成分を調べ、微弱な魔法の特性も測る。四隅に埋める区画、中央にも埋める区画、粉にして少量撒く区画、何もしない区画。虫の数を数え、葉が食われた面積を測り、収量を見る。


 結果は──。


「差は、ありません」


「本当に?」


 ヴァレシア側の農学者が言った。


「今のところは」


「魔法の面でも、差はないのか?」


「検出できません」


「では、迷信だったか」


 日本側の研究者は、首を傾げた。


「少なくとも、この条件では効果がなかった、ということです」


「同じことだろう?」


「土が違えば、効果が出るかもしれません。石の種類が違う可能性もあります」


「まだ試すのか」


「少しだけ」


 農学者は笑った。


「今度は、あなた方の方が迷信を捨てられなくなっているじゃないか」


「否定するにも、データが要りますから」


 ◇


 試験は、すべてがうまくいったわけではなかった。むしろ、うまくいかないものの方が多かった。


 ある種の処理は、かえって発芽率を下げた。ある堆肥は、作物を傷めた。排水溝を増やしすぎた区画では、乾燥する時期に逆に水不足が起きた。地球で効果のあった植物性の防虫液に似た処方は、この世界の害虫の一種にはまったく効かなかった。


 その逆に、農民たちが昔から使っていた、灰と植物油を混ぜた処理が、予想以上に効いた。


「理由は?」


「まだ、分かりません」


「でも、効くんだろう」


「はい」


「なら、使えばいい」


「毒性を調べてから、です」


「面倒だな」


「口に入るものですから」


「それは、そうか」


 ◇


 収穫の時期がやって来た。


 試験の畑には、農民、研究者、農政官、魔術師たちが集まった。区画ごとに刈り取り、混ぜないように、番号をつけた袋に分けていく。重さを量り、水分を測る。粒の大きさ、病気の割合、倒れた株の数、そして働いた時間。すべてを記録していった。


 そして、結果が出た。


 ◇


 最も収量が多かった区画は、日本側が最も手を加えた区画ではなかった。


「こっちなのか?」


 農民が聞いた。


「はい」


「いつもの種で、播く量を少し減らして、排水だけ変えたところか?」


「そうです」


「肥料は」


「これまで通りです」


「魔法は」


「使っていません」


「それで、一番?」


「今年は、です」


 農民は、しばらく畑を見つめていた。


「地味だな」


 日本側の研究者も、笑った。


「農業というのは、だいたいそういうものです」


 ◇


 さらに、別の結果も出た。


 種を選別した区画では、収量そのものは大きく変わらなかった。だが、作物の育ち方がそろっていたため、収穫の作業が短く済んだのだ。必要な人手が減り、刈り残しも減った。その結果、畑から倉まで届いた穀物の量では、差が広がっていた。


「収穫量だけを見ていたら」


 ヴァレシアの農学者が言った。


「見落としていましたね」


「はい」


「作業の時間も測っていたから、分かったのか」


「そうです」


 畑で何俵採れるか。それだけが、農業の生産性ではなかった。


 そこに、何人が何日働いたのか。どれだけの種を使ったのか。どれだけ家畜を働かせたのか。どれだけ失ったのか。そのすべてを合わせて、初めて、その農法が良いものかどうかが分かるのだ。


 ◇


 収穫した穀物の一部は、そのまま次の試験に回された。貯蔵の試験である。


 従来の倉、床を高くした倉、風通しを良くした倉、密閉性を高めた容器、乾燥の具合を変えたもの、ネズミ対策を施したもの。


「結果は、いつ出るんだ?」


 農民が尋ねた。


「数か月後です」


「また、待つのか」


「はい」


「日本の農業は、待ってばかりだな」


 研究者は、畑の向こうを見た。


「作物が、急いでくれませんので」


 ◇


 その日の夕方、試験に参加した者たちを集めて、報告会が開かれた。


 日本側は、成功した試験だけを見せたりはしなかった。効いたもの、効かなかったもの、かえって悪くなったもの、分からなかったもの。そのすべてを、同じ表に載せた。


 ヴァレシア側の農政官が、その表を見て尋ねた。


「失敗も、広めるのですか」


「広めます」


「なぜです?」


「同じ失敗を、別の村で繰り返さないためです」


「成功したものだけを教えた方が、見栄えは良いでしょうに」


「見栄えでは、食料は増えませんから」


 少し、静かになった。


 ◇


 やがて話題は、次の段階へと移った。


「この方法を」


 農政官が言った。


「来年から、王国の中に広げることはできますか」


 日本側の研究者は、すぐには答えなかった。


「どの方法を、ですか?」


「効果のあったものを」


「一部であれば、試験を行う地域を増やすことはできます」


「全国では?」


「まだ早いです」


「結果は、出たのでしょう」


「一つの地域の、一年分の結果です」


「でも──」


「雨も違う。土も違う。作物も違う。農民のやり方も違う」


 それは、第一段階で学んだことだった。「ヴァレシアの農業」という一つの農業があるわけではない。あるのは、土地ごとの農業なのだ。


「それに」


 研究者は続けた。


「もう一つ、理由があります」


「何でしょう」


「効果が大きすぎる技術ほど、急いで広めない方がいい場合があるのです」


 農政官が、眉を寄せた。


「なぜです?」


「人が、要らなくなるからです」


 農民たちも、静かになった。


 ◇


 試験では、まだ大規模な機械化は行っていない。それでも、種を選ぶ、播く量を変える、作業の時期をそろえる、排水を改善する、貯蔵を改善する──それだけで、一部の作業の時間が減っていた。


「これは」


 日本側の農業経済の担当者が言った。


「良いことです」


 少し、間を置く。


「ただし、王国全体で同時に起これば、別の問題になります」


 農業に従事する者一人が、一・二五人から一・三人しか支えていない社会。もしそれが一・五人になったら、どうなるか。


 食料は増える。凶作への備えにも余裕ができる。都市へ送れる食料も増える。


 だが同時に、今まで十人必要だった仕事を、八人でこなせる地域も出てくる。残りの二人は、どこへ行けばいいのか。


「ですから」


 農業経済の担当者は言った。


「次に考えるべきなのは、畑のことだけではありません」


「では、何を?」


「畑から人が離れても、暮らしていける社会です」


 職人、建設、運輸、鉱業、加工業、教育、医療、行政。新しい仕事が増えていく速さと、農業の労働生産性が上がっていく速さとを、なるべく離しすぎないようにすること。


 農政官は、苦笑した。


「麦を増やす話だったはずですが」


「農業を変えると」


 日本側は答えた。


「農業だけでは、済まないのです」


 ◇


 帰り道、試験に参加していた七十八歳の農民が、日本側の研究者を呼び止めた。


「一つ、聞いてもいいか」


「はい」


「日本では」


「はい」


「こうやって全部を試してから、今の農業になったのか」


 研究者は、少し考えた。


「全部ではありません」


「では」


「かなり、失敗しました」


「国ごとか?」


「国どころか、世界中で、です」


 老人は、笑った。


「なら、便利だな」


「何がです?」


「お前さんたちは」


 老人は、収穫を終えた試験の畑を見渡した。


「自分たちが失敗した分まで、持ってきてくれたんだからな」


 研究者は、少し言葉に詰まった。


「……そうですね」


「なら」


 老人は言った。


「失敗した話も、教えてくれ」


「もちろんです」


「成功した話だけだと」


 老人は続けた。


「同じ失敗を、俺たちがもう一度やることになる」


 それは、研究者たちが今日の報告会で口にしたことと、ほとんど同じ言葉だった。


 ◇


 日本が持ち込んだ農業技術の中で、ヴァレシアの畑に最初に本当に根を張り始めたもの。それは、新しい作物でも、巨大な機械でもなかった。


 一つを変え、比べ、失敗し、記録し、もう一度試す。その繰り返しだった。


 農民たちが何百年も畑で続けてきたことを、少しだけ速く、少しだけ正確に行い、そして遠くの村とも分かち合えるようにする。


 それが、日本とヴァレシアが一緒に始めた、最初の農業改革だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。