アインシュタインの目こぼし
…… 土用の波が砂浜を洗う9月の下旬。温暖化の影響もあってまだ多くのサーファー達が、猛々しくなっている白波と巧みに戯れていた。
そんな彼らと雄大な太平洋を存分に鑑賞しつつ、九十九里海岸沿いに徒歩でゆっくり南下していた僕ではあったが、心地よい疲れとサーファー達の切れ目の一致した、今日何番目かの場所でドッと腰を降ろした。
薄いズボン越しに、砂地が結構熱く感じられる。それにもすぐ慣れると、荒れているとは言ってもいささか単調な波の揺り戻しを見ていたら、だんだん眠くなってきた。
ところがウトウトしかけたところで、大波の中から一頭の老亀が眼前に現れた。一匹ではなく一頭というにふさわしい大きさで、理屈抜きに老である事がわかった。語りかけてきた刹那、上下の歯のほとんど抜けているのが見えたからだ。
もちろん僕には亀語など分からないのに分かったように身体が動き、背に乗せられると、亀はまた折よくぱっくり大口を開けた白波の中へ突っ込んでいった。周囲のサーファー達が誰も、亀や僕に気の付かなかったのが不思議だ。
だが僕にはこの亀がこれからどこへ向かうにせよ、間違っても行き先が竜宮城であるとは到底思えなかった。なぜなら海中へ潜り込んだはずなのに、真空という闇の中を高速で下降しているようにしか感じなかったからだ。
ブラックホール? 僕は気絶する寸前でする事なく、ただただ急降下していった。そして亀が再び重い口を開いた。<お前も私も、もう皆んな溶けてしまっている> <え?> <時間も空間も。飴のように、砂のように> < >
言葉もない。言われてみれば僕の体感は完全に消え失せ、夢の中で意識だけがのたうち回っているようにも思えた。<あるのはお前の情報だけだよ>
亀はいちいち僕の心を察しているのか、相変わらず刺さる事を言い続ける。そしてなんだか猛烈に熱く感じられてきた時、亀はその意味を僕に告げた。
<そろそろお前さんはつぶつぶになる、粒子になるのだ。さあ、アインシュタインに一瞬の別れを告げるが良い> <なんのこっちゃ> <これからブラックホールがホワイトホールへ代わり、アインシュタインもお前さんも復活するのだ。だがお前は徐々にね>
これが亀の最後のセリフになった。と、僕は今度は一転、亀に尻を押されるような急上昇に転じた。(ああ、僕の情報と共に、身体の方も少しずつ顕れていく) そして最後の一押しで一気に吹き上げられ、意識も明瞭になってくると、そこは手術台の上だった。
見るとグルリには白衣に正装したアンドロイド達が6人、無機質な目で僕を見下ろしていた。そして彼らの1人が隣の1人へ話した。
<これが100万光年前に生きていた最後の人間か?> <そのようだな> <ではこれの首を捌いて我々と同じアンドロイドに整形すれば、完全に宇宙崩壊の可能性は消える訳だな?> <御意> (何の事だ、さっぱり分からん。分かっているのは俺が相変わらず、非常にやばい状態に置かれているという事だ。あの亀公、どこ行きやがった?)
と、アンドロイドの1人が僕の脳を読み取ったに違いない。そいつは微かに銀の首を左右に揺らすと言った。<亀か。亀とはこういう事か?>
俄かに居合わせた全てのアンドロイド達は、あの大亀に変身した。だが変身により細やかな手指が喪失したと見るや、僕は渾身の力を振り絞り、手術台の束縛をむしり取った。
警報が鳴り響く。それでも辺りに狼藉していた見慣れぬ未来の精密機器を、手当たり次第に投げつけると、その1つが観測窓に当たり、たちまち猛烈な勢いで水が入ってきた。すると亀達は皆一斉に、僕を置き去りにし、銘々脱出し始めた。
だが僕は意識の段々に薄れていく中で、 こんなメロディーを耳にした。浦島太郎の唄ではありません。
https://youtu.be/vbt45q1QXws
もちろん発信源を詮索する場合でもなく、2分間が過ぎると激しい時空の歪みの中で、全てが消滅していった。無論、僕も。




