嘘
死んだ芋虫を横目に、訪れる乾いた季節に少し憂いを感じている。
「もう24歳か、」
仕事で子供と折った鶴の嘴には少し埃が着いていたので、優しく摘んで払った。
偽善で生きていると気付いたのは、恋というものを諦めた17歳の秋口であったと記憶しているが、どうも私には人から好かれる特性のようなものがあるらしく、少しの会話さえあれば、ある程度の心の内を見透かすことができた。
「臼井さんと話していると、なんだか分かって貰えた気がして、凄く嬉しいよ。いつもありがとうね。」
などと、車椅子に乗る老人はよく口にする。
「それなら良かったです。」
私は得意のくしゃっとした純粋な作り笑顔でそう答えると、老人は今にも逝きそうな安堵の顔を浮かべる。
それは気を許し服従を決意した動物が腹を見せる事と同じなのか、または、なんの抵抗も出来ず無力に死を待つ昆虫が腹を見せている事と同じなのか、私には分からないし、知る由もない。
時たま、「貴方の事を愛しています」なんて、なんの値打ちもない熱を帯びた言葉を投げかけてくる女が数名いるが、そんなものに胸が踊る私ではなかった。本当が嘘に成り代わるこの施設では、特有の透明な苦い空気が充満しており、それという存在は確実に私の心を蝕んでいたのかもしれない。
私がこの施設で働き始めたのは21の頃だったか。20歳になった頃に内臓を病気したため、入院を余儀なくされた。就職も、他の専門学生と1年ずらす事となり、足並みを揃える事に存在意義の重心を置いていたが故に、"人に遅れをとった"という事実に酷く落胆し、精神の療養の為と利用したのがこの施設であった。
病院に併設してあるこの施設は、植物や果物を育てたり、足湯などを管理したりなど、入院者が少しでも心身共に回復すれば良いと粋な院長の計らいで増設されたものらしい。
実際、私も当時はかなりこの施設に思い入れがあり、よく利用してはひと時の休息としていたものであった。
そんな昔話を考えていたら、後ろのドアがガラガラと音を立てて開いた。
「今日も足湯ですか?」
そう問いかけた先にいたのは、私と同じ程の年齢だろうか、イマドキの小綺麗な服が似合いそうな女が立っていた。
「臼井さんこんにちは。はい、今日も少しだけ。」
「今日も貴方以外誰もいませんよ、貸切です。」
女はゆっくりと私の方に向かって歩いてきて、私の傍でよろよろと靴下を脱いでいた。
「あの花はなんて名前なのですか?この前来た時は咲いていなかったのに。」
「あれはオダマギという花です。花言葉は"捨てられた恋"らしいですよ。僕も好きで、ほら、名札にもイラストを入れてもらったんです。」
クイクイっと名札を揺らすと、女はふふっと笑った。
「よく考えれば、花に言葉を背負わせるなんて、酷く無責任のように感じてしまいます。
せっかく口があるのだから、言葉にして伝えればいいのに。」
「そんなこともないんですよ。花言葉の起源は17世紀にあって、手紙の代わりにあえて花を送ることによって、言葉にならない気持ちを相手にそのまま送ることができたりするんですよ。
私はそれが凄く素敵に感じて、だから花が好きです。」
この仕事に就くまで知らなかった事を、さも昔から知っていました、といわんばかりの口ぶりで答える。
「私、死ぬ時はなるべく綺麗な花だけを手向けて欲しかったですけど、花言葉とかも案外知っておくべきだったりしますね。
そういう風に言われると、手向ける花の花言葉に、その人の本当が混じっているような気もしなく無くなってきました。」
女は持病の悪化が激しく、もうあまり猶予のある人生ではなかったらしいが、それを知る為の時間は、どうも勿体ないように感じ、知らないフリをしていた。
「私にもう少し時間があったのなら、大切な人の為に花を見にどこか遠い所まで行けたのかな。なんて、冗談です。」
女はゆっくりと湯から足を出すと、白いタオルで丁寧に足を拭き、靴下を黙って履いていた。
ぼろぼろと零した言葉の中に、宛名の書かれていない、嘘に染まりきった本当が混ざっていた気がしたが、私にはそれを掬うことができなかった。
女とこれほどまで芯に近い会話をしたのは、思い返せばこれが最初で最後だったような気もする。
それからというもの、女が来る回数は二次関数的に少なくなり、2つ程季節を見送った後だった。私が受け取ったのは女の訃報だった。
空の病室に向かうと、鼻を少し刺す冷たい空気に乗った女の匂いが、微かに私の記憶を弄んだ。
「逝ったか。」
この時の感情はあまりよく覚えていないが、酷く虚しい気持ちに襲われたことだけを覚えている。
施設に戻ると、私は17歳ぶりに胸が少し痛くなった感じがしたので、女がよく座っていた足湯の腰掛けの場所に、ネリネの花を1輪添えて靴下を脱いだ。
女の名前は、櫻と言うらしかった。




