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アサガオ  作者: 金糸雀
9/9

約束

優香は衝撃のあまりその場から動くことができなかった。


唯が心配そうな目でこちらを見つめていても、気にかける余裕は彼女にはなかった。


(茜が後、一年しか生きられないなんて……。そんな残酷なことってある?私は一体、今まで何してたんだろう)


そう思えば思うほど目から涙が溢れてくる。


優香は手で顔を覆いながら、何年かぶりに酷く泣いた。




「どうぞ。紅茶です」


唯はそう言うとベンチに座り、ハンカチで顔を拭っている優香に飲み物を差し出した。


「ありがとう。ごめんなさい」


「謝らないでください。母のために泣いてくれたんですから。私も初めて病気のことを知ったときは涙が止まらなくて、母に慰めてもらったんです」


平然としているが、今にも泣き出しそうな顔を見て優香は胸が痛んだ。


「唯さんだったよね。さっき、茜の書きかけの手紙を送ったって言ってたけど……」


「はい。それについては少し長くなるので場所を変えてもいいですか?ちょうど私の家が近くにあるんです」


「うん」


彼女は椅子から立ち上がる。




自然公園から少し歩くと大きな庭のある洋風の建物に着いた。


「ここが唯さんの家?」


「はい。建物が洋風なのは母の趣味です。庭も」


唯は慣れた手つきで玄関の鍵を開けると、振り返る。


「どうぞ」


「お邪魔します」


優香は建物の中に足を踏み入れた。


少し歩くと広い部屋に出る。


中央に大きなテーブルと椅子が置かれ、その周囲は鉢植えに入った花で埋めつくされていた。


「好きなところに座ってください。今、お茶を用意しますね」


唯はそう言うとカウンターの奥に姿を消した。


優香はいろいろな種類の花を見つめながら、椅子に座る。




しばらくするとお盆に二つのお茶を載せた唯が現れた。


彼女はテーブルの上にお茶をふたつ置くと椅子に座る。


そして思案すような顔をすると口を開く。


「まず、こっちに来てからの母のことを話しますね」


「お願いします」


優香は頷く。


「母は高校を卒業してから植物の研究職につきました。そこでは主に花について研究をしていました」


「ここにある花もその研究に関係してるの?」


唯は首を横に振る。


「家にある花は母の趣味です。昔から花が好きでいろいろ手をつけてしまうんですよ」


ふわりと笑う。


「茜はずっと花が好きだったのね」


「はい。でも、母が研究職についたのは花が好きだからだけじゃないんです」


優香は目を瞬かせる。


「母は家族を亡くした親友にもう一度あの頃みたいに笑ってほしいと言ってました」


彼女は真っ直ぐにこちらを見た。


「きっと、優香さんのことだと思います」


「私……?」


胸が苦しくなる。


家族を亡くしたと聞いて頭に浮かぶのは、弟の颯太の顔。


優香は震える手をテーブルの下に隠した。




「茜は私のために今の仕事についたってことかな」


「そうです。私が物心つく頃には母は毎日書斎で難しい本を読みながら、花の研究をしてました」


唯はその時のことを懐かしむかのように天井を見上げる。


「母はすごい人です。仕事で忙しいはずなのに私との時間をとても大切にしてくれました」


「優しいお母さんだったんだね」


彼女は微笑むと突然、顔を曇らせた。


「けど、無理をしすぎたんです。私が幼い時に父と別れて女手一つで子育てをして。仕事もして。自分の体を顧みなかった。そのせいで癌が進行するまで気づけなかったんです……」


「そんな……」


優香は俯く。


(茜。どうしてそこまで?)


唯は何かを堪えるように一瞬、唇を噛むとこちらを見る。


「母は膵臓癌なんです。それも末期の。病気がわかってからの母の行動は早くて、すぐに職場を辞めて誰にも理由を告げずに家の近くの病院に入院しました」


「どうして誰にも理由を言わなかったの?」


茜の職場で会った同僚の顔を思い出す。


(大塚さんも茜の体を心配してた。それなのになぜ、何も言わなかったんだろう)


唯は辛そうに顔を歪める。


「母は言ってました。亡くなった人の家族が酷く悲しんでる姿を昔見たことがあると。自分は周りの人にそんな思いはさせたくないって……。だから、癌のことを知ってるのは私だけなんです」


「唯さん」


彼女の姿に胸が痛んだが、今までの話を聞いて優香はひとつ疑問に思うことがあった。


「どうして、私に手紙を送ったの?」


「母は病気になってから一度も弱音を言ったり泣いたことがありません。けど、私見てしまったんです。お見舞いに行ったとき部屋を開けようとしたら母の泣く姿を」


「え?」


首を傾げる。


「扉の隙間から覗くと机の上には手紙のようなものが置かれていて。泣きながら母は言ってました。『ごめんなさい。颯太。約束守れそうにない』と」


優香は目を見開いた。


(今、颯太って……)


唯は懐から押し花の栞を取り出す。


「優香さんに送った手紙に入っていたものです。母が病室から外に散歩に出かけてる間、家から持ってきた荷物を入れようと引き出しを開けました。そしたら、この栞が二つと書きかけの手紙を見つけたんです」


「栞。手紙には地図も入ってたけど。あれは?」


彼女は視線を下に落とした。


「母の一番好きな場所だったんです。手紙に昔、話したあの場所でって書いてありましたよね。私にはその場所がかわからなくて。思いつくところの地図を入れたんです」


「なるほど……」


優香は今までの話を整理するために顎に手を当てる。




(手紙を送ったのは茜じゃなくて、唯さん。その理由は茜が病室で手紙を書きながら泣いていたから。彼女が言っていた颯太との約束ってなんだろう)


唯は様子を窺うようにこちらを見ている。


そして目が合うと急に頭を下げた。


「ごめんなさい。勝手に手紙を送ったりして……。でも、母は優香さんに会いたいと思うんです。どうか母に会ってもらえませんか?」


優香は大きく深呼吸をすると頷いた。


「わかった。茜のいる場所まで連れて行ってくれるかな」

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