家族
優香は涙を流しながら、弟と過ごした記憶を鮮明に思い出した。
それは、今から二十年前の春。
小学四年生の彼女には歳が三つ離れた弟がいた。
名前は小川颯太。
性格は明るく穏やかですぐに周囲と打ち解けるような少年だった。
そんな彼は内気な姉をいつも心配していた。
「姉ちゃん。また、家で遊ぶの?」
ソファに座り本を読んでいる優香に少年が話しかける。
「うん。こうしてる方が落ち着くから……。颯太は今から友達と遊びに行くところでしょ?気をつけてね」
颯太は彼女に近づくとじっと顔を見つめた。
「どうかした?」
ふわりと笑うと彼は突然、優香の腕を掴む。
「え?」
「姉ちゃん。嘘ついてる。本当は外で遊びたいんだろ。茜ちゃんも呼んであるから一緒に行こう!」
そう言うと強引に優香をソファから立たせて、走り出す。
「ちょっと!」
抗議の声を上げたが、彼女の表情は和らいでいた。
家から出て少し走るとブランコが目に入る。
颯太は目的の場所に着くと彼女の腕を離した。
優香は膝に手を当てて屈むと息を整える。
「……颯太。次からはもう少しゆっくり走って」
彼は目を瞬かせた。
「そんなに早く走ってないつもりだけど。姉ちゃん運動不足なんじゃない?」
優香はその言葉に言い返そうと顔を上げる。
ふと、少し離れた場所に茜がいるのが目に入った。
首を傾げると、辺りを見回す。
公園には遠くで子供と遊んでいる家族がいるだけで弟の友達らしき少年は見当たらない。
「茜はいるけど。颯太の友達は?」
優香にそう聞かれて彼は目を伏せた。
「友達と遊ぶって話は嘘だよ。姉ちゃんがいつも家に籠もってばかりだから、茜ちゃんに相談したんだ。そしたら他の子と遊ぶって理由で外に連れ出すのはどうかなって……。嘘ついてごめん」
彼女は首を横に振る。
「謝らないで。私のことを思ってやってくれたんでしょ?それなのに怒るわけないよ」
「姉ちゃん」
颯太の揺れる瞳を見て、優香はその背中を軽く叩いた。
「ほら、茜も待ってるし。外で何をして遊ぶのか教えてよ」
「うん。まずはシーソーからかな!」
彼はそう言うと嬉しそうに茜の方に向かって走っていく。
弟の姿を見て、優香は小さく呟いた。
「心配かけちゃった。これからは気をつけないと」
三人は公園にある遊具を順番に遊んでいく。
シーソー、ブランコ、滑り台。
颯太は嬉々とした表情で次の遊具に走っていく。
そんな弟に笑みをこぼしながら優香は茜に耳打ちした。
「ごめんね。心配かけたみたいで……」
茜は首を横に振る。
「気にしないで。颯太も楽しそうだし。よかったよ」
「ありがとう」
その時、離れた場所から声が聞こえた。
「おーい!二人とも何してるの?早く次の遊具に行くよ!」
二人は顔を見合わせると、遠くでこちらに大きく手を振っている颯太のもとに急いだ。
太陽が沈みかけて、当たりが薄暗くなってきた頃。
優香は颯太に声をかけた。
「颯太。今日はありがとう。もうすぐ日が暮れるからそろそろ帰ろう」
「うん。茜ちゃんも今日はありがとう!」
颯太は隣に顔を向ける。
「気にしないで。私も三人で遊べて楽しかったから。また、誘ってね」
茜は颯太の頭を優しく撫でる。
「うん!絶対遊ぼ!」
彼は満面の笑みを浮かべた。
二人は茜と別れると家に帰るために道路を渡ろうと足を踏み出す。
その時、突然目の前に車が現れた。
「姉ちゃん危ない!」
颯太は優香を突き飛ばした。
彼女は体勢を崩し歩道に倒れ込む。
痛む体を起こして先程、自分がいた場所に視線を向けると弟が赤い血溜まりの中に浮かんでいた。
「颯太!!」
慌てて駆け寄ると彼を抱き上げる。
「嘘……。お願い。目を開けて!」
瞼が微かに動くと、颯太は目を開けた。
「……姉ちゃん。大丈夫?」
優香は大粒の涙を流しながら首を横に振る。
「どうして私の心配をしてるの。颯太の方がひどい怪我じゃない!」
その声は震えていた。
「無事ならよかった。ごめんね」
力なく笑う弟に優香は涙が止まらない。
ふと、後ろから誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「優香。何があったの?すごい音がしたけど」
茜は血に染った颯太の姿を見て青ざめる。
「ひどい怪我!どうしよう。すぐに誰か呼んでこないと」
優香は立ち上がると彼女に言った。
「私、お母さん呼んでくる!茜。弟をお願い。颯太待ってて大丈夫だから、すぐに戻るからね!」
血で染まった手をぎゅっと握りしめながら、優香は走り出す。
茜は彼女の後ろ姿を見送ると、屈んで横たわっている颯太に目を向ける。
顔から血の気は引いていき、呼吸も荒い。
「……颯太」
目を伏せると突然、腕を掴まれた。
「茜ちゃん。お願いがあるんだ」
言葉を発した後に力なく倒れた手を見て、茜は頬から涙が伝っていることに気づく。
「颯太。心配しないで、あなたの願いは私が必ず叶えるから」
頭に鈍い痛みを覚えながら、優香は口を開いた。
「話してくれてありがとう。茜。私、全部思い出したよ。弟の死に耐えられなくて、自分の心を守るために一緒に過ごした記憶まで忘れてた」
「優香……」
茜は沈んだ表情をした。
「そんな顔をしないで。ほら、そろそろ唯さんが戻ってくるかも」
「うん。そうだね」




