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アサガオ  作者: 金糸雀
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手紙

この春。小川優香(おがわゆうか)は十四年務めていた会社を辞めた。


朝から深夜まで働かされ、休日出勤は当たり前。


いわゆるブラック企業だった。


心身に限界を感じた彼女は心療内科を受診したが、医師の診断は仕事を辞めなければ症状は改善しないというもの。


悩んだ末に両親の説得もあり仕事を辞めることにした。


それから一年の間、療養して体調がよくなってきたため気分転換も兼ねて旅行に出かけることにする。




キャリーケースに荷物を詰めながら優香はテレビを見ていた。


「あすの天気は晴れです。過ごしやすい一日になるでしょう」


テレビからは天気予報士の声が聞こえる。


「よかった。晴れて」


そんな声を漏らすと母親に話しかけられた。


「優香。手紙が来てたわ」


彼女の母親の梨花(りか)が穏やかな表情で立っている。


「手紙?ありがとう……」


優香は手紙を受け取った。


真っ白な封筒の裏には差出人の名前と住所が書かれている。


静岡県掛川市、佐藤茜(さとうあかね)


彼女はその名前に見覚えがあった。


封筒を開けて中から一枚の紙を取り出すと、そこにはひとことだけこう書かれていた。


『昔、話したあの場所で』


その他に地図と朝顔の押し花が入っている。




「押し花?それにこれ、どこの地図だろう……」


地図と文字の書かれた紙を両手に持って首を傾げる。


すると、母がこう言った。


「それ、静岡県の浜松市じゃない?」


「え?」


優香が顔を上げると梨花はスマホの画面を見せる。


そこには浜松市おすすめ観光スポットと書かれていた。


「観光スポット……。お母さんよくわかったね」


「見覚えのある地名があったから、昔、お父さんと旅行に行ったこともあるの」


彼女は考え込む。


(静岡県の浜松市なんて行った覚えない。でも、何年も連絡してなかった茜から手紙が届くなんて。ここに何かあるのかな……)


梨花は娘のそんな様子を見て微笑んだ。


「行ってみたら?浜松市は自然も多いから、いい気分転換になると思うわ」


「そうだね。行ってみるよ」


優香は明るい声でそう言った。


(茜。元気にしてるかな。就職してからも連絡取ってたけど。喧嘩してから疎遠になってたんだよね)


そんなことを考えながらキャリーケースの中身を確認する。




キャリーケースの蓋を閉めると最後に会った茜の姿を思い出す。


ふと、昔のアルバムが頭に浮かぶ。


優香は立ち上がると自分の部屋に向かう。


階段を上がるとすぐ隣にある扉を開けて中に入った。


「アルバム、どこにおいたっけ」


ぐるりと周りを見回して幼いときからある本棚が目に留まる。


棚から本を数冊取り出すと奥から一際大きな本が現れた。


彼女はその本を手に取ると埃で白くなった表紙を手でさっと払う。


表紙には平成二十年、鳴海(なるみ)高校と書かれている。


大きく深呼吸をするとページを捲った。


最初のページは校歌が書かれている。


「懐かしいな……」


優香はぽつりと呟くと更にページを進める。


教師の紹介、クラス写真、修学旅行の写真。


最後まで捲ると手を止めた。


そこには真っ白なページに水色のペンで文字が綴られていた。


『卒業おめでとう!優香は上京するから距離は離れるけど、ずっと友達でいようね!!あ、昔した約束忘れないでよ。あなたの親友、佐藤茜』


指でそっとその文字に触れる。


「昔した約束……か。手紙に書いてあった昔、話したあの場所に関係してるのかな。でも、全然思い出せない」




小さなため息をつくと彼女はあることを思いつく。


「幼いときからの軌跡を辿れば昔した約束も思い出せるかも。地図の場所に行くのはそれからでも遅くないよね」


スマホを取り出すと地図アプリを開く。


東京から群馬県までの距離を調べる。


「電車で三時間か」


彼女は小学、中学、高校のアルバムの表紙をスマホで撮った。


「これで、学校の名前もわかる。後はこっちに来る前に住んでた家だけかな」


部屋を出ると母親のもとに向かう。




台所を覗くと夕飯の支度をしている母、梨花の姿を見つけた。


「お母さん」


そう呼ぶと梨花は手を止めて振り返る。


「何?」


「ちょっと聞きたいことがあって。引っ越す前に住んでた住所ってわかる?」


その言葉に彼女は目を瞬かせた。


「急にどうしたの?」


「手紙、茜からだったの。それで、その内容が昔話したあの場所でって書かれていたんだけど。私、覚えてなくて。小さい頃から過ごしたところを巡れば何か思い出せるような気がしてさ」


梨花はふわりと笑う。


「よかった。優香が訪れたい場所ができて。働いてるときは辛そうな顔しか見なかったから、何もしてあげられないのがもどかしかったの」


「お母さん……」


優香は溢れた涙を拭った。


「ごめんね。心配かけて。でも、大丈夫。私、茜に会ってまた昔みたいに話したいの。喧嘩別れしちゃったし」


頷くと梨花は微笑んだ。


「ちょっと待ってて。確か、あっちに住んでいたときの住所を書いたメモがあったから」


彼女は火を止めると台所を出ていく。


少しすると小さな手帳を持って戻ってきた。


「あったわ」


住所が書かれたページを開いて優香に見せる。


「ありがとう。お母さん」




梨花は目元を綻ばせるとノートを渡した。


「ノート?」


「私からの提案なんだけど。優香が出会った人や訪れた場所のことを記録してみたらどうかしら。帰ってきたときに見返せばいい思い出になるわ」


優香は目を丸くする。


「いい考えだね。うん。記録してみるよ!」


嬉しそうな声でそう言うと彼女はこの先の旅に心を踊らせた。

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