表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/11

1989年1月9日の手記

冬の闇が、いつもより深く、濃く感じられる。書斎の窓に鍵をかけ、厚いカーテンを引いた。だが、背後から突き刺さるような視線の感覚は消えない。これは妄想だろうか。孤独な研究が、ついに私の精神を蝕み始めたというのか。


数日前からだ。図書館からの帰り道、決まって同じ黒い車が、一定の距離を保って後をつけてくる。私が角を曲がれば、少し遅れて車のヘッドライトが壁をなぞる。私が立ち止まれば、その車もまた、音もなく路肩に停車する。昨夜は、書斎の窓の外の暗がりで、何かが動く気配を感じた。気のせいだと思おうとした。だが、今朝、庭のぬかるみに、見慣れない革靴の跡が一つ、くっきりと残されていた。


私の研究が、誰かの目に留まったというのか?


この書斎の片隅で、化石と古文書だけを相手に続けてきた孤独な思索が。あり得ない。学会からは無視され、友人からは奇人扱いされてきたこの私が、一体誰の注意を引くというのだ。

いや、もしかしたら、私は何か、とんでもない領域に足を踏み入れてしまったのかもしれない。

ティクターリクのヒレの痛み。キリンの首の渇望。ゾウの鼻の絶望。生命が自らの意志で進化の舵を取ってきたという私の理論――「適応的な遺伝子変異ホットスポット理論」。それは、ただの学術的な仮説に留まらないのかもしれない。


もし、この法則が、我々自身の進化にも適用されるとしたら?

類人猿をヒトたらしめた、あの劇的な飛躍。そして、肌の色や骨格の違いといった、我々自身の「分化」。その根源に、この理論が深く関わっているとしたら?

私は、その謎を解く鍵として「ネオテニー(幼形成熟)」に注目し、考察を始めたばかりだった。我々ヒトは、祖先の「子供」の姿のまま成熟する道を選んだのではないか。それは、どのようなストレスへの応答だったのか。


この問いに触れた途端、世界の空気が変わった。

まるで、開けてはならないパンドラの箱の蓋に、手をかけてしまったかのように。

私の理論は、進化を「神の御業」や「偶然の産物」といった、人間の理解を超えた安全な領域から引きずり下ろし、我々自身の「意志」と「苦痛」の物語として再定義しようとしている。それは、もしかしたら、ある人々にとっては、絶対に知られてはならない真実なのかもしれない。


進化は盲目ではなかった。

そして、その事実を暴こうとする者を、決して見逃さない者たちがいる。

今夜はもう眠れそうにない。ドアに椅子でつっかいをし、猟銃に弾を込めた。これから書き記す考察が、私の最後の記録になるかもしれない。もし、私の身に何かあったなら、この手記を見つけたあなたに託したい。

私が命を賭して掴み取ろうとした真実の断片を、どうか、歴史の闇に葬り去らないでほしい。

この物語はフィクションです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ