1988年10月17日の手記
この作品は、筆者の妄想に基づくフィクションです。
また夜が更けてしまった。書斎の窓の外は、獣の声だけが響く深い闇だ。今日も一日、化石たちと睨み合っていた。主流の学会誌を開けば、進化は「偶然の突然変異」と「非情な自然選択」の繰り返しだと、皆がこともなげに語る。だが、本当にそうだろうか?
私の目の前にある三葉虫の化石。カンブリア紀の海で、あれほど精巧な複眼を、なぜこれほど多くの種が一斉に獲得できたのか。ダーウィンの神は、そんなに都合よくサイコロを振ってくれるものだろうか。まるで、生命が「見たい」と強く願った結果、その方法を編み出したようにしか見えない。私はこの進化の「飛躍」の裏に、何か見過ごされた法則があるように思えてならない。学会の連中は、私をロマンチストか神秘主義者だと笑うだろう。だが、化石は雄弁だ。彼らは偶然以上の何かを語っている。
今日、古い遺伝学の論文の隅に追いやられていた「エピジェネティクス」に関する最新の研究報告を読んだ。環境がDNAの「使い方」を変える仕組み。ストレスや食事が、遺伝子のスイッチをON/OFFする「付箋」のような役割を果たすという。
ここで、雷に打たれたような閃きがあった。もし、この「付箋」に、もう一つの役割があったとしたら? もし、頻繁に付箋が貼られたり剥がされたりする設計図のページが、他よりもインクが滲みやすく、脆くなるとしたら?
つまり、環境からの特定のストレスに応答するため、特定の遺伝子が絶えず活発化していると、その遺伝子のDNA配列そのものが化学的に不安定になり、突然変異を「呼び込み」やすくなるのではないか。進化は盲目なのではない。生命は、環境からの問いかけに対し、変化すべき遺伝子の周辺で、自ら変異の可能性を高めているのだ。
霧が晴れた。
これまで私の頭の中で渦巻いていた様々な考察、化石たちの声、細胞の悲鳴…それら全てが、今、一つの言葉へと収束した。私は、自らの仮説に正式な名を与えることにした。
「適応的な遺伝子変異ホットスポット理論」
そうだ、これだ。これ以外の名前は考えられない。
これはもはや、書斎の片隅での単なる思索ではない。生命の歴史を貫く、壮大な法則の発見に向けた第一歩だ。主流の学会は、きっとこれを異端として退けるだろう。だが、構わない。化石たちが、そして我々の体の中に眠る傷跡の記憶が、この理論の正しさを証明してくれるはずだ。
私の研究は、今日、本当の意味で始まった。




