嵐のその先で
どこまでも広がる蒼い海を、陽光を浴びて進む一隻の船があった。
その名は《ノクターン号》。
巨躯な戦闘帆船でありながら、まるで猛獣のように荒れ狂う海を縫うように進むその姿は、まさしく伝説に語られるような海賊団に相応しい姿だった。
「────前方に黒い雲が見える。嵐ね。」
航海士のリリス・アルヴァが船首で望遠鏡を覗きながら言った。
「また嵐か?この辺り、魔力の乱れがやけに多いな。」
副船長ゼファー・クロードが、杖を軽く回しながら空を見上げる。彼の魔力探知能力は非常に有効で異変があればすぐに察知できる。
「おいおい、せっかく昼飯を作ったばかりだってのに悪天候なんてついてねえなあ。」
料理人のガロン・ストレイダーが、眉をひそめて渋い顔をした。屈強な肉体にも関わらず、彼の料理の腕は一級品である。
「嵐なら私が鎮めてもいいわよ?」
医師のマリア・エステルがふわふわとした口調で言う。しかし彼女の"鎮める"という言葉は、往々にして"嵐ごと吹き飛ばす"ことを意味していた。
「やめとけ、嵐どころか海ごと消えちまうよ。」
狙撃手のカイル・ヴェルナーが、銃の手入れをしながら苦笑する。
そんな仲間たちの会話を聞きながら、ヴァネッサ・レオンハルトは操舵輪を操る。
「嵐でも何でも、私たちの航海を邪魔するものは吹きとばせばいいさ。」
彼女は陽気に笑いながらそう言い、舵を切り、《ノクターン号》はそのまま黒雲の中へ突っ込んでいった。
黒雲の中へ入った途端、異常なまでの暴風にみまわれた。
「船長、この嵐、普通じゃないぞ!」
「あぁ分かってる!少し堪えろ!」
ヴァネッサが叫ぶと同時に、船体が激しく揺れた。
雷が轟き、空間が歪む。
次の瞬間目の前の景色が変わった。
青い海。見たことのない巨大な島。奇妙な建造物が並ぶ陸地。
「……ここは、どこだ?」
ヴァネッサは眉をひそめた。
目の前に広がる光景は、ヴァネッサたちの知る世界とはまるで異なっていた。
綺麗に整えられた海岸線、見たことのない建物群、空を飛ぶ鉄の箱や、陸上を疾走する鉄の馬。
「随分と、変わった場所だな。」
ヴァネッサが腕を組んで低く呟く。
「いや、これは……私たちの知っているどの海域でもないわね。」
リリスが険しい顔で周囲を見渡す。彼女は地図や海域の情報に詳しいが、この場所には全く見覚えがなかった。
「つまり……異世界ってことか?」
カイルが冗談めかして言ったが、誰も笑わなかった。
《ノクターン号》は無事だったが、海岸の崖の陰に隠さなければすぐに目立ってしまう。ヴァネッサたちは船を適当な場所に停泊させ、念の為隠蔽結界をかけてから、偵察を兼ねて陸に上がることにした。
「……なるほど。」
街の方に移動し初めて早速気づいたことがある。
「私たちの言語が通じないな。」
近くを歩いていた人々に声をかけてみたが、怪訝な顔をされ、すぐに距離を取られてしまった。
「いやキャプテン、そもそも俺たちの格好がまずくねえか?」
カイルが自分の服装を見下ろす。
ヴァネッサたちは海賊然とした衣装を身につけていた。コート、ブーツ、露骨な武器類。現地の人間からすれば不審者に見えるだろう。
「とりあえず服をどうにかしないと目立ちすぎるわね。」
リリス・アルヴァがため息をついた。
「そうだな、ひとまず目立たないように移動しよう。」
人目を避けるために移動した先は繁華街の外れ。薄暗い路地裏に踏み込むと、数人のガラの悪い男たちがたむろしていた。
彼らの足元には色々なカバンや宝石類、果てには服や食料、本等、いろいろなものがころがっている。
まさに「盗んできました」と言わんばかりの状態だった。
一行が近付いて行くと、チンピラたちはこちらを見て嗤いながらナイフや金属バットを構えた。
『おいおい、こんな時にこんなとこに来るなんて死にたいのか?こんな状況じゃ誰が死んでたって誰も気にしやしないんだ。ここに来ることを選んだ自分を恨むんだなァ。』
その言葉はヴァネッサたちには理解できなかったが、態度からして敵対しているのは明らかだった。
「言葉は分からんが、やる気らしいな。」
「キャプテン……ちゃんと手加減しろよ、どんな悪党だってやりすぎたら死んじまうんだからな。」
カイルの言葉を背にヴァネッサはにやりと笑い、拳を鳴らした。
『ぐっ……!?』『な、なんなんだこいつは……!!』『こいつも化け物か…?!』
異世界の海賊とその辺のチンピラが勝負になどなるわけもなく、あっという間にチンピラたちは地面に転がった。
「ちょっとやりすぎじゃない?」
リリスが呆れたように言う。
「問題ない。こいつらたぶん悪党だろ?」
「はぁ……だからちゃんと手加減しろよっていったのに。どうするんだこれで善良な一市民だったら。」
「どこの世界にナイフ持ってニヤつく善良な市民がいるってんだよ、カイル。」
ガロンとカイルが言い合いをしている間にヴァネッサは無造作に服を剥ぎ取ると、仲間たちに渡した。
「服まで剥ぎ取ってると……なんか、こっちまで悪役みたいにならねえか?」
カイルがボソッと呟いたが、誰も何も言わなかった。
「……さて、次の問題は言語だが。」
着替えた後、ヴァネッサたちは街を観察していた。看板や掲示板に書かれた文字も理解できない。
すっとゼファーに目線をやる。
「俺の魔法で翻訳できるかもしれん、ちょっと試してみる。」
ゼファーが魔法を発動すると、次第に街の看板の文字が読めるようになった。
「ふむ……読めるぞ。ここは『渋谷』という場所らしい。」
「シブヤ……?」
聞き慣れない名前だったが、これで少なくとも情報収集が可能になった。
「じゃあ、次は食料や宿の確保だな。何をするにも拠点は必要だ。」
船に備蓄はあるし、船に泊まることもできるが、それとは別に活動拠点があった方が都合はいいのだ。
ヴァネッサたちが飛ばされたこの世界は、彼らが知るどの国とも異なる文化を持っていた。
背の高い石でできた建物に、獣道の一つもなく綺麗に平らに均された道。
文化の違いというよりかは技術や知識のレベルが違うと言うべきか。
「……どうも様子がおかしいわね。」
リリスが周囲を観察しながら呟く。
先ほどから町の中心部の方へと向かっているのはずなのに、人の姿が見えないのだ。
少し先へ進むと、その理由が明らかになった。
道端には潰れた車、倒れた信号機、先程まで他の建物と一緒に聳え立っていたのであろう建物の残骸と割れたガラスが散乱し、まるで戦場のようだった。異様なのは、そこに人の気配だけがほとんどないということ。
「こりゃ、只事じゃねえな……。」
カイルが低く呟く。ゼファーが指を鳴らし、風の魔法で周囲の状況を確認する。
そうして聞こえてきたのは何かが暴れるような音や、人が放つ断末魔の叫び、そして何かを貪るような音。
「……とりあえず、ここ以外にはいなそうだな、魔獣は。」
ゼファーがそういって数瞬、白骨化した騎士のような怪物が瓦礫の影から現れた。
鎧が錆び、黒ずんだ剣を手にしながら、その白骨化した眼窩でこちらを認識すると、狂ったように叫びながらヴァネッサたちの方へと向かってきた。
「──っ」
ヴァネッサは数歩前に出てすれ違いざまに斧を振るい、その首を跳ね飛ばす。
走る勢いのままに巨体が地面に倒れこんだ。
──────視界の隅に、黒い穴がある。
ヴァネッサたちの世界にも存在した、魔物が湧き出るダンジョンの入り口だ。
そこから、無数の魔獣が溢れ出し、この街を蹂躙していたのだろう。
道路には無残な死体が散らばり、建物の中には食い殺された者たちの痕跡があった。
ほとんどの人間は逃げることすらできなかったのだろう。
苦悶の表情で息絶えている者もいる。
「……これは酷いな。」
ゼファーが静かに呟く。
「おいおい、なんだってこんな街のど真ん中に……。国は何やってんだ?」
出てきているモンスターは魔法使いの一人でもいれば対処できるようなものだ。
軍さえ動けばこんな事にはならなかっただろうに。
ヴァネッサたち一味はそれこそこんな獣風情に遅れをとるような面子でもない。
新しい獲物が来たと愉悦に顔を歪ませるモンスター達に相対するように立ち自然体で構える。
「……軽く轢き殺してやろうか、いくぞ。」
ヴァネッサの号令と同時に、一行は一斉に動き出した。
────そして、その戦いが始まる少し前。一人の少年が命の危機に晒されていた。
すでに怪物たちに追い詰められ、崩れたビルの瓦礫に潜んでいるが体は震え、呼吸が荒い。
逃げ場はなく、いずれ見つかって家族たちと同じように殺される運命だ。
もう死ぬ、と目を閉じた時だった。
怪物の意識が少年から外れたのか、咆哮を上げながら少年と逆の方向へと遠ざかっていった。
「──…?」
ドォン…と、なにか重いものが地面に落ちた音がして、次いでギャァギャァと怪物達の騒ぐ声が聞こえ出した。
恐る恐る目を開け、息を整える。
自分が隠れていた瓦礫を挟んで反対側は怪物がひしめく渋谷スクランブル交差点だ。
また何か起こったのか、怪物たちの唸り声しか聞こえなかったのが、激しい戦闘音と今度は怪物たちの断末魔が聞こえてきた。
軍隊が助けに来てくれたのかと、ひとまず状況を確認しようと瓦礫から少し顔を出す。
目の前には、信じられない光景が広がっていた。
武器を使って、魔法としか言いようのないものを使って六人の異邦人が、信じられない速さで怪物を殲滅していった。
──怪物の群れが、数瞬の間に殺されていく。
斧で大地を揺るがせる赤髪の女。
無動作で強力な魔法を放つ長髪の男。
槍で華麗に敵を穿つ銀髪の女。
素手で怪物を叩き潰す屈強な男。
謎の液体を操り、触れた敵を腐敗させる女
銃と魔法を巧みに操る男。
──異常だ。
ファンタジーの創作物でしか存在しないはずのものがいま目の前にある。
─────彼らは、何者なんだ?
唖然として戦闘を終えた彼らを眺めていると、ガロンが少年を発見した。
「おいみんな、生存者がいるぞ。」
狙撃手の男──カイルが、少年を見て口角を上げた。
「よぉ坊主、生きててよかったなぁ。」
少年は、体を動かすことが出来なかった。
ヴァネッサが少年の前に降り立ち、斧を肩に担ぐ。
「……運がいいわね。アンタ、名前は?」
「…………ゆ、祐真。藤崎祐真。」
「ユウマ?いい名前ね。」
ヴァネッサは腰を下ろし、祐真と目線を合わせる。
「ここにいると都合も悪いし……、悪いけど着いてきてもらうよ。」
そう言うやいなやヴァネッサは魔法で少年の意識を奪って抱き抱える。
「キャプテン、悪人にしか手を出さないんじゃなかったっけ?そのガキに手出しちゃっていいのかい?」
カイルが揶揄うように声を掛ける。
「知っていることを少し教えてもらうだけだ。別に身ぐるみはぐわけじゃないし、少しくらいいいだろう?」
「私はいいと思うわよ。それに、船や私たちの目撃者は無くしておかないと…情報がない今、下手に注目を集めるのは避けた方がいいわ。」
「そういう事だ。1度船に戻るよ。」
ヴァネッサはリリスの話に頷くと移動を開始した。
そうして誰も居なくなった市街地にはヘリコプターや消防のサイレンの音が虚しく鳴り響いた────。
夜の冷たい風が吹き抜ける中、ヴァネッサたちは気絶から目を覚ました少年──── 藤崎 祐真と話をして最低限の情報を得ることができた。
この場所は日本という島国の首都、東京という場所であること。
この世界には魔法が存在しないこと。
その代わりにこちらの世界でいう錬金術のような、科学というものが進歩しているらしい。
空を飛ぶ飛行機や自動車などもその科学をつかってつくられたようだ。
「話を聞くに、そもそもモンスター自体に馴染みがなかったように聞こえる。この国が今どうなっているのか、詳しく教えてくれないだろうか。」