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ずっと前から、ある人から声をかけられてきた。
「自分の話を聞いてほしい」と。
そこは有名なお寺で、あるマンガ家さんがキャラを描き、その旗がはためいています。
たぶん、名を聞いたり『誰々とご縁のある方』と言われれば分かる。
そんな有名な方々が眠る場所。
そこには、戦争に関する慰霊碑も建立されています。
映画やドラマ、マンガやアニメで見たことがあるでしょう。
特攻隊の……「神風特別攻撃隊」……はい、その姿の方が立っておられました。
そのお方から聞いたお話をいたしましょう。
⁂
彼はけっして裕福な生活をしてはおりませんでした。
空を飛ぶ鳥を見て「自分も空を飛びたい」と願っただけの若者でした。
とは言え、当時の飛行機は陸軍、海軍という軍に属する隊にのみ許されていました。
飛行機は機密事項のため、軍隊所属でなければ関わることもできません。
ちなみに日本に空軍はありません。
あったのは陸軍飛行戦隊、大日本帝国海軍航空隊だけです。
徴兵は『健康な者』が選ばれており、田舎の空気のいいところで療養に近い暮らしをしていた彼は入隊が許されることはありませんでした。
一度目、二度目と徴兵の募集はありました。
ですが、必ずと言っていいほど健康診断ではねられてしまいました。
五度目の応募も落ちたことで、「飛行機乗りになりたい」という夢は潰えます。
徴兵志願に応募出来るのは五度までだったのです。
いえ、実際には勉学が良かったがために許されていただけ。
せいぜい、大目に見てもらえるのは二度目までだったでしょう。
軍側も、彼の知識をただ『健康ではない』ことを理由に手放したくなかったのでしょう。
「飛行機には乗れないが整備士にはなれる」と勧誘されたのです。
彼はその言葉に飛びつきました。
生まれ持った呼吸機能の弱さ。
それは飛行機乗りとしては致命的でした。
操縦中に気を失ったら……?
戦闘機は墜落してしまいます。
それも、爆撃機を操縦中だったら?
墜落した場所が都心部なら?
どれだけの人々を死出の旅の同行者にしてしまうのか。
「たとえこの身が鳥のように飛べなくても、心はいつでも空を飛べる」
当時の彼はそれでも良かったのです。
なお、彼は海軍の〈飛行予科練習生(通称・予科練)〉ではなく、陸軍の〈陸軍航空技術学校〉に入る。
予科練は高等小学校の卒業生な上、19歳までという上限枠が決められていた。
陸軍航空技術学校は旧制中学校卒業。
14歳入学の5年制で卒業は19歳。
17歳だった彼は上等中学に入学して19歳で卒業。
18歳から士官などを目指して卒業していく同級生たち。
しかし彼が目指すのは出世ではない。
知識を詰め込み、19歳で卒業と同時に陸軍航空技術学校に入学。
技術生徒となり整備士として卒業するには3年。
「最初の1年は操縦生徒と一緒に基本授業を受けた。2年目に操縦生徒と技術生徒に分かれるものの、同じ学校で勉強する。
ただし、通信分科を目指す生徒は飛行学校の〈陸軍航空通信学校〉に移った」
当時は気づかなかったらしい。
その意味を…………大人たちの思惑を…………
整備士となった年から内地にある陸軍基地を転々とした。
航空機の数が圧倒的に少なくなったのだ。
「すでに亜米利加軍が基地を狙っていた」
基地に所属している彼らは狙われても仕方がない、と考えていた。
自分も指揮官なら真っ先に狙うだろう、と。
しかし……何もない田舎を……故郷が空襲によって奪われた。
家族も、親戚も、休みがちな自分に勉強を教えてくれた尋常小学校の同級生たちも。
「神風特別攻撃隊」の編成を知ったのは昭和19年の末。
はじめは往復出来るだけの燃料を積んでいた戦闘機。
「ミサイルが尽きた。戦闘機も帰ってこない」
搭載される燃料が半分に減らされた。
帰還を望まれていない。
それが分かってしまった。
それを知りつつ投入される操縦者。
そんなある日、同じ技術生徒として勉学を共にした同期が送られてきた。
操縦生徒を何人も死地へ送った彼は同期の肩を掴んで「なんで!」と言っていた。
同期の家族が残る故郷も、空襲で焼け野原となってしまったらしい。
「生き残った家族のために」
同期の故郷もまた、山や川の美しい田舎だった。
「自然を壊す戦闘なんか……」
そう言い捨てた同期は、翌朝旅立っていった。
…………自分が整備した練習機に乗って。
「家族が待ってる」
何もかも、重責からも解放されたような笑顔で、そう言い残して。
すでに戦闘機は失われ、練習機が集められていた。
「敵艦まで辿り着ければいい」
計器も何もかも取り外されて軽くなった練習機。
代わりに搭載されるのは大量の燃料。
「爆発は一瞬。彼らの苦しみを軽くするため」
攻撃を受けたらそのまま爆発するように。
燃料は一般車や線路が壊れて運行されない路面電車などから掻き集められた。
「中には料理油を染み込ませたボロ切れも乗せていた」
集められた操縦者の中には死を前にして、急に怖気付く者もいる。
どこかに隠れる者。
夜の暗闇に乗じて逃げ出す者。
耐えられず……首を吊ったり、割れたガラスや皿のカケラで首を切る者。
彼らは捕まり死ぬことも許されず。
袋叩きにあって足の骨を砕かれる。
手首を斬り落とされて、操縦桿に縛られる。
そうまでして『仲間の機に引っ張られて』出撃していく。
その機に燃料は一滴も積まれていない。
敵の照射の的となれば、銃弾を減らせる。
爆発しないまま艦隊に墜落すれば大きな損害を与えられる。
爆発しないのだから、木っ端微塵にして被害を最小限に抑えるしかない。
「最期の御奉公」
それが志願した結果なのだと……彼も思っていた。
そんな彼に届いたのは「特別攻撃隊に志願するように」という命令書。
技術生徒もまた『少年飛行兵に志願し合格した』ことになっていた。
1年の基本授業もそのためだった。
同期も志願したのではなく、この命令書に従ったのだ。
しかし、出撃の直前に事件が起きる。
見送りにきた上官によって、偽造が発覚したのだ。
命令書は彼ではなく、別の整備士にあてられたものだった。
「お前には帰りを待ってる家族なんか居やしないじゃないか!」
そう喚いていた、整備士。
彼はある原爆の被災地出身だった。
(当時はまだ原爆は落とされていない)
戦後、その整備士は何を思って生きたのだろう。
「もういい」
彼の代わりに整備士を乗せようとした仲間たち。
「病人の分際で生きていくより、国のために役立って死ね!」という言葉にすべて諦めた。
「代わりに生き残れ。無駄死には許さない」
その整備士は生き残ったのか分からない。
出撃前に『固めの杯』を交わし、盃を地面に叩きつける。
ひとりひとりに渡された小瓶を胸ポケットにしまう。
出撃後に海上に見えた艦隊。
「のめ!」
無線機すら取り払われた機内に届いた声は誰だったのか。
小瓶を取り出すと一気に飲み干す。
ほかの機体でも同じようにのんでいる姿が見える。
のんで少しずつ気分が高揚する。
心の奥底から湧き上がっていた『死への恐怖』が薄れていく。
「モルヒネだった」
先にのんだ酒が、少量のモルヒネの効果をあげているのか。
酒で酔ったのか。
「おかぁさーん!!」
高度を下げていく仲間の機から聞こえた声。
彼は空を見上げた。
蒼空がどこまでも広がっていて、太陽の光が眩しい。
「ああ、本当に空をとんでいるんだ」
高揚感のまま、どこまでも空を飛んでいけそうだった。
⁂
ここまで話して、彼は苦笑した。
自分が迎撃されたのか、墜落したのか。
覚えていないそうだ。
気づいたら慰霊碑の前にいた。
何度か私を見かけていたらしい。
「慰霊碑の前を素通りされていく中、必ず手を合わせていく」
それで気になったらしい。
そのうち、私には『いろんな幽霊たち』を連れていて、私も怖がらずに会話していた。
それで声を掛けた、そうだ。
実は、私のまわりの人たちが妨害してたそうだ。
でも何度か接触しようとしたら「ウチの子に何の用だ?」と言われて、話をしたいだけだ、と伝えた。
「怖がらせない」という約束をして、やっと私と話すことを許された。
「だからって、『その格好……特攻隊ですか!? 話、聞かせてください!』って言われるとは思わなかった」
そのとき聞いた話が上記の内容です。
彼?
話を聞いてもらって満足したのか、すでに天国に逝っていったのでしょう。
あれ以来、一度も会っていません。
最後に
あのとき、自分宛てではないことはすぐに分かった。
命令書が届いたときに、君だけが様子が変だったから。
でも、『死ぬ理由とその価値と意味』を譲ってもらった、としか思っていない。
感謝しているんだ。
同期を見送ったあとも、転属のたびに増えた仲間たちを送った。
…………辛かったんだ、あの日々は。
君を送り出すより、送り出してほしかった。
最後に空が飛べた。
夢で見たより、想像したよりもずっと美しい世界だった。
ありがとう。
夢を叶えてくれて、ほんとうにありがとう。