2 すごい幼馴染み
「はーい!トンカツ揚がりましたー!」
ミレイさんの叔母さんはよほど切羽詰まっていたようで、紹介状を開くなり雇ってもらえた。
スープやソースのような店の味に手は出せないが、揚げものはすぐに任され、住み込み始めて三週間、ここでもトンカツを作っている。
ミレイさんのおかげで住み込みもできたし、初引っ越しとしては上々ではないだろうか。荷解きは全然終わっていないけれど、テーブルなんかは物置に入れさせてもらえたし、とても助かった。
ミレイさんの故郷は魔物が少なく主な産業は畜産。なのに最近鉱山調査が入ったらしい。これでなにか鉱物が発見されれば人口増が見込まれる。
領主はそれを狙っているようだが、地元民は牧歌的なままで充分と考えているようだ。「鉱山に関わろうって人間はどうしたって荒っぽいのが多いからね」とはミレイさんの叔母さんの言。なるほど。
そういう話を聞くと、私が生まれ育った町は資源はなかったかもしれないが住みやすいところだった。
ダズも実家に帰ってくるついでに見回ってくれていたから、ことさらに平和だったのだろう。さすが銀級冒険者。
ここは昼間は羊や牛の鳴き声が聞こえる穏やかな町だが、夜はなぜか酔っ払いの喧嘩が多い。わざわざ外に出て確認はしないが、外から怒鳴り合いや殴り合いの音が聞こえてくるとさすがに怖い。
叔母さんによると、地酒がなかなかきついらしくてすぐ酔っ払うのだそうだ。ご機嫌だから声が大きくなり、力の加減ができなくなっていつの間にか殴り合いになってるとか。
お酒こわい。
それはそれとして、鉱脈が見つかって今以上に夜が怖くなるようだったらまた引っ越そう。眠れなくなりそうだ。それとも慣れるだろうか。
ネックレスの魔石を握りながら布団の中で丸くなる。
ついダズを思い出してしまい、歯をくいしばる。
月に一度か二度しか会えなくてもとても頼りにしていたことを思い知る。
「早く、一人で生きていけるようにならなきゃ」
小さい頃のダズは他の男の子たちより泣き虫で、家が近いのもあって私とばかり遊んでいた。
転んでは泣き、こぼしては泣き、お漏らししては泣く手のかかるダズに、彼のお兄さんは面倒をみるのを放棄。
一人っ子の私はお姉さんになった気分でお世話しつつ遊んだ。
教会のバザーか町のお祭りか、いつもよりたくさんの子どもたちと遊んでいた時、ふいに悲鳴があがった。
そちらを向くとみんなが必死な顔でこちらに走ってきて駆け抜けていき、そのただならぬ事態に足が竦んで動けなくなってしまった。
子どもたちが逃げ、誰もいなくなった場所にいたのは「跳ね飛びトカゲ」と言われる魔物。
トカゲにトンボの羽が生えた姿で、全長は最大でも大人の腕くらい、素人でも大人なら難なく対処できる弱い部類に入る魔物だ。毒もない。
カエルよりも大きく飛び跳ねながらみよんと伸びる舌の動きが不気味なだけで。
それが自分に真っ直ぐ向かってくる恐怖。
逃げなきゃと思いながらまったく動かない体。
迫る魔物。
一番気持ち悪く見える舌の動きがやたらゆっくりに見える。
いよいよ舌の先がくっつきそうになって目をつぶった。
『ひやああぁああっ』
ダズの悲鳴に、助けなきゃとカッと目を開ける。
だけど、私の後ろにいたはずのダズの背中が、私の目の前にあった。
『え…』
地面に転がる魔物と私の間に立っていたダズ。その手にはどこにあったのか木の枝が握られていて。
『どどどどっかいけえ〜〜っ』
裏返った声で木の枝をめちゃくちゃ振り回して、跳ね飛びトカゲを追い回すダズ。
跳ね飛びトカゲが向こうの森に入って姿が見えなくなると、私はへたり込んでしまった。助かったのに震えが止まらない。
跳ね飛びトカゲが去ったと確認したのか、森の手前で枝を離したダズは、二回も転びながら走って戻ってきた。
『ナンシーだいじょぶ!?』
『…ダ、ズ、ぅ』
『いたい?さむい?』
『だずぅ…!』
涙と鼻水でべしょべしょでも真剣な顔で心配してくれたダズに、抱きついて泣いた。
「…………懐かし…」
幼い頃のことを夢に見た。
あの後、大人たちは森に入ったり大騒ぎの子どもたちを宥めたり、忙しかったようだ。
私は両親がきてもダズとずっと手を繋いだまま、二人で一緒に泣いていた。
その後ダズは生まれ変わったように活発に、とはならず、やっぱり私と遊んでばかりだったけれど、いつの間にか冒険者を目指すようになっていた。
「あんなに泣き虫だったのに、今は銀級冒険者…」
改めて、すごい幼馴染みだ。
「…よし。今日も頑張ろ」
ミレイさんの叔母さんとその旦那さんである親方はいつも二人で朝日が昇ると仕入れにむかう。
親方は食材の目利きはいいのだが、仕入れ先の言うままに余計な物を買わされることがあり、叔母さんはそれをさせないように見張りつつ、そこの奥さんと井戸端会議でご近所などの噂収集と拡散に余念がない。
そんな二人の跡取りは娘さん夫婦で、子どもは13歳の女の子と10歳の男の子。二人とも人懐っこくて、女の子はすでに食堂の看板娘だ。男の子も給仕を修行中。
ほこりがたたないよう板張りになってる食堂をトコトコ歩く軽やかな音が可愛い。
若女将である娘さんと入り婿の若旦那さんは前日の仕込みを確認しつつ、朝の仕込みが担当。仲良し夫婦は掛け合いが面白くて、つい作業の手を止めて聞き入り笑ってしまう。
賄いは週替わりで交代し、今週は私。
夕べ確認した残り食材に聖女様の好物のコメがあったので、鳥の出汁と卵でオカユを、それで物足りない時に足して食べるように挽き肉を炒めた。
営業前にお腹いっぱいになるとしんどいので前の職場でもよく作っていたのだが、ここでも好評でホッとした。
畑や酪農の朝仕事をいち段落させた人々が戻ってきはじめたのだろう、外がにぎやかになってきた。そろそろ開店だ。
叔母さんが準備中の看板を営業中に替えるために外に出てすぐ、悲鳴があがった。
「魔物だ!」
喉がひゅっと鳴った。
親方と若旦那は火に灰を掛けてからフライパンを持って飛び出し、若女将は子どもたちを抱きしめ、叔母さんは外から戻るなり開けたばかりの窓を次々に閉め、私は火が消えたか確認してから食堂の机を叔母さんが閉めた出入りドアに押しつけた。
たいていの魔物は匂いで獲物を判断する。人間なら子ども、女の順に好むと言われている。
だから男は平民だろうと魔物に立ち向かうのだが、よほどの戦力差がない限り怪我は付きものだ。
震える若女将の背中を無言でさする叔母さん。子どもたちも震えながらも声を出さないように手で口を押さえている。
魔物は人間より聴力が発達しているらしく、やはり声でも見つかりやすいらしい。
ダズにも、建物の中に隠れてとにかく静かに助けが来るまでじっとしてろと教えられた。
じっとしても震えが止まらない。
ダズに助けに来てほしい。
そんなことはもうありえない。
もうダズは近くにいないし、来ない、そのために離れた。
混乱しながらもどうにかそこに落ち着いた。
そう。ダズから離れたのは私。
ダズを頼りにするのは終わったのだ。
意識して、息を細く長く吐くと、また少し落ち着いた。
これからのことを考えろ。
もしも。
男衆で対処できない、もしもの時は。
どんな魔物でも、ちゃんと走って引きつけられるようにそっと屈伸をする。声が出るように呼吸をととのえる。手を握りしめて開くをくり返す。
大丈夫。夢に見たあの日のダズのように追い払えなくても、この家族から意識を逸らすことはできる。はず。
大丈夫、銀級冒険者の幼馴染みだったのだ、私ならこの町の外まで走れる、やれる。
魔石を服の上から握りながら、食堂の壁越しに外の様子をうかがう。できれば退治できそうな、追われたとしても逃げ切れる小さい魔物であってほしい。
外のざわめきは聞こえるけど、悲鳴は―――まだ、ない。
「ナンシー、こっちにおいで」
叔母さんが小声で私を呼ぶが、口に指をあてて応え、そのまま耳を澄ます。
すると、誰かが走ってくる足音が近づいてきた。
「大丈夫だよ!うわっと!?」
店の扉を開けて、押さえていたテーブルにコケたのは若旦那だった。
若女将と子どもたちが飛びつき、それを見た叔母さんがホッと息を吐く。私も緊張をとくと、若旦那に呼ばれた。
「竜騎士がナンシーを探しにきたんだって」
「え?」
「騎士じゃなくて冒険者みたいだけど、知り合いかい?」
騎士に知り合いはいないし、冒険者はダズだけだが彼はドラゴンどころか従魔もいないしペットも飼っていない。
竜騎士は王宮騎士の中でも精鋭しかなれない超エリートで、冒険者なら金級に二、三人しかいないという噂だ。その影すら見たことがないのに知り合いもなにもない。
「いえ、知りません。人違いじゃないでしょうか」
「そっか。『○○町から最近来たナンシー』を探してるんだって。そんな娘は今のところ君しかいないって親方が言っちゃったから、悪いんだけど、顔合わせだけしてもらえないかな」
「お父さんめ…従業員の個人情報を暴露してんじゃないわよ」
「まあまあ、なんかえらい草臥れた兄ちゃんで見ると可哀想になるんだよ、親方が言わなかったら俺が言ってたかもしれない」
「ちょっとやめてよ」
「うん、気をつける。でさ、ワイバーンも大人しくて、触るのは駄目だけど見学させてくれるって」
見学に喜んだのは子どもたちで、眉間にしわを寄せていた若女将はしぶしぶ了承し、叔母さんも一緒に行くことに。
すでに安全が知れ渡ったのか、竜騎士が降り立ったらしい場所には人だかりができていた。
そして人々の向こう側に見えるワイバーンだろう魔物。遠目にも人よりずっと大きい。跳ね飛びトカゲなんて目じゃない魔物。
子どもたちの楽しげな声が聞こえなければ、近づけずにこの場に竦んで動けなくなっただろう。
どうせ人違いだからすぐにワイバーンから離れられる、と思いながら歩いていると、まさかのダズが人垣を割って出てきた。
「ナンシー!」
「…ダズ?」
その姿は今までに見たことがないほどヨレヨレで、服は肌こそ見えていないが雑巾のようにボロボロで、いつも身につけている防具には何かの汚れがついたまま。
そしてその顔は、涙も鼻水もないけれど、今朝見た夢のようにくしゃくしゃだった。
「よかった見つけた、ナンシー、俺いまだかつてないほど臭いし汚いんだけど抱きついていいか」
「え?え?」
なにがなんだかわからないまま、ダズに抱きしめられた。
本当に臭くて、ちょっと手で払うくらいでは取れない、汗や土や獣のような匂い。店に戻ったら着替えなければ。
「帰ったら家が売りに出されてて死ぬかと思った」
臭さが目に染みる。
「ナンシーがどこかに行くなら俺も一緒に行く」
鼻の奥もツンとしてきた。
「やっと竜騎士になったよ」
竜騎士がなんだって?
「だからナンシー、結婚しよう、いや、してください、俺を捨てないで…!」
これは夢だ。結婚しようなんてダズが私に言ってくるわけがない。
でもこの殺人的な臭さと、抱きしめられている感触は現実だ。
「ナンシー!?」
人は混乱でも気絶すると知った。




