1 都合のいい女
洗濯も掃除も終わり、二階へと階段をあがる。
二階には私の部屋と両親の寝室だけ。両親は五年前に事故で亡くなったので現在は一人暮らしの私。
その両親の寝室には昨日から幼馴染みが泊まっている。
扉をノックしつつ、寝坊助な幼馴染みからの返事がないままその部屋へ入る。
「ダズ、おはよう。と言ってももうすぐお昼だけど、お腹は空いてない?」
声をかけながら窓を開ける。
部屋のドアを開けても、私の遠慮のない足音にも反応せずにいたダズは、陽の光が差し込むともぞもぞと動きだし、眩しそうにしながらむくりと起き上がった。
「…はよ…ナンシー…あ〜…食べたい」
「あっさりしたやつ? がっつりしたやつ?」
「…がっつり」
「じゃあ、昨日お土産にくれたお肉を揚げるね」
「…うん」
起きてすぐにがっつりしたものを選ぶなんてさすが冒険者、胃腸が強い。
私は階段を降りて台所に入ると、保冷庫から魔豚肉のかたまりを取り出した。そして鍋に揚げもの用の油を入れて竈門に火打ち石で火を熾す。
異世界からやって来た聖女様が広めた食事で最近大人気のトンカツの準備をする。かたまり肉を厚めに切っていると、階段を降りてくる音が。
「あ、ナンシー、まだ包丁切れるか?」
「うん、よく切れるけど、次に来るまで間があるなら研ぐのお願いしてもいい?」
「次は…そうだな、たぶんひと月くらいはかかるだろうからやっとくよ」
「ありがとう」
幼馴染みのダズは十二歳で冒険者登録をした。それから八年、魔物を討伐したりダンジョンに潜ったりと体を張った仕事をしている。
隣の街にある冒険者ギルドがダズの活動拠点で、月に一度か二度、食料をお土産に泊まりにくる。
ダズの実家は我が家の目と鼻の先にあるのだが、お兄さん夫婦の子どもたちが大きくなり、ダズの入る隙がないらしい。そのことで時々会うダズの家族の誰かしらにいつもお礼を言われる。
小さい頃から、それこそ赤ん坊の頃からの幼馴染みで、お互いに恋人もいないので、空き部屋を提供しない理由もない。
ただ。
昨年冒険者ランクが銀級になったダズは凄腕冒険者として有名になった。そのせいか、時々ダズの追っかけが隣街からわざわざ私に釘を刺しにやってくる。
可愛い系から美人系に、冒険者からそれこそどこかのお嬢様まで。モテモテだ。
『ダズに付きまとうな』
私は群衆に紛れたら見つけられないその他大勢な見た目の町娘なので一瞬で見下される。
愚痴ぐちしためちゃくちゃ長い前置きを経て、みんな最後にはそう言うのだが、的外れなことを延々と聞かされるのでとても疲れる。
付きまとってないし、ダズは私を幼馴染みとしか思っていないし、宿に泊まるより安上がりで実家に近いからうちに来るだけだ。
『ふん、都合がいいだけの女ね』
その通りである。
そして彼女たちは勝ち誇ったように帰っていく。ほんと疲れる。
そんなこと、言われるまでもなく自分が一番わかっている。
一つ訂正するなら、体の関係が全くないので「都合のいい女」という条件を満たしているかあやしいところなのだが、わざわざ教えたりしない。
好きな男が時々やって来るのを心待ちにしてるだけのなんの取り柄もない女としっかり自覚してるので、鼻で笑われてもその場で泣いたりはしない。
でも、ダズの仕事の力になれないのは正直悔しい。
せめて回復魔法が使えたらと何度思ったかしれない。
「ナンシーのトンカツ美味ぇ…!」
「そう? なら聖女様のおかげね。食堂でもよく注文が入るから作るの慣れたのよ」
「いや、どこの食堂より特別美味い気がする」
「じゃあダズのくれたお肉が良かったのね。そんなに気に入ってくれたなら、残りのお肉も揚げちゃうから持って帰ってよ」
「ぐ、いや、ナンシーへの土産肉だし…」
「ふふ、いつもありがとう。でも私トンカツなら一枚で充分だよ。体が資本のダズにこそ食べてほしいし。ちなみにこれ、パンに挟んでも美味しいよ」
「…パン買う…」
「あははっ」
この時間があるのなら、ダズにとって都合のいいだけの女でいい。
ダズは実家を出て隣街に住処がある。ギルド併設の激安長期宿だけど家は家だ。
銀級になったから良い所を借りて新人に部屋を明け渡せと言われているらしいけれど、まだ居座っているほどに気に入ってるようだ。
何年か前にどんな部屋か見てみたいと言ったことがあるが、ダズは不定期で忙しくなる冒険者。予定を組んでも流れてしまうこともあり、私のことで煩わせたくないので、ダズとは日程を決めるような約束をしないことにした。
ダズの邪魔をせず、無事を祈るだけ。それが私にできることなのだ。
食事が終わるとダズは洗い物を手伝ってくれる。
「食うだけ食って片付けしない連中ばっかりだから、長期で組むとイラッとする」というのが現在のダズの言い分。
冒険者になりたての頃は疲れで片付けを何日も後まわしにしていたそうだし、うちに泊まり始めた頃も食べた後はぼんやりしていたのに。
それがある日突然、私が洗った食器を布巾で拭きだした。「母ちゃんが、世話になってんだから土産か労働を払えって…」と、そこからダズはお土産として食材の差し入れと、さらに家事をしてくれるようになった。
家のことは私一人でもそれなりにできていると思っていたけれど、やはり男手というのはありがたい。
薪割りはあっという間に終わるし、雨漏りがした時は直してもらえて本当に助かった。包丁だって、ダズに研いでもらった方が切れ味が長く保つ。
それなのに食材も持って来てくれるし、実家でものすごく喜ばれたからとうちにまで庶民の憧れの保冷庫を買ってくれた。保冷用の魔石も来る度に交換してくれる。
私は一人暮らしなのに、自分の稼ぎ以上の生活水準なのである。
そりゃあ、ダズのファンには目障りだろう。
でも、一生幼馴染みだ。
ふらりとやってきて一泊して、実家と近所に顔を出して帰っていく。
それだけ。
ダズが隣街に帰ると誰かしらが文句を言いにやってくる。
恋人になれる可能性のある彼女たちが羨ましいし、うらめしい。
年頃の男女がひと晩、隣の部屋にいるのに、なにもない。
一度だけ、ダズがお守りだとネックレスをくれた日の夜、風呂上がりにそれとなく近づいてみたけど、なにも起きなかった。
色気どころか、女どころか、幼馴染みという絶対的なカテゴリーに仕分けられているのだと思い知った。
私は、ネックレスをもらえても一生ダズの恋人になり得ないと、ダズの家族どころかご近所さんの誰もが知っていることを、名前も知らない人たちにさらに突き付けられる。
―――無駄な恋心なんて、涙と一緒に流れてしまえばいいのに。
「ナンシーちゃん!俺と結婚してください!」
最近、職場の食堂で求婚ゲームが流行っている。
給仕担当の女の子にフラれたお客さんたちが表に出ない調理担当の私にまで声をかけてくるようになった。
「気持ちは嬉しいけどごめんなさーい」
最初はゲームとわからず戸惑ってしどろもどろになったけど、さすがに一週間も続くと挨拶のようなものと理解した。
ダズにとって都合のいい女を自覚しているが、仕事先でこんな遊びに巻き込まれるとため息が出る。
食堂の親方も女将さんも年頃どころか行き遅れな私が独り身でいるのが気になるのか、求婚ゲームのお客さんを後押ししてくる始末。給仕担当の同僚たちはそれで恋人ができたから、余計に私が目立つのかもしれない。
どうしたものか。
まあ、現実的な話として、ダズが結婚するまでは結婚するつもりはない。
知りあいのいないどこかの街に引っ越してから考えるかもしれないけれど。
都合のいい女だから、不要になったら静かに退場するのだ。
「ダズが、あんたが嫁に行くまで結婚しないって言うのよ。だからさっさとどこかの男と結婚してよ」
ダズと同じことを思い合っていたとわかったのに、こんなに嬉しくないこともあるものだ。
せっかくの可愛らしい顔を歪ませて、わざわざ言いに来るなんて、この娘さんがダズの恋人か。
…うん、命懸けで帰ってきて、この可愛らしい人が家で待っててくれたら嬉しいだろう。
「返事は?」
私に対してはまったく可愛くないが。
「…準備があるから時間をちょうだい」
「さっさとしてよね!」
そう言い捨てて行ってしまった。
生まれ育った家を見上げる。
「……仕方ないか…」
いつか退場するために、そう決めてから物を増やさないようにしていた。
ダズの奥さんとのご近所付き合いなんて、きっと無理だから。
お父さんやお母さんの物は、私がもう使わないと判断した物は少しずつ、誰かにあげたり処分してきた。私の物もそうだ。
両親が亡くなった時、家を売って部屋を借りることをすすめられた。ダズが来るようになってからその話は立ち消えたけど、まだ買い手はつくだろうか。
台所用品や食器は揃えるとなると出費がかさむので持っていく。保冷庫はダズの実家に持っていくとして、テーブルと椅子はどうしようかな、新しいところになかったら困るし、やっぱり買うと高いから持っていこう。お父さんが作ってくれたものだし。あ、お母さんの鏡台は絶対持っていく。
わりと大きい物が多いかも。
貯金はしてきたけど、引っ越しでだいぶ使ってしまいそうだ。
「はぁ…」
ちょっと不安になると気持ちがどんどん侵食されていく。
しょうがないじゃない! ダズが結婚するんだから! 結婚式に出席してくれって言われる前に逃げよう! おめでとうなんて言えるか!
「さよならなんてもっと言えないし、言われたくない」
荷物の選別はあっという間に終わった。
お隣から借りた小さな荷車に保冷庫を載せてダズの実家に引っ越しの報告をし行くと、兄嫁のミレイさんが迎えてくれた。
「は!? 引っ越し!?」
「はい。両親が亡くなってからも大変お世話になりました。どうぞお元気で、」
「ちょっ!ちょっと待って、ダズは知ってるの?」
「え? 言ってません」
「なんで!?」
「ダズ、結婚が決まったみたいで、」
「〜っ!?」
「お相手さんとしては私みたいなのがダズの近くにいるのは嫌だろうし、職場でも求婚ゲームに巻き込まれて面倒くさいというか、」
「はあ!?」
「なので、この町を離れようかなって、」
「ナンシーちゃんナンシーちゃんナンシーちゃん。私が落ち着きたいからお茶に付き合ってくれる? 忙しいだろうけどお願い」
「あ、はい」
お邪魔すると、なぜかダズのお父さんとお母さんもやって来て、お兄さんも仕事を抜け出して来て、子どもたちは隣家に預けられた。なんで?
そして、引っ越しに至るまでのことを聞かれ、そしてみんなが頭を抱えた。なんで?
「あンの大馬鹿野郎……!」
お兄さんがボソリと言った。ここで思い至る。本人より先に家族にダズの結婚を知らせてしまったことを。
「それでナンシーちゃん、どこに引っ越すの?」
謝罪する前にミレイさんから話しかけられてしまった。
「これから荷運び屋さんで、予算内で一番遠くに行けるところを紹介してもらおうと思っています」
「じゃあさ、私の故郷はどう? 馬車で三日の道のりで牧歌的な田舎だけど、叔母が食堂をやっていて調理できる人を探しているのよ。ナンシーちゃんなら自信を持って紹介できるわ」
「おいミレイ、」
「黙って。ナンシーちゃん、そこで少し過ごしてみて、やっぱりもっと遠くまで行きたいと思ったら移動すればいい。とりあえず住み込み可で、部屋代の代わりに少し余計に家事をすることになるけど、それで良ければ紹介状を書くわ」
即、お願いした。
誰も知らないところでと思っていたけれど、ミレイさんに提案されてすごく安心できた。ありがたく甘えさせてもらおう。
「…ナンシー。二日後ならミレイの故郷方面にうちの商会から荷運びが出るから、それにくっついていけるように会長にお願いしてくる。そうすれば個人で荷運びを頼むよりだいぶ安上がりだぞ」
ダズのお兄さんの提案にも驚く。
「え…いいの?」
「商会の商品だから護衛も多いし、護衛や商会員に女性が二、三人はいるから、道中が男だけよりは気が楽だろう」
「あ、ありがとう」
「いいさ、ナンシーは妹みたいなもんだし俺が安心したいだけだから。じゃあ仕事に戻る。出発時間はあとで連絡するよ」
そして二日後の早朝に家を出た。
荷台で荷物と一緒に揺られながら、ダズに唯一もらったお守りの魔石ネックレスに触れる。
これも返そうとミレイさんに頼もうとしたら「そんな小さくても魔石は魔石よ、もしもの時には売るように持ってなさい」と押し切られた。
―――ダズへの気持ちもこの魔石と一緒にスパッと売れればいいのに。




