38.東北旅行のおもひで
今から10年以上前の話になるが、9月の連休中に大学時代の先輩と二人で東北旅行に行った事がある。目指すは青森県の恐山。ご存じの通り日本三大霊山の一つだ。そこでイタコさんにお願いしてエルヴィス・プレスリーを降霊してもらうのが旅の最大の目的。そんな川口探検隊に勝るとも劣らぬ、水曜スペシャル級の壮大な冒険を私たちは敢行した。
1977年8月16日にこの世を去ったエルヴィスだが、死後も目撃例が絶えない。スーパーでペプシを買ってたとか、ホットドッグの屋台に並んでたとか、食料品店でポテトチップスをかごに入れてたとか、そういう証言は枚挙にいとまがない。「まるでハイスクールスチューデントみたいものばかり食ってるな、ロックの帝王なのに」と思わないこともないが、確かに晩年のエルヴィスは肥満気味だった。育ち盛りのキッズみたいなものを好んでいても不思議ではない。
そんなアメリカでも10人に1人は信じているという「エルヴィス生存説」だが、もし仮に彼がイタコに憑依するならその説は真っ向から否定される。当たり前の事だがイタコは死者の霊を憑依させる職業。生きているのならば霊を下すことは出来ない。そして憑依しなければ生存説の肯定。今もエルヴィスは生きていてアメリカのどこかでホットドッグを貪り食ってる事実が立証されるわけだ。
どちらにしても戦後の闇の社会史の謎の一つが解明される。それにイタコさんに憑依したエルヴィスに一曲歌ってもらえる可能性もワンチャンある。恐山をバックにエルヴィスが「監獄ロック」や「ラブ・ミー・テンダー」を熱唱。「エルヴィス・オン・ステージ・イン・OSOREZAN」の開幕だ。私達二人だけのためにエルヴィスが歌ってくれるなんて何という贅沢だろう。大のエルヴィス好きで有名な加山雄三が嫉妬しそうだ。
神奈川県を出発した我々調査隊はひたすらに北を目指し車を走らせた。そして遂に恐山に到着するも、そこにはイタコさんはいなかった。恐山の入り口に「夏場はイタコさんお休みです」みたいな張り紙が。やれやれ、調べてから来るべきだった。
衣装の腕の部分から垂れ下がったビラビラしたやつを恐山の風にたなびかせながら熱唱するエルヴィスを見ることは叶わなかったものの、東北は美味しいものばかりで実に充実したグルメ旅行だった。たった2泊3日の日程だったのに食べたご当地グルメは数限りなし。名物の種類が豊富な上に各々の質も高い。それぞれに濃厚な思い出があるのだが、詳細を書くととんでもない文字数になるのでとりあえず箇条書き。
・仙台の牛タン
・盛岡の冷麺
・岩手のわんこそば
・小岩井農場のソフトクリーム
・大間のマグロ
・八戸の海産物
・八戸のせんべい汁
・いちご煮
東北グルメを堪能した週明け、お土産を会社の女の子に配っていたら隣の部署の子から「あれ?仙台行ったんですか。私も連休は仙台旅行行ってましたよ」と言われた。「偶然だね」「伊達政宗像見た?」「9月なのに東京と比べてめっちゃ寒くなかった」なんてたわいのないやり取りの後、「牛タン、どこのお店で食べました」と聞かれたので「○○○○ってお店」と答えると、
「え~、あそこって観光客向けのぼったくり店ですよ(笑)。私が行った○○って店で食べれば良かったのに」
と、いきなり「私は長年地元で愛されている老舗で食べましたマウント」を取られた。
「それ、わざわざ言わなくて良くない?(笑)」
「いや、今言っておかないとまた仙台に行った時にぼったくられるかもしれないじゃないですか(笑)」
しばらくそんなやり取りをした後、私たちは各々の席へと戻った。
さて、この短いやり取りから浮かび上がってくるものが2つある。まず一つは私と女子社員の関係が概ね良好だという事。
会話には二人の人間関係が如実に表れる。あまりお勧めできないお店で食事をした事実の指摘なんてそれを言っても相手方が怒らない自信がなければ出来ない発言だ。更に私をからかうような口ぶりも人間関係がそれなりに構築されていないと出来ない。このやり取りで私は「意外と好印象で見られてるっぽいな」と半ば確信した。
別にこれはオフィス・ラブのような恋愛的な話ではない。単純に同じ会社で働く人間として好感を持たれているかの話だ。何故なら、今なお数多く存在する「男はバリバリ、女性はそこそこ」な働き方をする昭和っぽい雰囲気が漂う会社で女性社員に嫌われるのは死を意味するからだ。女子を敵に回すと社畜は戦えない。「それって私がやる仕事ですか?○○さんがやって下さいよ」みたいに余計な仕事をしょい込む羽目になる。逆に彼女らを味方に付けると百人力。「〇〇さん、何か手伝います?」と、忙しそうなこちらを気にかけてくれたりする状況なら文句なしだ。優秀な社畜たるもの、旅行に行った際は常にお土産を買ったり、机の引き出しにアルフォートを忍ばせておいて小腹が空いた女子にあげたりと、そういった環境作りのための努力を怠らないものだ。
そして浮かび上がってくるもう一つの事実。それは私が仙台で食べた牛タン専門店は「観光客向けのぼったくり店」という事実だ。
正直、「この店は通が行くような店じゃないな」とは薄々感じていた。可愛らしいキャラクターが描かれているキャッチーな看板。商店街の大通りに面し、入りやすい入口。この時点で既に玄人が足繁く通う店とは程遠い印象を受ける。そしてそれは店内に入れば更に顕著となる。明るめの照明とJAZZっぽい音楽が流れるお洒落でPOPな店内。清潔感溢れる床やテーブル。広義で焼肉のカテゴリーに入るはずなのに油汚れがなく、綺麗な写真が載っていて見やすいメニュー。笑顔が板についてる接客態度が良い店員。もう、通っぽさゼロだ。
これはあくまでも私見だが、筋金入りの名店はこの逆が多い。シンプルに店名だけ書いている薄ぼんやりとした看板。裏路地に面している上に薄暗いので営業してるか分からなくて入りづらい入口。薄暗い店内。流れてるBGMは地元のラジオ局の放送でもちろんAM局だ。油でねっとりとしたテーブルと、油でねっとりとしたメニュー。もちろん、メニューは写真なんか無いのでどんなものが来るのか想像できない活字オンリー仕様。黙々と料理してる頑固そうな親父。お冷を出しながらテキパキと注文を取り、料理が出来たら見た目から想像出来ないような機敏な配膳をしてくれる、よく訓練された海兵隊のように鍛え上げられているおばあちゃん。
これらの条件を多く満たしている店ほど通が足繁く通う店の可能性が高くなる。あくまでも私の個人的な意見だが。
さて、女子社員ちゃんの言う「観光客向けのぼったくり店」。確かに我々はこのお店で酷い目に遭った。
入店するなり注文。当然の事ながら頼むのは牛タン定食だ。ただ、今回のコンセプトは「祭り」。エリート社畜たちの自主開催企画、「仙台牛タン祭り」だ。よって、それだけではお祭り感に欠ける。北島三郎もこれでは納得してくれないだろう。なので、半分ずつシェアするための特上牛タンも追加だ。
牛タン定食は麦飯、牛タン、テールスープのシンプルな構成ながら、「飯+肉+汁物」の完璧過ぎる三位一体。栄養学的見地からすれば少量のおかずを様々な種類用意し、バランスよく食べるのが理想かもしれない。しかし、食べ盛りの男子というものは唐揚げ定食や生姜焼き定食のように茶色系のおかずで白米を食い散らかし、喉が詰まりそうになったらみそ汁なんかで流し込むスタイルの方が圧倒的に好きだ。更に「本場で食べてる」という高揚感が一層美味しく感じさせてくれる。
ちなみにお値段だが、確かに他のお店の牛タン定食よりも500円程度高かったようだ。とは言え、観光地でぼったくられるのは観光客の努め。それに500円くらいなら大した問題ではない。むしろ良心的とも言えるぼったくり加減だ。喜んでぼったくられよう。
この段階での「仙台牛タン祭り」は大盛況。頭の中の三郎が「これが日本の〜祭り〜だ~ぁ〜よ~♪」と熱唱している。そう、ここまでは良かった。問題は特上牛タンだ。こいつが我々に牙を剥いて来た。
調子に乗って散財するのは旅行者の義務。夏のボーナスが入ったばかりなので貧乏人にもかかわらず気持ちは完全に驕り高ぶっていた。よって当初は特上牛タン定食を頼もうとしていたのだが、メニューに載ってる特上の写真を見た先輩の「これは止めとこう。絶対に重い。単品頼んで半分ずつにしよう」との忠告により変更した経緯があった。実は先輩は肉屋のせがれ。遺伝子のように先天的なものなのか、それとも英才教育による後天的なものなのかは分からないが、対象のお肉の状態を測定する「お肉スカウター」がその目に仕込まれている。
この能力は実に有益なもので、誰かの家で自宅焼肉する時なんか大活躍だ。私みたいな肉の素人が買い出しをすると往々にして筋張って硬い肉ばかり掴まされるものだが、先輩に限ってそんな事は起こりえない。常に売り場で最高の状態のお肉を選んでくれる。先輩を家電扱いするなんて後輩にあるまじき態度だが、一家に一台欲しいくらい重宝する機能だ。
もちろん、今回のケースでも先輩のアドバイスは百発百中。このお店の牛タンは厚さ1センチ超と厚切りに分類される切り方で提供されていたが、普通の牛タンですら簡単に噛み切れるくらい柔らかい。そして特上はそれを上回る柔らかさ。まるで雲を食べてるかの如くだ。お肉を食べてビビったのは後にも先にもこれだけだ。とは言え、柔らかさの秘密は脂身。一口目はあれほど美味しいと思ったのに、二口目から味よりも脂っぽさからくる重さの方が気になる。当時は二人とも30歳そこそこ。まだまだ現役の焼肉食いなのに全く歯が立たない脂っぽさだ。
結局、食べ終えた頃には二人ともバッチリ胃がもたれていた。完全に具合が悪い状態だったので、さっさとホテルに戻って病人よろしくベッドに横になり眠りについたというわけだ。
嗚呼、夜の仙台の繁華街に繰り出したかったのに・・・
ついでなので東北旅行の先輩エピソードをもう一つ。場所は八戸市内。八戸と言えば「はじめの一歩」で幕の内一歩と新人王トーナメントで戦ったジェイソン・オズマが通っていた八戸拳闘会がある事、そして漁業が盛んな事で有名な地方だ。旅行二日目の夜、ホテルにチェックインした後に地元で古くからやってそうな面構えの居酒屋に入った。割と適当な店選びだったものの、その古強者感溢れる外観に負けない美味が私たちを迎えてくれた。ジャンクフードとは真逆のベクトル、東西新聞社の山岡さんが好みそうな純粋な美食の数々に舌鼓を打っていたらようやく今晩のメインイベント、八戸で獲れた新鮮なお刺身の盛り合わせの登場だ。と、ここでとんでもない光景を目撃する事となった。盛り合わせを見るなり先輩が興奮気味に「これは絶対に美味いやつだ」と雲丹を食べ始めたのだ。その時私はクララが立った時のハイジに似たある種の感動を覚えた。「先輩が雲丹を食べた!」と驚愕したのだ。雲丹好きを公言する先輩だが、実際に食べている姿を初めて見たのはこの時が初めて。彼と出会って10年以上。何十回も一緒に食事をしてきたにもかかわらず。
肉屋のせがれである先輩だが、実は魚屋の血も流れている肉屋と魚屋のハイブリットだ。そのような生い立ち故、家庭環境もかなり特殊だったらしい。例えば「お寿司」。家で作るお寿司と言えば「すし太郎」を代表としたちらし寿司、もしくは手巻き寿司が世間一般の常識だろう。しかし先輩の家では当たり前の様に母親が寿司を握っていたらしい。そのせいもあって子供の頃は握り寿司を家庭料理みたいなものと捉えていたらしい。「どんな家庭ですか?」とツッコミを入れたくなる事例だ。しかも先輩曰く「そこら辺の寿司屋よりお母さんの握った寿司の方が美味い」らしく、更にネタは両親が厳選した新鮮なやつばかりときたら必然的に舌が肥えるというものだ。
そんな環境に生まれ育ってるゆえ、とにかく魚介類の鮮度に対してジャッジが厳しい。特に大好物であり、鮮度が大事とされる雲丹やイクラに対してはより一層シビア。その辺の居酒屋や寿司屋で出る中途半端な鮮度のやつには一切口をつけないほどだ。しかし、そんな先輩がスルー出来ないレベルの良質な雲丹を提供してくるとは、さすがは八戸。上手そうに雲丹を頬張る先輩。良いものを見せてもらった。
と、長々綴らせて頂いたわけだが、ここから浮かび上がってくるものが2つある。まず一つは東北は美味しいもので一杯という事。そしてもう一つは、「この話、落としどころが分からない」という事。一体どうやって終わればいいのだろう?
そもそも、あまりにも見切り発車だった。いつもはある程度の流れを考えて書きだすのに、今回は勢いに任せて突っ走ってしまった。それに10年以上前の事なので店名なんかの細部がどうにも思い出せない。そもそもジャンクフードが出てこない。ただ、どうしても東北旅行について書きたかったのだ。
とりあえず久しぶりに牛タン定食が食べたくなった。このエッセイを書くにあたってネットで色々と調べていたら「牛タン定食を食べる作法」を書いているブログを見つけた。牛タン初心者だった我々は焼肉を食べる際のように「肉喰ってご飯、肉喰ってご飯・・・」のような単調な食べ方をしていたが、どうやら本場の腕利き牛タンプレイヤーは様々な技巧を織り交ぜながら食べ進めているらしい。牛タンを一度麦めしへ置き、表面の脂を飯部分に移行させてから食する「ワンバウンド※」に始まり、麦めしを牛タンで巻く「ローリング※」や、テールスープに南蛮みそ漬けと残った麦めしを投下してクッパ風にする呼び方不明の大技を使ったりと、かなりテクニックを駆使した食べ方をしているらしい。それに比べたら我々の食べ方はちょっとエレガントさに欠けていた。今度東北旅行に行った際、もしくは妥協して隣の県にある「牛タンの利休」に行った際に試してみよう。
※・・・このブログの方が述べてた呼称。それが仙台で一般的な呼称なのかは分かりません
更に混沌とした感じになってしまったが、今回はここで筆を置かせてもらう。筆者の迷走に釈然としない方は是非、東北旅行に行ってみてもらいたい。一回の旅行では食べ尽くせない程のご当地グルメや郷土料理を可能な限り攻め、それらに舌鼓を打ってもらいたい。そうすれば無事に書き終えるか分からないのに書きだした私の気持ちが分かってもらえるはずだ。
そう、東北には無理をしてでも書きたいと思わせる何かがある。