37.よろしく王将
「コーテルイーガー」という言葉をご存じだろうか?必殺技っぽい響きがするので「何かの最終奥義?」と期待される厨二心溢れた読者様もいらっしゃるかもしれない。
「喰らえ!これが全身全霊!最後のコーテルイーガーだ!!!」
確かにどこかのバトル漫画でこんなシーンが展開されていてもおかしくなさそうな感じだが、残念ながら不正解。それではヒントを1つ。これはある飲食チェーンの店内で使われる言葉です。
さて、ここで問題。その飲食チェーンとはどこの事でしょう?
~~~ シンキングタイム ~~~(※秒針が進む音を脳内再生して頂けますよう、お願い申し上げます)
回答の時間です。外食リテラシー、それも餃子リテラシーが高い方にとってはサービス問題。すぐにピンと来られた読者も多いだろう。正解は「餃子の王将」。この呪文のような謎の言葉は店員さんの間でオーダーを確認する際に使われる社内用語だ※1。
今回の「コーテルイーガー」は餃子一人前。分解して説明すると下記のようになる。
コーテル(餃子)+イー(数字の1)+ガー(個)
響きから何となくわかるように王将では中国語、もしくは中国語っぽい響きをベースにした用語を使用するらしく、そのルールにならい餃子は「コーテル」と呼ばれる。他のメニューも白飯が「パイハン」、炒飯は「ソーハン」、天津飯が「テンハン」と独特の呼称だ。
その流れなので数も当然中国語。イーは1、リャンは2、サンは3、スーは4、ウーは5・・・となる。そして末尾に個数を示す「ガー」をつけて一つのオーダーが完成だ。
私は王将に関しては素人に毛が生えた程度なので店員さんのやり取りを聞いても正確な注文内容など分からないが、世の中には厨房から「ソーハンイーガー、コーテルリャンガー」と聞こえてきた瞬間に「炒飯と餃子二人前か、分かってる注文の仕方だな。どうやら店内に手練れ、それも相当なのがいるようだ」と、どんなオーダーが入ったのか分かるほどに熟練した王将廃課金者もいるらしい。その情熱には感服。頭が下がる思いだ。
※1・・・店舗によって呼び方が違う事もあるらしいです。ドヤ顔で「コーテルイーガーお願いします」と言ったら店員さんから「え?何ですか?」と返されるかもしれませんので、注文時は普通に「餃子1個」と注文しましょう。
とある平日のお昼時、厨房で飛び交うこれらのやり取りを待合スペースで聞きながら「王将に来たな」と実感していた。王将空白地帯だった私が住む田舎に待望の出店だ。約10年ぶりとなる餃子の王将。「会っえな~い~時間が~♪ 愛~育~てるのさ~♪」と郷ひろみが「よろしく哀愁※2」で歌っていたが、この時の私の愛は育ちまくり。王将餃子への渇望がピークに達していた。王将よ、10年越しのこの熱い想いをどうか受け止めて欲しい。
※2・・・オリコン1位を記録した郷ひろみ10作目のシングル。郷ひろみ最大のヒット曲。作曲は筒美京平。筆者のカラオケのレパートリーの一曲でもある。
流石に昼時なので店内は激混み。しかし、ここでちんたら悩んでお店の回転を下げるのはジャンクフードを愛する者にあらず。それにオフの日と言えどもスマートなビジネスマンはいつだって仕事が早い。席に通されるなり3種類ある「本日のランチ」から「ラーメン+餃子+小ライス」のラーメンセットを迅速かつ果敢に注文。久方ぶりの王将、それも久方ぶりの店舗での食事なので「ここは未食だった王将のラーメンに挑戦するか」と、開拓者精神みなぎらせた攻めのラーメンセットだ。
順番が前後しているようだが注文したものが到着するまでの間にメニューを確認。王将は店舗によって独自のメニューを出してる事があるらしいのでそれらしいやつを探してみる。「奇抜なメニューがあったら次回のお楽しみになるな」なんて考えながら目を通すもそれらしきものはなし。しかし、相変わらず美味そうなものがてんこ盛りだ。どの料理の写真も実に良い面構えをしている。こんなもの注文前に見てしまったら長考は免れない。なかなか注文を決められない鈍臭いお客となって王将に迷惑をかけるところだった。
そしてこれまたお久しぶりの王将のお冷用グラス。それにプリントされた「OH/SHO」のロゴはいつだって私のハートを熱くさせる。完全にオーストラリアのハードロックバンド・AC/DCのバンドロゴへのオマージュだが、これには伊藤正則(※3)もニッコリだろう。ハードロックやヘヴィメタルが世界を席巻していた80年代後半~90年代前半に思春期を迎えた我々にとって抗えない魅力を放っている。これまた余談ついでなのだが、かなり前にゆで太郎で貰ったサービス券に「YU/DE」と、AC/DC調のロゴが書いてあったことがあった。これにもグッと来た。確かにこの手の独身者が足繁く通いそうなチェーンはハードロックやヘヴィメタルと親和性が高いような気がする。
まあ、そんな余談と言うかメタラー的な美談を。
※3・・・ヘヴィメタル・ハードロック専門誌「BURRN!」の編集長。日本におけるヘヴィメタル普及の歴史を紐解く際、必ずその名が挙がるメタルの伝道師。実はメタル以外の音楽もめっちゃ詳しい。
そうこうしているうちにラーメンセット到着。まず目を引いたのはラーメンに浮かぶナルト。「中華屋のラーメンですよ」との熱い主張を感じられる。とは言え、主役はやはり餃子だ。そこからスタートするのが正しい食べ進め方だろう。餃子にタレをつけて一気に頬張るとパリッとした食感にまず驚く。「この焼き加減、さすがは王将だな。そこら辺の店とはレベルが違う」と感心するも、肝心の味の方は「こんなもんだったかな。もっと飛び上がるほどの美味さだったような・・・」と若干の肩透かし。まあ、思い出補正は何にだってあるものだ。実際、これでも充分に美味い。そして続けざまに米の飯を頬張るわけだが、
「あれ?めっちゃ米に合う」
気が付いたら餃子と白米のループが止まらない。餃子を半分食べ終えたタイミングでタレにラー油を入れて味変。更に食欲がブーストする。そうやって白米と餃子を忙しく口に運びながら、2週間ほど前に博多で食べた一口餃子の事を思い出し、王将のそれと比較していた。
その博多の餃子は一口目は物凄く鮮烈、ビックリするような美味しさだったのだが如何せん味付けが少々くどかった。おかげで食べ進めていると割と早い段階で舌が飽きてしまった。つまり尻すぼみ系の餃子だったというわけだ。対して王将の餃子は「飽きの来ない味」だ。食べ続けても球威が落ちない。これなら胃袋がはちきれるまで延々と食べ続けられるはずだ。
「餃子6個じゃ食べたりないなぁ」と思いつつも餃子とライスを完食。そして気付いたのは「ペース配分間違えた」と言う事実。放置プレイ状態のラーメンが伸びかけになっている。餃子に夢中になりすぎてこいつの事を忘れていた。急いで食べたが、感想としては胃袋が餃子モードになっていたせいもあり「まあ、普通」だった。完全に「王将の餃子の再評価」の煽りを喰らってしまった形になった。すまん、正式名称「忘れられない中華そば」。「忘れらない」がキャッチコピーなのにバッチリ忘れられた挙句に低評価なんて君の顔に泥を塗ってしまった。胃袋が餃子モードじゃないときに改めて君と向き合おう。
どうやらこの日の私は久しぶりの王将だったので「気負っていた」とか「舞い上がっていた」のだろう。本来ならこの10年で失われていた王将感を取り戻すため「コーテルリャンガー、パイハンイーガー(餃子二皿、あとライス)」みたいな「ひたすらに餃子と飯をたべる事」に専念出来るオーダーをするのが最善の策だった。よってラーメンセットは致命的なミステイク。決して「食べた事の無いメニューを頼む」なんて冒険的オーダーに走るべきではなかったのだ。
ついでだが、この失態を友人にLINEしたら「普通の餃子を一つ頼んで、もう一つはよく焼きか両面焼き頼んで味比べって手もあったよね」と、慰めの言葉どころか私の後悔の念を更に増幅するような、厳しくも辛辣なご指摘を頂いた。まあ、過ちを犯した際に中途半端な慰めの言葉をかけるのではなく、このように厳しい言葉をかけるのが真の友情と言うものだろう。
こうして多少のトラブルはあったものの、改めて「王将の餃子は美味い」と再評価するに至った。そしてこれまた改めて思ったのは「昔みたいに王将のビールで一杯やりたいな」という事。世の中には様々な「不変の真理」があるが、「飯に合うおかずはビールにも合う」ほど人の幸福に直結するものはない。
私が関東に住んでいた頃、自宅最寄り駅の近くに王将があった。しかも改札から出て徒歩二分の好立地。そんなナイスポジショニング過ぎる店舗があるなら仕事終わりの金曜日の夜、1週間頑張った自分に「餃子をつまみながらの一杯」なんてご褒美をあげたくなるのは世のサラリーマンの常。しかし、当時は某テレビ番組の「餃子の王将芸人」による大ブレイク後。常に大行列状態なので「ふらりと立ち寄って」なんて便利使いは不可能だった。食べたければ規律正しく列に並ばなければならないが、私は何よりも並ぶのが嫌いだからどうにもこの状況とは相性が悪かった。
そして奇跡的に待たずに入れたとしても店内はゆっくりと晩酌するような雰囲気ではない。通常営業が修羅場の紛争地帯。最前線の野戦病院ばりにてんてこ舞いな空間だ。慌ただしく注文を取る店員さん。慌ただしく料理する厨房。慌ただしく餃子を食べるお客さん。お腹を空かせ、精気を失った表情で席が空くのを待つ行列客。
私は素晴らしい青年だったので、そんな状況下で「店の回転とか他のお客とか知らねえよ。俺はゆっくりと晩酌するぜ」なんて態度はとても取れない。そうなってくると役に立つのがテイクアウトだ。
私が住んでたこの地域は駅を出てすぐに歓楽街が広がっているせいで治安が悪いと評され、「神奈川のゴッサムシティ」と呼ばれるデンジャーゾーンだった。そのせいか家族向けのマンションやアパートが近隣の駅前より少なかった気がする。それが原因だろうか、この店舗はイートインが常に満員御礼状態なのに対し、テイクアウトに関してはあまり待たずに注文出来るチャンスがしばしばあった。おかげで改札を抜けるなり王将に向かって猪突猛進。テイクアウトの列が空いていたら迅速に餃子を注文し、受け取ったら脇目も振らずに家へ。帰り着くなり速攻でジャージに着替え、冷蔵庫から高級発泡酒を取り出す。そうすれば出来上がりから10分程度しか経っていないので熱々な、餃子の皮もお店で食べる時と遜色ないパリッパリ加減の餃子を肴に晩酌が楽しめた。それは過酷な一週間を乗り切ったサラリーマンにとって非の打ち所がないご褒美の時間だった。
この社畜時代の幸福過ぎる晩酌。せっかく今の生活圏内に王将が出来たので再現してみたいのだが、一つだけ懸念しているところがある。この店舗から現在の自宅まで車で片道40分。テイクアウトしてから帰り着く頃には食べごろを過ぎてしまっているのではないだろうか?
熱々の餃子が発する蒸気により持ち帰り容器の中がサウナ状態となるのは想像に難くない。その過酷な環境の中、餃子は40分の長丁場を耐えられるのだろうか?焼き加減こそが王将餃子の命とも呼べる個性なのに、長時間蒸されてあのパリッとした食感がグチャッとした食感へと劣化する・・・そんな絶望的な未来が私の脳裏に浮かぶ。
ただ、これは私の王将への信頼感ゆえか、この餃子界の巨匠がその点を考慮していないとは思えない自分もいる。昭和のお父さん方が飲み会後、酔っぱらって頭にネクタイを巻いて帰ってくる際に家族に持って帰ってきてくれた折詰のランキングでお寿司に次いで第二位の地位を占めていたのは餃子だった(※作者調べ。筆者の親父はよく餃子を持って帰って来てくれました)。つまり、餃子というものはそもそもが持ち帰られる可能性がある商品だ。ゆえに多少時間が経って冷めた状態でも美味しく頂けるような工夫を王将がしていても何ら不思議ではないし、むしろ冷めた状態に対して王将が無策と考える方が不自然だ。そう考えると、ひょっとしたら王将餃子には熱々の時とは違う持ち帰り特有の個性があるかもしれない。「パリパリも良いけど、この少し蒸されてモチモチも良いんだよな」的な代えがたい魅力が。そんな期待してしまうほど、私は王将を全面的に信頼している。
と、あれこれと思い巡らせてみたが、やっぱり王将のテイクアウトは止めておこう。仮に頑張ってアクセルベタ踏みして自宅まで25分で帰ったとしてもある程度の蒸し要素が加わってしまうのは避けられない。やはり私が食べたいのは焼き餃子、それも純度100%のパリッパリな焼き餃子なのだから。なので今は餃子と白米を堪能できるようになった事実で満足しておき、「王将の餃子+ビール」は旅行に行った際のお楽しみに取っておくべきだろう。そう、今度の旅行の際は王将が近くにあるホテルを予約だ。そうすれば日中に観光地を巡ったせいで足はクタクタ、晩酌に向けてご飯をセーブしたせいでお腹はペコペコになった体をホテルの大浴場で癒してからビールと餃子を投入可能だ。お風呂上りでビールが最高に美味い、更に腹が減りまくって餃子が最高に美味い、そんな非の打ち所がないコンディションで王将餃子と向かい合う事が出来る。これらを堪能する上でこれ以上のシチュエーションなど存在しないだろう。
よし、「王将の餃子+ビール」はしばらく我慢だ。
こうして「次の旅行まで王将の餃子とビールの組み合わせは禁止」が私的な決定事項となったわけだが、連休取得もままならないサラリーマンゆえに「次に旅行に行けるのがいつになるのか分からない」という悲しい問題が出てきた。次の旅行は3カ月後?それとも半年後?ひょっとしたら1年後?2年後?場合によってはそれよりも先になるかもしれない。次のチャンスを正確に計ろうとするも、権力なきしがないサラリーマンでは分かりようもない。
ただ、それは決して悪い事だけではない。このゴールデンコンビは我慢すればするほど、実際に対峙した時の感動は大きくなるものだから。だってそうだろう?
「会っえな~い~時間が~♪ 愛~育~てるのさ~♪」
と、郷ひろみも「よろしく哀愁」で歌っているではないか。




