ラプラスは悪魔 5話 ぶっとぶ予知。
【5話 ぶっとぶ予知。】
もう迷ったり、ビビったりしてる暇はなかった。一度読んだ【ラプラス】の投稿を念のためにと、もう一度声に出して読むこともしない。文中の要点のみを自分の中でまとめていく。
「テストに埼玉県、給食、縄跳び大会・・・・・くらいか」
手始めに、前回の社会科の授業ノートを確認する。記憶通り、前回は関東地方についての授業だった。僕たちの受けている社会の授業では、始まりに簡単な小テストを行うことになっている。そこに埼玉県が出題されるのは、たしかに自然なことのように思えた。
次に、学校からメールにて届く書類データを探した。今月の献立を確認するためだ。明日七月十日の献立表には想像の通り、カレーライスの文字がある。
最後に、1学期のスケジュール表を確認する。明日七月十日の欄には【大縄跳び大会】との記載がされていた。そういえば以前、九条がやたらとこの催しを意識していたことを思い出す。その影響で、学活の時間を半分使ってクラスのみんなで大縄跳びの練習をしたんだっけ。
「となると、やるべきことは一つか・・・・・・」
呟きながら実感していることがあった。それは、今日の算数の授業での僕の行動が、僕の中のなにかを明確に変えたということだ。
自分がするべきことを、迷わずに行う――事なかれでは物事を終わらせない――そんな強い意識が今の僕を突き動かしていた。
スマホを開き、6の2男子のライングループにメッセージを送った。
『明日、大繩の朝練しようよ』
今回も、僕は絶対に未来を変えてやるのだ。
■
いつもより三十分もはやく、クラスのみんなは登校してくれた。手はじめに二人一組のペアになって柔軟運動をおこなう。本番当日に足でもくじいてしまったら、本末転倒だ。
僕とペアを組んだ大翔が、開脚して座る僕の背中をゆっくりと押す。それが終わり、今度は僕が大翔の背中を押していると、大翔が「それにしても」と言った。
「まさか賢人が、朝練を提案するなんてな」
「・・・・・・おかしいかな?」
さすがに幼馴染だ。大翔は普段の僕らしくないおこないが気になっているらしい。理由を尋ねられたらどうしようか悩んだが、それは杞憂だった。大翔が僕の顔を見て笑う。
「いや、おかしくない。むしろ偉いと思うぜ。俺も負けず嫌いだからさ、本当はこういうの本気でやりたいタイプなんだけど、そういうのって恥ずかしいじゃん? だから、今回は賢人からみんなに声かけてくれて助かったぞ」
周りで準備運動を行っているクラスメイトたちを眺める。みんな朝早くから集められて、不服に思っていないか不安だったけれど、それもまた杞憂だった。みんなの顔つきには、どこか充実感のようなものが浮かんでいた。大翔が僕の目をみてガッツポーズを掲げた。
「みんなもやる気みたいだし・・・・・・目指すは優勝だな!」
「ああ!」
などと、スポ根漫画みたいなかけあいをしたまではよかったんだけれど・・・・・・。
「あっ」
「ご、ごめん!」
現実は、やる気だけではどうにもならなかった。
僕たちの学校の大縄跳び大会はクラス対抗でおこなわれる。それぞれ女子班と男子班に分かれた2チームで競技に臨む。二つのチームのミスすることなく跳べた合計数が一番高かったクラスが優勝ということになる。
現在ぼくたちは6の2の男子だけで集まって練習をしている。つまりは現在のメンバーが、そのまま本番のメンバーということになるんだけれど・・・・・・。
「毎回、十回やそこらで終わっちゃうね」
「みんな、本当にごめん・・・・・・」
そう言って、沼田がぺこぺこと頭を下げている。大縄跳びというのは残酷なもので、どれだけ運動神経がいい人間も目立てることはなく、逆に一番運動神経のよくない人間だけが浮彫りになる競技なのだ。そしてこのときの『一番運動神経のよくない人間』というのが、僕たちのクラスでいうところの沼田だった。
「どうする? 沼田に縄を回させようか?」
「いや、回すのは背が高い二人にさせた方がいいだろう。それに、大繩を回すのだって運動神経は必要だ」
みんなで作戦会議を行うも、いいアイディアは出てこなかった。誰も直接的に沼田を攻めることはしなかったけれど、それでも本人は気まずさを抱えているようで、自分の足元を所在なさげに見つめていた。
僕は勉強はできるけれど、運動ごとは得意分野ではない。餅は餅屋だ。運動神経抜群の大翔にアドバイスを求めてみることにした。
「大翔は、なにかアイデアはない?」
「んー。そうだな。俺が思うに、沼田は毎回全力でジャンプしすぎだな。そのせいで、初めのうちはなんとかなってても、毎回体力が減ってくる十回やそこらでまともに跳べなくなってきちまうんだ」
「そうかも・・・・・・俺って昔から体力がなくて」
しょんぼりとうなだれる沼田は、その表情にすでに疲労感を滲ませていた。
「じゃあ次は最小限の高さで、効率よく跳ぶことを意識してやってみようか」
「う、うん。やってみる」
大縄跳びはその構造上、中央で跳ぶ人間が一番楽をできる。縄が最も低く回るのが中央だからだ。逆に回し手に近い両端は最も飛ぶのが難しくなる。そのため僕たちのチームでは中央に沼田を配置して、逆に大翔をはじめとした運動の得意な生徒は端の方で跳んでいた。このことは6年生でなくても、だれでも知っている大縄跳びのセオリーだった。
列を組んでから、回し手の二人が反動をうまくつけてから大繩を回し始める。ベージュ色の縄が僕たちの足元を通過するタイミングで、みんなで声を合わせて数を数えていく。
「・・・・・・さーんっ・・・・・・しーぃー・・・・・・ごぉー・・・・・・ろぉ、あっ」
「ご、ごめん!」
何度やっても結果は変わらなかった。大翔の提案してくれた通りに沼田には跳んでもらったが、むしろ記録は縮んでしまうのだった。
「大翔、なにか分かる?」
「うーん・・・・・・おそらくだけど」
「おそらくだけど?」
「・・・・・・沼田は、縄跳びがヘタだな!」
ずごっと、クラスのみんながこける。「そんなの分かってたよ!」と大翔がみんなから突っ込みを受けた。一方沼田はというと、自分の運動神経のなさを再確認したのか、半べそをかきはじめる始末だった。
「俺って、昔から運動神経が悪くて・・・・・・」
「うーん、こればっかしは、すぐにどうにかなるものでもないしな」
大翔が腕ぐみをしてうなる。僕もその通りだと思った。
「とりあえず、沼田にははじめの頃みたいに、毎回全力で跳んでもらうしかないね。今から付け焼刃でどうにかするより、そっちの方が下手を打たないだろうし」
「ご、ごめん。せめて俺にもう少し体力があれば、もっと跳び続けられたんだろうけど・・・・・・」
沼田は背も小さく身体の線も細いから、ジャンプするのに体力はあまり使わないだろうに、それ以上に基礎体力が少ないらしい。不甲斐なさそうに歯噛みしている。
そんな沼田の姿を見て、大翔がとぼけたことを言った。
「俺の体力を分けて上げられればいいんだけどなあ。こっちは大繩なんて一生跳んでられるっつーのに」
「たしかに大翔って、体力オバケだよね」と、他の生徒も頷く。
・・・・・・。
小さいころからそこらを常に走り回っていた大翔は体つきもガッシリとしていて、はた目から見たら中学生のようにすら見えるだろう。それでいてスタミナも多いけれど・・・・・・にしても体力オバケというのは・・・・・・。
このままでは下手するとオバケそのものになっちゃうんだぞ!
一生跳んでいられるどころか、その一生が今日で終えるかもしれないんだぞ!
とはもちろん言えなかった。
・・・・・・ん?
ところで、大翔の言葉の端になにかがひっかるのを感じた。それを確かめるべくたずねた。
「大翔、お前さっきなんて言った?」
「え? 大繩なんて一生跳べるぜって」
「違う。その前」
「その前? えーと――」
キーンコーンカーンと、チャイムが鳴り響く。あと五分で朝の会が始まってしまう。僕たちは急いで昇降口に向かった。
もしかしたら、アレをやれば上手くいくかもしれない・・・・・・。しかし失敗する可能性もあるし・・・・・・。
頭の中で組みあがりつつある構想を検討しながら階段を上っていく。僕たちの教室は校舎の三階にあった。階段を上りきり教室に入る手前で、となりのクラスとの境目に、見知った顔が並んでいた。
「あれは九条か? 隣にいるのは木下だよな」
僕のクラスメイトである九条と木下が、違うクラスの女子生徒たちと何かを話しているようだった。何を話しているかまではこの距離からでは分からなかったけど、彼女たちがそれぞれ友達同士ではないことはすぐに分かった。
九条たちとの距離が縮むにつれて、徐々に彼女たちのやり取りが耳に聴こえてきた。
「だから、スマホがどうとか、そんなのは関係ないって言ってんじゃん」
「ふうん。じゃあ今日の大会は見ものね」
「そっちこそ、負けたときの言い訳でも考えておけば?」
「大丈夫。どうせ負けないから」
「どうだか」
・・・・・・口喧嘩をしていた。
「あ、橋本くん」
近づいた僕と目が合うと、木下がそっと九条の服の袖を引いた。教室に戻ろうと促しているようだった。九条をそれをしばらく無視したのちに、隣のクラスの女子を鋭く睨みつけてから、教室に入っていった。その足取りはいつにもまして不機嫌そうだった。
・・・・・・。
こっわ。
■
大縄跳び大会は時間割でいうと五時間目に行われる。本来ならば学活に使われている時間だ。そのため給食後の昼休みが、僕たちに与えられた最後の練習時間ということになる。
「直前にバテちまってもしかたないし、昼休みは各自ウォーミングアップな」
という大翔の提案に僕たちは従うことになった。幼馴染の僕だから分かったが、大翔のそれは体力に自信のない沼田をおもんばかっての発言に違いなかった。
というわけで、すでに校庭に出たり、いつも通り教室で遊んでいたりと、みな昼休みは自由に過ごしている様子だった。
一方僕はというと。
「うぅ・・・・・・」
猛烈に緊張していた。
誰とも顔を合わせたくなくて、体育館の裏にひとりでしゃがみこんでいた。目を瞑りながら今日のこれまでを回想する。
三時間目の社会の小テストでは予定通りに埼玉県が登場した。(それも初っ端、一問目だった)
給食にはやっぱりカレーライスが出てきた。カレーは僕の大好物ではあったけれど、今日は人生で初めて、給食にカレーが出たのに嬉しいとは思えない日だった。
つまり、すべてが【ラプラス】の投稿通りに事が進んでいたということだ。このまま【6-2は縄跳び大会で一位になれないだね】の予言を崩せないとなると・・・・・・。
「いけない、弱気になっちゃダメだ」
頭をぶんぶんと振ってマイナス思考を追い払う。もうここまできたらやるしかないんだ。だって、やらないと大翔が・・・・・・。
「橋本くん、こんなところにいた」
瞑想(?)に集中しすぎて、そばまで人が近づいてきていることに気が付かなかった。名前を呼ばれて顔を向けると、木下がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。ボブカットを揺らす木下が「やっほ」と手をあげた。
「今朝はいやなものを見せちゃったね」
今朝、と言われて記憶を思い返す。
ああ、そういえば。
「なんか、隣のクラスの子と話してたね・・・・・・九条が・・・・・・とても元気そうに」
「元気そうって。そんな無理してフォローしなくていいよ」
言って、木下が僕の隣に腰をおろした。
「そのこと、一応説明しておこうかなって」
「べつに説明なんて――」
九条たち女子が、隣のクラスの女子と何を揉めていたのかなんて興味はなかった。それどころか、女子同士のどろどろとした話を聞かされるのではという恐怖感しかなかった。
しかしそれでも今は、誰かと話でもしていたほうが気がまぎれるような気がした。僕が口を閉ざすと、それを肯定と受け取ったのか、木下が小さく頷いた。
「エミがね、廊下とかトイレとかで隣のクラスの子から嫌味を言われるんだって」
エミというのは九条の下の名前だ。木下は続ける。
「6の2の人たちはスマホ脳だとか、もやしっ子だとか」
「スマホ脳?」
「うん。ほら、他のクラスの人は配られてないでしょ、コレ」
言って、木下がポケットから取り出したのは、僕たちのクラスの人間だったら当たり前のように持っている――スマートフォンだった。水色のイルカのストラップがじゃらりと音を立てて揺れた。
僕たち6の2はこの春、文部科学省からデジタルネイティブ保護プログラムの実験モニターに選ばれた。スマホを子どもたちに持たせて、その使用データなどから、SNSにおける小中学生間のトラブルを減らす取り組みなどを考えていくのが目的・・・・・・なんだっけ?
もう僕の中では完全に、【人工知能による短期的未来観測の研究】――つまりは未来予測AI【ラプラス】――のための実験というイメージしかなかった。そういえば表向きには、もっともらしい名目があるんだった。
「実験だからさ、スマホを持っている人のデータと、スマホを持っていない人のデータを比較対照する必要があるんだっけ」
続いた木下の言葉を聞いて、僕はようやく合点がいった。
「たしかに、隣のクラスの人たちからしたら面白くないかもね。僕たち6の2にだけスマホを貸し与えられるんじゃ」
「うん。私たちだって、急に授業や宿題がスマホになって苦労してる面もあるっていうのに、そういうのって外からしたら分からないから」
木下の言う通り、これまでの五年間の勉強を紙やペンに頼っていた僕たちが、急にスマートフォンで勉強しろと言われても、その環境の変化には必ずしも喜べるばかりではなかった。コンピュータが得意な生徒なら特段困りはしないのだろうけれど、逆に機械が苦手な生徒は操作に慣れるまで随分と苦労していた。
飯島先生なんか、スマホでの授業に慣れなさすぎて、こっそり紙の教科書使ってたレベルだし・・・・・・。
「エミも負けず嫌いだからさ、このまえ嫌味を言ってくる子にタンカ切っちゃったんだよね『それならそんなスマホ脳のもやしっ子相手に、大縄大会で負けたらあんたらは何なの』って」
「あはは。九条ならそう言いそうだね」
日頃、よく九条から目の敵にされることの多い僕には、そのセリフを言う九条の姿がありありと思い浮かんだ。なるほど。そういう事情があったから、今朝はあんなにもピリついたやりとりをしていたのか。
そういえば前に、学活の授業でドッジボールをするか大縄跳びをするかで、大翔と九条が揉めていたっけ。そんな事情が裏にあったというのなら納得もいくな。
それはそうとして、
「どうしてそんな事情を、わざわざ僕に?」
「決まってるじゃん。エミのためにも男子たちには頑張ってよって、それを言いたかったの」
「荷が重いね。勉強ならともかく、今回は運動だし。そういうのは僕じゃなくて大翔とかに言ったほうがいいよ」
謙遜でもなんでもなく、これは僕の本音だった。僕は男子のリーダー的存在ではないのだ。しかし木下はどうしてか、僕のこの発言を不思議がった。
「そうかな? 橋本くんが一番周りの事をよく見てるよ」
「木下は僕のことを買いかぶりすぎだよ」
「私じゃないよ」
「え?」
「私じゃなくて、エミが言ってたの。『橋本は凄いよ』って」
「く、九条が?」
さっき、九条が隣のクラスの子にタンカを切る姿はたやすく想像できた僕ではあったけれど、彼女が僕のことを褒める姿というのは、どうしたって思い浮かべられなかった。
「橋本くん憶えてるかな? まえにエミが一日だけ休んだ日あったでしょ? あの日のお昼休みにエミからラインがあってさ。私、メダカのエサやりを頼まれてたんだよね」
「あー、あったっけ。そんなことも」
たしか【ラプラス】の予知が、メダカがお腹を空かせてるという内容だった日だ。僕がエサやり当番である九条の代わりに、メダカにエサをあげたのだ。そのあとに、体育の授業が予知にあったドッジボールではなくサッカーへと変わったものだから、そのことはよく憶えていた。
「本当ならエミの友達である私が、頼まれなくたって代わってあげなくちゃいけなかったのにね。私はエミがエサやり当番だってこと忘れちゃってたんだ。だからあの日のお昼休みに、遅ればせながら私がメダカにエサをあげようとしたら――沼田くんから『賢人くんがすでにエサをあげてたよ』って聞いたときは驚いちゃった」
そういえばあの日の昼休み、木下から話しかけられてたんだっけ。あの頃は僕もまだ【ラプラス】の扱いに慣れていなかったから、ふいに木下から話しかけられて、とても動揺をした気がする。
あれ・・・・・・?
それにしても結局、どうして沼田なんかが僕がメダカにエサをあげたことを知っていたんだろう? 大して人の目につくような目立つ行動でもなかっただろうに。
あの日僕の頭をもたげた疑問がまた再浮上してきたけれど、その思考は木下の「それに、あのときの橋本くんのことば!」という大きな声でほどかれてしまった。
「あれ、僕はなんていったんだっけ?」
「やだもう、照れなくたっていいのに。橋本くんってばあの日、『九条がエサを毎日あげてたのは知ってたから』って当たり前のことのように言うんだもん。そのことを次の日登校してきたエミに伝えてあげたときのあの嬉しそうな顔! 橋本くんにも見せてあげたかったなあ」
「・・・・・・」
僕が【ラプラス】のことを隠そうとして放った言葉だとはもちろん言えなかったので、僕は木下の続きの話を黙って耳を傾けるしかなかった。
「それからも橋本くんってば大活躍だったよね。学活でドッジボールをするか大繩をするかで揉めてた問題をさっと解決して、最終的にはどっちとも採用しちゃったり」
「あれは、みんなが賛成してくれたからってだけで・・・・・・」
「あと昨日だって。授業中に急に手上げだしたり。そんなこと、今まで他に誰もやってる人なんていなかったのに。あれのおかげだと思うけど、今日だってみんなちょっとずつ、他の授業でも手をあげるようになってたよね。エミもすごい関心してた。橋本くんってみんなを変える力があるよねって」
「いや、そんなことはないと思う、けど」
「今朝だって、橋本くん主導で男子集めて朝練してたって聞いたよ。青春だね~」
「いや、それには事情があってだね・・・・・・」
木下に僕のこれまでの所業を列挙されると、照れくささよりも後ろめたさの方が勝った。僕はただ【ラプラス】の予言を見ていたからであって・・・・・・。
しかしそう思うと同時に、別の考えが浮かんでくる。
僕が【ラプラス】の予言を見て、それによって行動をする度に――誰かにとって得となるような結果が生まれているんじゃ・・・・・・?
災い転じて福と為すというやつだろうか? 思い返してみると、【ラプラス】の投稿のそのほとんどはヘンテコな予言ばかりだけれど、一方その一部には隠された共通点があるような気がしてくる。今度、これまでの【ラプラス】の投稿を見直してみようかな。もしかすると、【ラプラス】は僕が思っているような存在ではないのかもしれない。
「だからさ、そんな風に影響力のある橋本くんになら、今回の大縄大会でもすごいことができちゃうんじゃないかなって思ってるんだよね」
「マドカ!」
僕に向けてほほ笑む木下の背後から、鋭い声が発せられた。声のした方向に目を向けると、息を荒げながらこちらに歩いてくる九条の姿があった。木下は名前を呼ばれると、小さく舌を出して笑った。
「あり、見つかっちゃった」
「もう本番はじまるんだから、そんなところでサボってないで・・・・・・って、どうして橋本もいるのよ」
僕の姿を見つけるなり、九条が苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべた。それは僕の見慣れたいつもの九条だった。木下は随分と九条が僕のことを評価しているようなことを言っていたけど、それもどうやら方便だということが分かってしまう。
しかしそんな不機嫌そうな九条を相手にしても、さすがはその友達か、木下はマイペースに九条の肩を叩いていた。
「そんな憎まれ口きいちゃって。ほら、今が橋本くんを応援するチャンスじゃないの? ほら、ほらほら」
「ちょっと・・・・・・バカ、いいって。ほんと、そんなんじゃないんだから。こんなやつに応援なんて、マドカ、もう・・・・・・」
やがて観念したのか、九条は自らの腕をがっしりと抱く友人と、それから向かいに立つ僕とを交互に何度か見たのちに、あーともうーともつかない小さな声を発した。
「その・・・・・・まあ、なに。橋本も・・・・・・頑張りなよ」
言って、九条は顔を真っ赤にしながら校庭の方へと去っていく。それを追いかけるように、木下もニコニコとした顔を浮かべて走っていった。
「なんだったんだ一体・・・・・・」
しばらく茫然と立ち尽くしてしまった。しかし、世にも奇妙な珍しい九条の態度を見られたからだろうか、気づけばさっきまで抱えていたような緊張感はなくなっていて、ただ「頑張ろう」とだけ思えた。
■
今年の大縄跳び大会では、全クラス女子チームから先に跳ぶことになっていた。僕の練っている腹案では、僕たち男子チームの記録を伸ばすことはできるかもしれなかったけれど、逆を言えば女子チームの記録に関しては良くも悪くも関与することができない。もしも女子チームの跳んだ回数が、すでに取り返しのつかないくらい他のクラスと差を付けられてしまったら、大翔は今日トラックに――そう考えると、背筋を冷たいものが走った
僕の隣に座って、女子チームの大縄跳びを観ている大翔の顔をのぞき見た。勿論僕だって大翔の命を救うために最善を尽くすつもりではあるけれど、それでもどうにもならないっていうこともありえるのだ。もしそうなった場合、元気な親友の姿も今日で見納めになるかもしれないのか・・・・・・。
「大翔・・・・・・長生きできるといいね」
「はあ? 賢人お前いきなりどうしたんだよ?」
「え、あ、いやなんでもない。こっちの話」
「いや何があったらそっちの話で俺の寿命の話になるんだよ! って今はそんなふざけてる場合じゃねえんだ。ほら見てみろよ。まだ跳べてるチーム、うちと6の1だけだぜ」
大翔にぐいと頭を掴まれて、無理矢理に視界を定められる。そこでは大翔の言う通り、二つのチームだけが未だに大縄を跳んでいて、その一方は僕たちのクラスだった。
「にーじゅいち! にーじゅにー! にーじゅさあん!」
普段はいがみ合っている僕たち男子と女子だったけれど、今は同じチームで記録を共有しているからだろうか、気づけば跳んでいる女子たちだけでなく、見学をしていた男子も一緒になって跳んだ回数を数えていた。それは日頃反発しあっている僕たちにとっては不思議な光景ではあったけれど、見ていて悪い気はしなかった。
結果として、先に記録が途絶えてしまったのは6の1の方だった。そしてそれを見て気が緩んでしまったのか、九条たちは一回だけ多く跳べはしたものの、すぐに何人かの足に縄が引っかかってしまっていた。
それでも、一位には違いなかった。
「賢人」
「ああ」
大翔と目を合わせて、同時に頷く。お互い考えていることは同じだった。他の男子とも目配せをする。全員が闘志に燃えた目つきをしているのが分かった。
疲労をあらわにしつつも、どこか達成感に包まれている様子の女子チームに近づく。そこにいた一人に声をかけた。
「おつかれさま。一位取っちゃうなんて、すごいね」
「・・・・・・まあ、ただ実力通りの結果が出ただけでしょ」
僕のねぎらいの言葉にも、九条はいつも通りつっけんどんな反応だった。べつに何を期待していたというわけではないんだけど。
それからすぐに「賢人!」と大翔たちから呼ばれたので、僕はそちらに向かうことにした。そんな僕の背中に小さな声がかけられた。
「足引っ張ったら承知しないから」
無論だった。
■
『先生が笛を吹いたら始めてください』
メガホン越しに審判を務める先生の声が聴こえる。僕たちのクラスはみな緊張の面持ちをしていた。しかしそれでも、心臓に毛の生えた人間とはいるもので、僕はそいつに向かって最後の確認をした。
「大翔、それじゃあ昼休みに相談した通りに頼むよ」
「おう。それにしても賢人、よくもまあこんなとんでもない作戦を思いつくよな」
「大翔のために、必死で考えたんだ」
よく言うよ、と大翔が笑った。それからすぐに、僕たちは先生の案内に従って列を組む。
やがて、僕たちの隊列を見てのものだろう。隣のクラスからあざけ笑う声が聞こえた。
「おいあれ見てみろよ。大翔があそこにいるぜ」
「なんだあれ。6の2のやつらってば、何も知らないんだな」
「せっかく女子が一位だったのに、可哀そー」
「優勝はもらいだな」
僕たちの耳にわざと届くように、声をひそめずに話しているようだった。そのことに腹立ちはしたものの、しかし彼らの指摘もごもっともだった。
僕の立てた作戦というのは、クラスで一番の運動ポテンシャルを持つ大翔を――あえて列の中央に配置するというものなのだから。
つまりは、運動の苦手なひとを列の中央に配置して得意なひとを列の端に配置する、というセオリーを完全に無視した陣形となる。これは非難されても文句は言えないだろう。実をいうと、立案者でもある僕としてもこの作戦が上手くいくかどうかは、ある種の賭けだとは思っている。
お願いします。上手くいきますように。
どうか【ラプラス】の予言を、僕たちが崩せますように。
ピー。
甲高いホイッスルの音が校庭に響き渡る。
「せーのっ!」
僕たち6の2男子チームが、息を合わせて一つ目の縄を跳んだ。
■
僕たちのチームが他のクラスに勝てるかどうかは、沼田にかかっている。
こう言うと、まるで沼田がチームのエースでもあるかのような文章にはなるけれど、むしろその逆で、失礼を承知でいうのならむしろ沼田はジョーカーのような存在だった。なんといっても、沼田が跳び続けられた数=僕たちの記録となるのだから。
実を言うと、沼田を大縄跳びに参加させないというプランも一度検討はしていた。けれどその案はすぐに外した。【ラプラス】の予言を崩すには『6の2が大縄大会で一位を取る』必要があるのだから。
沼田だって、立派な僕たち6の2の一員なのだ。
しかしとはいえ、沼田にヘマをされては元も子もなくなってしまう。そこで僕は二つの作戦を立てた。
そのうちの一つは『沼田にはすべてのジャンプを全力でしてもらう』というものだった。今朝の練習で色々なやり方を試してみたが、縄跳びの苦手な沼田が器用に小さく跳ぼうとすると、かえって不自然な身体の動きになってしまい、すぐに縄に引っかかってしまった。逆に苦手なら苦手なりに、毎回全力でジャンプしていれば(沼田の体力が底を突くまでまでは)安定して跳ぶことができるのだった。
「じゅーご! じゅーろぉく!」
それに、女子たちの頑張りを見てやる気を燃やしているからか、沼田は練習の時よりも長く跳び続けられていた。これなら上手くいけるかもしれない。
辺りを見渡す。すでに下級生たちは競技をやめていて、残っているのは僕たち含めて上級生だけだった。目下優勝候補は女子たちが一位を取った僕たち6の2か、隣で余裕綽綽と跳躍を続けている6の1だった。その跳び様を、僕とは大翔は横目で観察していた。
「さすがに、優勝はもらいだと言うだけのことはあるな・・・・・・向こうのチームはみんな息がそろっているぜ」
「だな・・・・・・」
一方僕たちのチームはといえば、みんな上手く跳べてはいた――ひとりを除いて。
「ごめっ・・・・・・みんなっ、ぼく、もう限界・・・・・・!」
もうすでに何回か前の跳躍で、自分の限界を越えていたのだろう。練習よりも倍以上の数を跳んでみせた僕たちのジョーカー・沼田ではあったけれど、息も絶え絶えですでに数字を数えることもできないほどに余裕を無くしていた。すると、隣のクラスからそんな沼田を小ばかにしたような声が聞こえてきた。
「へへっ、見てみろよあれ」
「うわ、もうゲームオーバーじゃん」
「あと数回跳んだら俺たちの優勝じゃね?」
確かに今回の大縄跳び大会は、彼らの言う通りの状況になっていた。いまだに縄跳びを続けられているのは、僕たちと彼ら6の1の2チームだけだった。僕たちは九条や木下の頑張りのかいあって1回ほど多く数をリードしてはいるものの、それくらいの点差はすぐに逆転されてしまいそうなほどに、両チームの実力には差があった。
「あぶないっ!」
鋭い声が脇から聴こえてきた。声のした方に視線を走らせると、九条が心配そうな顔で僕たちを見つめていた。普段は強情を崩さない九条が、今では泣きそうな顔を浮かべていた。
それもそのはずだ。
「ご、ごめんみんな・・・・・・!」
今まさに、沼田が足をもつれさせてバランスを崩してしまったのだから。
このままいけば、足どころか、顔や首に大繩が引っかかってしまいそうなくらいに大きな転倒だった――でも、
でも大丈夫だ。
僕は目の前の親友に合図を送った。
「大翔! いまだっ!」
「おうよ!」
あと一瞬のうちに、これから地面へと身体を打ち付けようかという沼田のか細い身体が、そのときふわりと浮遊する――大翔が沼田の身体を持ち上げたのだ。
沼田を抱え込みつつ、大翔は腕の中にいる沼田に労いの言葉をおくる。
「よくここまで持ちこたえてくれたな」
「・・・・・・福田くん」
よかった、怪我しないで済んだみたい――クラスの女子の誰かから、そんな声が聞こえた。まるで不幸中の幸いを喜ぶような口ぶりだった。沼田の身を案じてくれた心の優しいその誰かは、大翔が転びそうになった沼田を助けてくれた『だけ』だと誤解しているのだろう。
勘違いしてはいけない。
あくまでも僕たちは――『大繩跳び』をしているのだ。
「なにあれ!」
「どういうこと!?」
見学していた生徒たちから、驚きの声がいっせいに上がった。この作戦を提案しておいてなんだが、僕としても目の前で繰り広げられている出来事には目を見張るばかりだった。
「ふぅん!」
そう。
「おぅらぁ!」
これこそが。
「どうだ!」
僕たちの用意した作戦のもう一つ。
「――あの人、前の友達を持ち上げながら縄を跳んでいるわ!」
そう。
『体力の限界を迎えた沼田を抱えた大翔が、沼田を持ち上げたまま縄跳びを続行する』という作戦だ。
いくら中学生かと見まがうほどに体格の優れた大翔であっても、
いくら小柄で華奢な沼田を相手とはいえ、
小学生が小学生を担いだまま縄跳びをできるのかどうかは賭けだった。事前に練習をしようかとも思ったけれど、この作戦が控えていると分かってしまうと、沼田が変に緊張をしてしまう恐れがあったので、大翔には一発本番で臨んでもらったのだ。
しかしそれも上手くいった!
後はもう、沼田を持ち上げながら跳び続ける大翔の限界が来るのが先か、相手チームの限界が来るのが先かの意地比べとなった。僕はお腹から声を出して、大翔をはげました。
「たのむ大翔! 死ぬ気で頑張ってくれ!」
「おうよ! 死ぬ気で頑張るぜ!」
負けたら本当に死ぬんだからな! と言ってやりたかったが、そんなことを言う暇はなかった。
「キャー!」
そのとき見学席から、黄色い悲鳴が発せられた。
「うそ! やった! やったー!」
声のした方に目を向ける。どこかで聴いた覚えのある声だと思ったら、九条と木下が抱き合っていた。九条もあんな可愛らしい声を出せるんだな・・・・・・と感心すると同時に、どうして彼女たちがあんなにも喜んでいるのかが分かった。
僕たちと優勝争いをしていた6の1が、すでに縄跳びを終えていたのだ! 驚いた表情をした6の2の生徒たちの足に、ベージュ色の縄が引っかかっている。
「あんなの見させられたら集中も途切れるわ・・・・・・」
言い訳の声が聞こえるが、そんな恨みがましい言葉も今では清々しく聞いてられた。
こうして無事に僕は――いや。
僕たち6の2は――【ラプラス】の予言に打ち勝つことができたのだった。
■
その日の放課後は、クラスのみんなで打ち上げに行くことになった。
それも驚くべきことに、男女合同で、である。
いや、もう驚くようなことではないのかもしれない。あのとき、大繩跳び大会で僕たち6の2の優勝が決定した瞬間、たしかに僕たちクラス一同は一丸となって、優勝の喜びを分かち合えていた。そこに男子がどうとか、女子がどうとか――そんな『おきまり』は存在していなかった。
みんなで和気あいあいと教室を出て下駄箱へと向かう。今までは似たような色で固まっていたランドセルたちも、今日は黒や青だけでなく、そこに赤やピンク、ブラウンの色も混ざっていて、とても綺麗だった。
木下の楽しそうな声が聞こえた。
「あのときの福田くん、格好良かったな。まさかあんな大胆な作戦に出るだなんて」
「そ、そうかな? まあ、木下たちの頑張ってる姿を見て、勇気をもらってたからかな?」
女の子との慣れない会話に鼻の下を伸ばしている親友を見るのは複雑な心境だったけれど、それもまた新鮮に感じられて面白かった。なんといったってちょっと前まで、僕は大翔がトラックに轢かれてしまうことを真剣に恐れていたのだし。
「・・・・・・おや」
僕たち6の2の集団から、ポツンと独りだけ離れ小島のようにして浮いている存在を見つける。僕は近づいてから、彼とがっしりと肩を組んだ。
「沼田も、これから打ち合わせ行くでしょ?」
「え! あ、いや、その、それなんだけど」
「どうかした?」
「いや、それが・・・・・・ごめん、どうしても今日は外せない用事があって。あ、でも、遅れるかもしれないけど、間に合いそうだったらちゃんと顔出すから!」
「そうなんだ。ほかに用事があるなら仕方ないとは思うけど・・・・・・うん、まあ来れたら来てよ」
前にもこんなやり取りをしたな、と思いつつ沼田から距離を取る。沼田は変わらず愛想笑いのような、苦笑いのような微妙な笑みを称えていた。
怪しいな。
どうしてかその思いが消えず、僕は沼田から距離を取りつつ、こっそりと尾行をすることにした。クラスのみんなが一階にある下駄箱を目指すなか、沼田はその輪からおもむろに離れると、みんなとは反対方向に歩みを進めだした。
「そっちは確か・・・・・・」
沼田が行く方向を、階段の陰から見つめる。彼がそこに用を持っているとは思えなかった。なぜなら、その方向にあるのは――。
「橋本くん」
「おわっ!」
ぐいとシャツを後ろから引っ張られて、思わずつんのめりそうになる上体を、ふんばってとどまらせる。縄跳びによる疲れが溜まっていたからか、ふくらはぎがつりそうになった。
一体誰だ! こんな乱暴な引きとめ方をするのは、と思い振り返ると、そこには木下が立っていた。本日三度目の遭遇だった。
「やっほ」
「なんだ木下か。こんなところでどうしたの?」
「それはこっちのセリフだよ。昇降口であたり見渡しても、どこにも橋本くんの姿が見つからないんだもん。探しちゃったじゃん」
「僕になにか用だった?」
僕と木下の間でなにか約束していたことでもあったかと思いを巡らせてみるが、これといって浮かばなかった。首をかしげている僕に、木下が微笑む。それは不敵な笑みだった。
「私じゃなくて、こっちがね。ほら、いいかげん観念しなって」
「ちょっと。そんな急には、ねえマドカ、聞いてる? ねえ、ねえってば」
階段の陰から、木下に引きずり出されるようにして登場したのは、我がクラスの女王・九条だった。しかし、僕の目の前に半ば無理やり立たされた彼女の、落ち着きを失ったその姿はとても女王のようには見えなかった。
「じゃ、私は先向かってるから」
言うが早いか、木下は颯爽とその場を後にした。
「ちょっとマドカ!」
「・・・・・・」
残されたのは僕と、髪をくるくると指に巻きながら、やたらともじもじしている九条だけとなった。こっちから要件をたずねたほうがいいのかな? と僕が口を開きかけたタイミングで、ちょうど向こうから「あのさ」と会話を始めてくれた。
「最近の橋本って・・・・・・いいかんじだよね」
「そ、そう?」
いいかんじ?
「うん。前まではなんか、ガキな男子のくせに達観してて、ヤなかんじだったけど、最近はなんか、すごい頑張ってる感じがする。使命に燃えてるっていうか」
「使命」
「あ、ごめん・・・・・・へんな言い方しちゃったかも。やっぱ気にしないで」
「いや、まあそれはいいんだけど」
それはいいんだけど、なんだろうか。先ほどから九条から発せられている、このむず痒い雰囲気は・・・・・・。
どうしてか理由は分からないけれど、緊張を覚えてしまっている僕に、九条は話を続けた。
「それから、ずっと言わなきゃ言わなきゃって思ってたんだけど。まえにあたしが学校休んだ日、メダカにエサをあげてくれてたんでしょ? その・・・・・・あれ、すごいうれしかった」
「いや、まあ・・・・・・うん。どういたしまして」
僕がエサをあげたのは、あくまでも水槽の中を泳ぐメダカにだったはずだけれど、そんなメダカではなく人間である九条が、それを嬉しく感じているというのは不思議な話だった。
「あたしさ、ずっとこのクラスが好きじゃなかったんだよね」
いつもの九条の印象からはかけ離れた、優しげなその声音に顔を上げると、九条はどこか遠くの方を見つめていた。
「男子たちは子どもっぽくて、あたしたち女子もそのことを妙に意識してて、それで喧嘩ばっかりしてて・・・・・・。授業中も雰囲気サイアクでさ。だれも手上げないし、担任の飯島先生はミスばっかで舐められてるし」
「ひどい言い草だね」
「でも事実だったじゃん」
もちろんその通りだった。否定できず僕が眉をひそめると、九条はそんな僕をからかうようにしてはにかんだ。
九条は、僕たちのクラスの『おきまり』について言っているのだろう。確かに見えない決まりごとが僕たちのクラスにはあって、そのことをだれもが窮屈に感じていたのだ。授業中に挙手をすることや、男子と女子が仲良く歩くようになってから、クラスのみんなの笑顔には、のびのびとした解放感が見られるようになっていた。
九条が目を細めて、僕を見た。
「でも、それもこれもみんな、橋本がやっつけちゃったよね。学活の時間にも女子の味方して縄跳びさせてくれたり。授業中も急に手上げたりとかしちゃって。それに今日の大縄跳び大会でもそう。あの福田の作戦も橋本が考えたんでしょ?」
「それは、そうなんだけど、でもあれは」
「――凄いよ。橋本は凄い。橋本のおかげで、あたしこのクラスのことこんなに好きになっちゃったもん」
言って、九条が満面の笑みを浮かべる。まるで花が咲いたかのような、素敵な笑顔だった。ふと、今日一日で九条の色々な表情を目にしているなと思った。
とはいえ、僕は自分に向けられたその笑顔を、素直に受け止めることはできなかった。僕はただ、とんでもない未来を予言してくる人口知能に振り回されていただけなのだ。その結果クラスの雰囲気が良くなったとしても、それは僕の手柄というわけにはいかないだろう。
というか、もしも僕の推測が正しければ――【ラプラス】は未来を予測なんてしてはいないし、それどころかそもそも人口知能でもなんでもない可能性すらあるんだよな。
「そっ、それでなんだけどさ」
ハッと、九条はなにかを思い出したかのようにして神妙な顔つきをしたかと思うと、目をあっちに向けたりこっちに向けたりしだした。やがて意を決したかのように、背筋をしゃんと伸ばして僕の顔を正面から見つめてきた。
「その、さ」
やがて、おずおずと顔の前に持ち上げられた九条の両手には、スマホが握られていた。
「橋本と・・・・・・その、もっと仲良くなりたいからさ・・・・・・も、もちろん、そっちがよかったらでいいんだけど、連絡先・・・・・・教えてくれないかな?」
もじもじとする九条のしおらしい態度とその発言を受けて唖然とする僕に、九条は続けてお願い事を重ねた。
「そっ、それからさ・・・・・・これからは賢人って、呼んでもいい?」
言って、恥じらうような表情を浮かべる九条の顔は、もみじのように真っ赤で、その大きな瞳は大きく揺れていた。
・・・・・・あれ?
九条って、こんなに可愛かったっけ?