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ラプラスは悪魔  作者: 衣
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ラプラスは悪魔 4話 予知にお手あげ。

【4話 予知にお手あげ。】


 声に出して読んでみる。

「くもり。授業で、だれも手を上げん、なにも答えん。敷地にネコちゃんが入ったよ。花壇の青い花が全て枯れそうだ・・・・・・給食に悪い食材が使われるね・・・・・・あくびをするダルマ。風が強まる・・・・・・」

 その続きは、口にしたくなかった。

 口に出すと、本当のことになってしまうような気がした。

「これ、本当に起きるん、だよな」

 口の中が急激に乾いて言葉がつっかえる。何度も、何度も目を皿のようにして読み直すが、やはりどうしたって未来予知AIの投稿の意味は変わりそうもなかった。

 このままいくと明日――僕のクラスの半分近くが病院送りになる。

 そのことを知っているのは、当然僕だけ。


 ■


 朝ご飯はいつも通りのメニューだったけれど、いつもと違ってまともに喉を通らなかった。そんな僕の異変に気が付いたのか、お母さんは落ち着かなそうにしていた。

「賢人どうしたの? 味へんだったかしら?」

 心配をかけまいと、僕は「口内炎が痛くて」と頬をさすってから、牛乳だけを飲み干して家を飛び出した。

 クラスのみんなが病院送りになる未来を回避する方法は、ひとつしか思いつかなかった。【ラプラス】のほかの予言を崩せばいいのだ。その有効性はすでに何度も実証してきている。

 あの日メダカにエサをやったことで、体育の授業はドッジボールではなくサッカーになった。

 あの日給食の牛乳のあまりを減らしたことで、教室に犬が入ることはなかった。

 それならば今回の場合はどうすれば――登校班の先頭を歩きながら、僕は頭をひねる。今日の【ラプラス】の予知内容は確か・・・・・・。

「天気は・・・・・・」

 呟いて、空を見上げる。そこに青色はなく、全体を灰色が覆っていた。けれどそこに黒々しさは見られず、ぱっと見たところで雨雲はなさそうだった。朝テレビでやっていた天気予報でも、今日は一日くもりになると報じられていた。

「授業で誰も手をあげない・・・・・・」

 そんなことはいつものことだ。授業中に手をあげる人なんてうちのクラスにはひとりもいない。

「敷地にねこが・・・・・・」

 入るかどうかなんて、僕にはわからない。わかったところでコントロールはできないだろう。

 猫除けとして水の入ったペットボトルを学校の周りに配置すればあるいは・・・・・・いや、そんな数のペットボトルをどこから調達すればいいというのだ。それに水の入ったペットボトルをねこが嫌がるというのは迷信だと、テレビでやっているのを見たことがある。

「花壇の青い花は・・・・・・」

 枯れそう、というのが難しいと思った。咲いてるとか、枯れている、とかならともかく、何をもって枯れそうと呼ぶのかの判断が僕にはできそうもないのだ。しかしもしかしたら、この予言が一番崩しやすいのかもしれない。ひとつでも花壇の青い花を守りきればいいのだから。

「給食に悪い食材が・・・・・・」

 使われるとして、それをどう防げるというのだろうか。給食室に忍び込む? いや無理だ。あそこには鍵がかかっているはずだ。それならわざと料理の入った鍋を溢せばいいのか? ダメだ。どの料理に悪い食材が使われているのかが分からないうえに、そもそもそれでは予言を崩したことにならない。給食に悪い食材が使われるという根本をどうにかしなければ、結局何かがどうにかまわりまわって【ラプラス】の予言は叶ってしまうのだろうから・・・・・・。

「けんとくん、どうかしたの?」

 考えているうち、僕は歩みを止めてしまっていたらしい。後ろを歩く一年生の男の子が、僕のシャツのすそを引っ張っていた。

「ううん。なんでもないよ」

「ほんと?」

「ほんと」

 こんな小さな子ども(僕もたいがい子供だが)にすら心配をかけるほどに、今の自分は落ち着きを失ってしまっていたのかと反省する。ゆっくりと深呼吸をしてから、一年生の男の子の頭を黄色い帽子の上から撫でつけた。男の子は照れ臭そうに目を細めて笑った。

 結局、解決策は一つしか浮かばなかった。校門をくぐってから念のため学校にある花壇をすべて見て回ったけれど、そこに青い花は数えるほどしかなく、そのすべてがすでにしなびていて、葉っぱもどこかしらに虫食いの穴があいていた。これが一日で全て枯れきることはなさそうだったし、逆に元気さを取り戻すということはもちろんあり得ない。

「むむむ・・・・・・」

 ダメもとで、右手を花壇に植わる青い花に向けてみる。手のひらから目には見えない念力のようなものが飛び出して、それが青い花をみるみるうちに元気にさせていく・・・・・・というイメージをしてみる。

「なにしてんの?」

「うわっ!」

 突然、耳元から声が聴こえた。吐息が耳に当たったからか、それとも声の主が女の子だったからかは分からないけれど、僕は飛び上がるようにして相手から距離を取った。それからワンテンポ遅れて、心臓がドキドキとしはじめた。そんな自分の胸元に手をあてながら、相手の姿を確認する。

 ・・・・・・って、

「なんだ、九条か」

「なんだとは何よ。てか橋本ってば、こんなところで何してんの? まさか、お花にイタズラでもしてたんじゃないでしょうね」

「なんだ、苦情か」

「は?」

 僕のとっさのダジャレはお気に召さなかったらしい。腰に手を当てた九条の眉間に、深い皺が刻まれてしまった。

「・・・・・・」

 まさか、クラスのみんなを助けるために花に元気を送っていたなんて、わけのわからないことを言えない僕は、冗談を取りつくろうことにした。

「イタズラなんてしないよ。むしろ逆で、この枯れそうな花が元気になりますようにって、念を送ってたんだよ」

「念って・・・・・・なにそれ。バカじゃないの」

「バカじゃないよ。実はぼくの右手には特殊な力があるんだよね。僕がハンドパワーを送ると、相手にエネルギーを送れるんだ」

 もうここまで言ったなら、冗談を大きくして話を誤魔化そうと思った。僕がわざとらしく九条に向けて掌を向けると、九条が口の端を上げた。

「あんたの右手にそんな力があるわけないじゃん。男子ってほんとガキだよね」

「まあ、信じてくれとはいわないけどさ。それより僕の方こそ聞きたいんだけど。どうして九条がこんなところにいるの?」

 僕が今いるところは校庭と体育館の間にある花壇だった。校門から校舎に入ろうとする際には、だれも通らないような場所なのに、九条がここにいるのは不思議だった。僕が何気なしに尋ねると、九条の頬にわずかに赤みが差した。九条は不機嫌そうに顔をそむけると、髪のはしをくるくると指でもてあそんだ。

「べつに、ぐうぜん橋本の姿が見えただけっていうか・・・・・・」

「ぐうぜん? 校門からはこんなに離れてるのに?」

「なっ、なんでもいいでしょ! てかもう朝の会始まるから、あんたに構ってる暇なんてないから、それじゃ」

 ならどうしてそもそも僕に話しかけたの? という僕の質問を聞く前に、九条はずかずかと大股で離れていってしまう。なんで九条が急に声を荒げたのかが分からなかったが、とりあえず僕も朝の会に遅刻するわけにはいかなかったので、駆け足で九条の背中を追いかけた。

 結局、僕が今日するべきことは一つしかなかった。

 授業中に、挙手をするのだ。


 ■


 僕たちのクラスには、いくつもの見えない『おきまり』が存在する。そのうちの一つに『誰も授業中に手をあげない』というものがある。べつに授業の内容が分からないわけではない。

 授業に積極的に参加するのが・・・・・・恥ずかしいだけなのだ。

 みんなのそういう気持ちは、僕にも良く分かる。僕だってこれまでに一度だって授業中に挙手をしたことはなかった。実際【ラプラス】の予言を崩すためとはいえ、本音を言えば授業中に手なんてあげたくなかった。ではどうすればいいか――答は簡単だ。

 『この問題が分かるひと』と先生が尋ねたタイミングで、授業に集中していない風を装いながら、肩をグルグルと回せばよいのだ!

 するとどうなるか。教室を見渡していた先生はこう思うはずだ。

 あの生徒は授業中なのによそ見をしているぞ。

 それに肩まで回しているし、ここはひとつ痛い目を見てもらおう――『おっ、手をあげていますね。それじゃあこの問題解いてみようか・・・・・・』

 完璧だ!

 このプランでいこう。我ながら巧みな作戦を考えたものだ。こうすれば僕は授業中に手を上げたとみなされるし、そのまま問題にも答えられる。それでいてクラスのみんなからも、授業中に手をあげちゃうようなイタい奴だと思われずに済むのだ。

 ・・・・・・もしかして僕って、かなりの策士?


 ■


 結論から簡単に話すと、残念ながら僕は策士ではなかった。

 その理由も簡単に話すと、僕たちのクラスの『おきまり』の力が、僕の想像以上に強いものだったのだ。けれどそんなことは、僕がもっとしっかりと頭を使っていれば、先を読めた話ではあった。

 誰も授業中に手を挙げないのが決まりきってるクラスがあったとしたら。

 当然どの先生も、授業中に手を挙げさせたりはしないのだ。はなから。

 一時間目の国語も。

 二時間目の体育はもちろん。

 三時間目の理科だって。

 ただの一度も、先生は僕たちに挙手を求めなかった――。

 先生たちは誰も、すでに僕たち6の2の自主性なんかには期待をしてはいなくて、問題を答えさせたければ『この問題は誰々さんが解いてください』というだけで済むのだった。

「楽しい授業のはじまりで~す!」

 高らかに教室に響いたその声を聞いて、僕はハっとする。

 四時間目が始まってしまったのだ。つまり、

「・・・・・・この授業が終わったら――給食が始まる」

「橋本くん。給食が楽しみなのは分かりましたから、きちんと授業に集中してくださいね」

 僕の呟きを教壇に立つ飯島先生が拾った。それを聞いてクラスの皆がクスクスと忍び笑いをする。かっと顔が熱を帯びるのを感じた。

 なにをみんな笑っているんだ・・・・・・・

 このままだとみんな、無事じゃすまないんだぞ!?

 よっぽど叫んでやりたがったが、僕のいま抱えている苦悩をみんなが理解できるはずもない。それに僕は注目を浴びるのが好きな性格でもない。毎日がなにごともなく平穏に過ぎてくれればいいんだ。僕は事なかれ主義なのだから・・・・・・そう自分に言い聞かすことで、冷静さを取り戻していく。

 ここまできたらやるしかないのだ。シンプルに考えろ橋本賢人。

 いまは四時間目。この授業中に僕が挙手をしなければ、それからあとは予定通り給食の時間が始まってしまい、それを食べた皆は病院に・・・・・・。

 絶対にそんな未来を迎えさせてはいけない。

 僕が未来を変えなければいけない!

 そう思いはするのだけれど、それでも、どうしても僕は手を挙げることができなかった。

「分数と分数のわりざんをするときには~」

 カチッと、黒板の横に備えてある丸時計の長針が動く音が聞こえた。あと十五分でこの授業が終了する時刻だった。普段はあれほど長く感じられる学校の授業が、今日はいつにも増して早く進んでいるように感じられた。

 まずい、どうしよう。心臓の鼓動が速まる。わきの下をつっと生ぬるい汗が流れるのが気持ち悪い。手元のスマホに目を落とす。授業の内容は僕にとってはとても簡単なもので、それを解くことなんて何でもないことなのに・・・・・・と、頭を悩ませる僕の視界に、白くて小さい何かがとんできた。

「・・・・・・なんだろう、これ」

 ぼくの机に上に飛んできたそれは、くしゃくしゃに丸められたノートの切れ端だった。広げて中を確かめてみると、ミミズがのたうち回ったような字が書かれていて、読むのに難儀した。そこにはこう書かれていた。

『ちょっと笑われたくらいでそんな思いつめたカオすんなって! 4時間めはちょーハラすくよな!』

 手紙の主の名前は書いていなかったけど、ここに書かれているくせ字と、そこに書かれている内容で、誰から回ってきたものなのかはすぐに見当がついた。僕が顔をそちらに向けると、やはり予想は当たっていたようで、大翔が僕の方を見てニカっと笑った。それから片手を自分のお腹の上にのせて撫でつけた。

 大翔のやつ・・・・・・授業のはじめに先生にいじられたことで、僕がいま悩んでいると思っているのか・・・・・・。

 そんなくだらないことを僕が引きずるわけないだろ!

 と、怒りがわいたけれど、勘違いをしつつも僕のことを心配をしてくれた親友に対して、むず痒い感情が胸中にわくのも確かだった。僕がこの世の終わりのような問題に悩んでいるあいだに、大翔が呑気な勘違いをしているという事実がおかしかった。

 ――そうだよな。

 このままだと大翔だって無事にはすまないんだもんな。やっぱり、僕がなんとかしなきゃいけないんだ。

「飯島先生」

 僕が先生の名前を呼ぶと、それまでテンポよく黒板の上を走っていたチョークがぴたりと動きを止めた。それから教室中の視線が僕の顔に集まって、次にそれらの視線は自然と――僕の頭上にあげられた右手に注がれていた。

「その問題、僕が解いてもいいですか」

「ま、まっ、まぁ~! もちろんいいですよ!」

 飯島先生が両の手を頬に添えて、身体をゆらした。まさか自分の授業中に、自主的に回答を希望する生徒が出るとは夢にも思わなかったのだろう。その声は楽しそうに弾んでいた。

 教材の電子化が進んでいる6の2ではあるけど、いまだに黒板は現役だ。本当は大きなモニターがあればもっと便利なのだろうけど、そこまで学校も予算はかけられないのだと思う。僕は教壇に上がって、先生から手渡された白いチョークを使って問題を解いていく。算数は得意科目だった。

 ――チョークって、こんな書き心地だったんだな。

 みんなの訝し気な視線が背中に集まるのを感じながら、僕はふとそんなことを思っていた。耳を澄ませると「どうして急に」とか「まじめかよ」とかそんなささやき声が聞こえてきたけれど、そんなちっぽけな意見はまったく気にならなかった。

 勉強をするための学校で、みんなの前で問題を解くということの何がいけないというのか、そんな風にすら思ってきていた。というかほんとは、ずっと気付いていたことだったのに、見えないルールを破るのがイヤで、僕は気持ちにフタをしていたのだ。

 授業中には手をあげない、そんな『おきまり』なんてバカバカしいよ。

「正解です!」

 僕の書いた答案に、飯島先生が笑顔でそう言う。その顔に小さくおじぎをしてから席に戻る。着席してすぐに、隣の席からありがたいコメントをいただいた。

「なに、自分は頭いいですアピール?」

 今朝から九条はやたらと僕に突っかかってくるなと思った。今までの僕だったら、ここでは彼女に愛想笑いを浮かべて終わりだっただろう。なぜなら、それが事なかれ主義のやり方だから。

 でも、今はなんとなくそんな気分にならなかった。

 なぜなら僕はクラスの危機を救った、いってしまえばクラスの英雄みたいな存在なのだ。少しくらい憎まれ口を叩いてもいいだろう。

 僕がふっと短く息を吐くと、九条が首を傾げた。

「何がおかしいわけ?」

「いやべつに。僕はアピールなんてしてなくて、ただ問題が解けたから素直に手をあげただけだよ? ああ、そっかそっかごめん・・・・・・九条はあんまり勉強が得意じゃないんだっけ。このあいだの社会の小テストでも僕に負けてたし、他の人がすらすらと問題を解いてると、羨ましくもなるよね」

 ほんとごめん、とわざとらしく掌を合わせて九条に向ける。すると悔しさのせいだろう、みるみるうちに九条の顔が赤くなっていった。それから間もなく九条が机に乗り出すようにして、飯島先生に向けて手をあげた。

「はい! 先生、次の問題あたしが解きます! ほら、みんなも何ぼさっとしてるの、リエもマドカも手あげなって! アホな男子には解けない問題だろうから」

「ま! 九条さんまで!? おお、それにほかのみなさんも」

「俺らだってわかるっつーの!」

「まあまあ、今日はいったいみなさんどうしたなのかしら」

 普段はクールな九条が、僕にあおられたのがよっぽど悔しかったと見えて、ほかの女子も巻き込んで手をあげ始める。そうなると今度は男子の方も、負けじと挙手をはじめた。一方そんな僕たちを見守る飯島先生は、目を白黒とさせて喜んでいる。

 今までだれも授業中に手をあげることがなかったのが不思議になるくらいに、それからの授業ではみんなが積極的に挙手をしていた。

 まるで僕のあげた右手から、クラスのみんなへとエネルギーが送られているのかのようだった。なんて、妄想が過ぎるかな。

 でも、人口知能が未来予知をしてしまうような時代なのだ。

 そんなハンドパワーが本当にあってもいいのかもしれない。


 ■


 結局、僕の(僕たちの?)挙手のかいあってか、【ラプラス】の予言は無事に破られることになった。給食はいつも通り美味しかったし、お腹を壊す生徒も現れなかった。

「じゃあ中央公園集合な!」

「うん。日直の仕事やってから向かうよ」

 クラスの友達を見送ってから、今日の日直である僕は机の位置を正したり、窓の戸締りをする。僕たちのクラスでは、日直は二人で一ペアとなり、隣の席同士で組むことになっている。

「・・・・・・」

 一緒に日直の仕事をしている九条とは、今日の四時間目の算数の授業以降、まったく会話が無かった。べつに僕と九条は仲が良いわけでもないので、そのことはおかしなことではないのだけれど、四時間目から九条がやたらと僕の方をチラチラ見てきているような気配があった。

 ・・・・・・自意識過剰かな?

「これでよし、と」

 あまりに会話がなかったからか、気まずさを破るようにして僕は独り言を言う。残りの仕事はクラス名簿を職員室まで届けるだけとなった。

 もう一人の日直である九条の方を見やると、向こうもちょうど僕のことを見ていたらしく、視線が交錯する。瞬間、九条の肩がビクリと震えるのが見えた。

「名簿は僕が飯島先生のところに持っていくね。九条は先帰っていいよ」

「・・・・・・ありがと」

 またなにか嫌味を言われるのではないかと少し構えていただけに、九条のそのしおらしい対応には肩透かしをされた気分だった。言って、九条は小さく頭を下げると、ランドセルを背負って廊下へと出ていった。

 職員室に寄ってからそのまま下校できるようにと、僕も帰り支度をしてから教室を出る。二階の端にある職員室の前まで行くと、ちょうど中から人が出てくるところだった。

 ガラガラと扉が開かれると、そここから出てきたのは僕のクラスメイト・沼田だった。

「あれ沼田?」

「あっ、け、賢人くん」

 こちらの姿を見るなり、沼田が上ずった声で僕の名前を呼んだ。こんなところで会うなんて、と言おうとする僕の脇を、沼田はそそくさと抜けていこうとする。

「ま、またね」

「うん。また明日」

 僕がそう言うと、沼田は歩みを止めることなく階段に向かっていった。それからすぐに、僕の背後でまたしてもガラガラと職員室の扉が開かれる音がした。

「あら、近ごろ大活躍中の橋本くんじゃない」

 何冊かのファイルを抱えた飯島先生が、僕を見下ろしていた。飯島先生は今日の算数の授業以降、とてもご機嫌だった。

「近頃って、ちょっと授業中に手を挙げただけじゃないですか」

「それもそうだけど、他にもいろいろ知ってるわよ。このまえ九条さんがお休みだったとき、代わりにメダカにエサをあげてたでしょう。偉いわ~!」

 べつに褒められたくてしたことではなかったので、こうして面と向かって称えられると、むしょうに気恥ずかしかった。話題を替えるようにして、僕は飯島先生にたずねる。さっき飯島先生が出てくる直前に職員室から出てきた沼田のことが、どうしてか気になったのだ。

「そんなことより、さっきまで面談でもしてたんですか?」

「へ? 面談? えーと、だれと?」

 飯島先生はぽかんと口を開けている。その呆けた表情は、なにか隠し事をしているようには見えなかった。

「これから職員会議があるから、さっきまでそれの準備はしていたわ。だから面談なんて、だれともしていないんだけど・・・・・・」

 人差し指に顎を乗せて、飯島先生が思案顔を浮かべる。

 あれ?

 つまり、もし飯島先生の言っていることが本当だとしたら・・・・・。

「もし、先生の言っていることが本当だとしたら・・・・・・」

「わたしの言っていることが本当だとしたら?」

 おうむ返しをする飯島先生の顔を覗き込みながら、僕はたずねた。


「・・・・・・会議、はやく行かなくていいんですか?」

「いっけない! また遅刻しちゃうわ!」

 言って、飯島先生は僕を置いて駆けだした。

「・・・・・・またって言った?」

 というか・・・・・・、

 廊下を走ってはいけません。


 ■


「これで終わり、っと」

 スマホ上で開いていた宿題のアプリを閉じてから、大きくのびをする。こりかたまった肩をグルグルと、グルグルと何度も回しながら、僕は今日あった出来事を回想する。

 ・・・・・・平和に事が進んでよかった。マジで。

 前に社会の小テストで九条と対決をしたときには、未来予知を行う【ラプラス】を味方につけたとか思っていたけど・・・・・・。

「今回は完全に、敵になられた気持ちだったなぁ」

 僕が授業中に手を挙げて問題を解いたことで、何がどうなって給食の無事に繋がったのかは、今更確かめるすべはない。それでもとりあえずは、無事に平和な一日を過ごせたことは確かだった。

 いちおう断っておくと、【ラプラス】が敵に回ったというのも、あくまでそういう見方ができる、というたとえ話にすぎない。【ラプラス】は未来を観測するだけのAIなのだ。

 当たり前だけど、未来を操れるわけではない。

 それゆえに僕がその予言を、後出しジャンケンをするかのようにかき乱すことで、【ラプラス】の計算を狂わせることができるというわけなのだ。

「まあ、もうさすがに今回みたいな予言はこないだろうけども」

 という僕のこのときの一言が、もしかしたらフラグになっていたのかもしれない。シュポッっと小気味いい音が、開いていたチュイッターアプリから聴こえてきた。【ラプラス】が明日の予知を投稿したのだ。

 そこにはこう書かれていた。


[くもり。テストに埼玉県が出たぃや。給の食でカベーが出たょね。6-2は縄跳び大会で一位になれないだね。悪い風が吹きすさぶ。ピエロが涙を四滴溢す。大翔きゅんがトラックに轢かれちゃったんだ]


 ・・・・・・。

 オーケー、余裕。

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