ラプラスは悪魔 2話 予知も外せる。
【2話 予知も外せる。】
未来の内容を投稿するアカウントなんだ!
とはいったものの・・・・・。
だからなんだという話だ。
確かに人口知能によって未来を予測することができたら、それはとても驚くべきことなのだろう。けれど、その未来というのがこの国の未来というわけではなく、僕の通う小学校の、それも6年2組の未来だというのだから、なんともスケールの小さな話だ。それに今のところ、たった一日先のことしか予知は行われていないみたいだし・・・・・・。宝くじの番号とか、大きな事件や災害が起きることとか、そういうことが分かればもっと便利なのだろうけれど。
これは僕の仮説だが、おそらくこのアカウントを運営しているのは、この国の極秘の研究機関なのだ。その研究所が未来を予測するAIを開発中で、その実験の対象にと僕たち第三小学校の6年2組が選ばれたのだろう。
文部科学省がどうとか、学習をデジタル化するとかはあくまでも表向きの理由に違いない。真の狙いは、僕たちのクラスにおける細かなデータの収集にあるのだ。
スマートフォンというのはとても便利な機械だ。電話・手紙・ノート・ペン・カメラ・ゲーム・ミュージックプレイヤー・録音器・・・・・・あげればキリがないほどの機能がスマホひとつには入っている。僕たち6の2のみんなはこの春からスマホを一斉に使いだした。教科書を開いたり、メモを取ったり、SNSに誰かと遊んだことを投稿したり、好きな動画を見たり、なにかの写真を撮ったり・・・・・・クラスのみんなは好き放題スマホを使っている。それらのデータを吸い上げて、それを今度な人工知能に計算させれば、少なくとも6の2に関わる少し先のできごとを予測できたとしてもおかしくはないのかもしれない。
念のため、AIについて分かりやすく紹介している動画をいくつかユーチューブで視聴してみたけれど、どうやら僕の仮説はそこそこいい線をいってそうだった。『深層学習』とか『ディープラーニング』とか、小学生の僕には難しい話がたくさん出てきてけれど、しかしどのチャンネルでも『AIという技術がこれからの時代を大きく変えていく』と話している点が共通していた。
ちらりと、手元のスマホに目を向ける。新学期の初日に配られたときには魅力的に思えたこのデバイスも、今ではとてもおぞましい物体に感じられた。僕の立てた仮説が正しいとすれば、このスマホを使ってどんなことをしたかは、すべてどこかの研究機関には筒抜けということになる。
・・・・・・プライバシーってなんだっけ。
もしも僕たちが使っているスマホが、未来予知の実験に使われているということを学校のみんなが知ったらどうなるだろうか?
少し考えてから、フっと息を吐く。おそらく誰もそんなおとぎ話を信じはしないだろう。クラスのみんなも先生たちも、僕の頭がどうにかなってしまったんだなと、むしろ心配すらしてくれそうだ。
よしんば、みんなが僕の話を信じてくれたところで、そうしたら今度はクラス中、いや学校中がパニックになる。国ぐるみでわれらが第三小学校は騙されていたということになれば、先生やPTAたちも黙ってはいないはず。
そうなると確実に――大ごとになってしまう。
「うん。このことはやっぱり誰にも話さないでおこう」
自分に言い聞かせるように呟く。もともと僕はスマホを多用するタイプではないし、少しくらい自分の個人情報がどこかの研究に使われていたところで痛くもかゆくもない。僕はなによりも平穏な毎日が送ることができればそれで十分なのだ。未来を予知するAIのことなんて僕だけの秘密にしておけば、今まで通りの平和な生活がこれからも続けられるのだし。
そして、しばらく【ラプラス】の投稿を観察していて分かったけれど、【ラプラス】の未来予知というのも、確実のものではないらしい。
■
今ではほとんど日課のようになっていて、僕はその日も【ラプラス】の投稿を読んでから学校に向かった。【ラプラス】の投稿のほとんどはくだらない予言ばかりであったけれど、その日クラスで起きるちょっとした出来事を、僕だけが知っているという事実には少しだけ優越感を持てた。
その日の、つまりは昨晩に投稿された文章は次のようなものだった。
[くもり。メダカさんのお腹がぺこぺこ。体育はドッジポール。]
「む?」
その中に、おかしな一文が含まれていることに僕は気が付いた。こんなこと、起きるはずがないと思うんだけど・・・・・・。
そんな僕の疑問は、朝の会の飯島先生の発言によって解消されることになった。
「楽しい一日のはじまりで~す!」
お決まりの言葉を口にして、飯島先生が教室に入る。先生は教壇に上がり僕たちの方に顔を向けると、その眉を八の字に曲げた。
「と言いたいたいところですが、皆さんに残念なお知らせです。本日九条さんはお休みだそうです」
クラスのみんなの視線が、僕の隣の席――九条の座席に注がれる。そこは教室の中で、現在唯一の空席となっていた。
「昨日のお昼過ぎから、喉の調子がよくなかったそうです。今朝の時点ではもう快復しているそうなんだけど、大事を取って本日はお休みするそうです。ですので、明日からはいつも通り登校してきますから、みなさん安心してくださいね!」
「・・・・・・なるほど」
そういうことか。今日の【ラプラス】の予知で僕が首をかしげていたのは、そこに『メダカさんのお腹がぺこぺこ』という文章があったからだ。
続く飯島先生の話を適当に聞き流しながら、教室の後方を一瞥する。僕たちの学校では教室の後ろに格子状のロッカーがあり、そこには各自のランドセルが収納されている。その上段は空きスペースとなっており、授業で使う小道具や花瓶、それから水槽が置かれている。その水槽の中に飼われている魚こそが、なに隠そうメダカだった。そして、そのメダカにエサをやる当番を務めているのが九条なのだ。
九条のように気の強く、他人に弱みを見せようとしない女の子が、自分の当番をサボってメダカのお腹をぺこぺこにさせるはずがないと思ったのだけれど・・・・・・そうか、九条は休みなのか。それなら無理もない話だ。そう納得した僕は、休み時間にメダカにエサをあげてやった。
昼休みに「橋本くん」と誰かが僕を呼んだ。あと少しで五時間目が始まろうという時間だった。声のした方をふり向くと、そこにはボブカットの女の子が立っていた。名前はたしか――
「木下」
「やっほ。橋本くん今日の休み時間に、メダカにエサをあげてくれたんでしょ?」
木下は目線を教室の後ろに向けた。そこには水槽があって、水中に酸素を送るポンプがぽこぽこと音を立てていた。
「そうだけど」
それがどうしたの? という顔を木下に向けた。その意図が伝わったのか、木下は小さく頷く。
「さっき沼田くんに教えてもらったんだ。午前中に橋本くんがエサやりしてたって。・・・・・・あのさ、ひとつ聞いてもいい? どうして当番でもないのに、橋本くんがメダカにエサをあげようと思えたの?」
沼田に教えてもらった?
どうして沼田がそんなことを木下に話したのかが気になった。けれど、いまは木下からの質問に対する回答を優先するべきだと思った。木下が疑問に思うのも無理はない。僕だって、【ラプラス】の予言がなければ、メダカのことなんて気にもかけなかったのだから。
AIがメダカの空腹を教えてくれたんだ――なんて言えるわけがないし・・・・・・少し考えてから、僕は木下に向き直った。
「いつも九条がエサをあげてくれてるのは知ってたからね。それであいつが今日は休みっていうなら、代わりに誰かがエサをあげなくちゃまずいでしょ」
半分はウソだった。九条がメダカのエサを毎日あげていることなんて、今朝の【ラプラス】の投稿を目にするまでは忘れていた。学級委員や体育委員などの目立つ係でもなければ、どの人がが何の当番を受け持っているのかなんて誰も興味はないのだ。その相手が友達でもなければなおさらの話だ。
今日の僕はたまたまメダカのお腹の具合を気にする機会があったから、九条がエサ当番だということを思い出したものの、そうでもなければ誰かの代わりにメダカにエサをやろうだなんて、思い付きもしなかったはずだ。
しかし、僕のそんなウソも木下には通用したようで、彼女は「ふうん・・・・・・そっか」と言うと、踵を返して自分の席へと戻っていった。彼女が後ろを向く瞬間、妙に頬が持ち上がっていたのは気のせいだろうか。
そんなことよりも、驚いたのはその日の五時間目のことだった。今学期の時間割通り、五時間目の授業は体育だった。それまで体育でおこなっていた器械体操が終了したため、その日の体育で何を行うかはクラスの誰も知らない――僕を除いて。
・・・・・・【ラプラス】によると今日の体育はドッジボールをするんだよな。おかげで昨晩のうちに、指の爪を切ることができた。たまにはあの未来予知AIも役に立つことがあるなとしみじみする僕の耳に、驚きの情報が入り込む。
教室の前方で、ジャージ姿の飯島先生が人差し指を立てた。
「このまえの授業で器械体操は終わったので、これからは縄跳びの授業がはじまります!」
「え!?」
ドッジボールじゃないの!?
根耳に水の情報に、僕は思わず声を上げてしまった。クラス中の視線が僕に集まる。
「おや、橋本くん。どうかしましたか?」
「いえ・・・・・なんでもありません。ハハハ」
笑って誤魔化す僕を、飯島先生が首をかしげて見下ろす。それから飯島先生は「ですが」と話を本題に戻した。
「みなさん器械体操をよく頑張っていましたので、今日はご褒美にみなさんの好きなことをやっていいこととします」
そういえば飯島先生は、これまでも体育で授業内容が切り替わるたびに、毎回僕たちの好きな運動ごとをやらせてくれているのだった。『身体を動かすのって楽しいことなのに、毎回先生が決めたことばかりやらされるのでは退屈でしょう』というのが飯島先生の言い分だった。
飯島先生は黒板の端に書かれた日付を確認してから、次に手元の出席簿に目を落とした。
「それじゃ、えーと今日は十八日だから・・・・・・出席番号十八番の沼田くん!」
まさか体育の授業の、それもこんなタイミングで自分が呼ばれるとは思わなかったのだろう。沼田は「は、はひっ」と情けない声で返事をした。よっぽど驚いたのか、顔にかけた眼鏡が半分ずり落ちていた。
しかし、慌てる沼田を眺めながら、逆に僕は冷静さを取り戻していた。なるほど、そういうことね・・・・・・。
「本日の体育は、沼田くんが何をしたいか決めていいですよ!」
「そ、そうですね・・・・・・それじゃ」
これで体育の授業の内容が【ラプラス】の予言通りにドッチボールになるというわけだ。
というか、沼田の返答を聞くまでもないだろう。僕たちのクラスで人気のスポーツといったら、ドッジボールかサッカーくらいだ。その二択のうち、沼田がサッカーに興味がないということを僕は知っている。僕たちが六年生に進級した初日を思い出す。僕は沼田をサッカーに誘ったのだけれど、彼は遊びに加わらなかったのだった。
短く切り揃えられた自身の爪を眺める。やはり【ラプラス】もたまには役に立つ。爪が伸びたままするドッジボールほど憂鬱な球技もない・・・・・そんな僕の心も知らずか、沼田はおずおずと右手を小さく挙げると、ゆっくりと発言した。
「――さ、サッカーで」
■
あれから、僕なりにいくつかの検証をおこなって分かったことがある。
未来予知をおこなう人口知能【ラプラス】の予言は、あくまでも前日の夜時点で得られた情報をもとに出力された文章だということだ。わずか半日後の未来とはいえ、僕たちのクラス内で起きることだけとはいえ、ただの機械プログラムが未来をここまで予言できるのだということにはいまだに驚くけれど、所詮はまだ実験段階のシロモノだということか。その予言はあくまでも予言であって、未来を本当に透視しているわけではないのだ。
つまり【ラプラス】の投稿はあくまでも『このままいくと、こういう出来事がおきますよ』という程度のものでしかなく、そこでいうところの『このまま』を誰かが邪魔してしまえば、予言も外れてしまうということだ。
あの日、本来や九条が休むことによって水槽のメダカはお腹がぺこぺこになるはずだったのだ。それを、未来を知った僕が防いでしまったことで、【ラプラス】の予言は破綻してしまったのだ。
どういう仕組みかは分からないが、『メダカがエサを食べるか・エサを食べないか』が未来の分岐スイッチになっていたのだ。メダカがエサを食べなければ体育はドッジボールになり、エサを食べればサッカーになる。【ラプラス】はその前者の未来を予測していたのに、僕が邪魔をしたというわけだ。
不思議なこともあるものだと思うけれど、そもそも未来を予知する人口知能がある時点で、そこから何が起きようが驚くことはないのかもしれない。
そして僕の立てた【ラプラス】の予言を裏切ることでその先の予言まで崩せるという仮説は、結構いい線をいっていそうだった。例えば先日【ラプラス】はこんな予言をしていた。
【牛の乳が二つあまる。ワンちゃんが教室へ来た】
その予言の次の日の給食の時間には、きっかり二つの牛乳が配膳台の上に残されていた。牛乳を飲みたくない生徒がこっそりと返却したのだろう。僕は牛乳をおかわりし、そのあまりの数を一つへと減らした。するとどうだろうか!
その日、最後まで教室に犬が来ることはなかったのだ!
・・・・・・やっぱり、だからなんだという話だった。