ラプラスは悪魔 1話 予知は当たる。
【1話 予知は当たる。】
もう一度投稿を読む。
「雨。お給食でパッンが出た。抜き打ちテストだ! 教室は今日も賑やか。黒い鳥が羽ばたく」
念のため声に出して読んでみたけれど、効果は無かった。相変わらず、意味が分かるような分からないような文章だった。というか、文章かどうかも正直怪しかった。
文法がどうとか、誤字脱字がどうとか、そのあたりは上手く頭の中で補うとして、そもそもこれは何の話をしているんだろう。僕はひとつひとつ指摘事項を挙げてみることにした。
雨? 今日は雲一つない晴天だった。そもそも雨が降っていたら、僕や大翔たちは公園でサッカーなんてしない。
えーと・・・・・・給食でパンが出た、ということだろうか? いや、今日の僕たちの学校ではご飯が出ていたはずだ。おかずは肉じゃがだった。もちろんパッンなんて配膳されていないし、そもそもそんな名前の食べ物を僕は知らない。
抜き打ちテスト? いや、今日はどの授業も初日だったから、一年間で学ぶ内容をざっと紹介して終わった授業ばかりだった。当然抜き打ちテストもやっていない。というかそうでなくても、うちの学校の先生で抜き打ちテストを行う人がいるという話は聞いたことがない。
教室は今日も賑やか・・・・・・これだけは、まあ当てはまるか。今日は突然スマホを配られて、みんな興奮ぎみだったというのもあるし。そうでなくても、僕たちのクラスでは男子と女子の仲が悪くて、毎日どこかしらで賑やかな話し合いを白熱させている。
黒い鳥が羽ばたく? 黒い鳥ってカラスのことかな? まあ、カラスの一羽や二羽どこかで羽ばたいていてもおかしくはないだろうけど・・・・・・なんかこれだけ詩的なのが気になるな。詩的さを指摘したかった、なんて冗談が思い浮かんだからではないが、思わず笑い声が口から洩れた。はは。
「意味わからなすぎ。完全にただの悪ふざけじゃん」
というか、もしかしたらあの場にいた誰か僕たちの仲間が、僕や大翔をからかっているだけなのかもしれない。そう思うと、現時点で未だにフォロワーが僕ひとりしかいないということも不思議ではない。
画面を閉じたスマホをベッドの上に放り、僕は一階にあるリビングにおりた。これ以上イタズラアカウント【ラプラス】に意識を割くのは無駄だと思ったのだ。
これでもし明日教室で、僕がこのアカウントのことを驚きながらみんなに話したとしたら、僕をからかおうとしているやつの思うツボになるのか・・・・・・よし、決めた。
「これから【ラプラス】のことは誰にも話さないでおこう」
もし誰かが【ラプラス】のことを話に上げたとしても『ああ、そんなアカウントもそういえばあったね』くらいの振舞いをしてやるのだ。
誰の思惑かは知らないが、アカウントの主も可哀そうなやつだ。どうせフォロー許可をするのならば、頭のキレる僕をターゲットにするのではなく、怖がりな大翔の方にすればよかったのに。
その日はお気に入りのテレビ番組を見てから眠りについた。もう僕は、何者かが操る謎のチュイッターアカウントのことなどは、ほとんど意識の外に置いていた。
■
次の日の給食の時間のことだ。配膳の列に並んでいると、僕のひとつ前に並んでいた大翔が大きくため息をついた。
「今日の給食パンなんだよなあ。俺パンより絶対ごはんがいいぜ・・・・・・」
「そんなわがまま言って。好き嫌いはよくないよ」
「べつに、パンが嫌いってわけじゃないけどさ。なんつーか、パンだと力が入らなくね?」
「いや、僕はそもそも、そんなに力を入れたくなることがないからさ」
大翔はガクリと肩を落としてから、教室の南側に面した窓に顔を向けた。大翔の視線の先には、どんよりとした鼠色の空が見えた
「それに、今日はお昼過ぎから雨が降るだろ? 外で運動もできないし、冴えない一日になるぜ」
そんな大げさな、と呆れながら、僕は配膳台の端で当番の生徒からお盆を受け取る。サラダ、シチューを受け取ってから、本日の主食であるコッペパンを配膳してもらった。最後に牛乳やサラダ用のドレッシング、コッペパン用のジャムの小袋を掴み取る。
・・・・・・あれ?
なにか、頭に引っかかるものを感じた。両手で抱えているお盆を見ながら首をかしげる。続けて、窓の外に目を向けて、その違和感の招待に考えが追いつこうかというタイミングで、後ろから「橋本」と僕を呼ぶ声があった。
「なにボサっとしてんの? 邪魔なんだけど」
言われ振り返ると、不機嫌そうな顔をした九条と目があった。まとまりつつあった思考がほどけてしまうのを感じながら、僕は九条にぺこぺことおじぎをする。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事をしてて」
「考え事するのは勝手だけど、席に座ってからにすれば? メイワクだから」
突き放すかのような九条の言い方にムっとしそうになったけど、まあ彼女も間違ったことは言ってないよなと、すぐに自分に言い聞かせる。愛想笑いを浮かべてから、九条への謝罪を続けた。
「そうだね。九条の言う通り、僕が悪かったよ」
「わかればいいのよ」
ふん、と九条が鼻を鳴らす。どうやら彼女の怒りは収まったらしい。
九条はうちのクラスの女王的存在で、とても気が強い女の子だ。根が負けず嫌いなのだろう、よく男子と言い争いをしているのを目にする。手足もスラリとしていて目もぱっちりと大きく、黙っていればお人形のようで可愛いらしいと思うのだが、そんなことは誰にも言えない。なぜなら男子が女子を良い風に言うのなんておかしいという『おきまり』がこのクラスにはあって、そして僕はそんな『おきまり』を破ろうとは思えない、きっすいの事なかれ主義だからだ。
「楽しい授業の始まりで~す!」
五時間目がはじまると、飯島先生がいつものセリフを口にした。続くいつも通りではない言葉に、僕は度肝を抜いた。
教卓に両手を叩きつけると、飯島先生は意地悪そうな顔を僕たちに向けた。
「はい、それではこれより抜き打ちテストをおこなっちゃいます!」
え~、という声が教室の方々から上がる。まだ新学期が始まって二日だというのに、テスト――それも抜き打ち――をするとは思わなかったのだろう。みんなの驚く声を、飯島先生は気持ちよさそうに聴いていた。
「ふふふ、みんな驚いたでしょう! まさかこんな急にテストをするだなんて思ってなくて、勉強してきていないんでしょう。いいですか、そんな気のゆるみは来年から始まる中学校では許されませんからね! 大人の世界では、もっと許してくれないんだけどね・・・・・・ほんと辛いわ、大人って」
「・・・・・・」
最後の方は明らかに私情が混じっていて、クラスのみんな違う意味で驚いていた。けれどそのときの教室で、きっと僕以上に驚いている人間はいなかったことは確かだと思う。
それから抜き打ちテストは難なく終えて(自分で言うのもなんだが、僕は頭がいい)放課後になると、僕は大翔たちからのゲームの誘いを丁重に断り、一目散に自宅に向かった。
気が急いているからか、長靴がうまく脱げずに苛立った。ブンブンと足を振り回してそれを脱ぎ、乱暴に玄関をあがる。それから二階にある自室にかけ足で入ると、息を整えながらスマホのロックを解除しチュイッターアプリを開いた。友人たちの呑気な投稿を指でスライドしていきながら、昨日の夜八時にまでタイムラインをさかのぼる。
そこにある、例の投稿に目を通す。
【雨。お給食でパッンが出た。抜き打ちテストだ! 教室は今日も賑やか。黒い鳥が羽ばたく】
文章を読みつつも、頭の中では今日のクラスのみんなの言葉が想起されていた。
『今日の給食パンなんだよなあ』
『お昼過ぎから雨が降るだろ』
『それではこれより抜き打ちテストを行います!』
ぞっと、首の裏まで鳥肌が立った。
「も、もしかしてこれって・・・・・・」
それから【ラプラス】のプロフィール欄にある文章を、震える指先でコピーする。翻訳サイトの入力欄にそれらをペーストしながら、僕は一つの予感を立てていた。
プロフィール欄に書いてあった文章の『By AI』のAIというのはひとの名前『アイ』を表しているのではなく、今の時代じゃ誰だって知っているあの単語のことを表しているのではないか――僕のその予感は、果たして、正解だった。
翻訳サイトの入力欄には、今さっき僕が入力したばかりの文章【Research on short-term future observations by AI】があり、その隣に並んだ翻訳欄には、日本語で次のように書かれていた。
【人工知能による短期的未来観測の研究】
「やっぱりそうだ!」
AI、つまりエーアイというのは――人口知能を表すアルファベットだった。今日び、ありとあらゆる場所で目にする言葉だ。
人口知能というのは確か、たくさんの情報を集めてそれをもとに高度な計算やシミュレーションを行うことで、普通の人間や機械では得られない答を導き出すプログラムのことである。
AIの意味が分かったことで、心臓がばくばくと強く動き出した。僕の脳が、人口知能の下にある文章の意味を理解しはじめたのだ。
短期的未来観測――すこし先の未来を見るための人口知能が、この投稿をしているというのだろうか? いつもなら軽く笑い飛ばして終わりとも思える、インターネット上のデマにしか思えないこのプロフィールを、しかし今では信じざるを得なかった。
実際にこのアカウントは昨日の夜の時点で、今日一日に起きたことをことごとく予言していたのだから。
「な、なんてね・・・・・・はは。ただの偶然でしょ」
乾いた笑いを浮かべた僕の手元で、シュポっという場違いに間抜けな音が鳴った。スマホに目を落とすと、そこには【ラプラス】の新規投稿が表示されていた。
[ありんこの運動会。大翔クンがスヤスヤしていて怒られる。飯島てんてー遅刻したね。]
■
次の日、二時間目の体育の授業は校庭で行われた。僕が足元に目を向けると、黒く小さなアリが忙し気にエサを巣に運んでいるのが見えた。並んで走り回るアリたちの姿は、運動会に見えないこともなかった。
「大翔くん! 起きなさい」
そして五時間目の授業中には、眠気で舟をこいでいた大翔が先生に注意を受けていた。
「楽しい授業の始まりで・・・・・・した。みんなごめんなさい! 先生遅刻しちゃったね。でも私は悪くありません。なぜか授業に使う資料が、別の先生の引き出しに入っていたから、それを見つけるのに時間がかかってしまっただけなのです」
さらに六時間目の授業では、飯島先生が授業開始のチャイムが鳴って、少ししてから教室に現れた。
「先生、言い訳は分かりましたので、早く授業を始めてください」
九条がピシャリと言うと、飯島先生が「はい・・・・・・」と項垂れながら黒板に向き直った。これではどっちが先生だか分からないなと、教室の方々から忍び笑いが漏れていた。しかし、僕はそんな目の前の状況にはちっとも笑えそうになかった。
僕の中の疑心が確信に変わっていた。
――【ラプラス】は、未来の内容を投稿するアカウントなんだ!