表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラプラスは悪魔  作者: 衣
1/8

プロローグ

児童小説を書いてみたいと思い、書きました。

【はじまり】


「楽しい一日の始まりで~す!」

 6の2の担任教師である飯島先生が、朝の会の『おきまり』の挨拶を口にする。それを聞いた僕たちは、『おきまり』のとおり誰も返事をしない。いつもと変わらない僕たちのそんな様子に、飯島先生は小さくため息をついた。

 僕たちのクラスにはいくつもの『おきまり』がある。そのお決まりに皆が従いながら、毎日が過ぎていく。

 男子と女子が仲良くするのなんてありえなかったり。

 授業中に先生が『この問題がわかる人』なんて聞いても、だれも手を挙げなかったり。

 飯島先生は元気いっぱいだけれど、よくドジをするので、飯島先生の話なんて誰もまじめには聞いていなかったり・・・・・・などなど。

 あげればキリがないほどに、小さな見えない決まり事が僕たちのクラスにはあって、だれもそれを破ろうとはしない。破ったって、いいことなんてないからだ。

 女子はやたらと僕たち男子を子ども扱いしてくるし。授業中に手を挙げたところで、先生からの評価を得るのに必死なヤツだと思われるだけだし。飯島先生の話なんてちゃんと聞いたところで・・・・・・と思いきや、今日ばかりはかってが違いそうだった。

 飯島先生は僕たち全員に『ソレ』を配ると、教壇に上がって手を叩いた。

「みなさんおめでとうございます!」

 一体なにがおめでたいのかわからなかったけれど、それでも今だけは飯島先生の話に意識を向けざるを得なかった。それは他のみんなも同じだったらしく、教室中の視線が飯島先生、あるいは手元に配られた『ソレ』に向けられているのが分かった。

「みなさん6年2組は、文部科学省によるデジタルネイティブ保護プログラムのモニターに選ばれました。わ~パチパチー! えーと、小難しい話は先生もよく分からないんだけど、とりあえずこれから一年間は、たった今みなさんにお配りしたコレ――スマートフォンを授業に用います」

 スマホと一緒に配られたプリントに目を落とす。飯島先生の話はどうやら本当らしく、これからの一年間僕たちのクラスでは授業や宿題・テストなどをこのスマホを活用しながら行っていくらしい。電子デバイスを用いた学習自体は珍しい話ではない。僕たちが驚いたのは「お貸しするスマホは調べものからゲームアプリまで、なんでも個人の好きに使ってもよいですよ」という言葉にだった。

 僕たち第三小学校では特例をのぞき、生徒がスマホを持つことは禁止されている。親の帰りが遅い家庭や、遅い時間まで習い事をしている子なんかはスマホを持ってはいるけれど、多くの生徒は自分のスマホを持ってはいない。それだけに、ひとりにひとつ個人の自由に扱えるスマホを貸し与えるという制度はセイテンのヘキレキだった。

 僕たちのざわめきを見下ろしながら、飯島先生は話を続けた。

「もちろん、配ったスマホにはきちんとフィルタリングはかけられていて、悪質なサイトへのアクセスはできないようになっているから安心してくださいね。それからお金を動かすこともできないようになってまーす」

「でもユーチューブは見放題ってことじゃん」

 誰かがそんな感想をつぶやく声が聞こえた。いやいや、一応は文部科学省、つまりは国が絡んでいるんだから、見放題ってことはないだろうけれど・・・・・・。

「そうです。ユーチューブ見放題で~す!」

 見放題なんか~い!

 飯島先生からの意外な返答を、しかし簡単には信じられなかった。学習を効率よく行うためのスマホなのに、それでユーチューブばかり見るようになって、勉強をする時間が減ってしまうようでは、ホンマツテントウだ。

 僕のその勘は当たっていたようで、ざわつく6の2に向かって先生は「けれど」と補足をいれた。

「ルールはあります。ユーチューブもチュイッターもインスタも使い放題で、どれだけ通信してギガを使っても皆さんに請求がいくことは絶対にありえません――が、視聴や閲覧や投稿に用いるアカウントは、すでにインストールしたアプリに初めから登録されているものを使ってくださいね」

 それって・・・・・・。

「監視されてるってこと・・・・・?」

 みんなが心の中で思った言葉を、またも誰かが口にした。それを聞いて、飯島先生は両腕で大きくバッテンを作った。

「監視はしません! 皆さんはまだ子供だけど、子供にだってプライバシーはありますからね。あくまでも、万が一皆さんがなにかしらのトラブルに巻き込まれたときのために皆さんを守れるように、こっちで用意したアカウントを使ってね、っていう話らしいです。もちろんプロフィールとか個人情報の設定は皆さんの自由に変えてしまって構いませんよ!」

 続く飯島先生の話によると、近年SNSによる小中学生同士のトラブルが増加傾向にあるらしく、それを食い止めるためにはどうしたらよいかを、実際の小学生である僕たちで実験をして、そこで集めたデータをもとに検証をおこなっていくということらしい。

「まあ、先生たちもその実験のこととかは良く分からなくて、文部科学省が主導してるから、分からないことがあっても私には聞かずに、文部科学省に直接問い合わせてくださいね・・・・・・はい、それでは楽しい一時間目の始まりで~す! さ、教科書もスマホのアプリに入ってるから、それを起動してください」

 教師とは思えないほど無責任な発言はした飯島先生は、流れるようにして一時間目を始めた。

 ・・・・・・それにしても、今まで五年間も紙の教科書やノートを使っていた勉強が、これからは紙ではなくスマホを使うというわけか。今までとは一味違う一年間になる予感がして、僕は胸の高鳴りを感じた。

 そんな僕の視線の先には、あたふたとスマホとにらめっこをする飯島先生の姿があった。

「あれ!? 教科書ってどこから開くんだろう・・・・・・えと、沼田くんはこういうの詳しいんだっけ、どのボタン押せばいいかかわかる? うん、あっ、これ? ・・・・・・おお! 開いた! すご~い!」

 ・・・・・・授業にスマホを取り入れても、飯島先生の頼りなさはなにひとつ変わらなそうだった。


 ■


 僕はスマホを持ってはいなかったけれど、家ではタブレットを用いてインターネットをしたりユーチューブを見たりはしている。僕の周りにもそういう子は多く、だから今更スマホを渡されたくらいではしゃぎはしない・・・・・・と思っていた。

 休み時間になると、何人かの生徒が僕の席に集まってきた。みんなよく放課後に遊んでいるメンツで、なかでもひときわ身体の大きな男子・大翔がニッカリと笑って僕を見た。

「賢人のアカウント教えてくれよ」

「アカウント? ディスコードのだったらもう知ってるじゃないか」

 僕と大翔は家が近所で幼稚園の頃からつるんでいる。根っからのスポーツマンである大翔と(どちらかというと)文化系である僕とでは性格こそ真逆だけれど、小さな頃から遊んでいたせいか妙にウマが合うのだ。

 そんな大翔が、今さら僕の連絡先をたずねてくるのなんておかしいと思ったけれど、それは僕の勘違いだった。僕の返事を聞いて、大翔は肩をすくめた。

「ちげーよ。チュイッターとかインスタのだよ。さっき配られたじゃんか」

 コレ、と言いながら大翔が振った手には、今朝飯島先生より配られたスマホが握られていた。

「スマホの方ね。もしかしてみんなSNSに投稿とかする気なの?」

「おいおい、なんだよその言い方。そりゃ自由に使っていいって言われてるんだしSNSもやるだろ。な? な?」

 大翔の「な?」に周りのみんなが「うん」と返す。

「うち、中学上がるまではスマホ禁止って言われてたからさ」

「俺んとこなんて、高校入るまで禁止だぜ?」

「俺は親のお下がり使わせてもらってるけど、家のワイファイがないとネットできないから、超嬉しいわ」

 どうやら、僕以外の生徒はみんなSNSを使う気まんまんらしい。周りを見渡すと、他の子たちもきゃいきゃいと騒ぎながらお互いのスマホの画面を見せ合っていた。明らかにみんな、浮足立っていた。

 大翔に促されるがままに、僕はそれぞれのSNSで一通り友達をフォローした。そこであることに気が付く。大翔のチュイッターのプロフィール欄に目を向ける。そこには【所在地:〇〇市立第三小学校6の2】と表示されていた。こんな情報を大翔がわざわざプロフィール欄に記すはずがない。

 つまり、

「アカウントの位置情報は、この教室になるんだね」

「あ、ほんとだな・・・・・・けど、それがどうしたんだ?」

「これってチュイッターの検索機能を使うと・・・・・・うん、やっぱりそうだ」

 僕のスマホの画面に、二十個以上のアカウント群が表示された。大翔たちは未だに意味がわかっていないらしく、首を傾げていた。

「おい賢人、このアカウントたちがどうしたっていうんだ?」

「見てわからない? これらは全部――このクラスのみんなのアカウントなんだよ」

「え!?」

 大翔たちの驚く声が重なる。みんな目を丸くして僕のスマホの画面を覗いていた。しばらくしてから、大翔が握りこぶしをもう片方の手にポンと打ち付けた。

「なるほど。アカウントの位置情報がココになっているアカウントを検索したのか」

「そういうこと。あとから文部科学省がアカウントを辿れるように、紐づけられているのかな」

「驚かせるなよ。俺はてっきり、賢人がハッキングでもしたのかと思っちまったよ」

「小学生がハッキングって。アニメや漫画じゃないんだから」

 僕が大翔につっこむと、周りのみんなが笑った。その笑い声に「でも」という言葉がその場にいた一人から差し込まれる。続けて発された言葉は、それまでの声よりも一段とトーンが低かった。

「沼田なら、ハッキングとかできちゃうのかもな」

 沼田――その名前を聞いて、僕たちの視線が教室の一部にそれとなく注がれる。そこには、眼鏡をかけたボサボサ髪の少年が椅子に腰かけていた。他の生徒と喋ったりはしておらず、ひとりでスマホをいじっている。とても存在感の薄い生徒だった。

 僕は視線を沼田から、側に立つ生徒へと向けた。

「どうして沼田ならそんなことをできるっていうわけ?」

「いやそれがさ、うちあいつんちと近所だから色々噂も聞くんだけど、あいつのお父さんって、超大手IT企業の部長やってるらしいぜ。名前はたしか――」

 続けてあげられた企業名は、小学生である僕たちでも聞いたことのあうような、超有名な会社だった。

「その噂なら俺も聞いたことある。家にパソコンやタブレットが何十台もあるんだとよ」

「確かにそれなら、ハッキングができるようにカスタムされたパソコンが家にあってもおかしくねえな・・・・・・」

 神妙な面持ちで、大翔が頷く。

 僕は、というかこのクラスのみんなは、あまり沼田と話すことはない。イジメをしているというわけではない。用があれば普通に話すし、用がなければとくに話さない、というだけだ。沼田は一人でいる方が落ち着くタイプなのだろうと、みんなそう思っているのだ。沼田がほんとにハッキングなんて芸当ができるのかどうか、少し気にはなったけれど、だれも聞いて確かめようとはしなかった。


 ――このとき沼田に直接聞いてさえいれば、あんなことにはならなかったんじゃないかと、のちに僕は激しく後悔することになる。


 ■


 あと少しで休み時間も終わろうという頃に、大翔が妙なチュイッターアカウントを見つけた。

「おい賢人。これ見てみろよ、この鍵アカウント」

 大翔のスマホ画面を見る。ユーザー名の欄には【ラプラス】と表記されており、その横には黒い錠前のアイコンが表示されていた。

 鍵アカウント――つまりは非公開アカウントのことだ。通常の公開アカウントとは違い、こちらは本人が許可をした人でなければ、その投稿や細かいプロフィールなどを見ることができない。しかし一部の情報は部外者にも見ることができるようで、そのアカウントには「所在地:〇〇市立第三小学校6の2」と記載されていた。

「うちのクラスの誰かのアカウントってこと? それがどうかしたの? ネットリテラシーが高い人なら、非公開アカウントにしていてもおかしくないと思うけど」

「女子じゃねえの?」

「確かに。女子って影口とかすごいし、アカウントも他の人に見られないように隠しそうだもんね」

 僕たちの言葉に、大翔はふるふると首を振った。

「俺も最初はそう思ったけど、どうやら違うみたいなんだ。よくこのアカウントを見てくれ」

「・・・・・・フォロー欄がおかしいのか」

 僕が呟くと、大翔がこくりと頷いた。

 正体不明のアカウント【ラプラス】は、フォロー数0・フォロワー数0だったのだ。つまりこのアカウントは、誰の投稿も見る気は無いし、誰にも自分の投稿を見せる気はないということになる。

 なぜだか、ブルリと寒気がした・・・・・・まるで誰かに見られているかのような。

「もし誰かが影口を言うためにアカウントに鍵をしているんだとしたら、フォローもフォロワーも0なのはおかしくねーか?」 

 大翔の問いかけにみんなは口を閉ざし、それから辺りに目を配った。【ラプラス】が何のためのアカウントなのかはわからないけれど、この教室のどこかに、この不気味なアカウントを持っている張本人がいるということは確かなのだ。

 ひとつ良いアイデアが思い浮かんだ。こちらに画面を向けたままの大翔のスマホに、僕は人差し指で優しく触れる。やがて【ラプラス】のアイコンの横に【フォロー申請中】という文字が浮かびあがった。

「ああ! 賢人なにするんだよ!」

「手が滑ったんだ」

「いやいや! 明らかに狙い澄ましたかのような、よどみのない動きだっただろ!」

「友達になれるといいね、この変なやつと」

「なりたかないわ!」

 涙目になりながら大翔が叫ぶ。正体不明のアカウントとお関わりになってしまったことがよっぽど堪えたらしい。大翔はその大柄な体格とは反対に、昔から怖いものが苦手なのだ。

「おい! これで俺がこいつに恨まれて呪われでもしたらどうするんだよ」

「恨みとか呪いだなんて。べつに相手はおばけじゃないんだから」

 声を震えさせて僕に恨めしそうな目を向ける大翔をなだめる。さすがにこれでは可哀そうだと思ったので、僕も自分のスマホを操作して【ラプラス】にフォロー申請を送った。

「こんなのどうせ誰かのイタズラでしょ。そんな慌てるようなことじゃないって。からかって悪かったよ。ほら、みんなも同じことやってあげてよ。大翔が可哀そうだから」

 僕の声に、ほかの友達もみな【ラプラス】にフォロー申請を行った。先まで泣きそうな顔をしていた大翔はというと、頬を膨らませて腕を組んでいた。

「べ、別に慌ててねえし! つかそんなイタズラアカウントのことより、今日の放課後何して遊ぶか話そうぜ」

 わざとらしいほど急な話題の転換に、みんなは微笑みながらスマホをポケットにしまった。スマホは魅力的なアイテムではあるけれど、僕たちはまだまだ、外で遊ぶことの方に興味があった。

「んじゃ、中央公園でサッカーな。ボールは俺が持っていくわ!」

 大翔がそう言った直後に、休み時間の終了を告げるチャイムがなった。みんなすでに頭の中は放課後のサッカーのことしかなく、うきうきと自分たちの席に着く。

 僕が自分の席に戻ると、隣の席に座っていた九条が小さくボヤいた。

「男子ってほんとガキ」

 もちろん僕はそれを、聞こえなかったことにした。

 僕たちのクラスでは、女子と男子がよく衝突をする。その大概がくだらない出来事が発端だったりするのだけれど、みんな『男子と女子は仲良くしない』という教室内のお決まりに従って、小さなことを理由に喧嘩をする。

 けれど、僕個人としては女子と揉めたいとは考えていない。僕たち男子をやたらと子供扱いしてくる女子に、思うことがないわけではないけれど、だからといって女子を過剰に目の敵にしようとまでは思えなかった。

 僕はただ毎日が何事もなく平和に過ぎていってくれれば、それだけでいいのだ。前に何かの本で読んだが、僕のこのような考えのことを、事なかれ主義というらしい。

 事なかれ主義、バンザイだ。


 ■


 五時間目の終了のチャイムが鳴ると、大翔を先頭にこれからサッカーをするみんなが教室を飛び出していった。一秒でもはやく家に帰り、公園に集まりたいのだろう。上下左右ナナメとダイナミックに揺れる黒や青のランドセルたちを見送りながら、僕はゆっくりと帰り支度する。僕の家は学校と中央公園の間にあり、急がずともみんなに間に合うのだ。

 教科書の電子化によりとても軽くなったランドセルを背負い席を立つ。下駄箱で靴を履き替え、昇降口に降りたところで一人の男子生徒を見つけた。少しだけ考えてから、僕は声をかけることにした。

「沼田」

「は、橋本くん」

「賢人でいいよ」

 言いながら沼田の腕を軽く叩く。クラスの男子はみんな僕のことを下の名前で呼び、女子は逆に苗字の方で呼ぶ。そのせいか、男子である沼田から橋本くんと呼ばれるのをむず痒く感じた。

「じゃ、じゃあ賢人、くん・・・・・・」

 沼田は僕から声がかかったことが意外だったらしく、落ち着かなそうに辺りをきょろきょろと見渡している。やがて大仰な動作でつばを飲み込んでから、上目づかいで僕を見た。

「賢人くん、俺になにか用?」

「うん。これから大翔たちと中央公園でサッカーするんだけど、沼田もよかったらどう?」

「サッカー? え、もしかして、俺に言ってるの?」

 沼田が両目を大きく見開く。その動きに合わせてボサボサとした黒髪が激しく揺れた。

 ・・・・・・そんなに驚くこと?

「うん。他に誰もいないよね」

「それは、そうだけど・・・・・・でも、僕なんかに、そんな」

 うろたえながらも、沼田はぶつぶつとなにかを呟いていた。もしかしてなにか他に用事でもあったのかな?

 急に誘っちゃって悪かったなと思い、沼田の肩にポンと手を置いた。

「まあ、来れたらでいいから来なよ。暗くなるまでは遊んでると思うからさ」

 じゃ、と言いのこし僕はその場を後にした。たまたま目にしたから誘ってみただけで、本気で沼田と遊びたいと思ったわけではない。本人が乗り気でもないのに無理に呼びつけるのは、事なかれ主義の僕としても本意ではない。声はかけたのだし、沼田の方だって僕たちと遊びたいと思うのだったら、勝手に公園に来るだろう。

 結局、その日公園には、最後まで沼田は訪れなかった。

 ほらね。


 ■


 十七時を少し過ぎたころ、僕たちは解散した。夕暮れのオレンジの空の下、道路の両脇に並んだ街頭にはちらほらと明かりがつきはじめている。家の方向が同じである大翔と並んで帰路を歩く。

 ちらと大翔に目を向けると、彼の目は手に持ったスマホに向けられていた。青白い光が大翔の顔を照らしている。画面に気になるものを見つけたのか、大翔は「へっ」と短く息を吐いた。困っているようでいて、同時に嬉しがっているような、微妙な表情だった。僕は首をかしげて、大翔に尋ねた。

「なにかあったの」

「それがさ、あいつらってばさっきサッカーしてたことをもうSNSに投稿してるぜ。手の早いやつらだよな」

「ふうん。というか大翔、それ歩きスマホだよ。やめなよ」

「へへっ。俺は運動神経が良いから歩きスマホだって余裕だっつーの」

「そっか。じゃあいま犬のフン踏んづけでたけど、それもわざとだったんだ。変なシュミだね」

「うおい! なんだよそれ! 気づいてたなら早く教えてくれよ!」

「まあ、嘘だけど」

「・・・・・・」

 僕がジトっと目を向けると、大翔はバツが悪そうにスマホをポケットにしまった。それから空いた両手を頭の後ろで組むと、なにごともなかったかのように夕空を仰いだ。

「それにしても、あの【ラプラス】とかいう変なチュイッターアカウント、結局俺たちの誰にもフォロー許可しなかったな」

 ラプラス? 聞き慣れない単語なので、すぐには何の話か分からなかったが、しばらく考えてから思い当たる。

 ・・・・・・あの誰のこともフォローしていない鍵アカウントのことか。

 位置情報から察するに、僕たちのクラスの人ってことくらいしか確かな情報がない謎の人物だ。

「なに、大翔ってばあのアカウントのことそんなに意識しちゃってるの?」

「意識なんてしてねーよ。どうせ誰かのイタズラだろ。くだらねー」

「そっか。じゃあ・・・・・・さっきから大翔の隣を歩いている女の人って、誰?」

「ギャーーー!!!」

 僕がぼそぼそと大翔の耳の近くで囁くと、大翔は隣を振り返ることもせず、絶叫をしたのちに走り出した。足のとても速い大翔の姿は、瞬く間に見えなくなってしまう。運動神経が良いという本人の言に、偽りはなかったということだ。もちろん大翔の隣に女の人なんて歩いてはいない。

「・・・・・・まさかあんなに驚くとは」

 大翔の絶叫を間近で耳にしたあとだからか、辺りがやけに静かに感じられた。日も暮れてしまい、間隔の広く取られた街頭のあいだはぞっとするほど暗い。いまは四月だ。夕時にもなると若干だけれど肌寒さがある。冷ややかな空気が僕の身体を撫でつけると、汗で張り付いたシャツから急激に体温が持っていかれた。

 ――ブブブ。

「ひっ」

 ふいに訪れた衝撃に、思わず背筋が伸びる。少ししてから、それが衝撃なんかではなく、ただの微弱な振動であることが分かった。僕のポケットにいれたスマホのバイブレーションだった。

「ビックリした・・・・・・。そうか、今は僕もスマホを持ち歩いているんだった」

 柄にもなくびくついてしまったことを誤魔化すように、僕はわざとらしく状況を声に出しながら、スマホをポケットから取り出す。

 画面を見て、心の隅がざわつき始める。

「・・・・・・え?」

 スマホの待ち受け画面には四角い枠が表示されており、そこにはチュイッターアプリからの通知が表示されていた。さきほどの振動はこの通知をスマホが伝えたものだったのだ。短い文章が表記されていた。


【ラプラスさんがあなたのフォローを許可しました】


 瞬間、どうしてか誰かに見られているような気配がして、ほとんど反射のようにして後ろを振り返った。そこにはこれまでに歩いてきた薄暗い道が伸びているだけで、人は一人も歩いていなかった。ぎこちない動きで、首を手元のスマホの方へと戻す。

 ・・・・・・な、なにを僕はこんなに怖がっているんだろう?

 【ラプラス】なんてただのチュイッターアカウントだ。それが僕のフォローを許可したからなんだというのだ。結局、イタズラに飽きた誰かが僕からのフォローを許可しただけじゃないか。

 そう自分に言い聞かせながら、僕はスマホのロックを解除すると、アプリを開いた。

 ちなみに、開いたのはユーチューブのアプリだ。

「さて、と」

 好きなアーティストのMVを再生すると、そのままスマホをポケットに入れて、僕は家を目指した。自然と早歩きになってしまったのは、好きな曲を聴いていてテンションが上がってしまっているからだろう。

「・・・・・・チュイッターは、家についてから見よ」

 それにしてもこのスマホ、ユーチューブ見放題でよかった~。マジで。


 ■


 パジャマに着替えてから自室に入った。学習机の上には、一台のスマホが置かれている。

「・・・・・・」

 公園からの帰り道は、どうしてか無性に恐ろしい気持ちに襲われたが、家族とご飯を食べて、テレビを見たりお風呂に入ったり、いつも通りのことをしているうちに、平常心を取り戻していた。むしろさっきまでどうしてあんなにも、何かを怖がっていたのか不思議なくらいだった。

 机に手を伸ばし、スマホを起動する。チュイッターのアプリを開くと、タイムラインの一番上には大翔のアカウントの投稿が載っていた。二時間三十分前の投稿だから、ちょうど僕と大翔が分かれた後の時刻だ。

 [サッカーだけじゃ物足りなくて、家までランニングして帰ったった]

 との投稿がなされていた。すでにほかの友達からの「イイね!」がいくつかついている。僕も「イイね!」をすると、小さなハートマークが画面に浮かんだ。ついでに「良い走りだったよ」と投稿に返信を送った。

 次いで、僕のアカウントのフォロー欄をあさり、一つのアカウント――【ラプラス】を表示させる。昼には見られなかったプロフィールの欄も、フォロー申請の通った今ならば見ることができた。しかし見ることはできても、読むことはできなかった。

「英語しか書いてないな」

 プロフィール欄には英単語がいくつか並んでおり、そこには小学生の僕にでも分かるような単語が無かったのだ。かろうじて分かるのは、最後の4文字くらいだった。

「[By AI]、ねぇ・・・・・・」

 『By~』という英語の意味なら分かる。その言葉を言ったのが誰なのかを表す英語だ。つまりはこのプロフィールに書いてある英語の文章は、AIさんが言っている言葉ですよ、という意味になる。

「アイなんて子はうちのクラスにいないし、有名人の名言か何かかな?」

 まあいいか、と思いほかの情報に目を向ける。フォロー数は0のままのこのアカウントだけれど、驚くことに、フォロワー数は1だった。つまりこのアカウントの投稿を見ることを許可されているのは、現在僕だけということになる。

 ・・・・・・あれ? 僕のほかにもフォロー申請してたよね?

 少なくとも、大翔のアカウントからはフォロー申請を送っていたはずだ。それは間違いがないことだ。なぜ間違いがないかというと、それはもちろん僕がこの手で申請を送ったからだ。

 フォロー許可が他の人の分は追いついていない、という線は考えにくかった。僕のフォローが通ってから、すでに二時間以上経っている。

 さらにいえば、いまだ投稿数が0ということも不思議だった。少なくとも僕のフォローを許可するために、この【ラプラス】の中の人は一度チュイッターにログインをしているのだから。誰の投稿を見るわけでもなく、何の投稿をするわけでもないのに、僕からのフォローを許可するためだけにチュイッターにログインすることなどあるのだろうか? 明らかに不自然だ。

 首を傾げながらスマホを指で撫でると、シュポっという小気味いい音が鳴り、タイムラインが更新された。時刻は丁度二十時になるところだった。

 そこには新しい投稿が表示されていて、驚くべきことに投稿の主は【ラプラス】だった。

 ごくり、と生唾を飲み込む。どうせイタズラとはいえ、いまいち意味の分からないアカウントを持っている人間が僕のクラスにはいて、彼(彼女?)が一体どんな投稿をチュイッターにするのかが、気にならないといったら嘘になる。

 投稿も英語だったらどうしようと思ったが、そこには日本語『らしい』文章が書かれてあって安心した。

 そこにはこのように書いてあった。


[雨。お給食でパッンが出た。抜き打ちテストだ! 教室は今日も賑やか。黒い鳥が羽ばたく]


 ・・・・・・は?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ