第一章 蓮華純の章
将来について。17歳を迎えた10月9日に、教室の机上に置かれたタブレットを眺めながら蓮華純は物思いにふける。そこには、進路調査票と表示されている。
だいたいの人間は、学業を終えたら就職し、それなりの収入と家庭をもって人生を終えることを望んでいるだろう。実の両親を失い、母方の叔母・三美子と叔父・順二の援助を受けている身だ。彼らの望む通り、せめて今通っている石切高校は何も言わず卒業するつもりでいる。しかし、自分にはその後の将来に対する期待や欲がないのである。何をしたいのか?何になりたいのか?そんなことは彼女にとってどうでもよいことなのだ。
「純!今夜、肝試しにでも行かない?」
同級生の女子グループのメンバー・絵里に声を掛けられる。この女子グループは、校内でも随一の問題児たちの集まりとされている。
「そんなとこあったっけか?」
純は気晴らしが見つかってすっかりご機嫌だ。
「純の家の近くに倉庫みたいなのがあるんだよね。そこ入ってみようよ」
同じく、グループの奈々が意気揚々に話す。
「おもしろそうじゃん。0時に俺んち集合な」
地元の仲間とつるんでいる時間が一番気兼ねなく過ごせる。とはいえ、純は生池市から一度も出たことがないが、出る理由がない。必要なものはこの街で十分賄える。どうせ他の街に行ってもしょせん似たようなものである。きっと自分は、この街で人生を終えるんだろうなとぼんやり考えていた。
0時になり、純はこっそり部屋を抜け出して2人と落ち合った。どうやら家の近くにあるというその蔵は、このあたりでは珍しい、かなり年季の入ったものの様だった。もう何百年も手入れされていないのか、蔵は生い茂った木々やツタに覆われ、一目では見つけられにくい。さすがの純も国が管理する国営地だろうと思い近寄らなかった。
「そもそも、ここどうやって開けるんだ?」
純は、大前提の質問を投げかける。すると、絵里が声を潜めて続ける。
「普段は空いてないんだけど、夜中に行くと、たまーに、あいてるんだって」
「えっ?てことはここのカギを持ってるやつがいるってことか?」
「幽霊が扉を開け閉めしてたりして…」
奈々が放った言葉に、全員静まり返る。
「ま、まさか。管理人がいるんでしょう。むしろ、管理人に出くわした方がやばくない?」
「でも、なんで夜中なの?昼までよくない?」
確かに…と全員が心の中で思った。
「わかった」
純が静寂を遮る。
「人目に付いたらまずいものが入ってんだよ」
「それって…死体とか?」
奈々が顔を青ざめる。
「やばいよ、怖くなってきたよ…帰ろうよ…」
「馬鹿!せめて扉が開くかだけでも確認しないと夜中に抜け出してきた意味がないだろ」
「そんなに言うなら、純が開けてよう…」
完全にへっぴり腰になっている絵里と奈々に呆れつつ、純は扉に手をかけた。
「ひっ!ほんとに開けるの?」
「うるせーな、静かに…」
ギイ、と扉が動いた。
純は、何かに引き寄せられるかのように中に足を踏み入れようとした。
「純!やっぱ帰ろうよ!」
2人の声も聞き入れず、明かりのない蔵に入っていく純に不気味さを感じた。無理やりにでも引っ張らないと、純が手の届かないところにいてしまいそうな気がした。
見かねた絵里が純の腕を力強く引っ張り、そのまま扉を閉め、一目散に逃げだした。
「お、おい!なにすんだよ。もう少しで中の様子がわかるところだったのに」
「いいから。とりあえず純の家の前まで走るよ」
純の家の前に着いた3人はぜえぜえと息を整える。
「お前ら、誘っておいてなんなんだよ。おかげで台無しじゃねえか」
「純。帰ろうって声かけたの聞こえてた?」
絵里が、真剣な顔で問いかける。
「そんなこと言ってたか?聞こえなかったぜ」
「おかしいよ、あんな近くにいたのに。何かにとりつかれたみたいになってたよ」
「とにかく、純も、私たちもあそこに近づくのはやめとこうね。なんか、嫌な感じがする」
どうしても純だけは納得がいかなかったが、2人が本気だとわかったので、黙ってうなずいた。
帰宅後、ぐっすり眠る三美子をよそに純は自分の部屋に戻った。
あの蔵を開けた時の、引き込まれるような感覚が身体から離れない。なぜだろう、少し懐かしいような、もういっそ忘れてしまいたいような。不思議な感覚が残っている。
ふと、鞄にタブレットがないことに気づいた。
タブレットとは、この世界に生まれて最初に支給されるタッチパネル型液晶画面である。純のような学生たちは、このタブレットをテキストやノートとして使用している。走った時に落としたのだろうか。それとも、引っ張られた拍子に蔵で落としたのかもしれない。いずれにせよ三美子叔母さんにばれると非常に面倒くさい。
「あいつらには悪いが、明日行ってみるか…」
次の日、仲間たちと顔を合わせ、なんともなさそうな様子で登校してきた純を見て絵里と奈々の2人は安堵した。
「よかった…来なかったらどうしようかと思ってたんだ」
絵里が声をかける。
「大丈夫だって。もうあんな蔵どうでもいいや。それよりさ、今日もタブレット忘れちまってさ」
話題をタブレットにあえて切り替えた。
「むしろ学校に持ってきたことあった?」
確かに、普段持ち歩かないタブレットを、なぜ昨日の夜たまたま鞄に入れていたか謎であった。
「美大目指すんだったら、そろそろ」
「まじでそろそろ出席数やばいんからなー。今日はちゃんと授業受けるわ」
「タブレットないのに?」
いつもの調子に戻ったように振る舞い、放課後を迎えた。
(さあて、全員部活に行ったか…)
普段のように学校をさぼると、一人で蔵に行くことを疑われるかもしれないと思い、今日はあえて最後まで授業に出席した。
珍しいこともあるモノだ、と担任は感心していたが、タブレットを持っていないとわかると途端に、内申点は上がらないぞとくぎを刺された。美大どころか、進学できるかすら危うい。
いっそのこと就職してしまった方が実は楽なのかもしれない、と考えながら純は昨日の蔵にたどり着いた。周りを見ても鍵が落ちている気配はない。
蔵の中に落としてしまった可能性もある。と結論付けた純は、早速蔵の扉に手をかけた。
扉の向こうには、等間隔に並ぶ大きな棚に、何かがぎっしりと保管されている。それが一体何なのかは、視力の低い純には一瞬で判断できなかった。
「貴女、誰?」
蔵の奥から現れた女性が怪訝そうにこちらを見つめる。
「もしかして、お仲間さん?」
くすりと笑うその少し垂れた目元に、初対面とは思えないくらい親近感を感じた。
「お、お前こそだれだよ。この蔵の管理者か?」
この蔵から漂う雰囲気を味わう暇もなく、純は警戒心をあらわにした。
「違うわ。私も貴女と同じで、無断で立ち入ってるの。だから、早くそこの扉閉めてくれる?」
慌てて扉を閉める純。女性は間髪入れずに純に歩み寄り、握手を求める。
「ようこそ。まさか私以外にこの蔵を見つける人がいるなんて思わなかったわ」
「まあ、学校でもちょっくら有名になってたからな。こんな古めかしい蔵があるなんて知らなかった」
「そうよね。一人になるにはうってつけの場所だもの」
女性ははにかむ。確かに、ここ最近常に誰かに見られているような気がして落ち着かない。
「ところで、ここには何があるんだ?変な箱?みたいなのとか見たこともないものがいっぱい並んでるが…」
ふと、純が手に取った「薄い透明なプラスチックの箱」には何やら見たことのない文字と、写真が印刷された紙が入っていた。
「なんだこりゃ…読めねえ」
「その隣にある丸い板も面白いわよ。あ、あなたすぐ壊しそうだから丁重に扱ってね」
まだ出会って5分も経たずして、非常に的を得たアドバイスである。
言われた通り、そーっと円盤を外すと、裏側は虹色のように光っている。
「きれいだな」
「でしょう?けど、これが何のために使うのかわからないの」
「とりあえず、いつのか分からねえが古いもの…ってことだよな」
「文字が分からない以上、数字で推測しましょう」
そういいながら、女は古い紙の束を出して見せた。
「すげえ!なんだこれ、ちょっとザラザラしてる。重いし不便だな」
「こんなものが置いてあるなんて、本当に謎よね。この蔵は」
国から支給されるタブレットですべての情報を得られる彼女たちは、紙というものに触れたことがなかった。
「ほら。全く読めないけど、ここに載っている写真と、あなたが今持っているプラスチック箱の写真、一緒でしょう」
4人の男がベランダから顔を出している写真だ。
「ああ、ほんとだ」
「で、この写真には1963と数字が入ってる。もう一つ1963と入った写真があるけど、この白黒のやつね。その次の写真。顔がいっぱい並んでるやつ。これは1964って書いてあるの。でどんどん1965…って数字が続いていくから」
「この写真を撮った年の順に並んでるってことか」
「そゆこと」
「けど、今は735年だぜ?この数字が年代っていうのは無理があるような」
純は混乱し始めた。735年の現代に、なぜ1963と書かれた数字が本に載っているのか。
「そこよ」
女は急に声を荒げた。
「歴史のテキストを見ても1963なんて数字は出てこないし…」
学校の鞄からタブレットを取り出す。タブレットのカバーを見る限り、彼女はどうやらそれなりのお嬢様学校にかよっているようだ。
そんなお嬢様がなぜ学校をさぼっているのかも気になったが、タブレットに記された歴史の最初の項目にふと目をやると、純はある疑問が浮かんだ。
「確か戦争で世界中がボロボロになって、体制を一回立て直したんだろ?だったら、ここにあるものって全部その戦争よりも前のモノなんじゃねえの?」
女は目からうろこが落ちたように純を見つめる。
「それって、この蔵は戦争より前からあったってことよね?」
「いや、そうだとしたらつじつまが合うと思っただけで」
「だって、大昔の戦争でそれまでの文化や文明はすべて滅んだって習ったわ」
「けどここには俺たちが見たことないものばかりだぜ」
純は、倉庫内を見渡す。かなりの量の資料が並んでいる。
「一度ここの管理人とは話がしたいわね…きっと全部知ってるはずよね」
女も神妙な面持ちで倉庫を見渡した。
「とっ捕まえて全部聞き出そうぜ」
大昔の遺産がこの倉庫に眠っていた、という2人の仮説はしょせん推測の域を出ないが、意外といい線いってるのではないかと純は思った。
「ねえ、私たちいい線いってるんじゃない?」
同じく、彼女も口がほころんでいた。
「そうだな」
知り合ってまだ数分だが、彼女といると穏やかな気持ちになった。
「ね、また明日ここで会いましょう」
女は純に微笑んだ。
「おう。どうせ暇だし。今日はそろそろ帰るか」
2人は貴重な「遺産」を元あった場所に戻し、学校の鞄をもって倉庫を後にした。
「じゃ、私こっちだから」
女は純が行く道の反対方向を指さす。
「あ、待って…お前、名前は?」
「松川珠里。珠里でいいよ」
「俺は…蓮華純」
まつかわ、という響きにどこか聞き覚えがある気がしたが、該当する人物に心当たりはなかった。
「じゃ、純。また明日」
「また明日な、珠里」
純と珠里は、それぞれの帰路に就いた。