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ラブラブな贖罪

作者: 84



 自分のことを善人だと思ったことは一度もない。だけど、悪人かと問われればそういうわけでもない。


 だいたいの人はそう思ってるんじゃないかな。


 そんなことを言っても意味のないことだけれど。


 でも、川のほとりにいるのクラスの同級生は、自分は悪人だと叫んでいる。悪いことをした、そんな自分が嫌いだ、と。


 私は彼に興味を持ってしまった。彼は何をしてしまったのか。彼の今までに何があったのか。


 それを知りたいと思ってしまった。だから彼を……。





***





「近所迷惑だよっ」



 ()()()()()()()()()()()


 10月の川は想像以上に冷たく、鼻に入ってくる磯のにおいは懐かしい記憶を刺激する。


 その掛け声は自分がやることを詫びるつもりがない平然とした口調だった。たしかに傍から見れば自分はこれ以上なく近所迷惑かもしれないが、乱暴は良くない。


 というか叫んでいたのが見つかってしまったのか。早朝であるこの時間帯なら誰にも見られることがないと思っていたのに。ものすごい恥ずかしい。


 特に怪我したわけではないが力なげに立ち上がる。久しぶりに動かした体は疲れ切っていた。



「お前、何のつもりだよ」


 振り返り、突き落とした犯人に話しかける。自分から出た言葉はかなり機嫌の悪い声だった。というか突き落とした犯人に機嫌よくする理由もないんだが。



「ま、うるさかったからさ。私が近づいても全然反応しなかったからつい、ね」


「だからって普通は川に落とさないだろ」


 声の主はニヤけていた。これ以上なく。自分を見下ろしている声の主は長い黒髪を垂らして、そこから覗く黒い眼はどこか儚げな雰囲気を感じさせる。


 声を掛けられた時点で分かっていたが犯人は女性だった。というかクラスにこんな感じの女子がいたような気がする。



「やあやあ小谷君、秘密の懺悔は終わったかい?」


 …やはり聞かれていた。誰もいないだろうと思ってあんな気味の悪いこと叫んでいたのに。聞かれていた、しかもクラスの女子に。



「お前。名前は何だ。あと記憶消せ」


「なかなか上からの態度じゃないか小谷晴(こたにはる)君。君は悪人とかどうこう言っていたけど、何か悩みがあるんだったら私が聞いてあげようじゃないか」


「うるさい。名前なんだ。あと記憶消せ」


「ふふふ。顔を真っ赤にして必死だねぇ小谷君。私の名前を憶えていないんだったら、私の名前はKとでもしておこうか」


 顔をにやにやさせながら楽しそうに、それはもう楽しそうに話を続ける自称K。



「ところで君は服も濡れてるし体はヘロヘロ。一体どうしたんだい?」


「濡れてるのはお前のせいだろ。体は...少し疲れてるだけだ。というかそのしゃべり方は何だ。妙にイラつく話し方だな。あと記憶消せ」


「これは君をからかうだけの話し方だからイラついてくれてありがとっ」


「何なんだよお前…。からかうだけなら俺は帰るぞ。あと記憶をへ…へっくしょんっ…」


 盛大にくしゃみをしてしまった。なんか人前で大きなくしゃみするのは恥ずかしい。



「あらあら風邪でも引いてるのかな? 体調管理はしっかりしなきゃダメでしょ」


「くしゃみは冷たい空気を吸うと起きる体の働きだ。風邪じゃないし原因はお前だ。お前しかいない」


「へぇーそうなんだ。賢いね小谷君。でも体調管理はしっかりね」


 なんだかあまり褒められてる気がしない。それより体を拭いて温めるのが先決なのだが。



「もういいだろ。早く服を何とかしたいから行っていいか?」


「いやいや、まだ話は終わってないよ。君が何であんなことを叫んでいたのかを聞いてないじゃないか」


「そんなこと知ってどうする。お前には関係ないだろ」


「いやいや。あんなこと聞いてたらさすがに悩みくらいは聞いてあげるよ? 川に突き落としたよしみとして」


「そんなよしみは世界にどこにもないし本当に話すことなんてないからほっといてくれ」


 何故こんなにも食いつくのかわからないが、とにかくこいつを引きはがさなければいけない。その方法を考えているときだった。



「君、今家に帰りたくないんでしょ」


「……」



 憶測で心を読んでくるがそれは外れている。しかしこいつが言っていることは()()()()()のでそのままにしておく。



「あたりだね。私には全てお見通しサ」


 ばつが悪くあえて目をそらす。それでもお構いなしに、それさえも楽しそうにこいつは話を続ける



「とりあえず私の家に来るといい。今のままだと話してくれなさそうだし、その服も何とかしなきゃいけない」


 するりと自分の家に誘ってくるこいつ。邪な考えはなさそうだが話を聞きだそうとする気がありありとしている。



「どうかな。悪い提案じゃないと思うんだけど」


 相手からの提案だから厚意に甘えて行くといえばいいのだが、はい行きますというのも微小なプライドが許さないので一言。



「消去法でいやいやなくなくその提案に乗る。だけど話すとは言ってない。ただ体を休ませるだけに家を使うだけだからな」


「どこまで黙っていられるか期待しておくよ」


「あのさ」


「ん?」



「お前、そのキャラ、似合ってないぞ」





***





 『しまった』という言葉はどこから来たのだろうか。言葉の意味は何か失敗したり、予想外のことが起きて不都合なことが起きたときに出る言葉だ。意味の由来はさておき、この『しまった』という言葉はそのニュアンスだけで何か弱弱しいイメージができるというもの。ムキムキの歴戦の老戦士が『あ、しまった』なんて言った日にはそれだけで茶目っ気のあるキャラへとジョブチェンジするだろう。


 しかしそんな言葉を元から弱弱しい男子が使ったとあればギャップも落差も生まれずただの感動詞へとなり下がる。



「しまった…」


 自称Kの提案に乗り、Kの家で暖をとることにした。服は完全に濡れていたので買うか乾かすかの二択だったが、買うお金もないので乾かすことに。乾かすのに時間は必要で服をいったん脱がなければいけないので、そのタイミングでシャワーに入ったらというKの提案。特にやることもないので素直にシャワーを浴びさせてもらって着替える最中だった。以上回想終了。



「あいつ、これを仕組んでいたのか…」


 服持っていくねーと言ってごそごそした時点で気づけばよかったのだが。そこには女性用のワンピースがハンガーにかけられてあった。



「あ、気づいた~?それ着てこっちまで来てみてよ~」


 離れたところから声を張り、煽りの文言(もんごん)をこれでもかと明るく言い放ってくる。家に来る前の言葉が相当気に入らなかったみたいだ。



「おい、これお前のか?だとすると風呂上りの男子高校生がこれを着ることになるんだぞ。それでもいいんだな」


 負けじと声を張り、自虐的に相手の確認をとる。



「それもう私のじゃないから。着てもだいじょ…」


 途中で言葉が途切れる。



「やっぱりもう一回お風呂入って。はやく。」


「どっちなんだよ…」


 仕方なくもう一度風呂に入りなおす。巷では朝と夜の二回風呂に入る人もいるらしいが、この短いスパンで風呂に入りなおす人はいないだろう。


 そうこうしているうちに脱衣所の扉が空き、Kが服を回収しに来たようだ。


「小谷君の服、乾かして戻しといたから」



 扉越しのKの声はなんだか暗いトーンだった。


「もう乾いたのか?別に急いで乾かさなくてもいいんだが」


「なに?もしかしてワンピース着たかったの?そう言ってくれれば」


「ごめんそういうことじゃない。乾かしてくださりありがとうございます」


「分かればよろしい」


「そういえば、なんでそのワンピースは着てほしくなかったんだ?」


 何気なく質問したつもりだが、立ち去ろうとしていたKは動きを止めた。




「昔ね、これを一回着た子がいたのよ」


 その言葉と扉の開閉音を残して去っていった。



「何か思うところがあるんだろうな」


 不思議と親近感のある落ち着く湯舟だったが、二回目となると長く入っていてもしょうがないのでさっさと浴室から出よう。





***





「お風呂いただきました」


「えっおいしかった?」


「使わせていただきました」


「どいたま~」


 Kの恰好は川であった時と変わっていた。デニムのショートパンツに白のニット。髪は簡単にまとめてあり団子ができている。オシャレな格好で普通にソファに座っている。こうしてみるとKは普通に美人という分類に…。


 でも確か川では確か制服を着ていたような…。



「お前、川にいたとき制服だったよな? あんな早朝なのに」


 Kに気になったことを質問すると明らかに目を背けてきた。やはり言いたくないことがあるらしい。



「なんで早朝にあそこにいたんだ?」


「…色々あってね。帰りたくなかったの」


 つまり制服のまま一晩過ごしていたのだろうか。それは女子高校生としてどうなのだろう。



「お前な、どこにいたのか知らないけど制服でほっつくのは良くないと思うぞ」


「小谷君は私の親じゃないでしょ。心配しすぎだって」


 悪態をつくKの顔は少し笑みがともっていたような気がした。



「それより風呂まで食べておいて私を質問攻めする気?」


「風呂は食べてない…。いや質問攻めする気はなかったんだけど」


 そう言えばここはKの家であって自分にとってアウェーな状況だった。それでもここまでリラックスできるのはKの雰囲気が多少ゆるくなっているからなのか。



「というか君のほうこそ朝っぱらから叫んでるのは良くないと思うな~」


「……」


 全くの正論で声が出ない。一気にこの場に居づらくなって変な汗が出てくる。どちらが迷惑でよくないことをしているかと言えば間違いなく自分の方だ。



「で、なにを叫んでいたの?」


「…お前、内容までは聞こえてなかったのか?」


「ヴァーヴァー言ってたのは聞こえたけど、はっきり言葉として認識できるような声じゃなかったから」


「じゃあいいだろ。ただ叫んでただけ。それだけだ」


「うそだあ~。絶対なんかある叫びだったよあれは」


「お前には関係ない。別に知ったところで何かできることなんてないんだし」


 冷たくそう言い放つと居間を抜けて玄関にある荷物を手に取る。



「どっか行くの?」


「帰ったらダメなのか」


「んー。いきなり過ぎない? まだ小谷君のこと何も分かってないし」


 Kはあくまで自分のことを聞き出そうと思っているようだ。面倒くさいことこの上ないがお風呂を使わせてもらったわけで。いやそれもKが川に突き落としたのが悪いんだが…。



「俺のことなんて面白い話はないし、人においそれと言えるようなものじゃない」


「それが聞きたいんじゃん。私は興味あるよ?小谷君のこと」


 聞く人が聞けば喜びそうなセリフだが今は悪寒しか感じられない。



「俺がお前に興味ない。だから話さない。分かったか」


「知ってる。ちょっと前の私みたいな目をしてるからよく分かるよ」


 Kは目線を外してどこか思い起こすように遠くを見ていた。



「だからね。私は小谷君に元気になってほしいんだよ」


「……」


 元気になってほしい。それがKの目的なのだろうか。絶対に興味本位や面白半分とかの類だと考えていたが実際は…。



「…って言ったら私に興味持ってくれたり?」


 前言撤回。このニヤニヤした顔の持ち主はやはり純粋な興味だけで自分のことを聞きたいだけなんだろう。



「お前、いい性格してるよ。それじゃ」


 荷物を手に取り玄関の扉を開ける。靴が少し湿っているが気にしている余裕はない。早く家に帰ろう。



「あ、ちょっと待ってよ」





***





 朝の時と違い空気がずいぶん軽く感じるさわやかな晴れ間。天気だけではなくお風呂に入ったことも関係しているのだろうか



「で、どこまでついて来んの?」


「そりゃ小谷君の家までだよ。全然君の話聞いてないし」


 Kの家を出て突き落とされた河川敷を通り家に帰る途中。Kの家を出てすぐにKに捕まり、以降ずっと隣を歩いている。



「お前俺が話すまでずっとついてくる気か?」


「そりゃそうでしょ。ほら早く喋っちゃいな~」


 最初はずっと付きまとってくるのが鬱陶(うっとう)しかったが、今はKが横にいるのを何も思わなくなってしまっている。



「何度も言ってるが俺の悩みなんて面白くもないし、かなりちっぽけなもんだ。それでも聞きたいのか?」


「もちろん。小谷君は悩みがあるんだ」


 悩み、というフレーズをうっかり拾われる。必死に隠すものでもないが、他人に打ち明けていいような悩みでもない。


 しかしKになら別にいいかと思ってしまう自分もいる。



「誰にも言わ」


「言わない言わないっ」


 食い気味に返答するKに不安を覚えるが、なんとなく他人に言いふらさないような気がする。



「これは俺のつまらない話なんだけど」


 そう前置きをして、自分に()()()()を話し始める。





***





「好きな人ができたんだ」


 普通の人に言うなら恥ずかしいセリフ。横にちょこちょことついてくるKに対してならなぜか言える気がした。しかし当の本人の反応は。



「……っっぷぷ」


 どうやら笑いを抑えられないご様子。どうせ普通に話してもつまらないだけなので、最初の言葉くらい笑われるくらいでちょうどいい。



「そ、そうなんだ。それでそれで? 誰を好きになったの?」


 笑いをこらえていた影響で涙目になったKが目を拭いながら返答する。



「俺の話はそこが重要じゃないんだ。誰かを好きになった、そのこと自体がショックだった」


「…どういうこと?」


 Kは空気を察したのかすぐに真面目に聞く姿勢になった。こちらとしては軽い感じで聞いてもらえればよかったのだが。真面目に聞かれるとこちらとしても実に話しにくい。



「これは俺の昔話だから流してもらって構わないけど、俺は小さな頃から体が弱くて入退院を繰り返していたんだ」


「何かの病気?」


「心臓の病気でな。今年の7月までは一年間くらい入院してたかな」


「…今は大丈夫なの?」


「今はもう治ったから大丈夫だけど、川に突き落とされたりすると心臓には悪いよな」


 忘れていたがこいつは初対面で川に突き落とすようなやつだった。ここぞとばかりに反撃を開始する。



「ご、ごめんなさい。そうとは知らなくて」


「そうとは知らなくてもやるなよ」


 そう言えば今日初めてあの時の謝罪を聞いた気がする。この話がなければ謝らずにいたのだろうか。



「心臓の病気って深刻なやつだったの?」


 ばつが悪いので露骨に話を逸らしてくる。そこまで責める気もなかったが。



「そうだな。実際治療や手術だと症状を抑えられる程度だったかな」


「ふーん」


 意味ありげに感嘆詞をつぶやくK。話をそらしたので本線に戻さなければならない。



「そのころに何度も考えたんだ。なんで俺がこんな目に合わなければいけないのかって。学校のやつらは今も楽しく遊んでるのに、何で俺は安静にしていないといけないのか。そんなマイナスなことばっか考えてた」


 実際その頃のことはあまり記憶に残っていない。入院しているときはベッドの上、退院時はあまり学校に行ってなかった。そんな環境からネガティブな考えしか頭に浮かばなかった。


 Kは相槌を打つだけでじっと話を聞いている。出会って数時間だが、いつにない真面目さだと感じ取った。



「周りにいた人たちは優しかった。親とか、友達、病院の人とか。それでも俺は周りに生かされてるだけで、俺自身で生きてるわけじゃない。周りのやさしさだけに甘えてはいけないって思った」


 河川敷から小道に入り、いつの間にか家はすぐ近くまで迫っていた。



「元気になったら俺はその人たちに恩を返さなきゃいけない。直接返せなくとも社会の役に立たないといけない。ちゃんと勉強して、ちゃんと体を作って、ちゃんと生きていかないといけないってね」


 過去に自分が考えていたことを自傷気味に語る。言葉にするとアホらしいが、当時は本当にそう思っていた。いや今でも自分の心の中にはこの考えがあるのかもしれない。


 歩きながらなじみのある石垣に気が付くと、目の前には自分の家である一軒家が建っていた。



「着いたな。ここが俺の家だ」


「…なんか私の家と似てるね」


「ここら辺の一軒家なんて同じようなもんだろ」


 家に着いたのはいいが家には誰も居らず、そんな中でKを家にあげるのは一男女としてまずいような気がする。



「話途中でしょ? 家に入らないの?」


「今家に誰もいなくてだな…。家にあげていいものかどうか…」


「別に気にしないよ~。私の家で風呂まで食べて今更だよ」


「……じゃあ、上がってどうぞ」


「お邪魔します~」


 スニーカーを律儀にそろえて家に上がるK。俺の部屋は少し狭いのでリビングで待っていてもらおう。



「奥のリビングで待っていてくれ」


「ん~? 小谷君の部屋はどこなの?」


「……俺の部屋はない。基本リビングで生活して…」


「嘘だね。二階の部屋が全部物置きじゃないだろうし、変な間があったし」


 咄嗟に嘘をつくのはなかなか難しい。今までの会話から察するにKは普通に頭がいい。出会った時のしゃべり方も今のしゃべり方も理路整然と話している。おそらく川に突き落としたりボケを入れるところも考えてのことなのだろう。



「二階の登って左側の部屋だ。物色しても面白いもんは出ないぞ」


「はーい。大人しくまってまーす」


 スタスタとスリッパを鳴らせながら上に上がるK。迎える側として最低限飲み物は出すべきだろうと、冷蔵庫からウーロン茶を取り出しコップとともにお盆にのせて運ぶ。



「何か嫌な予感がする…」


 部屋の前でウーロン茶を目にしてこのチョイスは良くないかと思ったが、ここまで来た以上ウーロン茶で行くしかない。



「入るぞ」


 いつものようにノックなしで部屋のドアを開ける。


 そこには、四つん這いになり顔を床に着けてベッドの下に手を伸ばすKの姿があった。デニムから伸びている健康的な足とニットのたるみから見える細い腰回りが目に入る。



「……な、何してんのお前」


「んーとね。男子のベッドの下には男がいるらしいよ」


「それはアメリカの怪談話だろ…。それに男子限定のベッドの下じゃないし」


「おお~知ってるんだね小谷君。私の家は布団だから試してみたかったんだよ」


 なんというか自由奔放な性格をお持ちのようだ。好奇心だとか興味というのがKの行動理念なのだろうか。



「よいしょっと。あれ? 小谷君顔赤いね。大丈夫?」


 誰のせいだと思ってる。と言いたいところだが、それではKの姿をまじまじと見ていたと思われる。ここはグッと我慢するしかない。



「別に、大丈夫…。飲み物、ウーロン茶でいいか? なんとなくこれにしたんだが」


「……その黒いウーロン茶、好きなの?」


 なぜか深刻な顔して聞いてくるK。そんなにウーロン茶が嫌いなのか。



「ウーロン茶は嫌いだったか? 俺は最近ハマってるからこれにしたけど」


「そう…。私も黒ウーロン茶好きだよ」


 好きという割には複雑な表情をしているが大丈夫だろうか。



「飲み物ありがとう。それより話の続きしよ?」


 気持ちを切り替えて明るい顔をみせるK。無理してる感じではないがさっきの表情を見ると違和感がある。



「確か小谷君が元気になったら頑張るぞーって所で終わった気がするけど?」


「あ、ああ。こっから話が膨らむわけじゃないから端的に言うけど」


 くだらない話を途中から話すというのもくすぐったさがあるが、Kが求める以上それをこらえて話すしかない。



「実際に元気になってさあこれからって時に、恋をしたんだ」


「最初の言葉につながってくると」


 冷静になって振り返ってみると女の子にこんな話するってなかなか気持ち悪いな。こいつはただただ悩みを聞いてるだけかもしれないがこちらにとっては負担が大きい。



「そうだな。好きな人ができたことにショックだった」


「それは…。恋愛すると自分を高める時間が取れないからとか?」


「それも少しはあるが、占めても1割くらいだ。ショックだったのは多分…」


 一呼吸おいて自分の悩みの根幹を吐き出した。



「こんな俺に恋愛なんてする権利がないってことかな」


「恋愛する権利? そんなの誰にだってあるもんだし、誰もそれを否定できないと思うけど」


 極めて正しいことを言うK。客観的に見たら十中八九そうなのだろう。でも自分がそれを否定してしまう。



「そんなことはない。恋愛なんて人生に余裕のあるやつがかまける道楽だ。俺はたくさんの迷惑と心配をいろんな人にかけたんだ。だから…」


 言葉を紡ごうとしたその時、Kの人差し指が動く唇に当たる。



「…っっ」


 Kは穏やかな表情だった。とても同年代とは思えないほど。その黒い眼にはしっかりと俺の姿をとらえ、俺の心を穏やかにしてくれる。



「小谷君の周りの人は心配はしてたかもしれないけど、迷惑だなんて思ってない。それに周りの人は小谷君にとって優しかったんでしょ? だったらその周りの人は、小谷君が自分自身を責めるのを望んでない」


 その声は凛としていて、俺の心の深くまで突き刺していくようだった。



「…でも俺は自分にできることを考えて」


「それはもっとゆっくりやればいいよ。周りの人だって、小谷君が青春していることをうれしく思うはずだよ。もっと自分にやさしくしよう」


 今までの考えが間違っていたわけじゃない。恩返しをするのは大切なことだし、自分は頑張らないといけない。それでも自分自身を軽いものと考えてはいけない。心配をかけて迷惑をかけたからこそ、自分をもっと大切にしないといけない。そういうことをKが伝えたかったのだと思う。



「……」



 お互いに言葉のない静かな時間が流れる。言葉の意味をゆっくりとかみ分け、徐々に理解へと近づく。


 心の中は完全に晴れ空というわけはないが、長く覆われた雲が少しずつ取り払われていくようだ。



「どうだい? 君の罪の懺悔は晴れたかい?」


「…お前、やっぱり聞こえてたんじゃないか。川のこと。さっき聞こえてないって言ったのに」


「あぁ~。罪とかそんな単語なら聞こえてたかも~」


 内容は聞いてないが単語くらいは聞こえちゃった、ということか。はぐらかすようなことじゃないのに。



「ま、まあそんなことはいいんだよ。それで、ちょっとは気は晴れた?」


「そうだな。川に突き落として無理やり家に引き込まれ家まで押しかけることを許すくらいは気が晴れた」


「それはごめん…ってあれ、意外と許されてる、私?」


 言葉にして初めて気づいたことだってあるし、Kはしっかりと聞いてくれた。それだけで少しはやることが見えてきた気がする。



「まあそこそこだな。お前じゃなくても解決したかもしれないし」


「素直じゃないんだから~。感謝の言葉はちゃんとはっきり言うんだよ?」


 相変わらずウザい時はウザいが、そこも彼女の持ち味なのだろう。



「そんな目をしないっ。ちょっと絡んでるだけじゃん」


「別に生暖かい目で見てただけだ」


「それはいい意味じゃないからね?」


 こういう軽い言い合いも最後にしたのはいつだっただろう。最後に友達と冗談を言いあったのはいつだっただろうか。



「そういえば小谷君の好きな人は誰なの? 同じクラス?」


「ああ…。それなんだけど。俺は顔も名前も知らないんだ」


「顔も名前も知らないの? なのによく好きだって思えたね…」


 自分でも変な話だと思うが、その人を見つけたときに運命を感じた。陽の落ちかけた別棟の空き教室、廊下から見かけたその人の姿に一目ぼれしたのだ。自分でもこんな乙女チックな話信じられないが、そう思ってしまったのだから仕方ない。



「正直変な話ではあるよな。顔も名前も知らずに行為を抱くなんて」


「姿も見たことないの? もしかして架空の人物?」


「架空の人物だったら末期だろ…。後ろ姿は見た。逆光でどんな容姿だったかは見えなかったけど」


「もしかしてだけどそれってび…」


 ガチャッ…。


 一階から玄関の開く音が聞こえる。おそらく母親だろうか。この時間は週に一回のカフェ巡りに行ってるはずだったが。



「ただいま~。はるくんいる~?」


 さすがに昼間から女子を家に連れ込んでいるのはまずいか。正直に話そうにも絶対に疑われる。



「…もしかしてやばい感じ?小谷君の親」


「いや、特に何か言ってこないと思うが、逆に何も言ってくれない人」


「あんまり伝わってないよそれ。いや言いたいことは分かるけど」


「はるくん部屋にいるの~?」


 部屋まで来る気か。この最適解が分からないがKは確実に隠さないといけない。



「ちょっとこいっ」


「え? ちょ、ちょっと」



 ガチャ、キィー



 ドアノブが回って扉が開く。この部屋にさっきまでいた二人の姿は今はもうない。



「あれ? はるくんどっか行ったのかしら。たしか昼は自分で済ますって言ってたわよね」


 部屋に目的の人物がいないと分かると、その扉は直前と反対の動きをする。



 ガチャ



「ね、ねえ。なんで小谷君も隠れてるの?」


「い、いや、親にいないと思わせた方が、脱出しやすいかと…」


 クローゼットの中は服が少なく、人ひとりくらいなら十分に隠れられる広さだ。しかし、二人となるとかなり窮屈な空間だった。


 目と鼻の先にいるKは体を強張らせて目をつむっている。Kから伝わる果実のような甘い匂いはどこか心を落ち着かせる。落ち着いてたらいけない状況だと思うが。



「ぁぁ~、ひき肉買うの忘れてたわ。夜ご飯がハンバーグからラタトゥイユになっちゃう」


 ドタドタと玄関に向かう母。そのまま家を飛び出していく。



「どうやったらラタトゥイユができるのか知りてぇ…」


 しかし家から抜け出すなら今しかない。クローゼットの内側から扉を開けて出る準備をしなきゃいけない。



「おい、Kも出てきてさっさと…」


 クローゼットから出てきたKはリンゴのように顔を真っ赤にしていた。心なしか目も涙目でじっとこちらをにらんでいる。



「~~~~~んもぅ…」


 不思議とその表情には黒い影が差しているように見えた。





***





 今日三度目の河川敷。昼下がりの人通りはそれなりに多く、芝で野球をしている子供たちの姿もあった。



「そういえば朝から何も食べてないな」


「……」


「Kさんは何か食事をとりましたか?」


「……」


 家を出てからずっと無視され続けている。家でのことは正直に事故だと言い張りたいが、客観的に見れば非はこちら側にあるので何も言うことができない。



「K様はこのままお帰りになさるのでしょうか?」


「…」


「おおんたてまつるわが神K様、本日はどう」


「その言い方止めて」


 途中からふざけ半分だったが当初の予定通り口を開いた。放たれた言葉は辛辣だったが。



「家でのことはごめん。考えれば他に手はあったかもしれないが、あの時はそうするしかなかった」


「…別に家でのことは怒ってない」


「じゃあなんでそんな不機嫌なんだ?」


「…分からないならいい」


 Kは視線を一切ずらさずに話してくる。何か引っかかっているがその正体は分からない。



「結局今日はそのまま帰るのか?」


「そうしようかと思っていたけど。なんで?」


「い、いや、もうちょっと、話したいなって」


 すごい女々しい感じの言い方になってしまった。もちろん半分本心だが、目的はもっと別のところにある。それを知られたくないが故に変な話し方になってしまった。



「会って数時間だけどそんなキャラじゃないでしょ。小谷君って」


「ま、まあ。俺自身もそう思う」


「はぁ。もういいから。本当の理由は何? ただ話したいだけじゃないんでしょ」


 うんざりした様子で聞いてくるK。さすがに態度でバレていたようだ。



「…正直に言っていいか?」


「もちろん」


「お前がなんであそこに居たのかを知りたい」


 Kと出会ったこの河川敷。普通はあの早朝に制服を着た女子高校生は通らない。誰かのように川に向かって叫ぶくらいの理由があるはずだ。



「…ちょっと考え事してただけだよ」


「どんなこと考えてたんだ?」


「そんなの……。小谷君には関係ないよ」


「俺の話を無理やり聞き出しといてお前はだんまりか?」


 少し卑怯だが実際にやられたことをやり返すだけだ。嫌味でも皮肉でも口実(こうじつ)になれば何でもいい。



「それはっ…、そうだけど本当に人に聞かせる話じゃないの」


 動きを止めた足元を見つめ、自分に言い聞かせるようにつぶやくK。それでも()()()()()()()()()()()()()


「俺の時だってそうだ。人に話すような悩みじゃなかったけど、お前に聞いてもらった。そのお返しだ。さっさと吐け」


「意外と強引なんだね小谷君は。川で叫んでた人だとは思えないよ」


()()()()()()()()()()()()()()()()()。お前はここにはよく来るのか?」


「そりゃね。ここは近所だもん。考え事とかはたまにここを通って考えてるよ」


 再度歩き始めたK。その足取りは重く、いろんなものに縛られているように見えた。



「親か? それとも友人関係か? それとも恋愛とかか?」


「ん~、強いていうなら友達かな。親もいざこざはあるけど、考えてるのは友達のこと」


「喧嘩でもしたか?」


「そういうわけじゃない。私にとってただだ友達った。それだけだよ」


 Kの目は彩度を失い闇に沈んでいた。その眼の奥にはこの風景は映っていない。いつしか懐かしく歩くこの風景は。



「もう伝えられないから、どうしようもないんだけどね…」


「お前は後悔してるのか? その友人について」


「どうなんだろうね。最近はそういうのも薄れてきてるかな」


「昔は考えてたのか?」


「なんかカウンセラーみたいだね。小谷君」


「…」


 そのまますたすたと歩いていると見覚えのある曲がり角でKは立ち止った。



「どうする? 私はもう帰るけど」


 そう言葉を放つ彼女は何かに期待しているような目をしていた。


「ばーか、帰らせるわけないだろ。言い逃げは卑怯だぞ」


「だよね。私ももう少し話したかったし」


 そういうKの口元はわずかに笑っていた。


「もうちょっとここを歩こうか」


 Kは曲がり角を直進して帰路から外れる。その歩調はさっきよりも少し早かった。



「昔は後悔してたか、だっけ。どちらかと言えば未練かな。何もしてあげられなかった。彼女が何を考えていたのか分からなかったし、何をしてあげれば良かったのか、今でも分からない」


 初めてKが本質に近いことを話したような気がする。KもKでずっと悩んでいるのだろう。


「その友人は今は?」


「……少し、待って」


 一言ぽつりとつぶやいて一呼吸置く。



「私の友達はもうここにはいない」


「この町から?」


「違う、この世界から」





***





 公園で少し休もうと提案したK。Kの友人はこの世にいないという言葉を聞いた後、二人の間には会話がなかった。それは決して言葉が出なかったのではなく、言葉にするのが無粋だったからだ。友人を想う、そこに他人は関係ないことだ。



「ごめんね、こんな重い話して」


「いや、重いからこそお前は吐き出すべきだ。俺を壁だと思っていいから」


「壁はこんな励ましはしないよ…。でもありがと」


 無理に笑顔を作るK。まだまだ心の壁は厚いようだ。



「ありがとうなんて言うな。俺は俺の役目でいるだけで当然のことをしているだけだ」


「…でも私はありがとうって言いたいんだよ」


「川に落としても謝らないやつがよく言うわ」


 Kに悪態をつくが気づけばいつもの様子に戻っていた。変に気遣うよりこっちのほうがよっぽどいい。



「そうだね。本当はここまで言うつもりはなかったんだけど、小谷君は壁だからついでにはなしちゃおっかな」


「壁への信頼厚いな」


「壁だけに?」


「何上手いこと言ったみたいな顔してんだよ。薄い壁もあるだろ。」


 クスッと笑うK。さっきの無理やりな笑顔よりもこっちのほうがよっぽどいい。



「そうだね。どこから話したほうがいいか分からないから、始めから話そうかな」


 Kは公園のベンチに腰掛けながら思い出すように過去を語る。



「初めて彼女に出会ったのは中学の時かな。ちょうどこの場所だったよ」


「中一の秋ごろのある日、私は部活動に興味なかったから放課後にぶらぶら歩きながら帰ってたんだけど、この河川敷で下手くそなトランペットの音が聞こえたんだよ。」


「音は弱かったし息は全然続いてなかった。素人の私でも呆れるほどだった」


「でもそのたどたどしい音色は不思議と心に響いてくるんだよ。その時の音は今でも覚えてる」


 Kは記憶の淵をなぞるように話し始める。彼女というのがさっき言っていた友人なのだろうか。



「私は思い切って声を掛けちゃったよ。『こんなところで何やってんの?』って」


「そしたら彼女は、『ここで吹いたら誰か来るかなって』って言ったの」


「彼女変わってるでしょ。一目見て思ったね、彼女は大物になるって」


「その時から私は彼女とよく河川敷に来るようになった。彼女がトランペットを吹いて私はそれを聞く。それだけで何か満たされるものがあったと思う」


「彼女のことは何も知らなかった。同じ制服だったから学校は一緒だとは知ってたけど、学年も分からなかったし趣味とか好物なんて一切知らなかった」


「そしてちょうどその頃、私にとって大きな転換点あったんだ」


「両親が離婚したの。母側の不倫でね。私は父に引き取られて家に引きこもるようになった」


 辛かったはずの過去を淡々と語るK。すでにKの中では整理のついた本当の意味で過去の話なのだろう。



「今のご時世離婚なんて珍しくない。片親なんてそこら中にいるし、そんなことで嘆いてはいけない。そんなことを考えてたよ、あの頃は」


「でもやっぱり私がそんな身になるなんて一回も考えたことなかった。自分の意識の外から不幸はやってくる。それが怖くて私は家を出られなかった」


 Kの表情はずっと感情がなかった。冷たい眼でも、何かに怒るような顔色でもない。ただ歴史の教科書を読むだけの、無の表情だった。さっきまでのKとはまるで別人のような。


「私が引きこもって一か月がたった時、もう聞くことはないと思っていたあの音が聞こえたんだよ」


 Kは口元に一瞬微笑をともし、瞼を深く閉じてその思い出を思い起こすように見えた。



「久しぶりに聞いたトランペットの音はびっくりするくらい強い音で、最初は彼女が吹いてたとは思えなかったくらい。」


「彼女は一通り吹き終わった上で、家の外からこう言ったんだ」



『あなたがいないと私、トランペットを吹くぼっちになっちゃう。いいの? このままだと私トランペットを吹く地縛霊になっちゃうよ? 辛いことあったら聞くからさ。私の音もちゃんと聞いてよ』



「アホだよね。地縛霊なんて。でもね、それだけの思いを込めたトランペットの音は確かに私の心を動かした」



「私の不幸は彼女にとっても不幸だった。それを共有できる人が初めてできたんだ」



「そのまま彼女と一緒に時を過ごした。トランペットを聞く時だけじゃなくいろんな行事、いろんな遊び、いろんなことをして、楽しく過ごしてた」



「高校も一緒のところを受験した。彼女の学力に合わせて勉強を教えたりして一緒に合格した」



「それが今の高校。あの時は彼女泣いてたっけ。初めて彼女が嬉しがって泣いてる姿を見た」



 一貫して淡々と語る彼女は不気味と言えるほど無表情だった。だんだんと傾きだした陽の影が彼女を暗く覆う。



「青春なんてものがあるならあの頃がそうだった。彼女があんなこと言わなければその夢はまだ続いてたのかもしれない」


 今まで一切の視線を自分に向けなかったKは不意にこちらを向く。



「やっぱり少し歩こうか、小谷君」


「好きなようにすればいい」


「そう。じゃ歩こっか」





***





 10月の陽は短いが、空はまだ青空を保っていた。公園で話したときは、何分の沈黙と何分の会話が続いたのかは分からない。時間にすればおそらく一時間以上は話していたと思うがあの空間ではそれも一瞬だった。



「小谷くんの好きな人は女の子?」


「突然なんだ。その質問に何の意味がある」


「彼女の好きな人は女の子だったんだよ」


 突然の会話の流れに頭がついていかないが、つまりKの友人は同性が好きになったという話だろうか。



「彼女がそんな感じのことを言ったんだ。私はその時ごまかしたけど、そんなことを言う彼女とはぐらかす私に言いようのない気味悪さを感じた」


「私はあんまりそういうのに偏見ないし、私の周りにそういうのはないって思ってたんだけど、実際の彼女は違った。そしてそれにショックを受けた。分かる? これがどういうことか」


 これがどういうことか、と言われてもただ自分にとって予想外のことが…。


 つまりKはまたあの時と…。



「そう、私の両親の離婚と一緒なんだよ。私の意識の外から私を傷つけにやってくる不幸。彼女は違うだろうとか、両親に限ってそんなことしないとか」



「私は気づいた。そんな世の中甘くないって。私の都合のいい家族も、都合のいい友人もいないんだって。その人たちはその人たちの人生があって、私の思ってる理想像に夢見てるのは間違いなんだって」



「それから彼女とはあんまり話さなくなった。私が見ている彼女は女が好きなんだって思うとなぜか吐き気がしたの。別に世間から見れば私の考えは間違っていて、彼女に非はないんだと思う」



「それが分かっていたから、たくさん考えた。たくさんの事例を見て、たくさん彼女に向き合った。私の心が、理性に打ち勝てばいい」



「でも無理だった。彼女に向き合えなかった。彼女もそれを察したんだと思う。徐々に会うことも減って、毎日顔を合わしてたのが平日だけ、週に一回、ついには見かけても挨拶くらいだった」



 かつて友人だったのが日が経てば顔を合わせなくなることなんて、普通の日常でも頻繁に起こることだ。それでもKの心の中にはその友人のことが離れてくれないのだろう。



「小谷君は今友達いる?」


「いるといったらウソになる」


「素直だね。私は今でも友達は彼女一人だけだよ。私は彼女のことを諦められなかった。つながりを持っていたかった。彼女が同性のことを好きになるような人間でも、彼女の本質が変わったわけじゃない。だから何とか仲直りしようってね」


「そう決心した翌日だったよ。私の家の電話が鳴ったのは」


「……」


「小型トラックでも重さって2トンもするんだね。そりゃそんなのに轢かれたら死ぬと思うよ」


 Kの言ったただの事実はそれ以上ない現実だった。



「救急車のなかではまだ生きてたんだって。病院には彼女の家族が行ったらしいけどすでに息絶えた。私は電話でそのことを聞いた」



「私は何もできなかったよ。病院にも行ってないし、葬儀にも行ってない。死んだ後のことは何一つ聞いてない」



「私はやっと分かった。不幸は予想外のところから来るものはないんだって。その時、その場所で、その人を大切にしないことが不幸なんだって」



「だから彼女について後悔はしてない。そういうもんなんだって割り切るようにしたんだよ」


 そう話をまとめて結論をだす。それがあたかも真理なんだと自分に言い聞かせるように。



 そう語ったKの姿は何かに憑かれているような笑顔だった。そう思うことにして過去にしようとしている。それは友人の思いも、K自身も、誰も救われない。




 おそらく、ここが()()を救うチャンスなのだろう。




「それは嘘だな。お前は割り切ってなんかいない」


 会話の流れが途切れたのを感じ口をはさむ。今まで前だけ向いていたKがこちらに振り向く。



「え、え?」


「言ったとおりだ。お前はその友人のことについて割り切ってなんかいない」


「なにを言ってるのかさっぱりだけどなんでそんなことを言うのかな?」


 Kの表情には出ないが言葉選びで動揺が伝わる。ひとつひとつ確かめるように言葉を選ぶ。



「確認するがお前は何であんな早朝に河川敷にいたんだ? 考え事があったんだろ?」


「それは…、そうだけどそれが彼女のことだとは限らないじゃん」


「いいや、最初にお前は自白している。親とのいざこざはあるけど考えているのは友人のこと、って。だとしたら未だに友達のことを考えているお前が割り切ってるなんて言葉は矛盾している」


「……」


 Kは動かしていた足を止めそのままうつむいてしまう。その眼には確かに感情の揺らぎが映っていた。



「今ので確信した。お前は理屈づけてその友人のことを忘れたいだけ。だけど離れられないんだろ。その友人のことが」


「だったら何? そんなことを暴いてどうしようっていうの?」


 Kはさっきの語り手だったときと同じ表情になっている。傍観、あるいは諦観(ていかん)の表情。



「俺から言えることは三つ。二つの間違いと一つの勘違いだ」


「何それ。私と彼女の何が分かるの。所詮は…」


「部外者だ。だからこそお前は聞く義務がある。俺にしたように、お前が話したから」


 Kがしたように、Kにもらったように自分も返すだけ。()()()()()()()()()()()()



「そんなの、望んでない……」


「まず一つ目の間違いだ。お前はその時、その場所で、その人を大切にしないことが不幸だといったがそれは違う」


 語気を強めてしっかりと伝わるように話し始める。



「違くない」


「違う。お前はずっと友人に対して未練を抱えていた。何かできたことがあったんじゃないか、もっとすることがあったんじゃないか。お前はそれを不幸だっていうのか?」


「…そうだよ。私は何もできなかった。彼女に、何もしてあげられなかった…。今からじゃもう遅いんだよ、そんなこと考えたって、私の未練は消え去らない。小谷君はこんな私が幸せだっていうの?」


「だから、それが間違いだって言ってんだよ」


「だからっ、それが不幸だっていうんだよっ!」


「それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 Kの間違いその一。Kは自分が言う不幸の被害者ではない。



「……は?」


「極端な話をすると、お前は何もできなかった、それによって被害を受けるのは誰だ? お前じゃない。その友人だ」


「……」


「お前の嘆きは友人に対してじゃない。過去のお前に対してだ」


 きっぱりと切り捨てるように断言する。これくらいはっきり言わないと伝わるような相手ではない。



「……さい」


「これが間違いの一個目だ。お前の言う不幸は彼女の不幸だということ」


「…うるさい」


「間違い二つ目、それじゃあお前は不幸だったのか。答えは、お前は不幸じゃない」


「うるさいっ!」


「こっちは簡単だ。何故なら今までお前が言っていた不幸ってやつのの裏返しだ」


「そんなことっ、聞きたくない! 彼女は不幸なんかじゃない! 私が、私が全部悪いんだよ…! 彼女のことを分かってあげられなかった。彼女は何も悪くないっ!」


 Kの感情が爆発する。息を荒げ目はギュッとつむっている。顔はずっとうつむいたままだがその表情は後悔と怒りに支配されていた。



「その言葉がもう矛盾しているんだがそんなことはどうでもいい。お前の善悪はともかく、お前は不幸じゃない。理由は簡単って言ったが、お前は友人からたくさんのものをもらった。友人に支えてもらい、友人と共に頑張り、友人とともに日々を過ごした。そこまでしてもらったお前が、自分は不幸だなんて叫ぶのか?」


「……っ」


「お前の間違いはその二つだけだ。お前は心の中では自分が不幸だと思っているがそれは違うし、もちろんその友人も不幸なんかじゃない」


 その二つだけ。彼女の間違いはその二つだけでそれ以外はどうだっていい。


「そんなのっ、それじゃあ……」


「それじゃあどうすればいいのか。これはお前からは答えが出ない。誰かが言ってやらないといけない」


 一呼吸入れてKの表情を見る。今はこの言葉は聞き入れられないのかもしれない。それでもいつか、Kの心に浸透していってKが理解しないといけない。それはKだけにできることだから。


「お前の友人ならこういうんじゃないか?」


『かおりちゃん。私のことは忘れないで。私はかおりちゃんの地縛霊だから、忘れたら呪っちゃうよ。だけど前を向いて。私が憑いてるから。なんてねっ』





***





 昂っていた感情が収まった時、辺りはすっかり夕暮れに染まっていた。


 Kの表情は依然見えないが、いろいろ整理するのが必要だろう。しかしここまで自分が他人に関して熱く語るだなんて一年前では考えもしなかった。おそらくきっと…。



「私、一つだけ疑問に感じたことがあるんだけど」


 口を閉ざしていたKがようやく動き始める。



「なんだ? 答えられることならなんでも」


「小谷君の説教の最初さ、小谷君は私が未だに彼女のことを考えてるって言ったじゃん」


「言ったな。それが?」


「私、彼女がいつ死んだか言ってないよね」


「ここ最近事故があったなら話題になっているはずだし、お前が遠い記憶のように語っていたからかなり前のことだと考えただけだ」


 間違っていない考察を述べる。Kは何かに引っかかっているようだ。


「じゃあなんで咲ちゃんの真似をするとき、私の名前を呼べたの? 呼び方まで完全に昔のままだった」


「…名前はお前の家に行ったときに見た。真似はなんとなくだ」


「そうだとして、私はまだ聞いてないことがある」


 ここまで来たら何か違和感があるのに気づいたのだろうか。Kは事実として頭がいい。もしかしたらと思ったがまさか本当に気づくとは思わなかった。


「説教の続き、私に勘違いが一個あるんでしょ。まだそれを聞いてない」


 今日はKに説得をするだけで終わる予定だったが、ここまで気づいたのならしょうがないのか。


「…勘違いなんて言うべきじゃなかったな。どうにも詰めが甘いらしい」


「教えて、小谷君は一体何者なの?」


 ここらで答え合わせ、いや種明かしのようだ。



「…仕方ない。本当は教えるつもりはなかったんだが、お前が知りたいんなら教えてやるよ。お前の勘違い」


「…」


「お前の友人は単に女子のことが好きだったんじゃない」


「青桐咲は、お前のことが好きだったんだ。死ぬ瞬間も、細胞の一つ一つまで神芝かおりのことを愛していたんだ」




 目を見開いて驚きの表情を見せるK。その事実は決して第三者から分かるはずもなく、そのことを今日初めて出会った人間の口から発せられた。それが示すことはどういうことかは彼女の持っている情報では答えにたどり着けない。


「ま、って。なんで小谷君にそんなことが言えるの…。嘘を言ってるんじゃないのは分かる。分かるけど、分からない」


「お前は知らないだろうが、青桐咲はトラックに轢かれたあと、救急車に運ばれて病院へと送られた。しかし頭部挫傷により脳に大きなダメージがあり、生還は不可能に近いとされていた」


「なんで、そんなこと…」


「病院は彼女の持ち物にあったあるカードを見つける。家族との協議の上、病院と彼女の家族はそれを決断する」


「もしかしてそれって…」


「俺がどうやって心臓の病気から治ったのか言ってなかったよな。あれはわざと言わないようにしていた」


「……」




「もう分かったか。俺の心臓は俺のものじゃない。青桐咲、お前の友人の心臓なんだ」


「そう、だったの…」


 Kの中で何かがつながったのかもしれない。それでも彼女は呆然とした表情のままその場で立ち崩れた。



「移植を受けてから俺は快復に向かい、学校にも行けるようになった。その頃はドナー側の名前なんて分からなかった。移植っていうのは双方の暗黙の了解として、互いの情報は本人や家族には伝わらないようになっているんだ」


 なおも経緯を説明していくが、Kにどれだけ伝わっているかは分からない。



「そんな時、学校の美術室にいるお前を見つけた。その後ろ姿を見ただけで分かった。この心臓の持ち主が、お前のことを好きなんだって」


 そして同時に後悔も感じた。その後悔は何に対してか。



「俺はこの心臓の持ち主に感謝をしなきゃいけない。過程はどうだろうと、俺を救ってくれた。だから考えたんだ。この心臓の持ち主が望むことを」


 その後悔も晴らさないといけない。



「心臓の持ち主にしてもらったようにお前を救いたい。でも、お前が救いを求めてるか知らないし、余計なお世話かもしれない」


 なにしろ俺は第三者だから。当事者の問題とは言えない。



「だけど最後に背中を押したのは…、言うまでもないだろ。俺は最初からお前を救うために行動していた。川で叫んでいたのも、俺が悩みとして打ち明けたのも、最初から仕組んでたんだよ。ここまでして、やっとお前に伝える言葉があるんだ」


 心臓の持ち主の記憶を頼りに、青桐咲の思いを伝えるために。



 Kは呆然とこちらを見ている。最初から騙されていたのは気分が悪いだろうか。それでもこの言葉はしっかり目を見て伝えなきゃいけない。


「今までありがとう。私はしあわせだったよ」






 Kの目から大粒の涙が流れていた。声も出さずただただ涙を流す行為。それは悔しいのか、悲しいのか、寂しいのか、それとも嬉しいのか。


 その涙の意味を見つけるのはK自身。ちゃんと別れも言えなかった彼女の贖罪。




「……ばか」



「ばかぁ…! なんで死んじゃうんだよぉ…。私だって、私だって咲ちゃんのこと大好きだよっ…! ただ一人の親友だよっ! 置いてかないでよ! もっとトランペット聞かせてよっ!!!」




「……でも楽しかったよ、一緒に遊んだこと。嬉しかったよ、私を連れだしたこと。だから、だからっ」





「今までありがとう。私もしあわせだったよ」







***




 悪人の謝意はまだ遠く、友の無念の思いはまだ晴れない。


 それでも伝えられた想いは確かに存在する。


 おそらくこれは彼女の贖罪なのだろう。


 想い人への、ラブラブな贖罪


~終~

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