ぼくの友達はポボピア
ぼくにはポボピアという友達がいます。たぶん、宇宙人です。
ポボピアと友達になったきっかけを思い返すには、記憶をさらにまきもどす必要があります。その小さなきっかけは、さらに小さなきっかけのおかげで生まれたものでした。
〇
この世界にはきっと、ぼくたちの知らないものがたくさん隠れているんだと思います。
それは、見つけようとしてもなかなか見つけられないものでもあり、かと思えば、ぼうっとしていたぼくたちをびっくりさせるように、いたずらでもするかのように、突然、その正体を現すものでもあると思います。
世界のあらゆるもののなかで、きっとそれらは、一番純粋なものどもなのです。
ぼくがそう思うようになったきっかけは、おじいさまからのプレゼントでした。
十歳を迎えた誕生日。家にこもって絵ばかり描いていたぼくを見かねたのでしょう、いつも怒ったような顔をされているおじいさまが、その日もやはり怒ったような顔をされたまま、それをぼくの目の前に置かれました。なんと、百種類も入った色鉛筆です。机の端から端を埋めた七色の虹ならぬ百色の虹をみて、ぼくは息をのみました。
「こ、これは……」
「以前、友人から譲り受けた。あいにく使う機会に恵まれなかったから、ほとんど新品だ。聡介にやろう。使いなさい。」
「何色から手をつければいいのかわかりません。」
「絵は自由だ。考える必要はない。」
「わかりません。」
「ふむ。」
おじいさまは眉間の深いしわをより深くされて、色鉛筆の一本を手にとります。ちなみに、こうみえておじいさまは、とてもお優しい方です。いつも怒ったような顔をされていますが、本当に怒っているところは、一度もみたことがありません。
「この色は蘇芳という。平安時代中期、天皇のみが纏うことのできる着物を染める禁色として使われていた。江戸になってこそ庶民のあいだで広く安価に使われるようになったが、その威儀はいまだ健在。私がもっとも好む色のひとつだ。」
「焼き芋の皮を描くときに使えそうですね。」
「なに?」
「焼き芋の皮を描くときに使えそうですね。おいしそうです。」
「おいしそう?」
「はい。」
「ふむ。」
おじいさまが別の一本を手にとります。
「この色は、猩猩緋。かつて、中国に実在したとされる猩猩の血が、恐ろしく鮮やかだったことに由来する。その色は、乱世を戦う武士たちの心を奮い立たせ、多く陣羽織の生地として珍重された。私がもっとも敬愛する作家のひとり、菊池寛も、自身の小説の題材に用いている。歴史的背景の大きな色だ。」
「茹でた蟹ですね。」
「なに?」
「茹でた蟹を描くときに使えそうですね。おいしそうです。」
「おいしそう?」
「はい。あ、でも、海老でもいいかもしれません。」
「海老。」
「はい。茹でた海老を描くときにも使えそうです。」
「聡介。」
「はい。」
「いや、なんでもない。」
小学生のぼくのために、わかりやすく色の説明をしてくださるおじいさまは、やっぱりとてもお優しい方です。しかし、不思議とこのときは少しお疲れのご様子でした。ぼくはぼくで、どうしてだかはわかりませんが、とてもお腹がすいたのを覚えています。
おじいさまからの誕生日プレゼントは衝撃でした。色鉛筆といえば、ぼくはそれまで十種類くらいのものを使っていましたから、世界にはこんなにもたくさんの色が隠れていることを知らなかったのです。
たとえば、「赤」といっても、そのなかにはおじいさまが教えてくださった蘇芳、猩猩緋のほかに、韓紅、薄紅、真赭、撫子、洗朱、潤朱といった、ちょっとみただけではほとんど違いがわからない色の区別がこれでもかというほど隠れています。「赤」だけでこんな具合なのですから、「青」「黄」「緑」「紫」「白」「黒」……これらおなじみの色を切り分けていったら、いったい何種類まで膨れあがってしまうのか。正確なところはだれにも想像できないと思います。
ぼくはパソコンで調べながら、途中であきらめました。ただ、「この世界に隠れているのはきっと色だけではない」、この感覚をたしかなものとして抱くようになったのです。
一度そう思ったらいてもたってもいられませんでした。
ぼくの家は二世帯住宅で、一階におとうさんとおかあさん、おねえちゃんとぼくの四人、二階におじいさまがひとりで住んでいらっしゃいます。そして、その隣には佐伯家という家があって、そこの長女とぼくが栗林第一小学校の同級生。和葉といって、小学生になる前から専属の先生にピアノを習っていて、とてもすごいので、ぼくは和葉に「音」についてきいてみることにしました。
普段、ぼくたちがあたりまえのこととして触れているけれど、でも、いざそれについて考えてみると意外にわからない。そういう何気ないところにこそ、とても素敵なものは隠れているような気がしたのです。
和葉のピアノは、毎日夕方の六時になると少しぎこちなく聞こえてくる、ぼくの日常そのものでした。
「い、いきなりなあに! 来るなら来るっていってくれれば、わたしだってもっとおしゃれしてたし、ケーキのひとつでもつくって待ってあげたのに!」
玄関を開けてくれるなり、和葉は顔を真っ赤にしていいました。薄紅。
なんだか怒らせてしまったみたいです。
「ご、ごめん。ききたいことがあったんだけど、いきなり迷惑だったよね。帰るね。」
「帰れなんてひとこともいってないでしょう! せっかくきたんだから、最低でも一時間はゆっくりしていかないと、ただじゃおかないからね!」
「え? う、うん。」
「ママー! 大至急、お菓子準備してー! あと、このあいだ買った新しい紅茶!」
リビングに通されます。
和葉のママが並べてくれた宝石みたいな飾りがついたクッキーと、とても甘い紅茶をいただきながら、ぼくたちは話しこみました。
「音ってなに、かあ。あいかわらず変なこと気にするのねえ。」
「変かな。」
「変よ。聡介ってテストの点数は悪くないのに、そういうズレたところあるわ。」
「うーん。」
「まあ、そこがいいんだけど!」
「え?」
「なんでもない!」
「なんでもない。」
和葉が教えてくれたところによると、音とは、ずばり空気の振動とのことでした。
たとえば食器同士がこすれると空気がふるえる、らしいのです。そのことに気づいた偉人が、そのふるえを利用して、ひとを楽しませる「音楽」を発明したといいます。
偉人はすごいです。
「だからね、ピアノには有名なド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドがあるでしょう。これも、音楽をやるうえで便利だからうまれた発明なの。空気の振動を周波数……つまり大きさによって区別したのね。」
「ふんふん。」
「もちろん、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドは大まかな区別だから、ドとレのあいだにも音階はあるわよ。これはあまり有名じゃない話。さらに、そのあいだも、そのあいだのあいだも。あいだのあいだのあいだも。」
「やっぱり和葉にきいてよかった。知らなかったことだらけだ。」
「ふふん。」
「なるほど、そうか。色鉛筆の色もそうだ。絵を描くうえで便利だからうまれた発明なんだ。……あれ? ということは。」
このとき、ぼくのなかである仮説が浮かびあがりました。
「色も音も、人の手による発明なら、それらの正体は人の手がおよんでいない世界のなかにこそあるってことにならないかな?」
「正体? また変なこといってる。」
「変かな。でも、予感がするんだ。偉人はすごいから、そのすごい発明でたくさんのひとを楽しませてきたんだけど、そのせいで逆に隠れてしまっているものがあるんじゃないかって。」
「すごく変。」
「切り分けていくと、てっきりどこまでも膨れあがるものと思いこんでいたけれど、実際は真逆で、切り分ければ切り分けるほどたったひとつのところに向かっていく感じ。というか、切り分けるって行為そのものが、正体を隠すことにつながってしまっているというか。」
「変。」
「うーん。」
このときほど、頭のなかのモヤモヤを自分の言葉がたりないせいで伝えきれず、もどかしく感じたことはありません。いや、きっと、自分でも理解できていなかったんだと思います。
「困ったなあ。なんていったらいいのかなあ。」
「でも、そういう変なところがかわいい! お嫁さんになって支えてあげたい!」
「え?」
「結婚しましょう!」
「結婚?」
「なんでもない!」
「なんでもない。」
和葉も、こんな話に突然つきあわされて迷惑だったと思います。申し訳ないです。
ともあれ、この世界にはきっと、ぼくたちの知らないものがたくさん隠れている。それも、何気ないところにこそ、とても素敵なものは隠れている。そうした予感を、ぼくはほとんど確信するまでになりました。
さて、ポボピアです。
ポボピアもぼくの同級生です。本名は違うのですが、最初の自己紹介で「ポボピア星から地球観光にきました。すぐ帰ることになるので、すぐみんな忘れてくださってかまいません」といったので、以来、みんなそう呼んでいます。
発音しづらいので本名で呼びたいのですが、クラスのほとんど全員がポボピアと呼ぶので、本名で呼んでも「だれ?」みたいな空気になってしまいます。やがてぼくも、その空気を尊重して、ポボピアと呼ぶようになりました。いまでも、唇が乾燥していると、かみます。
ポボピアにまつわることで、不思議なことはたくさんあります。
まず、見た目です。どこをどうみても人間にしかみえないのです。宇宙人だというのなら、にょろにょろとした手足が八本くらい生えていたり、目が懐中電灯みたいにぴかぴかと光っていたりするべきだと思うのですが。ぼくの宇宙人に対するイメージが偏っているのでしょうか。
そのことを井上くんにきいたら、「本気にするなよ!」と笑っていわれました。「嘘ついてるにきまってるだろ!」と。
「嘘? ということは、ポボピアはポボピア星じゃない星からきたの?」
「バカ、違うよ! そもそも宇宙人じゃないんだよ!」
「ぼくたちと同じ地球人なのに宇宙人のふりをしているの? どうして?」
「目立ちたいんだろ!」
「なるほど。」
井上くんは、体は小さいのに、ドッヂボールがだれよりも強くて、みんなから尊敬されているすごいひとです。そんな井上くんがいうのだから、意外にもポボピアは宇宙人じゃないのかもしれません。
同じことを風見くんにきいたら、「構ってほしいんだろう」と冷静にいわれました。「みんなに振り向いてほしいから嘘をついているんだ」と。
「やっぱり嘘なのか。」
「あたりまえだ、聡介はひとがよすぎる。ふつうは信じないぞ。」
「風見くんだって、みんながいやがる学級委員長を引き受けてて、いいひとじゃないか。」
「あのな、ぼくたちは常識のなかで生きてるんだ。ポ……ナントカは、まったく、そうじゃない。」
「宇宙人は、常識じゃない。」
「あたりまえだ。」
「なるほど。」
風見くんは、学年のだれよりも勉強ができるのに、全然偉ぶらない、みんなから尊敬されているすごいひとです。ぼくの周りには幸運にもすごいひとがたくさんいます。そんな風見くんがいうのだから、やはり宇宙人じゃないのかもしれません。
斉藤先生にきいたら、なんというか、ちょっと変な顔をして、「仲良くしてやってくれ」といわれました。「あいつは、少しだけ不器用なんだ」と。
「不器用だと嘘をつくんですか?」
「必ずしもそうというわけじゃないが、おおよそ考えられないことをしたりするんだ。」
「先生のいっていることがよくわかりません。」
「おれもどういったらいいのか、よくわからないよ。」
「先生なのに。」
「先生なのになあ。ただ、ひとついえるのは、おまえも不器用の仲間だ。」
斎藤先生は、ずっと変な顔をしたり、何度も腕を組みかえたりして、落ち着かない様子でした。
「もちろん、いい意味でな。聡介、おまえはだれよりも強くて、賢い。あいつと友達になるとしたら、それは聡介しかいないと、おれは思う。」
「友達になる。」
「そうだ。」
「でも、ぼくよりも井上くんのほうが強いし、風見くんのほうが賢いです。」
「あのふたりは器用だ。だけど、おまえは不器用だ。それはもう、まっすぐな。」
「よくわかりません。」
「わからなくていい。しかし、そんな聡介だからこそ、本当のあいつとつながれる可能性がある。」
斎藤先生は、ぼくたちが間違ったことをすると、すごく大きな声で怒る、みんなからあんまり尊敬されていないクラスの先生です。ここだけの話、ぼくも苦手です。
でもこのときは、いつもの鬼の斎藤先生という感じがしなくて、なんというか、やっぱり、変でした。
「頼んだぞ。」
目をのぞきこみながら頼まれごとをされたのも初めてです。
だから、というわけではありませんが、ぼくはポボピアに話しかけてみることにしました。
あの予感が手伝っています。何気ない日常のなかにこそ、素敵なものは隠れているという予感です。自己紹介の衝撃はありましたが、数カ月がたったいま、ポボピアはすっかり日常になっていました。
ポボピアは大抵ひとりでいます。ポボピアにまつわる不思議のひとつが、だれもポボピアに話しかけないし、ポボピア本人もだれかに話しかけないことです。まあ、少なくともみんなが話しかけない理由は、みんなにきいてまわった時点でなんとなくわかったようなわからないようなという感じではありましたが。
ポボピアがひとりでいたがるのは、どういう理由からなのでしょう。
休み時間、ついにぼくは、渡り廊下で話しかけてみました。
「ねえねえ、ポボピア。」
「はい、こちら36.158°N(切上げ)、134,593°E(切下げ)、標高90000m(未満)、快晴ところにより降雪、天網恢恢疎にして漏らさず、それは一匹の鼠からはじまった、直射日光や高温多湿の場所を避けて保存してください、OK?」
「ポボピア?」
「あ、あ、あ、修正してください、血圧上昇、動悸息切れ吃音、間欠泉、対象が不信感を抱きます、修正してください、万が一、漏電した場合は感電するおそれがあります。」
「ポボピア。」
「はい、きみはクラスメイトですね。わたしになにか用事ですか。」
ポボピアがまっすぐにみつめてきます。
ポボピアの瞳は、とても綺麗な色をしています。黒とも、茶とも、深い緑ともつかない色です。
おじいさまなら、なんと表現したでしょう。
「ぼくと友達になりませんか。」
ぼくは、緊張のあまり、ただ話しかけるつもりが本題に入ってしまいました。
「かまいませんよ。」
「よし。」
「具体的にどうしますか?」
「え?」
「この瞬間、正確には4.86s前(切上げ)、わたしたちは友達になりました。それで、具体的にどうしますか? なにをしますか?」
「しまった、考えていなかった。」
「見切り発車ですね。見切り発車とは、必要十分な条件が整わないうちに、物事を次の段階に進めることを表わす。明鏡国語辞典P.5872、【見切り発車】単語より抜粋。あ、あ、あ、修正してください、対象が不信感を抱きます。」
「うーん、具体的に、具体的に。あっ!」
ぼくは、とても素晴らしいアイデアを思いつきました。
「いっしょに絵を描かないかい。」
「地球侵略のですか。」
「地球侵略?」
「修正します。スケッチ、の、絵を描く。」
「そう! ぼく、絵を描くのがすきなんだ。でも、同じクラスの男の子でいっしょに描いてくれる子はいないし、女の子同士であつまって漫画みたいなのを描いてるのをたまにみかけるけど、そこにまざる勇気はない。そもそも、ぼくが描きたいのは漫画じゃない。花とか、道とか、そういう風景が描きたい。」
「はい。」
「もし、ポボピアがいっしょに描いてくれるなら、この町のいろんなところに出かけたい。実はぼく、風景を描くのが好きっていいながら、ひとりで描くのは恥ずかしくって、自分の部屋にこもって想像で描いてばかりいたんだ。でも、それももう卒業。ぼくは、本物の世界を、画用紙に描いてみたい。」
こんなに率直な気持ちを、だれかにあかしたことはありません。
そういえば、「友達になりましょう」といって、できた友達も、ポボピアが初めてです。そう考えると、ほかの友達とは違った友達になれたんだという気がして、嬉しくなります。
「はい、かまいませんよ。」
ぼくが手を差しだすと、ちょっと間があいてから、その手を握ってくれました。しめっていて、やわらかくて、あたたかい。ぼくは、同じ力で握りかえします。
「よろしく、ポボピア。」
「よろしくおねがいします。なんと呼べばいいですか?」
「聡介がいいな。」
「聡介。」
「んー。照れる。」
「わたしのことも、気軽にMK{??]*18と呼んでください。」
「え?」
「修正します。これまでどおりでかまいません。」
「え、あ、うん。」
「母。いい加減にしてください。対象が不信感を抱きます。いい加減とは、限度を超えていて、そろそろ何とかしてもらいたい感じだ、ということを表わす。新明解国語辞典P205、【好い加減】単語より抜粋。」
「ポボピアって、もしかして、変わってる?」
こうして、ぼくたちは友達になりました。この日をさかいに、ぼくの毎日は一気に加速していきます。これまでも十分幸せな世界にいたつもりでしたが、どうやら、幸せにはさらに奥があったみたいです。
〇
この世界にはきっと、ぼくたちの知らないものがたくさん隠れているんだと思います。
それは、見つけようとしてもなかなか見つけられないものでもあり、かと思えば、ぼうっとしていたぼくたちをびっくりさせるように、いたずらでもするかのように、突然、その正体を現すものでもあると思います。
世界のあらゆるもののなかで、きっとそれらは、一番純粋なものどもなのです。
ポボピアと過ごした毎日については、また次の機会に。
了
最後までお読みいただき誠にありがとうございます。
感想等いただけると創作意欲につながります。
よろしくお願いします。