6-3 「その、なんというか忠犬ハチ公みたいになってる」
誰だっけ? と思ったのはカインだけではないはずだが、残念ながらディシャールの王太子……いや、もう今は元王太子であり、ユーフェミアにとって元婚約者であるクソ男の事である。
ユーフェミアとこのクズ元王太子の関係は、最初から破綻していた関係であり、そこに愛情は欠片もなかった。
顔を合わせれば暴言を吐かれ、それに対して正論でぶん殴るというのを繰り返していた間柄であったので、色恋のそれは一切なかったがクソ元王太子は常にユーフェミアの事を、ユーフェミアが言った台詞で貶めていたらしい。
そのたびに、「殿下の好みでなくてよかったです」と笑顔で言い返していたユーフェミアだが、暴言は見えない傷となって蓄積されていたようだ。
当時のユーフェミアは幼い頃からカーシスと婚約関係になっていたせいで、自身の恋愛を全て諦めていた。
顔がきつくて可愛くなかろうと、ユーフェミアはゴミ屑元王太子と愛のない結婚をする未来は変えられない。
故に、貶められようがどうしようが、ユーフェミアにとってそれは大きなダメージにならなかった。
だがそれはあくまで当時の話だ。
今のユーフェミアは、当時と違う。
なにしろ初恋を自覚したばかりだ。
好きな人に良く思われたい、好きになってほしいという感情は、人であるなら当然ある感情で、初恋に振り回されているユーフェミアが抱いて当然の感情である。
けれども不幸なことに、その感情と共にユーフェミアの心の中に眠っていた、最低塵カス元王太子の暴言の数々が一緒に甦ってしまったのだ。
ユーフェミア自身、もとより自身の評価は「美人分類の綺麗な女性」と評価しているが、彼女の可愛いの代表例は妹のイリアだ。
ふわふわで可愛い茶の髪に、透明度の高いアイスブルーの瞳。それから社交的で素直で可愛い性格。
ユーフェミアにとっては可愛い妹は、自分とは真逆のタイプの最高に可愛い女の子だから、ユーフェミアにとって自分は可愛いカテゴリーから外れていた。
それに未来の王太子妃であった公爵令嬢に面と向かって「可愛らしい」などと言える貴族の子息がいるわけもなく、公的な場で「お美しい」と称賛されても「世辞がお上手ですね」と返していたユーフェミアが本気で受け取るわけもない。
結果として、今更ながらに「可愛くない自分があんな愚かなことをしてしまったら、いくらエミールでも愛情が覚めてしまう」と感じたようである。
「幼女かよ」といいかけて、カインは必死に口を噤んだ。
ユーフェミアの絶望じみた主張をゆっくり聞いて、カインは隣にいた侍女シルヴィアから揺らめく静かな怒りを感じつつ、彼自身も憤慨していた。
ユーフェミアは非常に可愛い。
間違いなく可愛い。
何故なら、後述するが非常に可愛いと言わざる得ない現場につい最近、つまりはおよそ4日前に遭遇しているからである。
だがしかし、それを説明すればユーフェミアがまた知恵熱を出して、今度こそ羞恥心で憤死するので今のユーフェミアに言うことができない。口止めもされているし。
なので「ねぇ、ユーフェミア」と、カインは子供に話しかけるように優しく話しかけた。
「どうしてあんな、クズの言い分を信じるのさ。エミールは君の事嫌いにならないよ」
「でも……だって、」
「だって?」
「……、エミールお見舞いに来てくれない」
ユーフェミアの今にも泣きだしそうな震える声を聞いて、カインは「んんっ」と呻いて頭を抱えた。
そう、あのエミールが一切お見舞いに来ていないのだ。
正気が戻ってすぐ、ユーフェミアはエミールに謝罪をしたくてしょうがなかった。
あの状況で知恵熱を出して倒れてしまうなんて、エミールはさぞユーフェミアの事を心配しただろう。愛情深く、ユーフェミアに対して真摯に接してくれていたエミールの事だから、それは当然と言えた。
あの一瞬、目を覚ました時に見た、心底安心したようなエミールの様子が忘れられずに悶絶したユーフェミアである。
だからユーフェミアは正気と狂気(?)の間であったが、エミールの訪れを待っていたのだ。
けれども、いくら日々を過ごしてもエミールから一切連絡が無い。
手紙の1つも来やしない。
世話をしてくれているリブレット家の侍女達に恐る恐る尋ねても、優しい微笑みと共に「お嬢様はお体を治すことをご優先ください」と言われてしまえば、それ以上聞くこともできない。
結果、ぐるぐると巡る感情は行き場を無くし、良くないことを想像し始めた真面目なユーフェミアはあのデリカシー皆無の暴言クソ元王太子に昔言われたことを思い出す羽目になってしまったというのが、現状であるらしい。
ユーフェミアは泣き出しそうに顔をくしゅくしゅにさせて、消え入るような声で「お見舞いに来てくれない」と、そう言った。
そんなユーフェミアを見て、カインが抱いた感想は「なんだこの可愛い生き物」である。
カインはもう自分は人間じゃないし感情はないと思っているし、いつか誰かに抱いた愛情は心の奥底に封じてしまったので、今のカインに恋愛感情は一切ない。
だがしかし、あると仮定するならうっかり惚れてしまいそうなほど、この時のユーフェミアは可愛かった。
清廉で潔白で、高潔なる氷虎の末裔である公爵令嬢が、17歳の少女らしい恋に振り回されている様子ほど愛らしいものはない。「かっ……わ」と、思わず声が出たカインは悪くない。
めんどくさくてかわいいのが世の中の女の子である。
「コホン。……あのね、ユーフェミア。エミールの名誉のために嘘偽りなく言うけれど、決してユーフェミアが嫌いになってお見舞いに来ないわけじゃなくて……、その、ユーフェミア一回目を覚ましたときの事は覚えてるんだよね?」
「……ええ、はちゃめちゃに混乱して枕を投げたところまでは覚えています」
「枕投げたとこまで?」
「はい」
「枕投げた後のことは?」
「……なにかしたの?」
「あぁ……うん、まぁそれはおいておいて」
「?」
「ユーフェミアが寝込んでる時に、エミールずっと側についてたんだよ。回復魔法かけても全然反応がなくて、本当に心配してて……で、ユーフェミアが目を覚ましてパニックになったあと、イリアちゃんがね「未婚約の淑女の寝室に、心配だからってずっとついているのは破廉恥です!」って言いだして」
「え」
「『寝間着姿のお姉様を、これ以上エミール様に見せるわけにはいきません!』と至極真っ当な意見でね」
「え」
「『お姉様の精神の都合もありますので、全快するまで接近禁止です! お手紙? それも全部あとです!』って言いきったんだよ。エミールは少し粘ったんだけど、追撃でエミリアから『婚約前ですよね? 怒りますよ』って手紙きて」
「エミリアから」
「イリアちゃんがお願いしたみたい。
『それよりお祭りの事後処理のお仕事もしないといけないのではないですか? 仕事を放置する殿方を、お姉様は好みませんよ』って言ったら、あのエミールが負けちゃって」
「……」
「イリアがエミリアの許可を得て引いた規定線の向こう側まで毎日来て……その、なんというか忠犬ハチ公みたいになってる」
眉根を下げてそう説明したカインに、ユーフェミアは顔を両手で覆って突っ伏した。
ユーフェミアを敬愛するイリアであるからして、ユーフェミアを思っての行動なのは間違いなく、対応としては間違ってない。
けれどまさかユーフェミアが、エミールがお見舞いに来てくれないということに不安になって、こんな風になるとは誰も思わなかったのだ。
拗らせて拗ねてしまったが故に、事に気がついたユーフェミアはあまりの恥辱に死にたくなっていた。
自分がこんなにも初恋に溺れているという事実に気がついてしまったのが追い討ちである。
そんな風にユーフェミアが羞恥で狂いそうになっているのを見て、カインは「なんだこの生き物可愛いな」ともう一度思った。
「まぁ、今日はね、アレクシオ市議会があるからそっちに行ってるんだけど」
「……ふぁい」
「ユーフェミア、今日は少し気分転換でもする?」
カインの提案に、ユーフェミアは真っ赤な顔を両手で隠しながらこくこくと頷いた。




