5-30 「あんまりびっくりさせないであげて」
鱗の隙間から毛を生やす騎竜は、見た目からしてもふもふとした生き物だったが、今ユーフェミアの目の前にいる花竜は騎竜とはまた違った見た目の竜だった。
ユーフェミアの両掌にすっぽりと収まるほどに小さいその竜は、確かに世界最小の竜と言って差し支えなかった。背中からは蝶のような妖精羽が3対生え、そのくせ瞳は大きく、魔石のような鈍くも鮮やかな光を放っている。
騎竜との一番の大きな違いは、その肌だろう。
鱗のないその肌はつるりとしていて、例えるならイルカのような滑らかさを持っている。
手足は爪を持たないヒレのよう。
尻尾はすらりと長いが、どこまでいってもつるつるとした見た目であった。
首は言うほど長くないが、ユーフェミアは未亜であった頃に恐竜図鑑で見たフタバスズキリュウだとか、プレシオサウルスだとかの海洋恐竜を思い浮かべた。あの手の恐竜に妖精の羽を生やして手のひらサイズにしたらこうなるのかもしれない。
平たく言って、とてもかわいかった。
「ぴぃ!」
と、ユーフェミアの手に降り立った青い花竜は一声啼いた。
小鳥のようなその声に、体をびくりとさせたユーフェミアをよそに、その小さな花竜はゆっくりと浮かび上がると、ユーフェミアを観察するようにその周囲を周回する。
その羽のはためかせ方がまた独特だった。
3対6枚の妖精のような羽は、くるりくるりとハチドリのように8の字を描き、ユーフェミアの周囲をホバリングしている。
その首を大げさなほどに傾げながら「ぴぴぃ?」「ぴっぴぃ?」と啼きながら大きな瞳をぱちくりさせている。顔の半分が瞳なんじゃないかと言うくらい大きな瞳が、宝石のようにキラキラと光り輝いて見えた。
やがて、くんくんと花竜はユーフェミアの帽子につけた花の匂いを嗅ぎに来た。それからじーっとその大きな瞳をユーフェミアに向ける。
よく分からない圧力を感じて、ユーフェミアはたじろいだ。何をどうしたらいいのかまるで分らない。
「トルマリアが、ユフィの花を食べたいって」
「……私の花を?」
「うん、君の魔力を吸ってひんやりして美味しそうだって」
魔力を吸う? と首を傾げつつ、ユーフェミアは帽子を取ると、目の前にいるトルマリアと呼ばれた花竜におずおずと差し出した。
トルマリアは「ぴるりる」と啼くと、嬉しそうにユーフェミアの周囲を旋回し、縦に1回転してからユーフェミアの帽子に咲くワスレナグサに飛びついた。
小さな体の大きな口をあけて、その花びらを口に含むと、その喉が「ぴるりるりるり」と嬉しそうに鳴る。
その音を合図に周りにいた、他の花竜たちも寄ってきた。
あっという間にユーフェミアの手にバタバタと群がり、小柄なユーフェミアの姿は色とりどりの花竜に囲まれて見えなくなってしまう。
「わぁ、鳩に餌あげて群がられてるみたい」と、カインは思ったが声に出さなかった。
さすがにプライド高い竜と鳩を同一視したとバレたら後が面倒だからである。
ユーフェミアの帽子についていた花は、あっという間に花竜たちに食べられてしまった。
ご丁寧に茎まで食べてくれたので、ぺんぺん草も残ってない。
ユーフェミアがぽかんと呆けていると、周りにいた人々から拍手が巻き起こった。
「いやぁ、良い食べっぷりだったね」
「花竜様にあんなに食べてもらえるなんて、運がいいなぁ」
「よっぽど君の魔力が美味しいんだね!」
「さっすが、エミール君の選んだ子は違うなぁ」
「あの子が噂の未来の公爵夫人かね」
などと、みな口々に言う。
聞き逃すにはおかしい言葉があったようだが、拍手の音に紛れてしまってユーフェミアには届かない。
「なっ、どういうことなんですか?」
と、喧騒にたじろいだユーフェミアはエミールの袖裾をくいッと引っ張って尋ねた。
「帽子の花は、花竜たちのご飯なんだよ。
アレクシオの花は魔力花で、この花は持ってる人の魔力をほんのちょっぴり吸うんだ。
で、花はその魔力によって味を変える。
ユフィの花は、ひんやりして爽やかで美味しいって、みんな言ってるよ。
ミントみたいだって」
なるほど???? と、ユーフェミアは首を傾げつつも頷いた。
とりあえずユーフェミアは、自分の魔力が花竜たちのお気に召したようだと理解する。
よくよく見れば、広場には他にも花竜に帽子の花を食べられてる人がいた。
が、あんなに群がられていたのはユーフェミアだけであるようで、他の人々と竜の交流はもっとずっと穏やかだ。なんでだよ。
「ぴぃ! ぴっぴ!」
と、最初にユーフェミアの帽子の花を食べたトルマリアが、ユーフェミアの目の前でホバリングしながら啼いた。
しっぽをぶんぶんはためかせ、瞳をきらきらとさせ、ふんすふんすと興奮したように鼻を鳴らしている様子はまるで子犬である。
トパリアズと言い、トルマリアと言い、竜だと言うのにどこか犬っぽいのは何故だろうと、ユーフェミアは思う。
「おかわりはないの? だって」
「お、おかわり!?」
ユーフェミアの言葉に反応して、トルマリアはぴるりるりと声をあげた。その声に釣られてか、未だに周囲を旋回していた花竜たちもそれぞれ小鳥のような鳴き声で啼き始める。
こちら、ユーフェミアには分からないが、花竜たち一同の「おっかわり! おっかわり!」というコールである。
おかわりを要求されても、ユーフェミアにはどうしたらいいか分からない。
おろおろと困った様子のユーフェミアを見て、エミールはクスリと微笑むと、ユーフェミアを後ろからぎゅっと抱きしめた。
「ひゃぅっ」と小さく悲鳴を上げるユーフェミアの頭を慈しむように撫でながら、「だーめ」と子供のような声音でトルマリアに言い聞かせる。
「おかわりはないよ。ユフィは僕の可愛い人だから、あんまりびっくりさせないであげて」
その言葉の後に、ちゅっとリップ音がユーフェミアの耳に届いた。
なお、ユーフェミアはまだ帽子を手に持ったままであり、再三に渡って繰り返すが、ディシャールにおいて魔力が込められているとされる髪に触れるのは、プロポーズにもなりうる最高の愛情表現である。
リップ音と共にユーフェミアのつむじのあたりに、柔らかい何かが触れた気がした。
気のせいだと思いたかったが、様子を窺っていたらしい周りから囃し立てるような口笛の音が聞こえ、ユーフェミアは気のせいじゃないと悟ってしまった。
撫でてくるのはもう諦めた。
抱きしめられるのも、腹は立つが今更だ。
けれども、人前での髪への愛撫とつむじへのキスは耐えられなかった。
「なっ!!! ばっ!!!!」
「ん? どうしたのユフィ……」
「冗談じゃ!! ありませんわっ!!!」
バリンっと、ユーフェミアとエミールの周囲に、円を描くように氷塊ができる。
腕輪をつけていなければ、広場を全て凍らせていたんじゃないかと言うくらいの魔力の暴発だった。
花竜達が、驚いてぴぃぴぃいと鳴きながら空へと舞い上がっていくのが見えて、ユーフェミアがしまった! と思うのとほぼ同時に、エミールが指をパチンと慣らす。
その音と共に、氷塊がさらりと崩れて、雪のように舞った。
陽の光に照らされて、それはすぐに溶けだしてしまったが、きらりと光を反射した美しい光景に広場の人々がうっとりとした溜息を吐く。
アレクシオではお目にかかる事のない雪が降るようなその光景を、周囲の人々はエミールのサプライズだと思ったようだった。
一方ユーフェミアは真顔で固まっていた。
失態である。
非常にまずい失態である。
こうならないための腕輪であったはずだったのに、エミールのせいで台無しである。
台無しになったにもかかわらず、エミールの機転でショーになってしまった。
新聞の一面を飾らなくていいのは有難いが、こんなに悔しい事そうそうない。
潔癖で、高潔なユーフェミアは、基本的に人のせいにはしたくない。
いつだって自己責任であると、己を強く律っしてきた自負があるが、今回ばかりはエミールを恨みがましく「あなたのせいで」と睨み付けたくなってくる。
というか、実際に睨み付けているのだが、「わぁい、ユフィが僕を見てくれてる!」と、エミールにはご褒美なので、ニコニコと上機嫌だ。
「え、エミール!!」
「ん? なぁに、僕の可愛い人」
上機嫌に小首を傾げるエミールに腹が立って、ユーフェミアは思わずその頬に両手を伸ばして、両頬をつまんだ。
「いふぁいよ、ゆふぃ」
「だまらっしゃい! あなたはいつもいつも! そうやって!」
顔を真っ赤にしてユーフェミアはエミールの両頬を引っ張った。
そうたいして痛いわけじゃないし、ユーフェミアに触られてると思うとやはりご褒美なので、エミールはにやけてしまって仕方がないが、ユーフェミアは必死である。
自分の不用意さが招いた事態を、エミールがさらっと解決してしまったことが有難くも腹立たしい。
それに、大人しくし続けているとちょっとまずい、個人的な事情もある。
なお、周囲の人間たちは、カインを筆頭に噂を知る者も、観光客も含めて二人を生暖かい目で見つめていた。
どう転んでも、未来の公爵夫妻という名のイチャイチャバカップルの痴話喧嘩にしか見えないという事実を、ユーフェミアだけが知らなかった。




