5-18 「次にやったらあなたのその綺麗な顔に拳をぶち込みますからね」
声がマジだった。
ついでに言うと目もマジだった。
首を絞められたところで、エミールにとってはただのご褒美なのだが、さすがにユーフェミアが本気で怒っているので抱きしめていた腕をひっこめた。
ユーフェミアはふんっと小さく鼻を鳴らすと、きりりとした表情のまま果物売りの女性に「お代を支払わせてくださいな」と声をかける。
「ユフィ! まって! ここは僕が」
「あぁん?」
ユーフェミアは有無など言わせないとばかりにエミールを睨みつけた。絶対零度のその眼差しを受けて、エミールの背筋をゾクゾクと何かが走る。
ユーフェミアはこのために下げていたポシェットから、果物売りの女性が提示した金額を慣れた手つきで支払った。
公爵令嬢のユーフェミアも、町娘のユフィも、市井で支払いをした事はないが、なんせ前世は一般庶民の未亜である。
紙幣の価値さえ分かっていればこんなことは造作もない。
カインはぱたぱたと羽をはためかせて、エミールの肩に乗ると「こりないね」と囁いた。
「どうする? ユーフェミア、すごく怒ってるけど」
「さて、どうしようかな」
「困ったね」などと言うエミールの声音は、きっと人が聞けば「全然困ってなさそう」と言われるだろうが、付き合いの長いカインには分かる。
この調子に乗った竜は、内心ほんのちょっぴり焦っていると。
エミールは予想以上にユーフェミアが怒っていることを察したのだろう。
まぁ、出鼻で怒られたばかりなのに、重ねてやらかしたエミールの自業自得でしかないのでカインも同情はしない。
どう許してもらおうかと、エミールが笑顔の裏で考えていると、ユーフェミアはきつい顔のままエミールに近寄ってきた。
罵られるのは構わないけれど、もう帰りますなんて言われたらどうしようかと思っているエミールに、ユーフェミアは「何を呆けていらっしゃるのですか」などと言いだす。
「いいですか、次はないですよ。次にやったらあなたのその綺麗な顔に拳をぶち込みますからね」
「へ?」
「ほら、行きますよ」
今度はユーフェミアが、呆けているエミールの手をとった。
「それではお姉様、美味しいキングスベリーをありがとうございました」と会釈して、エミールの手を子供の手を引くようにして連れて行ってしまう。
その様子を見ながらカインは「……ユーフェミアはマジで大物だな」と一人ごちた。
「賢者様、エミール様にね、あの子を逃したらダメだよって、ちゃあんと釘をさしておくんだよ」
「あの子はいい公爵夫人になるよ」と、果物売りの女性は腕を組んでうんうんと唸る。どうやら、彼女はユーフェミアを認めたようだ。
「伝えておくよ。まぁ、エミールの事だから死んでも逃がさないと思うけどね」
「現に今、また外堀も埋めたことだし」と、カインはしげしげと果物売りの女性を見つめる。
そう、実はこの女性、アレクシオの商工業ギルド、冒険者ギルドと並ぶ三大ギルドのひとつ市場ギルドのギルド長の奥方である。
海産物と貿易品の収益が大きいアレクシオの市場ギルドは、ギルドの中でもかなりの力を持っていて、この果物売りの女性はその市場ギルドの商会長とうっかり恋に落ち、望まれて嫁いだキングスベリー発祥の大農家の孫娘である。
つまりどういうことかというと、このあたり一帯においてこの女性、かなりの権力者だと言うことだ。
花売りのおじさんも、この市場ギルドの古参だが、こちらの果物売りの女性は格が違う。
格が違う上に、言うなればアレクシオ市場域における女達の首領だ。
エミールがユーフェミアを彼女にこっそり紹介したのは、キングスベリーを食べさせたかったのが8割で、後の2割は牽制である。
前述したが、エミールは顔がいいのでモテる。
未来の公爵夫人を夢見て玉砕した乙女の数はもちろん多いが、彼を見ているだけで心安らぐというファンは星の数を超える。
中には過激な乙女もいて、抜け駆けは万死に値すると、ルール違反した乙女に自分勝手に制裁を加える者もいるらしい。
(なお、余談だがストーカー化したヤバイ乙女ももちろんいるのが、その想いを塵も残らないように完膚なきまでに、無自覚のまま叩き潰すのがエミールである)
そんなかで、この女性にユーフェミアを見せつけたのは、もちろん花売りのおじさんと同じ理由であるのだが、彼女相手だともう一つ別の意味になってくる。
言うなれば女性陣に対する牽制だ。
エミールからすれば、まことに迷惑な話でしかないのだが、人間と言うものはポッと出た新参者に対してとても厳しい一面がある。
公爵家の嫡男で、次期当主として有名なエミールが同性異性問わず、その対象として見られやすいのは当然の理である。……まぁ、エミールはそんなこと一切気にしないが。
その厳しい目が、ユーフェミアを検分するのも、また理解できることである。
ユーフェミアはついこの間まで王太子妃に望まれていた女性なので、その厳しい目に耐えうるだけの精神も度胸も知識も持っているが、多くのそれがそうであるように、色恋と言うものが絡むと世界は混迷を極めて面倒になる。
別にそれは、丁寧にすり潰すだけだから構わないのだが、ようやく懐いてきたユーフェミアに「面倒」だと思われるのは癪である。
だからこそ、エミールはユーフェミアにキングスベリーを食べてもらうついでにこの市場の女首領にユーフェミアを紹介したのだ。
エミールがユーフェミアをどれだけ溺愛しているか。
それを示すだけで、この聡い女首領は全てを理解して、噂雀達にその真実を噂するようにと指示するだろう。
「エミールが溺愛している少女に手を出すんじゃない」
彼女のその号令で、大抵の乙女はそう認識するはずである。
彼女の号令を無視してエミールとユーフェミアに突っかかってこようとするなら、それは大抵厄介に厄介を重ねたヤバい奴なので、それなりの対応で処理すればいいだけの事だ。
そういうことで騒動を起こす人間は、すでに面倒なほどに厄介だと周囲の人間からも思われているのだから。
そう思っていた。
それだけのはずだった。
然しながら、ユーフェミアは無自覚に、無自覚のまま行動し、無自覚なまま女首領に気に入られてしまった。
「エミールが溺愛している娘だから手を出すな」ということと、「エミールとアレクシオ市場の女首領が気に入っている娘に手を出すな」だと、同じ意味であるのに後者の方は意味合いが更に倍率ドンである。
エミールを敵に回すと言うことに、平民庶子はピンと来ないかもしれないが、アレクシオ市場を敵に回すと言うことなら実感が伴う。
貿易と市場の花の港町でそんなことをするのは、自殺志願者と変わらない。
ユーフェミアは、無自覚なままアレクシオでも有数な鋼鉄の鎧を自ら手に入れたのだ。
こんなにも愉快で悲惨なことがあるだろうか。
なにより愉快なのは、この事実をまだエミールは知らないと言うことだ。
ユーフェミアはもちろん知らないが、エミールは今、はじめてユーフェミアから手を握ってもらえたという事実にときめき、何とも言えない嬉しそうな顔のままユーフェミアに手を引かれてしまっていて、カインが女首領に言われた言葉は届いていない。
可哀想で可愛そうなユーフェミアは、こうして自らの外堀をまた一つ塞いだのである。




