5-13 「ランチには少し早いから、軽くね」
「さて、花祭りの準備もできたし、軽く何かつまもうか」
エミールのその言葉に、ユーフェミアがピクリと反応する。
そうだ。今日はカレーを食べに来たのだ。
断じてエミールとデートしてキャッキャするために外に出たわけではないのだ。
いや、キャッキャとなんて全然全くちっともしてないけども。
むしろ、まだアレクシオの城を出て1時間ほどしかたってないのに、こんなにもずっと腹がたっているのだけれども。
それとこれとは別である。
「カレーですか!?」
と、思わず食い気味に明るい声が出てしまって、ユーフェミアは自身の口に手を添え動揺する。
普通、貴族令嬢はこんな食い気味に食に興味を示さない。
ましてや、おいしいスイーツならともかくユーフェミアが興味を示しているのはカレーである。
カレー自体、この国では珍味だ。
王都で暮らすユーフェミアが、憧れ、恋焦がれながらもその存在にすら気がつかなかった珍味であり、ユーフェミア程の歳で、珍味にこうも反応を示す貴族令嬢はなかなかいないだろう。
珍味趣味とは、貴族の耽美な食生活に飽きた者たちの趣味である。決して若者の趣味ではない。
殊更、貴族令嬢という生き物は、お淑やかで可憐で繊細で、雀の涙くらいしか食べない生き物が大多数であので、間違っても「カレーですか!?」などと、目をキラキラさせて食いついたりしないはずだ。
ユーフェミアは何度も言うが、ついこのあいだまで王太子妃候補だった淑女である。
名誉と誇りある12公爵家の公爵令嬢であり、王都社交界では第二王子アーロンの婚約者であるエミリアと並ぶ双璧の華でだ。
王立学院に同学年で通ってることもあり、貴族の令息令嬢にファンも多く、エミリアがディシャールの風の白百合と呼ばれるのに対して、苛烈な性格から氷炎の聖女と言う二つ名の他に氷の黒薔薇とも称されているが、2人ともディシャールが誇る、至高とも呼ぶべき次世代の華である。
そのユーフェミアが、こんなにも食い気に走ってるなどと誰が思うだろうか。
はっきり言って、ユーフェミアなら思わない。
ユーフェミアが普通の貴族子女であるなら、憧れの公爵令嬢で未来の王太子妃が食い気に走ってると聞いたら面を食らうと思う。……まぁ、ユーフェミアなら親近感がわくだろうが、大抵の貴族は一瞬困惑するだろう。
ユーフェミア自身、体面を気にしたいわけではない。
実際問題、公爵令嬢なことはともかく、王太子の婚約者でさえなかったらユーフェミアはここまで表舞台に立っていなかっただろうと思っている。
強く美しい、氷炎の聖女とよばれるユーフェミアだが、その中身はもうすでにご存じの通り、妹馬鹿のポンコツだ。
強く美しく、清廉で潔癖な完全無欠の公爵令嬢という仮面の下に、美味しいものが好きで、本が好きで、ただひたすらに妹に愛を注ぐ、男性恐怖症の自分を隠し続けた17歳の女の子。
それがユーフェミア・リンスフォードのある意味での真実だ。
たった一人、最愛の妹が幸せになれる道を整える、そのために仮面を被ってきたと言っても過言ではない。
その仮面を、こんな形でユーフェミア自ら外すなどと、ユーフェミアにとっては屈辱以外の何物でもない。
これだからユーフェミアはエミールがいやなのだ。
エミールの前だと、公爵令嬢のユーフェミア・リンスフォードじゃいられなくなる。
きっと、口が上手くて、ふわふわとした優男の雰囲気につられてるのだ。
ユーフェミアは口を押えていた手でぴしゃりと頬を打って、気を引きしめる。
今日は公爵令嬢のユーフェミアじゃなくて、町娘のユフィだ。けれども、淑女として恥ずかしい真似など絶対にしない。そう誓って、ユーフェミアは少しだけ赤くなった頬をさすりながら側でぽかんとしていたエミールを見上げる。
「ん?」
エミールは小首を傾げてユーフェミアを見つめ返した。
慈愛をまとう金の瞳を眼鏡で隠し、口許は優しく微笑みをまとう。
ふんわりとした優しい雰囲気に呑まれて、ユーフェミアの決意がふにゃりと歪みそうになった。
負けそう。
いやいや負けない、負けないもん。
もん ……などと語尾にうっかりつけている段階で既に負け戦なのだが、ユーフェミアは気がつかない。
そんな葛藤をしているユーフェミアを見ながら、エミールはくすくすと笑った。
「カレーもいいけれど、今日はそれがメインディッシュでしょう? ランチには少し早いから、軽くね」
などと言って何も気がつかなかったふりをしながら、ユーフェミアの手に自分の指を絡めて握りなおす。
さすがのユーフェミアもその行いには気がついた。
顔をハッとさせ、やだやだと駄々をこねる子供のように握られた手を振って抜け出そうとするが、もちろん抜け出せるわけもない。
馬車に乗ってる時と同じように、手に口づけられたらどうしようかと焦るユーフェミアであったが、さすがにエミールも学習したのかそれはしなかった。
ユーフェミアの手を引いて、エミールは市を当たり前のように歩いていた。
彼は、どこに何があるのか完璧に把握しているようで、何度もこうして祭の際の市を歩いているのだろう。
実際は祭どころか、月に一回……酷い時は週一のペースであるけれど、ユーフェミアがそれを知るのはもっとずっと先の事だ。




