0-4 「求婚させていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
「お兄様、もうすこしでいいですから、そのにやけた顔を引き締めてくださいな。さすがに目立って仕方ありません」
「これは失礼。でもねエミリア、こんなに楽しいことは滅多にないんだよ。ただの拷問だと思ったらお祭りじゃないか」
「不謹慎ですわ。……まぁ、お兄様のお気持ちも分からなくもないですが、ユーフェミア様は大事な友人なので、いくらお兄様でも加減が過ぎるなら怒りますわよ?」
エミリアがそう言って冷ややかな視線を送ってきたので、エミールはにこりと笑ってごまかした。エミールほどではないとはいえ、エミリアもまた彼と同じ竜の血を受け継いでいるのだ。無駄に怒りを買ってもいいことなど何一つない。そんなことはさすがのエミールでも理解しているし、それによって生まれる確執は非常に面白くない。
それよりも今は、目の前で生まれる悲劇というには愉快すぎる茶番を楽しんだ方が得である。
事態を完全に楽しみ始めたエミールをよそに、周囲のざわつきは最高潮であった。
なにせ、この国の次期王である王太子が、真実の愛に目覚めたと言いながら他に女を作った上で、婚約者に婚約破棄を言い渡したというだけでも大問題なのに、その婚約者から「婚約破棄上等だけど、その連れてきた令嬢は私の可愛い妹だから結婚なんて絶対許さないわ」と言い返され、しかもその真実の愛に目覚めたと言ったはずの令嬢は「王太子が無理矢理……」と泣き出しているのである。
これを混沌と言わずして何と言えばいいのだろうと、第二王子アーロンは頭を抱えていた。
「兄上、ユーフェミア嬢。ひとまず落ち着いてください、場所を変えて話し合いをいたしましょう」
アーロンがそう言うと、ユーフェミアは少し考えるようにして、持っていた扇子を広げ口元を隠した。
あまりの出来事に騒ぎ立てたとしても、彼女は賢い。これ以上騒ぎを大きくするのは、彼女自身立場を考えれば本意ではないだろう。
まだ介入はしていないものの、王は既にこの事態を把握している。
王は今自身が動けば、この場で王太子を処分しなくてはいけなくなることを理解しているから動かないのだ。
一度、王・王妃・王太子に次いで地位の高い第二王子であるアーロンが場を預かり、12公爵家と王家とで会議を行って方向性を決めてから処分を決めたいと言うのが、王の意向なのだとアーロンは理解していた。
何故ならさっきから、念話で命令事項が伝えられているからだ。
『頼むアーロン、お前だけが頼りだ』
と、強面の顔からは想像がつかないほどの頼りない声音が聞こえてきて、アーロンはため息をつきたい気持ちを必死にこらえた。
父王は、強面で体格の大きな美丈夫で、威厳ある王として名を馳せているが、実際は小動物と甘い可愛らしいお菓子が好きな心優しき王である。
その一面を知っているのは、王妃と一部の従者とアーロンだけであり、王太子カーシスはその事実を知らない。アーロン自身、事故のような形でその一面を知った経緯があるのだが、今は置いておこう。
その一面はアーロンにとって驚きに満ちたものだったが、そこで感じたのは好感であった。
甘い菓子なんて、絶対食べないだろうと思っていたのに、好きだと聞いてから恐る恐るエミリアに聞いた流行の菓子を差し入れれば、眼光鋭き目の奥がきらりと光り、大きな手で恭しく可愛らしい菓子をつまんで食べる様子を見て「なんだこの親父可愛いな」と思ってしまったのである。
その様子を微笑ましく見守る王妃は、どう考えても父王のこういう所に惚れてしまったのだろう。
政略結婚で、侯爵家から嫁いだという王妃は言われてみれば、小動物のように小柄である。「なるほど、政略結婚の割には相思相愛だと思っていたが……なるほど」と、唸らずにいられなかった。
そして何を隠そう、アーロンの思想は母親によく似ていた。
故に父王のギャップに完全にやられてしまったのである。
ちなみに、カーシスにバレたらまず間違いなく「幻滅した!!!!!!!」と騒ぎ立てる事だろう。あの王太子は、そういう男である。
その父王がわざわざ念話で、とりあえず場を一度収めてくれと願っているのだ。
ぶっちゃけた話、この愚兄の進退はもうどうでもよかった。
この騒動の大きさを考えたら十中八九廃嫡で、新しく自分が王太子に任命される未来しか見えないし、正直に……、正直に言えば王太子なんぞなりたくないけれど、せめて少しでも穏便に事を済ませたい……そう願った彼の思いを、ユーフェミアは正しく理解してくれたのだろう。
「かしこまりましたわ、アーロン殿下。一度この場は、貴方様にお預けいたしましょう」
と、大変不服そうな顔をしながらもその矛を引いた。
さすが才女ユーフェミアである。最愛の妹に愚兄がちょっかいを出して本当に申し訳ないと思いながら、アーロンは心の中で感謝した。
「はんっ!? なぜお前にこの場を預けなくてはならないのだアーロン! 俺はこの場を譲らないぞ!」
全く空気の読めていない王太子の発言に、その場の空気が凍り付き、アーロンは申し訳ないと思いながらも実の兄に殺意を覚えた。
もう本当に、その口を縫い付けて簀巻きにして捨ててやりたいと思う。
「ユーフェミア、さてはお前魔女だな?」
「は?」
「魔法でイリアを操っているのだろう!! 俺は騙されないからな!!」
言うに事欠いて真面目な顔で何を言い出しているのだろうこの愚兄は。と、アーロンは死んで3日経った魚の目のような目をしながら愚兄を見つめた。
「父上、この愚兄もう駄目です」と言った気持ちで父王を見やれば、天を仰いでいる。どうやら腹は決まったらしい。
「そこまでだカーシス。もう喋るな」
「父上!」
「ユーフェミア嬢、すまなんだ。我が愚息が迷惑をかけた。王太子との婚約は我が名をもって破棄させていただこう。誠に申しわけなかった」
「お止め下さい陛下。陛下の責任ではありません」
「そうです父上! なぜユーフェミアに頭を下げるのですか!!!」
「もう喋るなと言っただろうカーシス。同じことを二度も言わせる気か」
低く、けれども怒鳴るわけではない冷静な声音で、王は王太子にそう言って圧をかけた。
さすがの王太子も、その圧を感じたのか少しだけうめき声をあげて黙り込む。
「カーシス、お前にはがっかりだ。なぜこのような場で一方的に婚約を破棄した? お前とユーフェミア嬢との婚約は、12公爵家との会議の結果定められたものだ。真実の愛だろうとなんだろうと、こんな場で自分勝手に破棄することなど到底許されぬ。せめて私達に筋を通すことができたなら考えてやらないでもなかったものの……、そんな自分勝手な者にどうして次代の王を任せることができようか」
「ち……ちちうえ?」
「今この場をもって、カーシスの王位継承権を剥奪し、王太子の任を解こう。今まで王太子としてご苦労であった。次期王太子は12公爵家と協議して正式に任命をさせてもらおう。カーシス、お前はその協議の結果が出るまで謹慎とする。異論は一切認めない」
「父上っ!!!」
「異論は一切認めないと言ったはずだ。衛兵、すまないがこの愚息を連れていってくれないか? 正直いま顔も見たくない」
「父上っ!!!!! 父上っ!!!!」
実子で王太子であるカーシスへの冷徹な対応に、貴族たちは凍り付いた。さっきまでアーロンに念話で懇願していたという事実を知っていたとして、そのギャップに大概の人間が風邪を引くほどの温度差を感じる事だろう。
一方アーロンは「正式に任命される相手って誰だろうな……俺だよな……そうだよな……さようなら俺の田舎生活」としみじみ思っていた。
それと同時にエミリアに「王妃はちょっと遠慮したいですわ」と言われたらどうしようかとも思っていた。
エミリアは優秀である。王妃として十分な能力と資質、身分を兼ね備えているのはアーロンが一番よく知っている。
知ってはいるが、彼女が引き受けてくれるかどうかは分からない。
心底惚れ抜いて婚約した彼女が王妃になりたくないと言うならさせたくないし、彼女が王妃にならないと言うなら自分も王になりたくない。
彼女に求婚した時に「一生添い遂げる」と誓ったのだ。それを撤回してまで王になどなりたくないと、彼は声を大にして言える。
まぁ、実際エミリアはこの時「次期王太子様にはアーロン様がなるのかしら? ……だとしたら私は王太子妃になるのよね……。勉強間に合うかしら」と、だいぶ乗り気であった。アーロンと別れることなど一切考えていなかったので、アーロンの心配は杞憂に過ぎなかったのだけれども。
カーシスの抗議の声が遠くなるころ、ユーフェミア嬢は改めて王へと臣下の礼をとった。側にいたイリアがハッとしたようにそれを真似て、姉と同じように頭を下げるのを見て王は「頭をあげてくれ」と願う。
「此度は本当に愚息が迷惑をかけた。詫びには程遠いだろうが私にできることがあるなら何でもさせてもらおう。遠慮なく申せ」
「陛下のせいではありませんので、お気になさならないでください。ですが……そうですね、こんな形で破談になりましたら、きっと私もイリアも婚期が遅れると思いますの。ですから、少しでも良い縁が結ばれますように、いいご縁をご紹介いただけたら嬉しいですね」
それはユーフェミアのこの場を和ませるとっておきの冗談だった。
王に対して怒りはない、今後の付き合いも今まで通りだという意味も含めた、今この場にいる貴族たちへのアピールに近いものがある、最良の冗談だ。
誰もがその冗談に、ようやくホッとしたかと思った瞬間。
すっと、群衆の中で誰かが手をあげた。
アーロンはその手をあげた人物を見て、絶句する。
なぜ、どうして、今この場で手をあげたのか、何も理解できなかった。
「陛下……、今この場で発言する許可を頂いてよろしいでしょうか」
「貴殿は……リブレット家の」
「リブレット公爵家次期当主候補、リブレット公爵が子息、エミールでございます。陛下、今この場で発言する許可を頂きたく思います」
「……許可しよう。一体どうしたエミール」
ちちうえおねがいしますきょかしないでください
というアーロンの渾身の念話は父王には届かなかった。
アーロンはこのエミールという男のことを良く知っていた。まず間違いなく余計なことをやりだす。
しかも理由が、まず間違いなく「そっちの方が楽しいから」というどうしようもない理由だ。
今日これ以上疲弊するのは、アーロン的には避けたかったのだが、王の許可を得たエミールは水を得た魚のように嬉しそうに飛び出す。
こうなっては誰も彼を止めることができない。
「陛下、私は今恋を致しました」
「は?」
「元王太子に勇ましく発言する姿と、妹を慈しむ心優しきその姿に一生に一度であろうという恋をしたのです。 ユーフェミア・リンスフォード様……、今婚約を解消され自由の身となった貴女に求婚させていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
エミールはそう言ってユーフェミアの前に騎士のように跪くと、魔法でポンと青い薔薇を差し出した。
ようやく落ち着いてきた会場が、突然の求婚劇にまたにわかに騒がしくなる。
ユーフェミアはあまりの出来事にフリーズしていた。
が、やがてにっこりと笑ってその薔薇を受け取ると、笑顔のまま眉間に皺を寄せた。
「冗談じゃありませんわ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
バチンっという、とてもいい音があたりに響いたかと思うと、ユーフェミアは盛大に顔を歪めた。
「陛下、大変申し訳ないのですが気分が悪いので本日はこれにて失礼させていただきます」と丁寧に王に退室の許可をとってイリアと共に会場を出て行った。
あとに残されたエミールは、頬に真っ赤な手形を残しながらしばらく固まっていたが、やがて何とも楽しそうに笑い出すと「陛下、私もこれにて失礼させていただきます」と言い残して、彼女を追うように会場を出て行った。
あとに残されたアーロンが、後始末をどうしようかと途方に暮れたのは言うまでもない。
この数か月後、本気になったエミールに外堀の全てを固められ、借りてきた猫のようにおとなしくさせられたユーフェミアが公爵家同士の結婚の許しを得に王に謁見を申し込むことになるのだが、それはまた別の話である。