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冗談じゃありませんわ!  作者: salt
第三章 彼女の過去と彼の事情
20/98

3-5 「君と一緒に行くならどこだって楽しいよ」



「……ライアン……ブライアンっ!!」

 ばしゃっと水をかけられたブライアンは、ハッと覚醒した。それと同時に、顔に強烈な痛みが走る。


「……痛」

「えー、まだ痛い? 顔も腕も一応一通り治したんだけど」

「兄上の治癒魔法はえげつなく痛いんですよ……。くっそ……またダメだった」

「いやー、いい線行ってたよ。避けるのギリギリだったもん」

「そうでしょう!? うちの騎士達と特訓してようやく曲げれるようになったのに……どうやってあれ避けたんですか」

「そんなの教えるわけないじゃない。まぁ、僕だったらあの後にもう一撃同じものを用意してたね。そうしたら僕でもちょびっときつかったかも」

「兄上!!!」

「まぁ、今僕が思いついている以上、同じことやっても無駄だと思うけど」

「兄上ぇ……」

「まぁ、最後まで油断しないことだね。前回より強くなったねぇブライアン」


 エミールによしよしとにこやかに、子供のように撫でられたブライアンの瞳が褒められたことでちょっと潤んだ。持ち上げて落として、更に褒めるエミールに、ブライアンは嬉しくて、結局少しだけ泣いた。

 昔からブライアンの努力を全て「天才」という一言で越えていくこの兄のことが、ブライアンは複雑な思いを抱きながらも大好きだった。

 思春期に憎んだこともあったが、この長兄は嫉妬するだけ無駄なのだと悟ってから、すっかりとどうでもよくなってしまっている。常識でこの兄の事を考えてはいけないのだ。


 兄は人間の形をした竜なので、竜の血を引いている自分が対抗しようと思っても無駄なのである。

 でも、いつかこの命にかえても一撃ぶち込んでやろうと思っているので、ブライアンも大概だ。


 ひとまず、ブライアンにとって、エミールはそういった意味で偉大な兄であった。





「結局俺何分持ってました?」

「3分半ってとこかな」

「やった、3分超えた!!!」

「ブライアン、お前それでいいのか」


 近衛騎士団の先輩にそう言われて、ブライアンはぐっと下唇を噛み締めた

 騎竜隊において、ブライアンは現在副隊長だが、近衛騎士団全体を見たらまだ若手である。


 自分が副隊長に任命されたのは、あくまで騎竜の分野で秀でているという理由であることを自覚しているので、先輩に対しての態度は弁えているつもりだ。


「ねーねーブライアン。もうちょっと構ってよ、僕まだ全然動き足りないんだ」

「嫌ですよ! この3分でおれの体力どれだけ削られたと思っているんですか!!」

「もやもやしてしょうがないんだよ。八つ当たり先になってくれたっていいだろう?」

「いいわけないでしょう!? 何があったか知りませんが八つ当たりしないでください! 俺は死にたくありません」


 ブライアンがそう言えば、エミールはちぇっとつまらなそうに唇を尖らせた。

 それなりに顔のいい男が、駄々をこねる子供のような顔で拗ねているのは、ご令嬢から見たら可愛く見えるかもしれない。

 けれどブライアンは、さっきまでこの兄にボコボコにされていたのである。騙されたりなど決してしない。


「あの方……一体何者なんですか? ブライアン副隊長って、近衛騎士団でも1.2を争う実力者ですよね……それをあんな簡単に……」

「あぁ、新人。よく覚えておけ……あれがブライアン殿の兄君で次期リブレット家のご当主とされているエミール様だ」

「あのお方がエミール様ですか!? アズディール団長が化け物と仰るあの???!」

「あぁそうだ。あれがうちの人間兵器エミールだ」

「!! 団長!」


 新人たちの後ろから姿を現したのは、近衛騎士団の団長であり、エミールとブライアンの叔父であるアズディール・リブレットだった。

 灰色に近い髪の毛を持ったその男は、ブライアンの倍はあろうかという団長らしい体躯を持っていた。口には豊かな髭を生やし、一見するとエミールともブライアンとも血の繋がりはなさそうに見えるが、リブレット家特有の金の瞳が彼らが血のつながった一族だということを示しているように見えた。

 アズディールはその体を雄々しく見せながらエミールに近づくと、はぁと大きくため息をついた。


「久しいなエミール」

「お久しぶりですね叔父様。少し訓練場とブライアンをお借りさせていただきました」

「いつでも使って良いと言っているだろう。どうせなら毎日来てほしいと」

「嫌ですね叔父さん。僕はこれでも次期当主なので忙しいんですよ。今日はちょっと体を動かしたくて来たんですけれど……どうにかできませんか?」

「いいだろう。おい、治療院の学生監督者達に「緊急実践訓練」だと声をかけろ。エミールが来たと言えば喜んで生贄を差し出すだろう」

「はい、団長」

「訓練場にいる団員諸君、うちの人間兵器が相手をしてくれるそうだ。10人ずつ固まって連携してあれを倒せ。我こそは一対一でと思う者は俺の所に来い」

「「はいっ!!!」


 アズディールの一声に、周囲にいた騎士たちが答えた。

 ざわざわと準備をし始める中、エミール一人だけやったーとにっこり笑って喜んでいた。





 一時間後、訓練場は死屍累々という修羅場だった

 新人から玄人迄、エミールにちぎって投げられた騎士たちが山となっている。

 駆り出された治療院の学生達が、どこの戦場にほうりこまれたのかとドン引きしてる中、エミールは少しだけすっきりとした顔で、ブライアンが用意してくれたタオルで汗を拭いていた。


 タオルと飲み物を用意して待っていたブライアンは、この惨状に真顔になっていた。

 今敵襲を受けたら、誇りある近衛騎士団は壊滅するかもしれないと考えてしまう。


 エミールは2年に1度くらいのペースで「運動がしたい」と言ってこういった状況を作り出す。

 団長であるアズディールが毎回、これ幸いとばかりに訓練にしてしまう脳筋なので正直どうしようもないのだが。


「魔法を使ってない状態でこれなんだから、本当に恐ろしいんだよな……」

「そうは言うけれどねブライアン。人間兵器は言い過ぎだと思わない? 僕はただの人間だよ」

「ただの人間は手刀で炎を弾いたりしませんからね」

「頑張ればできるよ」

「そうじゃないんだよなぁ……」


 偉く真面目なエミールの発言に、ブライアンは頭を抱えた。

 エミールとブライアンの間に横たわる大きな溝はどうしようもなく埋まらないようだ。


「はっはは、協力ありがとうエミール。良い訓練になったよ」

「そう? 僕も程よい運動になってよかったよ。……アズディール叔父さんも運動する?」

「いいや、遠慮しておくよ。今度休暇を取った際に、実家で相手してくれ」

「そう、それなら楽しみにしてるね」


 エミールがにっこり笑ってそう言うと、アズディールは静かに目を伏せた。

 アズディールは竜としての力こそ現当主に劣るが、本質は竜のそれに近いものを持っていた。故に、立場上エミールとこうした叔父と甥の関係を築いてはいるが、どちらかというと主従の関係のほうが強かった。エミールの圧倒的な竜の力に、彼は精神的にごく自然に屈しているのだろう。

 それほどまでに、エミールの中にある竜の性質は強いものだった。


 これでよく「僕はただの人間だよ」なんて言えるんだろうとブライアンは思う。

 ブライアンの偉大な兄は、どう考えても人間兵器だった。





 死屍累々の修羅場を作り出したエミールは、飲み物を飲みながら訓練場のベンチに座ってしばらくぼーっと空を眺めていた。

 エミールは多少すっきりとしているが、もやもやの原因を思い返すとやはりため息をついてしまう。

 まぶたを閉じれば、その暗闇に浮かぶのは最愛の少女の姿だ。

 もうしばらく待とうと思ったエミールであったが、たった3日会わなかっただけで苦しいほどに会いたいと願ってしまう。


 ふいに、気配を感じたエミールは立ち上がった。


 ブライアン達がびくりと体を震わせてエミールを見つめ「どうされたんですか兄上」と声をかけるがそれに応える事無く、感じた気配を探す。

 訓練場に面した2階の渡り廊下から、愛しきその気配を感じてエミールはそこに飛び上がりながら向かう。


「ユーフェミア!」

「ひっ」


 そこにいたのはこの3日会うことを拒否されていた愛しき少女の姿だった。

 なんでここにいるのが分かったのと言うようなその視線が可愛らしくて、エミールの心がまた温かくなる。


「わぁ、久しぶりだねユーフェミア」

「な、久しぶりって、たった3日ではないですか。久しぶりというほどでは……」

「何言ってるの、3日だよ。3日も会えなかったんだよ。凄く逢いたかった」


 エミールは切なげに目を細めると、ユーフェミアの手にそっと触れた。

 指先を持ち上げて、ユーフェミアの目の前でキュッと握れば、ユーフェミアの顔が赤く染まる。思いだしたように「触らないでください」とはたかれる事すら愛しくて、エミールは思わずくすくす笑い出した。

 エミールの愛し子は今日もとんでもなく愛らしい。


「それで、どうしたのユーフェミア。僕に会いに来てくれたって言うならとても嬉しいけど、そういうわけではないでしょう? いくらなんでも君が騎士団の訓練場の方に自分から来るわけないもの、何か理由があるのでしょう?」

「えっと、その……第三王子のアルフレッド様が……」

「エミール!!」


 スパンっと飛び出してきた亜麻色の生き物を、エミールは抱き着かれる直前で制した。

 よく見ればアーロン殿下の雰囲気によく似た少年が、キラキラとした瞳でエミールを見上げていた。サファイヤの美しい瞳には尊敬だとかかっこいいだとかの感情がこもっていて少しだけ居心地が悪い。


「エミール、エミールかっこよかった。凄いんだね! 騎士のみんながちっとも勝てないの! 強いのすごいね!」


 誰だっけ? と首を傾げたエミールを見て、ユーフェミアはあからさまに引いていた

 コホンと咳払いを一つして、ユーフェミアが「アルフレッド様。いくら見たかったからと言って、侍女たちを置いて一人で行ってしまうのは感心しませんよ。王族たるもの、臣下に心配をかける真似をしてはいけません」と静かに叱りつける。


 そのアルフレッドという呼び名を聞いて、エミールはようやく第三王子のアルフレッドを思い出した。

 齢9才という若さの第三王子、アルフレッド・スノウ・ランフォールドはアーロン達からだいぶ離れて生まれた末の王子だった。

 亜麻色のふわふわとした柔らかな髪に、とても美しいサファイアの瞳を持つその容姿は、なんとも小さく愛らしい。


 王位継承から遠く、国王夫妻が晩年になってからうっかりと生まれてしまったこの王子は、その容姿があまりにも可愛らしいため天使のようだと言われている王子だった。

 素直だとか、純粋無垢だとか、天使の枕詞が生きて動いていると言われているかの王子には、アーロンを経由してたまに会っていたような気もするが、エミールの記憶に明確に存在していない。

 おそらく、エミールにとって彼は全く興味がないからだろう。

 今現在、キラキラとした憧れの瞳を向けられている意味が一切理解できず首を傾げていると、ユーフェミアがゆっくりとアルフレッドに言い聞かせてくれた内容から察することができた。


 アルフレッドは単純に、エミールがここに来たことで突然始まった訓練を見に来たらしい。

 天使と称されるアルフレッドだが、その性質は騎士に憧れを抱く少年である。アルフレッドは割と頻繁に侍女達を撒いて訓練場を覗きに行くらしいのだが、今日はエミールが特殊訓練を始めたらしいと聞いて是非とも見たいと抜け出してきたらしい。


 ユーフェミアは、今日は王妃に呼ばれたらしい。

 全く帰ってこない両親に用もあったこともあって、久しぶりに外出してきたそうなのだが、王妃との謁見は終わったものの、両親が捕まらずサロンで時間を潰していたそうだ。

 その際にアルフレッドが行方不明になったせいで騒ぎが起こっていたことに気が付いたユーフェミアは、アルフレッドと同じ属性の氷の魔力を持っていたこともあって、魔力を辿りながら捜索してここに辿り着いたらしい。


「だって、かっこいい騎士団見たかったんだもん。みんな、僕にそういうの見せてくれないんだよ。綺麗な物ばっかり見せようとするんだ。僕だって男だからかっこいいものを見て、かっこよくなりたいのに」

「格好よくなりたいのであれば、なおさら皆に心配をかけるような真似をしてはいけません。アルフレッド様の尊敬する騎士様には、皆に心配をかけて平然としている者はいないでしょう? 騎士団の訓練が見たいというのであれば、正しくお願いをいたしましょう。正しくお願いをして、権利を行使する方が、こうしてこそこそと覗きに来るよりよほど格好いいと思いますわ」

「……そっか……そうだよね。僕母上と父上にちゃんとお願いしてみる。ありがとう、ユーフェミア」


 にっこり笑って礼を言うアルフレッドに、ユーフェミアが優しく微笑んだ。

 その微笑みを見てエミールの顔から力が抜けた。

 そう言えば、ユーフェミアの笑顔を見たのは初めてかもしれない。


 駆け付けた騎士と侍女に連れられれて、アルフレッドは無邪気に笑いながらその場から離れて行った。それを微笑みながら見送るユーフェミアを見て、エミールはくすりと笑った。


「……なんですか」

「いや、男の子は平気なんだね」

「子供は好きなんです。可愛らしいでしょう」

「それでも男でしょう?」

「正確に申しますと、アルフレッド様のような子供は好きです、元気な子も好きですよ。底意地悪く他の子に意地悪することを楽しむような子は苦手です。性根の悪い乱暴者は子供大人問わず論外ですが、王都の孤児院にいる子は大抵言い聞かせれば理解してくれますから、嫌う理由がありません。」

「あぁ、慈善活動してるんだっけ」

「二週に一度ですが」

「ふふ、今度僕もついて行こうかな」

「……エミール様が? 公爵家の殿方は大体寄付が中心でしょう? それに幼な子の相手なんてエミール様には面白くないのでは?」

「君と一緒に行くならどこだって楽しいよ」

「どうだか」


 ツンっとユーフェミアはそっぽを向いた。

 まだ怒っているのだろうが、エミールにとっては仕草の一つ一つすべてが可愛く見えてしまっているので逆効果でしかない。


「御両親を待っているの? 僕も一緒に付き合うよ、サロンでお茶でもどうかな」

「結構です」

「そう、エミリアもいるんだけど。君がいるなら彼女も喜ぶよ」


 エミリアという単語に、ユーフェミアの目が一瞬色を変えた。

 不服ではあるが、ユーフェミアがエミリアをとても好んでいるのは、この二週間のお茶会でとてもよく理解しているのだが、やっぱりちょっと悔しい。

 それでも、エミールとの茶の席についてくれるなら万々歳だ。

 エミールは正しく、自分がまだ彼女に信頼されてないことを理解している。


 ユーフェミアは迷うように視線を動かした後、それから首をぶんぶんと振った。

「エミリアはきっと、アーロン殿下にお会いになっているのでしょう? 私、馬に蹴られる趣味はありません」と、更にぷいっと顔を背けて断った。

 予想はしていたが、とても会いたくて悩んだくせに、それでも耐えてエミールに言い返す様子がやっぱり愛しくて、エミールはますますニコニコしてしまった。


 今のエミールにとってユーフェミアの仕草は一つ一つ、全てが愛しいものだった。多分ユーフェミアに「殺す」と真顔で言われても「可愛い」と思ってしまうだろう。

 ユーフェミアに殺されるなら、エミールはいっそ本望かもしれない。


 怒ってはいるものの、多少はエミールの事を気にしているらしいユーフェミアは、横目でちらちらとエミールの様子をうかがっていた。

 こちらが怒り出さないかと思っているようだが、エミールにしてみれば小さな仔猫ににゃあにゃあと文句を言われているだけなので、怒る理由などてんでなかった。

 彼女は必死に爪を立てて猫パンチしているのだろうが、相手は竜である。

 固い鱗の前では、いくら爪を立てても無意味でしかないのだ。


 と、いやな気配を感じてエミールは金色の目を見張った。

 ユーフェミアを咄嗟に引き寄せると、訓練着の上着を脱いで彼女を隠すようにそれをかぶせる。

 腕の中でびくりと震えるユーフェミアが、抗議の声をあげる前に上着越しにその頭を撫でた。


「ごめん、ユーフェミア。怖いだろうけど少しだけ我慢して欲しい。あとで僕を殴って良いから」


 そう真剣な声音で耳元で囁けば、腕の中のユーフェミアは大人しくなった。

 震えているのが可哀想で、上着越しに何度も頭を撫でれば、きゅっと手に力をこめてしがみついてくれた。

 察しが良くて、愛おしくてたまらなくなるが、そんな場合ではないのが口惜しい。


「全く、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえって言葉を知らないのかい君は」


 渡り廊下の奥にエミールがそう声をかければ、ぬらりと現れたのは背の高い人外だった。





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