2-7 「友人になるのではダメなのでしょうか」
初手から失敗した「悪役令嬢ユーフェミア貢ぎ物計画」。
結局エミールは、エミールのリブレット領とユーフェミアのリンスフォード領以外の公爵家が治める領地での最高級品を全て1日ないし2日で用意した。
しかも、最初の純結晶以外に必ず、ユーフェミアが好みそうなものを添えてくるのだ。
彫金がされた月光花の髪飾りに始まり、ある時はその領地の特産物で作られた菓子であったり、珍しく美味しい茶葉であったり、アクセサリーはもちろんだったが最後の贈り物の時に持ってきたのは、その領地の特産物であるラピスラズリを染料として染め上げた、濃い青が美しく煌く生地だった。
「ユーフェミアに似合うと思ったんだ。本当はドレスを仕立てて贈りたかったんだけど、君の馴染のブティックで仕立ててもらうのが一番でしょう? だからこの分の僕のお願いは「一緒にブティックに行く」って言うのがいいな。もちろん仕立賃は僕が出させてもらうよ」
にっこり笑ってそれを出された以上、ユーフェミアにもう逃げ場無かった。
ここまで、あの婚約破棄からわずか2週間である。
最初は名前を呼ぶことを要求し、応接間に通し、ユーフェミアの名を呼ぶ許可をとうとう与え、とっておきのお茶を出し、最初は10分だった話す時間が結局1時間に伸びた2週間であった。
最後の最後にデートの要求である。
もうこの頃には、ユーフェミアはだいぶぐらついていた。
男嫌いのユーフェミアにとって、この得体のしれない男とは話す意味など一切ないと思っていたのだが、この男突拍子もない事言う割にはユーフェミアの話が通じるのである。
打てば響くとはこの事なのか、ユーフェミアがエミールにわざと疎いであろう社交界の話を振っても、それを元にユーフェミアの興味深い話題を返してくる。
殊更、ユーフェミアの興味を引いたのは王立図書館に収蔵されている本の話であった。
ユーフェミアは読書が趣味である。
17歳の現在、王太子妃候補としての勉強の合間王立図書館への立ち入りを許可されていたので、7歳からの10年間であの大きな図書館の半分ほどの蔵書を読んでいた。
貴族の子女であの膨大なる本を、17歳という若さで半分も読むことができたのはユーフェミアくらいだろう。
だが上には上がいた。
エミールは非公式であったが、若干5歳の時に当時の蔵書をほぼすべて読み、それらを全て記憶していたのだ。
「嘘でしょう? さすがにそんなの信じられないですわ」
「けれど事実だよ、ユーフェミア。そうだ、クイズとか出してくれないかな? 君の覚えてる本の内容を一字一句間違わずに諳んじてみせるよ」
「……それでは、マルス・エヴァ・カルライナ著の『女神アルテミシアに捧ぐ』に記述されてる、愛しき人への詩の冒頭を朗読できまして?」
「あぁ、あの黒歴史だね。『愛しき人よ、誓いをどうぞその胸に抱いて、繰り返して繰り返して繰り返して、必ずあなたを救うから、今はどうか穏やかに眠れ』でしょう? ユーフェミアはこういう愛の言葉が好きなの?」
「いえ……愛の言葉というよりは、この著者が。今では当たり前になりましたが、100年ほど前の当時同性同士での結婚を許可する法案をはじめとした、とても画期的な法案をいくつも考え付いた宰相様ですのよ。彼自身、同性愛者ではなかったそうですけど、当時夫婦にしか認められなかった権利を、その法案によっていくつも享受できるようになさったというのがとても現代的だと思ったのです。今でこそ当たり前ですが、100年も前にそれを認めようと動いて、法案を通したというのがとても印象的でしたので3度ほど読み返した記憶があります」
「それなら、彼の著書の1つ、『我が人生』の最終章に「かの法案は愛しき人との約束だった」っていう記述があるよ。それが彼の奥方だったのか、それとも別の恋の相手だったのかは未記述だけれどね」
「……あの隠されたような本までご存じなのですね……、本当に全て記憶してらっしゃるなんて……。……エミール様のお好きな本ってどんなものがあるのでしょう?」
「ここ二年くらいの新書は読んでいないけれど、ディシャール民話集の裏側の話がまとめられた『裏民話第三刷』なんかお勧めだよ。第一刷のものとだいぶ異なっているから間違い探しするのもお勧めだね。王立図書館のものは第三刷だから、もし必要ならうちの蔵書室にある第一刷をお貸ししようか?」
「よろしいのですか!」
「もちろん、ユーフェミアになら喜んで」
読書が好きなユーフェミアにとって、それはとても魅力的な提案だった。
ささいなお願いとして「1時間僕とお茶をしてほしいな」と願われて、1時間じゃ足らないと思うようになったのはきっとユーフェミアのほうが先だっただろう。
端と気が付いた頃には、すっかりエミールの手のひらの上で転がり、次の約束を取り付けられる始末である。
それほどまでに、エミールとの対話はユーフェミアにとって楽しいものになっていたのだ。
「求婚ではなくて、友人になるのではダメなのでしょうか」
応接間でテーブル越しに向かい合わせに座って、エミールから生地を受け取りながらそう言ったユーフェミアの言葉は、心の底からの本心であった。
エミールと、友人として他愛のない話をするのは正直に言って楽しい。
彼は正直だ。
紳士的であり、大きな力を持っているのにそれを誇示して自慢したりしない。
ユーフェミアを女性として軽んじるわけでなく、対等と扱ったうえでこんなにも楽しく話せる相手など、彼女にとってはアーロン以来であったし、エミールの個性的な観点はとても新鮮なものだった。
だからこそ、ユーフェミアはエミールと男女の関係になりたくなかった。
男性だと意識してしまえば、ユーフェミアはやはり嫌悪感が先に出てしまうし、エミールを異性として……伴侶としてその隣に立つ想像ができなかった。
ただの政略結婚だったら、ユーフェミアは結婚していたかもしれない。
けれどエミールは、番という性質に縛られている竜の末裔である。
友人としての気持ちしか持たないユーフェミアでは、逆にエミールに申し訳ない気がしてくる。
ぶっちゃけて言うなら重かった。
竜の重い愛を受け止められるほど、恋愛に関して器用ではないと、この段階でユーフェミアははっきりと自覚していた。
「ねぇ、ユーフェミア。僕はね……君のことが好きだよ。
本当に好きなんだ。
愛してる。
正直に言えばね、最初この気持ちは愛どころか、恋でもなかった。
あのクズみたいな第一王子を叱り飛ばした姿に、一目惚れしたのは真実だったけれど、それはただ単に君と一緒に日々を過ごせるなら「楽しい」だろうなって思っただけだったんだ。
今から考えたらそれはとても不誠実なことだと思う、本当にすまないと思っているよ。あの時の僕は恋なんて知らなかったんだ。
でもね、あの時君に「冗談じゃないですわ」ってひっぱたかれた時にね、真っ赤になって震えながら僕に向かって来る君を、僕は可愛くて愛おしいって思ってしまったんだよ。
それからこうして、毎日君と会って話すうちに、どんどん好きになってしまった。
僕は毎日君に恋しているんだよユーフェミア。
君の隣で君と共に生きたいし、誰にも頼らず健気に立っている君の支えにしてほしいんだ。
ねぇ、……ユーフェミア。
突拍子もないように聞こえるかもしれないけれど……、君は男嫌いじゃなくて、男性恐怖症でしょう?
そして、少なくともこの人生は2回目……、前の人生はこの世界ではない別の世界で生きていたんじゃないかな?」
首を少しだけ傾げて、エミールはユーフェミアにそう問いかけて微笑んだ。
少しだけ窺うように困った顔をしていたそれは、ユーフェミアにとってはじめて見るエミールの表情だったが、彼女はそれどころじゃなかった。
年若い男女を2人きりにしないために、今この場にいるのが信頼できる侍女頭であるマーサで、ユーフェミアは本当によかったと思った。
愛すべき妹は今現在家庭教師と一緒に勉強の最中である。
この話、イリアだけには聞かれたくなった。
ユーフェミアは、今にも泣きだしそうな不安な顔でマーサに退室の指示を出した。
マーサは2人きりにするわけには行かないと一度渋ったが、悲痛そうな顔で頼むユーフェミアを見て「ほんの少しだけですよ」と部屋を後にする。
部屋のドアを閉めなかったのは最低限の配慮だろう。
「大丈夫だよ、ユーフェミア。聞かれる範囲に人はいなくなった」
「……どうして、気づいたんですか? 今まで誰にも……男性恐怖症も転生者であることもバレなかったのに……わたし、上手に隠せてたでしょう?」
ユーフェミアの口調が変わる。
気高き公爵令嬢から、まるで平民の少女のようなあどけない口調で、その琥珀色の瞳は不安そうに揺れていた。
エミールは優しく微笑むと、「隣に座ってもいい?」と、彼女へ許可を取った。
ユーフェミアがこくりと小さく頷くのを待って、彼は彼女の隣へと座りなおす。
「男性恐怖症のほうはね、あの第一王子が君へ言い返した時の君の反応かな。
あの馬鹿王子が君に怒鳴り返すたびに、君は少しだけ震えてた。
怒りで震えていたのかなって思ったけど、自分を守るように伏し目になっていたから、本当は怖いんだろうなって漠然と思ったんだ。
あれを説教したのは、王太子妃候補としての責任感と、リンスフォード公爵令嬢として強くあろうとする君の気持ち、それから被害に遭ったイリア嬢の為だ。
その3つが無かったら、本当は逃げ出したいくらい怖かったはずだよ。
公爵令嬢たる君が、そんなに男性を怖いと思うなんて前の生で余程怖い目にあったのかな?
君にそんな思いをさせるなんて同じ男として恥ずかしいよ。
転生者の方は……最初に気になったのは「お姉ちゃんは許さない」って言葉かな。
公爵令嬢で、王太子妃教育迄受けた君が、あの状況で自分の事を「お姉ちゃん」って呼ぶのはおかしいでしょう?
前の生でよく使ってた言葉だから、あの状況でパニックになって、ついうっかり使ってしまったんだと思った。
その段階では半信半疑だったけど、君と話をして感じた違和感が、人生2回目だと考えるととてもすんなり納得できたんだよ。
話し方が、僕の知ってる転生者にとてもよく似てたからね。まぁ、8割近く確信を持っていたけど、外れてたらどうしようかと思った」
「転生者が他にもいるの? 私以外の転生者」
「あぁ、まぁ……人間ではないけれどね。さて……ユーフェミア。話したくなければそれでも僕は構わないけれど、君の事を少しだけ教えてくれたりしないかい?」
エミールに優しく微笑まれたユーフェミアは、一度ためらうように目を伏せたが、それからその琥珀色の瞳をしっかりとエミールにむけて、その口を小さく開いた。




