2-6 「そんなに安い女ではありません!!」
さて、ユーフェミアが考えた「悪役令嬢ユーフェミア貢ぎ物計画」だが、まずは結果を伝えよう。
はっきり言って失敗だった。それもただの失敗ではない、大失敗だ。
アーロンの予言通り、エミールは次の日にこやかにやってきた。
ユーフェミアは「本当に来た」と呟きながら嫌悪を隠さない表情で出迎える。
当主は未だに王城に缶詰めで廃嫡騒動をめぐって後始末の真っ最中であるからして、この高貴な男に対応できるのがユーフェミアしかいなかったというのがそもそもの問題だったのだが、今更どうしようもない。
「ユーフェミア、おはよう。今日もいい天気だね」
にっこりと微笑む男の視線を、ぴしゃりと扇で遮ってからユーフェミアは昨夜から練った作戦を決行した。相変わらずエントランスでしか対応しないのは、ユーフェミアの精一杯の抵抗であったがエミールは一切気にしていないようだ。
「リブレット公爵が嫡男、エミール・リブレット様」
「そんな堅苦しく呼ばないで、僕のことは気軽にエミールと……いや、ユーフェミアならミルと呼んでくれても構わないよ」
「エミール・リブレット様。私は貴方様が求婚の許可を得ているということは理解致しました」
「本当に? 嬉しいな」
「ですが、その求婚においそれと私が応えるわけにはいきません。何故なら私は、ユーフェミア・リンスフォード。すでに元ではありますが、3日前まで王太子妃へと望まれていたリンスフォード家の長女だからです」
凛とした声でそう言えばエミールは少し驚いたように金の瞳をユーフェミアに向けた。それからとても楽しそうに口元に笑みを浮かべてユーフェミアを見つめる。
「つまり……条件があるって事?」
「条件なんてとんでもない。これは試練ですよ、エミール・リブレット様。古くから、求婚者は贈り物を持って求婚するのが常でしょう? 私が指定する贈り物を誠心誠意こめてお持ちいただけますか?」
「そんなの、当然だよ。君の欲しいものは何だって贈らせてほしい。……それで、ユーフェミアは何をご所望なのかな?」
エミールはにこりと微笑みながら金の瞳を細める。
値踏みされているような、出方を窺っているような、それでいてどうしてだか余裕そうなその態度に、ユーフェミアは背筋がぞくりと震えるのを感じた。
けれどそれだけだ。
ユーフェミアは存外負けず嫌いである。
リンスフォード家の長子だという事実と同じくらい、この何を考えているかよく分からない男の言いようになるのは我慢がならなかった。
ただでさえ男嫌いであったユーフェミアだが、昨日の一件もあってこの時点でエミールを完全に敵と認定していたし、この男の余裕そうな顔を歪めてやりたいとも思っていた。
なぜならユーフェミアはこの時、悪役令嬢のつもりでいたからだ。
自分本位に考え、贅沢をの限りを尽くす悪役令嬢は、物語として読むならいいが実際にいたらユーフェミアが率先して断罪していただろう。貴族社会において、民の事を考えない貴族など、貴族である必要が無いと思う真面目なユーフェミアであるが、この男の顔を歪めることができるのなら、女優となるのもやぶさかではなかった。
「そうですね……」
ユーフェミアはにっこりと貴族の微笑みを浮かべたが、その目は意地悪く輝いていた。今この瞬間だけは、彼女は気高き悪役令嬢と見えた事だろう。
「バケンティア公爵領が至宝。雷の精霊様の純結晶が欲しいですわ」
ユーフェミアのその言葉を聞いてエミールはすこしだけ驚いた顔をした。
バケンティア公爵領とは、ユーフェミア達と同じ12公爵家の1つである。
雷の天馬を祖先に持ち、主に電気工業に力を入れている公爵家だが、複数持つ領地の中にある鉱山で雷の魔石を採掘している。
雷の魔石は、要するに電力の源になる魔石だ。ディシャールの各地で採ることができるが、バケンティア公爵家の持つ鉱山で採れるそれは、魔石というより高純度の結晶だった。
手のひらサイズの大きさで、小さな町の電力を30年持たすことができるそれは、貴族にとっても高級品だった。
ユーフェミアが望んだのは、その雷の結晶の最高位クラスの純結晶だった。
それこそ、小指の先ほどの大きさで30年、手のひらサイズのものであれば100年電力を持たせることができる最高級品の、そのさらに上である至宝だ。
産出量も少なければ、値段はオークション形式。外に出れば貴族たちが我先にと入札してあっという間に天文学的な数字になるものだ。
求婚の贈り物に、こんなものを要求するなど普通はあり得ない。
贈るというなら王家への貢ぎ物クラスとなる品だった。
如何にエミールが12公爵家の上位貴族であるリブレット家の嫡男と言えど、一朝一夕で用意することができない、それでいてギリギリ用意できそうな可能性が3%くらいあるものにしたところに、底意地の悪さを感じさせる一品である。
ユーフェミアは、自信満々な顔でエミールを睨み付けた。
用意できるものなら用意してみろというユーフェミア。まさにドヤ顔である。
エミールは顔をきょとんとさせた後、ぱっと顔を明るくさせた。
それからいつものようににっこり笑うと「なーんだ、そんなことか」とほっとした顔をする。
「もっと難しいことを言われるかと思ったよ」
「は?」
「うん、じゃあ今日の所は準備が必要だから帰るね。また明日、ユーフェミア」
「またあした!!?」
「明日はゆっくりお茶がしたいな。それじゃあね」
エミールはそう言ってにこやかに帰っていった。
ユーフェミアは「そんな無茶を」と苦い顔をしたエミールが見たかったはずで、あんな笑顔で「また明日」と帰っていくのを期待したわけではなかった。
もしかしたら価値を知らないのかもしれない。……と、ユーフェミアはハッとする。
物として存在していることは知っているだろうが、ユーフェミアが要求しているものが、貴族たちの間で天文学的な数字を叩きだしているという事実を知らなければ、ああいう反応になるかもしれない。そう、そうに決まってる。
ユーフェミアはそう自分に言い聞かせながら、あのエミールのその事実に気が付いた時の顔を見れないのは残念だと意地悪く笑ったのだった。
さて、前述した通りこの作戦は大失敗であった。
大失敗であったのでさっくりと話そう。
翌日、エミールは笑顔でやってきた。
その手には昨日ユーフェミアが要求した「バケンティア公爵領が至宝。雷の精霊の純結晶」が携えてあった。
しかもただの純結晶でない。
純結晶はそもそも宝飾品の類ではないので、身に着ける想定をしたものではない。飾り台を豪奢にすることはあってもアクセサリーにすることはまずない。
だが、親指サイズの純結晶が研磨され、加工され、更に嵌め台に見事な彫金が施されたそれはまごうことなき一級品の首飾りだった。
雷鳴を閉じ込めた純結晶の淵に添えられるようにして輝く黒曜石を見て、「まさか自分の髪色じゃないわよね? たまたまよね?」などと思っていたユーフェミアに、エミールは「どう? 君の髪の色を添えて見たんだけど」とニッコリ笑顔で言いだしたので、彼女は顔を青く染めた。
「どうやって用意したのですか?」
震える声でそう尋ねれば、エミールは意地悪くにっと笑うと「内緒だけど、ちょっと伝手があるんだ」などと言い出す。
最高級の至宝をどんな伝手があれば気軽に入手できるというのだろう。突っ込んで聞きたい気持ちはあったが、突っ込んだらいけない気がしてユーフェミアは口を固く閉じた。
「彫金なんてはじめてやったんだけど、なかなかうまくいったでしょう? 時間がかかってごめんね」
「あなたが彫金したというの? はじめて??」
「そうだよ。王都の職人に教えてもらったんだ。ちょっと難しかったけど満足な出来だよ。どうかな? 気に入った?」
突っ込んだら負けな気がしたユーフェミアは、口を閉ざしたままエミールを睨み付けた。
絶妙に用意できないものをと思って指定したのに、いとも簡単に用意されてしまって悔しくて仕方が無かった。そんな恨みがましい視線を受けてなお、エミールはにっこりと微笑む。
その悪意のない微笑みに、ユーフェミアはすっかり毒気が抜けてしまい、悔しさで歪めた顔から力が抜けてしまった。エミールはその表情を、目を細めながら優しく見つめている。
「それで、どうだろうユーフェミア。僕は君のお眼鏡にかなったかな?」
「……いえ、まだです。まだまだですわ! このユーフェミア・リンスフォード。そんなに安い女ではありません!!」
そうは言ってみたもの、嘘である。
どちらかというとヤケであった。
用意できるなんて微塵にも思って無かったのだ。
一晩、イリアとマーサを巻き込んで、考えに考えた品物だったのにたった一日で用意されるなどとユーフェミアにとっては屈辱の極だった。
けれど、たった一度用意されただけで負けるわけにはいかない。
ここで挫けたら、この得体のしれないエミールとの結婚を押し切られてしまう。それだけは絶対に嫌だった。
「そうくるとおもっていたよ、ユーフェミア。次のお願いは何だい?」
「そ……そうですね。マスティアート……、そうマスティアート領の月光花の治療薬が欲しいですわ」
「あぁ、あの万能薬ね。うん、いいよいいよ。ユーフェミアの為なら頑張れるからな」
もう用意できる気でいるエミールだが、マスティアート領の月光花の治療薬はギリギリまで純結晶とどちらにするか悩んだ奇跡の一品である。
12公爵家が一つ、癒しの鼠を祖先に持つマスティアート領の秘薬である月光花の治療薬は、命さえあれば切り落とされた腕をも生やすという秘薬中の秘薬である。
生産量が少ないことに加え、あまりにも高すぎる効能から流通に過剰な制限がかかっていることで有名だ。
値段も純結晶に引けを取らず高額で、丸薬一粒売れば、平民一家族が一生遊べると言われるそれ自体が財産になるものであった。
婚約者への贈り物にするものでは絶対ない。
絶対にないはずなのに、エミールは困った顔一つしなかった。むしろとても楽しそうにニコニコしている。どうしてこんなに楽しそうなのか、ユーフェミアにはとてもじゃないが理解ができなかった。
「それじゃあ、ユーフェミア。……次に贈り物を持ってきたら僕のお願いも聞いてくれる?」
「は?」
ユーフェミアは真顔になった。
正直な話、ユーフェミアはそもそも求婚を受け入れる条件としてこの贈り物を要求しているのだ。立場上エミールの要求を呑む必要は一切ないはずである。
けれど、少しだけ気になった。
ここまで簡単に用意できると態度で示している以上、何を要求するというのだろうという単純な疑問である。それに、それを聞く代わりに更に条件を厳しくすることもできるかもしれないという考えもあった。
少なくとも聞くだけなら問題はないだろう
「聞いたところで叶えるとは限りませんが……何を望んでいるのですか?」
「うーん……そうだね、名前で呼んでほしいな。僕の名前、エミールって。あ、ミルでもいいよ」
それだけ? と思わず聞き返しそうになったが、エミールは本気でそれだけを要求しているようだった。眉根を寄せてしゅんっとした顔をしながら「だめ?」と言われてしまい、ユーフェミアはたじろぐ。年上のこの男を、まるでいじめているような気分になってしまい、複雑な心持になってしまった。
いや、悪役令嬢を気取っているユーフェミアだったら、現状は間違っていなかっただろう。
でも中身はユーフェミアだ。
気が強く、口が悪く達者であっても、潔癖で優しい心根を持つユーフェミアは悪役令嬢という役割にはとんと向いていなかった。
更に言えば手の中には先ほど渡された、雷の精霊の純結晶である。
美しく彫金が施された、他に類を見ない至宝を用意されてしまったし、受け取ってしまった。
求婚を受けるわけにいかないが、こんなものを貰ってしまった以上お礼をしないのはおかしいと、真面目なユーフェミアは思ってしまう。
最終的に求婚を跳ねのけたら返せばいいだけのことなのだが、純結晶に添えられた黒曜石がユーフェミアの髪色だと言われてしまうと、少しでも返しておきたいと思ってしまった。
「……そうですね、月光花の治療薬と……それから私を驚かせる何かを用意出来たら考えてもいいですわ」
視線を合わせずにそう言えば、エミールは破顔した。
顔のいい男の笑顔ほど凶悪な物はないというのは、どの世界でも共通である。
そんな笑顔で「また明日ね、ユーフェミア」と言われて言い返す元気はなかったし、察しの良い者なら気が付くと思うがこの翌日、月光花の治療薬と、月光花をそのまま魔法で固め彫金を施した髪飾りを持ってきたエミールの事を、とても悔しそうな顔で「えみーるさま」と呼ぶ羽目になったことは言うまでもない。




