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冗談じゃありませんわ!  作者: salt
第二章 公爵子息 エミール・リブレット
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2-2 「うん、だから結婚しよう。ユーフェミア」



 結局、ユーフェミアが起きだしたのは少し日が高くなってからだった。

 マーサが起こしに来てから間もなくしてイリアも起きだして、最愛の姉と同じベッドで寝たということに慌てていたが「もうしばらくお休みなさいな」というユーフェミアの声に甘えて、ゆっくり支度をしているようだ。


 朝食に用意してもらったオートミールを食べ終えて、食後の茶を筆頭侍女のマーサに淹れてもらいながらユーフェミアは両親の所在を彼女に問う。


「マーサ、お父様とお母様は?」

「旦那様は夜分に一度戻られましたが、明朝にまた城におでかけになられました。奥様も伴っていらっしゃいましたので、おそらく会議のほうがまた長引いているのでしょう」

「そう、まぁ昨日の今日ですからね。と言っても、もう結論はある程度出ていますから、帳尻合わせのための打ち合わせというところでしょう。まったく、考えなしの阿呆のせいでとんだことになってしまったわ」

「あの王太子……いえ、もう元王太子でしたね。元王太子を捕まえて、阿呆と呼べるのはお嬢様だけでございます……。お嬢様こちらを」

「……お母様とお父様からの伝言ね」


 侍女頭のマーサが差し出した封筒を手に取ったユーフェミアは、ゆっくりと封筒の中の文字を目で追う。


 手紙にはざっくばらんと箇条書きで、ひとまず会議が終わるまで自宅で大人しくしていてくれと記されている。まぁ、昨日の今日であることから、無闇に動くのは得策ではないだろう。

 最後に一言、母と父の字でそれぞれ「ごめんなさい」と「すまない」と走り書きがされているが、今回の件は両親には何の落ち度もないから謝られるのは妙な気分になる。


 王立学院もしばらく休むしかない。

 共に生徒会を支える友人たちに詫び状をしたためるため自室に戻ろうとしたとき、若い侍従が慌てた様子で食堂へとやってきた。


「お嬢様!! 大変です!!!」

「騒がしいですよリチャード、いったいどうしたというのです」

「リブレット公爵家の御令息が、いらっしゃいました」

「は?」


 地を這うように低い声が思わず出て、ユーフェミアは顔を顰めた。

 今この侍従は何と言ったのだろうと思案し、ユーフェミアは半ば現実逃避気味に親友のエミリアが来たのかと解釈する。


「リチャード、あなた言い間違えにもほどがあります。エミリアが来たのね、そうなのでしょう?」

「いえ、お嬢様……大変言いにくいのですがエミリア様ではありません。リブレット公爵が嫡男、エミール・リブレット卿がいらっしゃいました」


「いかがいたしましょう」と、何とも言えない表情をする侍従に、ユーフェミアは頭を抱えた。

 この侍従が悪いわけではないのは百も承知だが、突然の来訪者に、しかも心底会いたくない客に顔が歪むのは致し方ないと言える。


「応接間にお通ししますか?」

「……いえ、先ぶれもなくいらっしゃるような無礼者をもてなすことはありません。私がエントランスで対応いたしましょう。すぐに参ります」


 ユーフェミアの言葉を受けて、侍従はすぐに戻っていった。ユーフェミアは大きくため息をついてからマーサに軽く容姿を整えてもらい、ゆったりとした足取りでエントランスへと向かう。


 内心は混乱の極だが、そうと気取られるわけにはいかない。

 かといって、余りにも早急に対応すればこちらが軽んじられることになる。12公爵家同士、あくまで立場は対等であり、先ぶれを出さなかった相手を敬う必要はないという貴族の意思表示だ。

 じっくりと時間をかけてエントランスを覗いてみれば、見間違いだと思いたい銀の髪の美丈夫が立っている。


「あぁ、こんにちはユーフェミア・リンスフォード様。昨夜はとてもいい夜でしたね」


 昨夜、婚約破棄されたユーフェミアに突如として求婚した常識知らずは、ユーフェミアの事を目ざとく見つけるとにっこりと微笑んでそう言った。





 ユーフェミアはあえて不機嫌を隠さずにエントランスの階段を下りる。

 エミールはにこにこと笑いながらそれを迎えた。ユーフェミアの不機嫌を一切介さないその様子は、ユーフェミアの家なのに、まるで家主が逆転したような有様である。

 ゆっくりと側に近づけば、やはりエミールの背は高かった。小柄なユーフェミアがエミールの目を見て話そうとすれば見上げなくてはならなくて、ユーフェミアは首が痛みそうで更に不機嫌になる。


「リブレット卿、先ぶれもなくこちらにいらっしゃるとは、ずいぶん無礼ではないでしょうか? 家の者を困らせるのはやめてくださいな」

「リブレットだなんて呼ばないで、どうか気軽にエミールと呼んでほしいな」

「申し訳ないですが、現状あなたの名前を覚えるメリットはありませんの。……それで、何用ですか? 生憎と当主は不在ですので、御用があるなら改めて出直してください」

「いいや、君に用があって来たので問題ないよ。……ユーフェミア、昨日の求婚の事考えてくれたかい?」


 やっぱりそれかと、ユーフェミアは舌打ちしたくなった。

 だが、昨日の今日でこの男が行動を起こすと思っていなかったので、すぐに動かなかった自分の落ち度だと思うしかない。


「求婚? 何のことでしょう。私にはさっぱりです」

「あぁ、やっぱり? 今朝エミリアがね「冗談にしか見えませんでしたわ」って言うから、もう一度ちゃんと求婚しないとって思って。ねぇ、ユーフェミア。僕と結婚してくれない?」


 この男、何をほざいているのだろう。


 あまりの出来事に、ユーフェミアは昨日に引き続き怪訝な顔でフリーズした。


 そんな彼女の前に、エミールは「あっ」と呟いてから、思いだしたように昨日と同じ青い薔薇を魔法で出現させた。青い薔薇は現在繊細な魔法でしか作ることができないため高級品だ。自分のステータスを表現するのにうってつけとされているため、最近の貴族の求婚では最もポピュラーなものなのだが、それを昨日と今日と目の前で平然と作り出されるのに、ユーフェミアは驚きを隠せない。そんなユーフェミアの事はつゆ知らず、エミールは「はい」と、にっこり笑いながら、昨日と同じように青い薔薇を差し出した。


「……馬鹿にしてますの?」

「まさか、僕は本気だよユーフェミア。本気で君と結婚したいと思っているのだけれど、ダメかな?」


 ダメかな????? ダメかなってなんだ????? と、ユーフェミアは眉間に皺を寄せた。

 ダメか、ダメじゃないかと言われたら、ユーフェミアの心情的に激しくダメだ。


 いずれ結婚しなくてはいけないと分かっているが、昨日の今日で求婚してきた非常識男とは到底結婚など考えられないと、この数秒間で行きついた。


「だ、ダメに決まってるでしょう! 昨日の今日でどうしてそうなるのですか!」

「えーと、ユーフェミアに一目惚れしたから?」

「お黙りなさい! それから、名を呼ぶことを許した覚えはありません。それに、口調が気安すぎますわ! いかに12公爵家の上位であろうと、我がリンスフォード家を軽んじることは許しません」

「あぁごめんね、軽んじてるわけじゃないんだよ。僕は社交があんまり得意じゃなくてね、すぐに勘違いされてしまうんだよ」

「自分の不得手を言い訳にしないでください。とにかく私に求婚しないでください、少なくとも両親の許可を得てない求婚はお受けいたしかねますわ。まずは12公爵家の家同士、話をつけてからに……」

「あぁそれなら大丈夫だよ。……はいこれ」


 エミールは思い出したように懐から薄紫色の紙を一枚と薄水色の紙を二枚取り出した。

 ユーフェミアには、一目見ただけで薄紫色のそれが国王陛下直々の親書だと理解できる。


 王族が王族の名を懸けて約束をするときに使う、重要書類用の魔法のかかった薄紫色の紙は、自身の婚約式の時に見て以来だが、その忌々しさによく覚えていたのだ。

 薄水色の紙の方は、その12公爵家版だ。

 そういった重要な書類が三枚もそろっていること驚きを隠せないまま、ユーフェミアはその紙を広げて細かな文字列に目を通す。


「……嘘でしょう?」

「嘘じゃないよ。ちゃんと書いてあるでしょう? 『リブレット公爵嫡男エミール・リブレットと、リンスフォード家息女ユーフェミア・リンスフォードの婚約を、ユーフェミア・リンスフォードが承諾した場合のみ認める』って、王家と、僕の家と、リンスフォード家分で三枚」


 指を三本立てながら、エミールはにっこり笑ってユーフェミアを見つめる、ユーフェミアは化け物でも見るような目でそれを見つめ返した。


 ユーフェミアが婚約破棄されたのは昨日の今日である。時間にしてまだ半日。たった半日でこの面倒な書類を3枚も用意できるはずがないのだ。

 正式な手続きで求めたとしても、最低でも1週間、最速でも3日かかるはずのこの書類が、昨日の今日でどうしてここにあるのだろう。


 偽装も疑ったが、この書類はそれぞれ王家や公爵の登録者がサインして、はじめて色を変える魔法がかかっているため、薄紫と薄水色の紙になっている段階で偽装はあり得ないのだ。

 重ねて言うが、昨日の今日である。

 まず間違いなくありえないし、ありえてはいけない。


「……ありえないわ」

「うん、頑張ったからね」

「頑張ったとか言う問題ではないです、ありえない……ありえないわ」

「うーん、ちょっとだけ教えるなら、色々コネを持ってるんだ。内緒だけどね」


 悪戯っぽく笑うエミールに、ユーフェミアの背筋がぞくりと粟立つ。


 エミールは、今までユーフェミアの周りにいたどの男性ともタイプが違う。

 口調は穏やかだが、やってることがおかしい。どう言っていいか分からない、得体のしれない存在にユーフェミアは少しだけ恐怖を感じたが、それだけだ。


 その称号を振りかざしたいとは思わないが、才女と謳われているユーフェミアである。

 こんな得体のしれない男に負けるのは、ユーフェミアにとって恥でしかない。せめて毅然と断ろうと、ユーフェミアは姿勢を正した。存外負けず嫌いであるユーフェミアが、こんな有り得ないことに簡単に屈するわけがなかったのだ。


「ここに、私が承諾した場合のみ認めると記載されておりますが?」

「うん、だから結婚しよう。ユーフェミア」


 ね? と、強請るようにエミールは首を傾げると、ユーフェミアの髪の毛をひと房手に取った。

 ユーフェミアがぽかんと呆けている間に、ごく自然に当たり前のように口づけると、もう一度ユーフェミアに微笑む。その行為に、ユーフェミアは自分の体が一気に血の気が無くなるのを感じた。


 この国において髪の毛は、魔法を使う貴族の子女であれば、切らずに伸ばすのが美徳されている。それは、建国の際に降りたった月の姫君が、美しく長い白金の髪の毛に魔力を溜めていたと信じられているからだ。


 古くから、魔力は美しい髪に溜まり、その髪の毛が長く美しければ良質な魔力がたまると信じられている。近代において、髪の毛に魔力がたまるのは確かだが、その長さと美しさは関係ないと研究結果が示された。そのため男性が短く切ってもとやかく言われなくなってきたのが最近の話である。


 それでも、古くから続く迷信は根深く、また髪を美しく保つというのはある種のステータスとなっているので、余程の理由がない限り髪の毛を短く切りそろえる令嬢はこの国にはいないだろう。


 そう言ったわけで、この国ディシャールにおいて、髪の毛は大事なものでおいそれと他者が触れていいものではない。


 貴族女性の髪の毛に異性が触れることを許されるのは婚約者か伴侶のどちらかで、それ故に求婚の際にその端に触れてもいいかと許可を求めるのが青い薔薇が流行る前の求婚方法であり、一房手に取って、口づけるなど正式に結婚した伴侶に愛を囁くのと同義である。

 その点を踏まえて考えると、今エミールがしたことは、ユーフェミアにとってはとても理解しがたいことであった。


 さすがにあの第一王子ですら、ユーフェミアにこんな行いをしたことが無い。

 ユーフェミア自身も、母やイリアと家族の愛情を確かめ合う以外にしたことが無いものを、目の前の得体のしれない男にされたということに、血の気が引いたかと思ったユーフェミアの体が、今度は一気にカッと熱くなった。


 悲鳴をあげるよりも早くユーフェミアの体から魔力が溢れだし、防御反応とでもいうように周囲に冷気が満たされたかと思えば、エントランスが一気に凍り付く。マーサと侍従が慌てふためいて人手を呼びにその場から離れたのが視界の端に見えて、やってしまったとユーフェミアは思った。


 ユーフェミアは、自身の魔力が人を殺めかねない危険なものだと理解している。


 氷の魔力を持つリンスフォード家において、ユーフェミアの魔力は非常に強く、その気になれば人だけでなく町を一つ氷漬けにすることも可能だ。理解しているからこそ、誤作動を防ぐため幼い頃から厳しい訓練を重ねている。

 それでも何かがあった際に被害に遭わないようにと、使用人には氷の魔法を中和させる魔道具を必ず一つ持たせているくらいだ。


 けれどこの予想外の客人はそんなものは持っていない。

 応接間に招いていれば、椅子がちょうどその役目を果たすのだが、残念ながらここはエントランスだ。得体のしれない男であちらが悪いとは言え、リブレット公爵家の嫡男に危害を加えたという事実が広まれば、最悪内乱だってあり得るとユーフェミアは焦りながらエミールへと手を伸ばした。


 が、そんな風に伸ばした不安な手が、思いもがけず握り返されてしまい、ユーフェミアは更に困惑する。


「うわぁ、すごい。びっくりした」

「……嘘でしょう?」


 エミールは全くと言っていいほど無傷だった。あの冷気を浴びて氷漬けにならない人間などいるはずがないのに、心底楽しそうに驚いた表情を浮かべただけで、ぴんぴんしている。それどころか、ユーフェミアの手を握り返しただけでなく、そのまま手を引いて抱き寄せると懐の中にユーフェミアをおさめてしまった。


 冷気を発したせいで、酷く冷えてしまったユーフェミアの体がエミールの腕の中で暖まる。

 普段のユーフェミアなら「無礼です!」と怒鳴りつけて拒絶していただろうが、あまりの出来事に混乱している彼女にはそんなことはできなかった。


「けが、怪我はしてないのですか?」

「してないよ、全然ちっとも。あぁ、周りが冷えてしまって可哀想だね。僕が溶かしていいかな?」


 エミールはそう言って、ユーフェミアの返事を待たずに周囲に手をかざした。

 ぽうっと熱された暖かな空気がエントランスに満ちたかと思うと、ユーフェミアが凍り付かせてしまったエントランスの床や壁がゆっくりと溶かされていく。


 ユーフェミアは信じられないという気持ちでそれを眺めていた。


 エミールが、火と水と風と雷という四属性の魔法を操るというのは聞いたことがあるが、熱の魔法は火の魔法の高難易度の応用だ。そもそも火の魔法とはそれ自体火力があるが微調整が難しく、日常的に使うには厳しい鍛錬か魔道具の補佐が無いといけないという代物だ。それなのに、エミールはいとも容易く、呼吸するように使用している。


 ユーフェミアも呼吸するように魔法を使うことができるが、自分が持つ氷の魔力の魔法だけだ。

 たとえ四属性の魔力を持っていたとしても、全てを平等に操れるまでが精一杯で応用まではできる自信がなかった。




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