0-1 「冗談じゃありませんわ!」
「冗談じゃありませんわ!」
王家主催のパーティ会場で、到底この場にふさわしくない女性の声が響きわたり、エミール・リブレットは「おや?」と顔をあげた。
彼にとって退屈で、拷問でしかしかないはずのパーティが、一気にざわつき始める。
「いったい何事だ?」と、妹の婚約者でありこの国の第二王子、アーロン・バルバット・ランフォールドが険しい顔で身構え、その側にいた婚約者であり、エミールの最愛の妹であるエミリア・リブレットがアーロンに抱き寄せられる。それを、少々面白くないと思いながらエミールは騒動の中心へと足を向けた。
騒動の中心にいたのは、この国の第一王子であり現王太子でもあるカーシス・エルドラド・ランフォールドと、エミールには覚えのない2人の令嬢だった。
1人目の令嬢はどこかで見たような気がしなくもない。美人なことは分かるが、それ以上の興味が湧かない彼には、思いだそうとする気力ももちろん湧かない。彼にとってはその程度の令嬢だ。
貴族の子女の平均身長から言えば若干小柄だが、まっすぐ伸びた美しい夜色の髪。ちりばめた小さな宝石の髪飾りが、照明を反射してまるで夜空に輝く星のように見えた。
瞳の色は光り輝く琥珀色だ。体のラインが美しく出た黒いドレスが、小柄な体格でありながら大人らしさを演出していて、たとえこんな騒動がなくとも人目を引く美しさがあった。
だがしかし、その表情は険しく歪んでいる。少しきつめのメイクをされていることも相まって、まるで悪魔の形相だ。
かたやもう一人の令嬢は幼さが見える少女だった。栗色の柔らかな癖のある髪を華やかな色のリボンでまとめているが、いかんせんドレスがどこか似合ってない……というより、流行に乗っていない、一昔前のドレスのように見える。社交にうといエミールでも、あのドレスはないだろうと思う古臭さだ。適正に着れば女性の美しさを引き立たせてくれるのは分かるが、少女のあどけなさを考えればセンスがないと言わざる得ない。全く誰の趣味だろうか。
王太子はその少女のほうをかばうように立っていた。アイスブルーの瞳に困惑の表情を浮かべ、おろおろしているその少女を背に守った形で、もう一人の令嬢と対峙している。それを見た段階で、その二組が対立している構図は分かった。構図は分かったが騒動の原因はおろか、状況すらよく分からない。
「……兄上?」
「まぁ、リンスフォード家のユーフェミア様とイリア様だわ」
「知ってるのかいエミリア」
「えぇ? お兄様、イリア様はともかくユーフェミア様ですわ、王太子様の婚約者様ですよ。リンスフォード家の」
信じられないとでもいうような顔でエミリアが兄であるエミールを見やった。そう言われて、はじめて「あぁ」と彼は思いだす。
ユーフェミア・リンスフォード。
夜色の髪の御令嬢はエミールと同じく12公爵家の1つであり、上位公爵家のリンスフォード家の御令嬢だ。
*
かの麗しき、月の精霊姫がこの国の建国王に恋をして、地上へと降りたった。
建国王は、その精霊姫の美しさに心奪われ、永久の愛を誓った。
愛しき娘が人と結ばれることを好ましく思わなかった月の精霊王は、ありとあらゆる試練を2人に課したが、2人は愛をもってそれ乗り越え精霊王の承認を得ると、数多の精霊に祝福されながら姫は建国王に嫁いだ。
そうして我が国が生まれたという建国神話を持つディシャールは、建国神話の影響で精霊を尊び、古くから魔法と密接に暮らしてきた。
貴族社会であるこのディシャールで、王家と並んで重要視されるのがエミール達12公爵家である。
このディシャールには他にも公爵家があるが、この12公爵家は特別だ。何故なら、月の精霊姫と建国王が乗り越えるべき試練を与えた、12の獣の精霊の血を引くとされているからだ。
試練を乗り越えた姫と建国王に忠誠を誓った12の獣は、建国がなされた後人の姿を借りて、王国に暮らす娘を娶った。
その子孫が今なお12公爵家として、今に至るまで王に仕えているという伝説の体現である。
この伝説は、国民の間では伝説として扱われているが概ね事実である。
その血筋と伝説から、12公爵家はその家名を冠した広大な土地を持ち、他の貴族には許されない私兵騎士団を持つことが許され、国に何か問題が起これば、まず王と12公爵家の当主が会議をして概ねの流れを決めると言うくらい、絶大な権力を持っている。
エミールのリブレット家は12公爵家の上位貴族で、その先祖は絶大な力を持つ聖なる竜ということになっている。
空を駆け、火と水と風と雷を操り、天候を意のままに操ったという伝説付きの巨竜である。
だいぶ血が薄くなってはいるとはいえ、子孫であるエミール達の体には雄々しく美しい竜族の血が流れていて、次期当主であるエミール自身、先祖返りと言われるほどここ最近では類を見ない竜の血を強く受け継いだ青年だった。
彼は少し紫がかった銀の髪に竜族特有の金の瞳を持ち、火と水と風と雷を操ることのできる複合型の魔力を持っていた。現状片手で数えるほどしかいない稀有な才能である。
ただ、竜の血を強く受け継いでいるとはいえ、魔力が強いというくらいで別段普通の人間と変わりはない。……と、エミールは思っている。別に竜の姿になるわけではないし、口から火も吹かないし、空も飛ぶことはできない。
エミール自身、もともとの能力が高かったせいもあったのだろう。だがしかし、彼は竜の血とは関係なく、驚くほど他人に興味がない男だった。
古に伝わる精霊姫と建国王に試練を与えた巨竜も、人間には基本興味なかったと聞くが、彼はその先祖の性質を強く受け継いでいたのだ。
彼にとって、彼以外の人間は「面白い」か、「つまらない」の二つしかなかった。強いて言うならそれに「家族」が追加されるだろうが、それ以外は王族だろうが平民だろうが、須らく一緒だった。
もちろん、それを表面に表すことはない。
面白くないことに興味がない分、面白いことに対して貪欲だが、その性格を正しく知ってるのは弟のブライアンと妹のエミリア、それからエミリアの婚約者であるアーロン第二王子殿下と直臣の何人かぐらいだろう。それ以外の人間は、彼のことをいつもにこにこしながら面倒ごとを引き受ける優男だと思っているに違いない。
実際は面白いこと以外に興味がない性格破綻者で、興味がない事に関してはひどく冷酷に物事を斬り捨てる。
エミール・リブレットはそういう、男だった。
それに対して、今話題に上がっているユーフェミア・リンスフォードの生まれたリンスフォード家は12公爵家の上位貴族であった。宝石産業で有名なリンスフォード領を持ち今なお精霊と密接に関わる公爵家だとは覚えていたが、それ以上エミールは興味がなかったので大して覚えていなかった
必要最低限の情報として、先祖が氷虎とかいう氷を操る虎の精霊獣だったという記憶はあるがそれだけだ。リンスフォード家の長女が、王太子の婚約者となったという話が記憶の片隅に残っているくらいの認識しかない
12公爵家の会合で幼い頃に顔合わせるくらいはしたのだろう。だから、どこかで見たような気がしたのだとエミールは思った。こうして顔をまじまじと見るのは初めてだったと思う。
「ユーフェミア嬢って美人なんだねぇ」
「お兄様。お兄様が他人に興味がないのはもう諦めていますが、この国の王太子の婚約者様は覚えておいてほしいですわ。いずれ王妃になる方なのですよ」
「そうは言うけどね、エミリア。僕はつまんない王太子だけでも覚えるのに必死なんだよ。最近ようやく君の婚約者を覚えたんだよ? それだけでも褒めてほしいくらいなのに。えーっと、ファーガソンだっけ?」
「アーロンです、お義兄さん」
「あぁアーロン。そう、アーロン殿下。僕の可愛い妹の婚約者……なはず?」
「お兄様、首を傾げないでくださいまし、不敬が過ぎますわ」
「怒らないでよエミリア。……それで、あちらの御令嬢は?」
エミールはエミリアが不機嫌そうに眉を寄せるのをにこりと笑ってごまかすと、もう一人の令嬢のほうを指し示した。エミリアはやれやれと言わんばかりにため息をつきながら「イリア嬢ですわ」と呟く。
「ユーフェミア嬢の異母妹ですわ」