第8話「自由の安売り」
屑丘の東側は、ショッピングモールを有するメインストリートから一歩でも外れると異常な寂れ具合を見せる。がらん…とした商店街とも民家とも見分けのつかない寂れた店々、カラスの鳴き声以外何も聞こえないような静けさだ。
飯沼布団店…金物の石井…ショッピングセンター「バリュー」…どの店も看板が錆びてシャッターが風に吹かれて嫌な音を奏でるだけだった。ココロが西側に来るのは久しぶりだったが…以前よりも寂れ具合が増したような気もした。中には開いている店もあったが…何を売っているのか分からないような雑貨屋ばかりで、店の中では年寄りがのんびりテレビを見ているだけで客はいない。
その寂しい街中を、ほぼ一人占拠状態で闊歩するココロ。ふと何か声がした気がして…細いわき道を覗き込むと…男が三人…一人はサラリーマン風の男、地面に這いつくばって、助けを請うようにか細い声を出している。残りの二人は大柄な若者、片手に煙草をつまみながら…サラリーマン風の男を踏みつけて、もう一人はその光景に爆笑している。ココロがいくら近づいても、まったく気が付く様子がない。
「おっさん…道教えたからぁ、情報量で金を払うのは普通の習慣だろ?」
その一言で、大体察しがついた。これが屑丘…ココロは改めて認識した。せっかくいい絵を見て、いい気分で帰ろうとしたのに…一歩道を外せばこのありさま。
「おい…何してんだ?」
ココロは、火を噴きそうな拳の震えを押さえながら、二人に話を聞くことにする。
「あ?…何だてめぇ?」
振り向いた若者の一人は、面白いくらい細い眉毛で人相の悪さが極まって…さらにその短い眉をひそめてココロに顔を近づける。地面に頭を擦りつけていたサラリーマンは、不安そうな目つきでココロを見つめている。
「何してようが、俺らの自由だろ?」
その相方が振り向いて、その憎たらしい笑みをココロに振りまく。自由…その言葉で、ココロはキレた。
近づいた顔の中心に自分の頭を力いっぱいぶつける!ゴンっという鈍い音とともにその細眉は、鼻から血を噴出して倒れた。
「お前…何すんだ…。」
急に弱そうな声を上げ始める若者。頭突きされた方は、止まらない鼻血に、必死に鼻を押さえつけて、痛みで顔が歪んでいる。
「俺は、進藤心。知ってるか?…知らないなら頭に刻み込め。
二度と安い自由振りかざすんじゃねぇ!」
怒りで震えそうになる声を抑えて、叫んだ。
「進藤心…あ…あの進藤心…?」
男二人は、「黒壁の変」で知れ渡ったココロの名前を知っていたらしく、急に怯えたように、仰け反るようにその場から逃げ去った。
「ふぅ…大丈夫か…おっちゃん?」
ココロは、地面にべったりと座る、サラリーマン風の男性に手を差し伸べる。男は少しやつれた顔をしており、顔を殴られたのか目の下が腫れている。スーツはしわくちゃだ。髪型はすっかり崩れており、グシャグシャだ。白髪交じりの前髪が目の上まで降りていた。
「あ…ありがとう。」
男はその手を掴んで、力強く引っ張られて立ち上がった。ココロほどの背丈で、殴られた痕はあるもののこの町では見かけないような賢そうな、優秀そうな都会の香のする顔つきの男だ。そしてその手には、ビジネスバッグと小さな花束が握られている。
「誰かにあげるのか?」
ココロがその花束を指差した。種類は分からないが…白と黄色の美しい花束だ。
「あぁ…女性へのプレゼントなんだ。」
女性…という呼び方が少し気になったが、この中年にも色々なストーリーがあるのだろう…と思い、ココロはそれ以上の詮索を止めた。
「歩けるか?」
「あぁ…何とか。大丈夫。」
男は何とか笑って見せた。ふらつきながらも歩いていた。
「おっちゃんは、この町の人間?」
二人は、一緒に寂れた町を歩き始めた。ココロは歩幅を、足を引きずる男に合わせる。昼間の東側は静かで、電車の音以外ほとんど音もない。
「いいや。今は、少しだけ離れたところに住んでる。
昔はこの町にいたんだ。ここは相変わらずだな…。」
そう言って自嘲気味な笑いをココロに見せた。口の周りも少し切っていた。
「そうだな…。
でもこの町は、きっと変えるよ。」
ココロも笑って見せた。
「おっちゃんは、少し変わる前の屑丘に巻き込まれちまったな。」
ココロは男の心も気遣いながら、ゆっくり歩いた。あんな侮辱をされては、もうこの町を嫌いになったかも知れないと思った。
「君が変えてくれるか?」
そう言った男の目は嬉しそうだった。
「あぁ。俺が。」
ココロは、心の底からそう思った。
「じゃあ…私はここで。」
そう言って、男は別の路地を指差した。少し痛みに慣れたのか、だいぶ歩く姿もまともになっていた。
「あぁ。おっちゃん。
そういえば…名前は?」
「私は、山神俊夫という。単なる公務員さ。」
「俺は、ココロ。進藤心だ。
憶えておいて、損はしないと思うけど?」
二人はもう一度笑いあって、手を高く振り合い別れた。