第7話「自由の壁」
元来た道を一気に走り抜ける、ココロとアクツ。後ろからはそれを葛西が人々を交わしながら何かを叫んでいる。抜かれた拳銃を高く掲げている。
「待て!お前ら!…ぶっころ…!」
所々しか聞こえなかったが、その言葉に二人を制止させる力はなかった。
駅の出口近くで道が二手に分かれる。一方は交番前を通る細い道…人通りは疎らだ。そしてもう一方は、ココロが元来た道、人通りが多いが道幅が広い!
「アクツ!…別れるぞ!」
ココロはそのスリルを楽しむように叫んで、元来た太い道へ。アクツは交番前の通路へ。それを見ていた葛西だが、一切の迷いもなくココロのあとを追う!二人と付き合いの長い葛西にとって、二人が悪さした時、ココロが主犯でないことなどありえないのだ。
「止まれー!!」
ココロは背中越しで葛西の叫びをはっきりと聞いた。ココロも葛西が自分を追ってくることなど手に取るようにわかるのだ。ただアクツを逃がすために別れたに過ぎない。
階段を駆け下りた時点で、二人の距離は4〜5メートル。
屑丘の人間にとって、葛西の絶叫や怒声など聞きなれたもので、驚きもせずに笑ってやり過ごす。駅前のバス、タクシーのターミナルでは、運転手たちが窓からココロに向って…「追いつかれんな〜!」と声を掛ける。
ココロは人の多い商店街方面には逃げずに来た道をひたすら走っていた。迫り来るような黒壁を右手にひたすら走る。段々と道が細くなり、人も減り始める、この辺りには、黒壁にそって捨てられた廃車が目立ち始める。その廃車の中でみすぼらしい格好をした老人たちが眠ったり、読書をしたり。
「止まれ!!」
葛西は人が見えないのを見計らい、再び拳銃を構えた。はぁはぁと肩で息をする二人。
「葛西さん…しつこいなぁ…。」
今にも撃ちかねないその男の殺気に、思わず両手を上げる。
「逮捕してやる…!」
そう言って、左手で拳銃を握り、右手でズボンに括りつけられた手錠を取り出す。ココロは、そのためにできた一瞬の隙も見逃さない。廃車のボンネットからルーフへ飛び移り、まるで猫のような跳躍で…黒壁を一蹴りしたかと思うと、ぴょんぴょんっとその高さ5〜6メートルの壁をよじ登ってしまった。
「ごめんな。葛西さん!
今度、屑丘署に謝りに行くから!」
そう言って、満面の笑みで葛西に手を振るココロ。葛西は、何も言えずただ呆気に取られている。
「てめぇ…嘘だろぉ…。」
葛西は、ココロのその信じられない跳躍に肩からどっと力が抜けたようにうなだれた。拳銃と手錠を元に戻して、何も言わずにココロに背を向けて歩き出した。
「じゃーなー!」
その背中に目一杯手を振るココロ。
葛西が小さくなったところで、ココロは向きを変えて黒壁に座った。朝の冷たい空気が抜け始め、香ばしい昼の香が漂ってくるような気がした。黒壁とは言っても、線路に人が入らないようにするためのコンクリートの防壁に過ぎない。味気のない灰色をしている。西側と東側に一枚ずつある。
ココロは、そこから延々と延びる線路、行き交う列車を見るのが好きだった。過去のTV映像の中で東西のドイツを分断していたベルリンの壁が崩壊した時、その壁の上にたって手を高らかと上げている人々の映像を見た事がある。自由の象徴だと感じた。…普段、自分たちに与えられるちっぽけな自由ではなく、偉大なる自由をそこに感じた。
満足げに線路や屑丘の観賞するココロを、先ほどココロが踏み台にした廃車の中から出てきたホームレスがじっと見ていた…その手には先ほどココロが落としたTKK発足のビラが握られている。今は珍しい皮の学生帽に、紺色のジャージ、そしてその目には黒のサングラス…整っていない白い髭が口周りを覆い、顔は染みや皺で、まるで樹齢数百年の樹の樹皮のようだ。小柄ながら…堂々とした佇まいで、何やら嬉しそうな顔つきでココロを見ている。
「さてと…散歩して帰ろっかな!」
ココロは、また猫のような動きでその高い壁から西の線路側へと飛び降りた。駅のホームとも距離があるので、駅員が飛んでくることもない…ゆっくりと線路の上を歩く。3本の線路、まだ列車は見えない…発車、到着を告げるベルも鳴っていない。深呼吸して、空を見上げたり、欠伸をしたり。
線路が微かに振るえ始める…それと同時に高らかと到着の鐘が響き、電車の到着を知らせる。ココロは急いで東側の壁へと向う。東側の壁から西側のそれを見たとき…今まで死角になっていたそこに何か黒い影を見つけた。この暖かい春の朝に、黒いジャンパーを着て、頭をフードで覆っている…壁に向って手に持ったスプレーで絵を描いている。スプレーを振ると鳴るあのカチャカチャという音が、リズム良く響いている。その絵は…途中ではあるが「民衆を導く自由の女神」だった。力強い女神がフランス国旗を持って民を先導している。ほぼ完成しているみたいだが…その黒フードの者は、体全身を使って必死に書き続ける。ものすごいスピード、まるでダンスのようにスプレーを振って絵を描き続ける。
あいつも偉大な自由を求めているのかもしれない…。ココロは思った。
「おい!」
ココロはその後姿に叫んだ。黒フードは動きを止めてココロの方を向いた。黒のジャンパーに黒っぽいジャージ、足元はスニーカー、フードを目深に被っているので顔が全く見えない。ココロよりも背丈は小さい。
「お前…すげ…。」
ココロがそう言いかけた途端、激しい轟音とともにココロ側の線路を列車が駆け抜ける。
そして列車が通り過ぎたとき…もうその黒フードの姿はなかった。完成なのか未完成なのかも分からない…一見完璧に見える美しすぎる自由への芸術は、しばらくココロの視線を釘付けにした。