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第4話「屑丘の帝王」

ココロは、聞きなれた機械の作動音朝日の眩しさで目を覚ました。

「あれ?…」

勢いよく起き上がると、そこはスタート地点のバッティングセンターだった。

「おはよ。」

ココロはソファで寝ていた。目の前に眠たそうな、小さな目をしたサユリがいた。

「やっと起きたな!」

そう言ったアクツは、網の中で一生懸命にボールを打ち返していた。しかし姿勢も振りもいまひとつで、鈍い音ばかりが響いていた。

「俺…たしか…ヘブンズドアにいたよな?」

ココロは眠たそうに頭を掻きながら辺りを見回す。

「眠ったお前を、車に乗せてここまで連れてきたんだよ。」

「そうか…全然!覚えてねぇ!」

そう言って笑うココロはまたソファに横になる。

しばらくの沈黙の後…

「なぁ…サユリ。

お前、昨日から元気ないだろ…?何かあったか?」

ぼーっとアクツのバッティングを尻目に立ち尽くすサユリにココロが言った。面食らったようにサユリの目が見開く。

「え…?…そう?…。」

ため息のような声を漏らした。

ココロはそれ以上何も言えなかった。

バッティングセンターの二階は小百合の祖母・和田富江の居住区である。サユリはここで祖母の仕事の手伝いをしながら小遣いを稼いでいるというわけだ。その居住区とバッティングセンターをつなぐ階段の軋む音が聞こえた。ココロの横になっているソファのある部屋とマシーンのある屋外は壁一枚で仕切られ、そしてその内部に自動販売機やらバット置き場やらがあり、その隅に、誰も気付かないような影に階段が伸びている。

錆びた金属をこつこつと叩く音が聞こえ始めた。

「おばぁちゃん!」

サユリは驚いたような声を上げた。それほど彼女が顔を出す事は珍しかった。

実際、ココロもサユリの祖母を見たのは中学生以来だった。

「あれ…サユリやいつもありがとう。」

ココロの中学に見たときより…富江は少し小さくなって、腰は曲がっていたものの、ココロに与える印象は変わっていなかった。半纏を羽織って、白髪交じりの頭に頭には白い手ぬぐいを巻いている。昔ながらの奥床しい女性の、そんな美しさすら失っていなかった。そして細い目の奥に何事にも動じなさそうな瞳、顔に刻まれた皺が彼女の落ち着きに説得力を与えていた。

「進藤君だね。久しぶりだね。」

富江はココロの事も覚えていた。

「あっちはお友達かね?」

圷の事は知らなかったか…忘れていた。

「サユリ、ちょっとお友達連れて出かけているといい。

すぐ済むから。」

富江はそう言って、心の横たわっていたソファに腰掛けた。

「ちょっと外してくれるかい?

大切なお客がくるの?」

ココロにもそう告げた。まるでこれから来る大きな嵐に備えるかのような口ぶりだった。

「誰か来るのか?」

ココロはその異様な空気感を感じ取りながら聞かずにはいられなかった。

「心。ちょっと出てよう。」

サユリもそう言って心の服を引っ張った。何かを隠していると心はその二人の行動に直感した。富江はじっと外の方を見つめている。

割れた窓ガラスに屑丘とは不釣合いな高級車が映った。完璧に磨かれた黒塗りのベンツ。それが低い音を立ててバッティングセンターの前に停まった。

「何だ?」

ココロは妙な胸騒ぎが抑えられなかった。

「ヤクザか?」

アクツは胡散臭そうな目つきでその高級車を睨んだ。後部座席のドアがゆっくりと開き中から背の低い中年の黒服の男が降りてくる。その中年が反対側へと回り、仰々しい態度でドアを開く。中から主を呼び寄せるかのような体捌きだった。

中からぬっと現れた男は、まるで汚いものでも見るかのような目つきで周囲の景観を見定めていた。大柄で肩幅が広く、漆黒のスーツの上からその筋骨が見て取れるような体つきだった。

「汚いところだ。」

そして低い声でそう吐き捨てた。

ゆっくりと、中年と男が高級そうな革靴の裏底を響かせながら近づいてくる。

「入るぞ。」

中年が一言だけ言って、男を先導する。

「いらっしゃい。」

富江がすっと現れて、二人を守るようにココロとサユリの前に立った。二人の黒服が小さな富江を見下ろした。

ココロはじっとその様子を眺めていた。

中年の方は、ココロよりも小さく、薄く細い髪の毛がさらさらと頭頂部で(なび)いており、顔が大きく、全体的に油のせいでテカテカと輝いていた。小さく淀んだ目で薄ら笑いを浮かべながら、じっと辺りを見渡した。

「これは、これは本郷時さん、清水さん…今日はどうされましたか?」

富江は二人を見上げて、飄々とした態度でそう言った。

大男は何も言わなかった。中年は自らの主人の言葉を待っているように、彼を見上げた。

大男は、ゆっくり辺りを見回す。そしてココロと目が合った。

中年とは対照的な黒々とした髪。そして体だけでなく、顔までも全体の骨格がゴツゴツとしており、突き出した顎と鋭い頬骨、そして細めた目の奥に冷たく、深い漆黒の瞳が特徴的だった。

「清水…説明して差し上げろ。」

ここでココロ達は、大男が本郷時、中年が清水という名であることがわかった。本郷時はそう言って、どっしりとソファに腰掛けた。

ココロは、ちらりとサユリの方を見た。彼女は下を見て、悔しそうに拳を握り締めている。

「ではこれを。」

そう言うと清水は、残酷そうな笑みを浮かべて一枚の資料を取り出した。富江はそれを受け取ったが見る事はしなかった。

「あなた達には情けがないのですか?」

富江はじっと清水を睨みつける。

「私に言われましても…。お貸した金は、返す。

これ大事な社会のルールです。」

清水は淡々とした口調で続けた。

「返済期限は来月の一日、ちょうど一ヶ月後となりましたのでお知らせに参りました。」

「でもこのお金は、屑丘から返済義務のない資金として借りたと聞きました!

それにもう15年も昔の話でしょう?」

そこに来て、じっと下ばかり見ていたサユリが、顔を上げて富江の前に立ち、清水に向けて声を荒げた。静かなバッティングセンターにその声が響いた。

「えぇ。しかしお嬢さん。返済義務がないのは、町にとって有益と判断されつづける者に限られていたはずです。

今のあなた方は、どうですか?…町にとって無益です。」

清水は、調子を変えることなくサユリにもその残酷な笑みを見せた。

…沈黙が支配する。富江と小百合は、その沈黙に押されて声も出なかった。

「無益…違うな。」

沈黙を破ったのは本郷時だった。そしてゆっくりと立ち上がり、清水の前に出た。サユリの前に、まるで壁のように立ふさがる。そして小さな彼女を覗き込み、付け加えた。

「有害…なんだ。こんな(かび)臭い場所は…見てみろ。黴ばかり生えている…。」

その黴という言葉と同時に、本郷時の視線はココロに向けられた。

「あ?」

ココロは、怒りで震え上がる心を押さえつけるように声をだした。その一言も震えていた。

「ゴミは有害だから…さっさと消えろと言ったのさ。」

そして一歩前に出る。心との距離は、3メートル。

ココロも一歩前に出る。距離は2メートル。

他の4人はその様子をただ静かに見つめる事しかできない。

空気が冷たく張り詰める。二人の距離…1メートル未満。

「おっさん。

ネクタイが曲がってるよ?」

ココロは、静かな口調で本郷時のブランド物のネクタイを指差す。

「ん?」

そう漏らした本郷時の視線が下に落ちたとき、ココロの右手が、獅子が爪を振るうが如く、凄まじい速力を持って本郷時の左顔面を狙った。しかし本郷時は、それを見越したような笑みを浮かべて、首一つ動かしてそれを避けて見せた。大きく空を切る拳。そしてその避けられた…という衝撃が作った一瞬の隙、その刹那に本郷時の拳がココロの顔面を狙っていた。

ココロが本能的な直感でその危険を察知した時には、既に遅かった。彼の左手が心の顔面を捉えていた。拳がぶつかると同時に、心は独楽のように宙を舞った。

ココロは、宙を舞っているとき、地面が2,3回見えた気がした。痛みも感じず、何が起きているのもわからない衝撃でそれと同時に地面に叩きつけられる。

「ココロ!」

一番に反応したのはアクツだった。

「痛ってぇ…。」

ココロはそう言ってすぐに立ち上がる、痛みはまだ感じなかった。しかし自分が見ている世界が夢に見えるような感覚だった。奇妙な…まだ宙に浮いているかのような感覚が自分を捕らえていた。ココロは視界が歪んできたのがわかった。ココロは何も言わずに再び倒れた。

「せめて当てて見せろよ。

黴の少年。」

倒れたココロを見下ろして、本郷時はネクタイを直しながら言った。


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