第32話「ココロと神様」
意識が消え、死を悟ると、そこは見覚えのある場所だった。ココロは、黒壁の上に腰かけて、屑丘駅の線路を見下ろしていた。
「ここは…」
思い出したようにつぶやいてみる。ただ普段と少し違う。朝靄がかかり、線路の先は見えない。
「これが三途の川ってやつか。」
自嘲気味に笑ってやった。
「そんな大したもんじゃない。」
年老いた声が聞こえて、黒壁の上をふらふらしながら歩いて、ココロに近づくサングラスに学生帽を被ったホームレスがそこにいた。
「誰だ、あんた。」
「あんたとは無礼な。」
「見覚えのあるホームレスだな。」
ココロはずけずけと初対面のホームレスに言葉を投げかけた。
「ああ。何度か会ってるな。お前は進藤心だろう?」
妙に貫禄のあるホームレスだと、ココロは感じ取った。顔に刻まれたしわは、決して汚くもない。まるで、大樹のそれのように刻まれていた。
「あんたは?」
「わしは、この町の神じゃよ。」
唐突に言い放たれた言葉。普段のココロなら笑い飛ばしもするだろうが、妙に神妙で説得力があった。ココロの横に腰かける神。しばしの沈黙が流れる。
「神様…俺は死んだのか?」
「ああ。」
短い返事だった。
「俺が死んで…あいつらはどうなる?」
「連れていかれた女の子は死ぬだろうな。」
そしてまた沈黙が流れる。
「それはダメだ。俺…約束させたんだ。死ぬなって。だから、俺が守らないと。」
「生きていたって辛いことばかりだ…お前さんはいつもそう思っていたんじゃないか?」
神はココロを見透かすように尋ねた。犬養に心を読まれているのは違う…歯向かおうとさえ思わなくなるほどの大きな何かを感じた。
「うん。」
「じゃあなぜ生きるんだ?」
「生きるってさ…大変だよ。色々と考えないといけないしさ、うまくいかないことばかりで、絶望が次々にやってくる。」
「じゃあなぜ?」
「俺が死ぬと悲しむ奴らがいる。そして、悲しませたくない奴らがいる。それで十分じゃないか。」
再び沈黙。神は黒壁の上に立って線路を見下ろした。
「若者よ。それで十分だと思えるお前は幸せだぞ?」
「わかってるよ。」
「線路を降りたら、駅の方へと歩いてみろ。」
そう言って神が指差した先は、朝靄で霞んではいたが、光が差していた。
「迷ったときには、光の射す方へと進め。」
「わかった。ありがとう。」
黒壁を降りると、ココロは歩き始めた。
「若者よ。この町を頼むぞ。」
神は天を仰いで呟いた。
アクツが目が覚めた時、二人の影がぼんやりと見えた。一人は、柊咲江。ココロに抱き付くように泣いている。もう一人は、葛西浩二。彼もまたココロに抱き付くように泣いていた。
「死ぬなああああ。こころおおおおお。」
その酷くうるさい叫び声でアクツは目覚めたようだった。
「葛西さん、来てたのかよ。」
殴られた頭にひどい痛みが残っており顔をしかめるアクツ。
「こいつがこんなことで死ぬわけねぇだろ!?アクツううう?」
普段はココロのことを憎たらしく思っていても、葛西はとても情が
深い男だとアクツは改めて確認した。
「大丈夫ですよ。あんたもこいつの頑丈さは知ってるでしょ?」
「でもよぉ。すげぇ血が…」
葛西の言う通り、ココロの頭からは尋常じゃないほどの血液が流れだして葛西とサキの洋服を真っ赤にしていた。
黒壁は、夜になれば街頭の小さな光だけが点々と輝くだけで、まさに巨大な黒い壁が屑丘の東西を分断していた。夜が更けると人々は黒壁を避けて通り、ホームレスたちのたまり場になる。そこへ一人の若者がやってきた。歩くたびにカシャカシャとスプレー缶の上下する音が鳴っている。黒のパーカーに黒のスウェット、全身黒ずくめで黒のフードで顔を隠している。
「おや。カラス君。今日も落書きかな?」
黒壁にならぶ一台の廃車の中から神様が顔を出した。うなずくカラス。
「ちょっと頼まれてくれないかな?」
「何を」
ぶっきらぼうに答えるカラス。女の声だ。
「道しるべを示してほしい。」
神様はにやりと笑いながら、屑丘の中心街を指差してそう言った。