第28話「3日後の昼下がり」
池田直人に会った後、DD事件に関して、何の進展もないまま3日が過ぎた。その日、ココロは実家のスナック「バロン」を手伝っていた。手伝いと言っても、開店前の店の準備の手伝い程度だった。食器を洗ったり、床掃除をしたりと母・雫にあれこれ言われて準備を手伝っている。
「あんたが最近、店に顔出さないからお客さんつまらなそうよ~。」
と進藤雫は息子・心が最近、忙しそうにしているのを愚痴っている。ココロは暇な時は店に顔を出して常連客の話相手を務めていた。とは言え、お酌をしたり、うんうん頷いて話しに耳に傾けたりといった事は少ない。自分のしたい話して、自分の飲みたい物を飲んで…それだけでもココロの話は聞いていて面白いと言って、客が聞き耳を立てるのだ。
「そうかそうか。そりゃ悪いな。でももうすぐ、まとめて面白い話をしてやるから期待しとけよ。」
などと窓拭きに精を出しながら調子づく進藤心。
「何よ、それ?あんたまた馬鹿なことしてない~?」
シズクはココロを放任しながらも常に心配で監視を怠らない、それは息子がいくつになっても同じである。
「してるよ。それより、母さん、お客さんでDDの事知ってる人いたか?」
ココロは母親と店の客からもDDの情報を集めていた。
「またそれ?…いないわねー。あんたが捕まえてくれるの?そのDDって。」
雫は店のグラスを丁寧に磨いている。
進藤雫は、心を生む前はホステスだった。その整った容姿と竹を割ったような明るい性格から、人気ホステスであった。ココロの出産、その後離婚、離婚と同時に長年の夢でもありまたココロを育てるためにそれまでにホステスとして貯めた資金を元にこの店「バロン」を始めた。
「あぁ。俺が捕まえなくちゃだめだ。」
自信満々にココロが答える。かなり放任主義的に育ててきた息子・心のことが最近は少し心配な母・雫であった。高校を中退して定職に就かない彼の行く末が今更ながら母親の頭を悩ませた。ただそれと同時に相変わらず楽観的な面も雫にはあった。彼女の放任は結果としてココロを逞しくしたからだ。誰かいい人でもいれば再婚して、この馬鹿息子をおいて屑町を出ることが彼女の目標でもあった。
「あんたは一体何になりたいの?」
雫がふざけ半分でこっそりと心配ごとの核心をついてみた。
「…」
黙り込み、気まずそうに頭を掻くココロ。母は彼を見ないようにグラスを拭き続ける。
「まだ誰にも言ってないけど、雫ちゃんには言ってもいいか。一応親だし。」
ココロが雫の方を向いて何かを言いかけた時、店の扉が開いた。逆行で顔は見えない、背の高いスーツの男が二人そこにいた。
屑丘バッティングセンターにはココロを除くいつもの面子が集まっていた。ココロがいなければ、マンソン君は稼動しないので静かなものだった。休憩所のソファにアクツが座って愛読書であるヤングジャンプをぱらぱらめくっている。
その向こう側にサユリとサキが並んで腰掛けている。
「アクツ~。ココロは来ないのか?」
サユリは退屈そうに窓からバッティングセンターの外の道路を見つめる。いつものオンボロ自転車に乗った金髪の少年の現れる気配はなかった。
「あぁ?…今日はバロンの手伝いするって言ってたから遅くなるんじゃないか…。」
とアクツは少しにやけながら答えた。
「ココロが来ないと、サユリちゃんはつまんなそうだなぁ~。俺ちょっと傷心。」
またいつものようにアクツがサユリにちょっかいを出す。これが始まったのは、アクツがココロとサユリに出会ってすぐであった。その時以来、アクツはサユリの持つココロに対する特別な感情を察していた。ただそれがあまりに子どもっぽくて、アクツはそれをいつも笑っていた。
「うるさいなぁ。」
とサユリはそれだけ返した。
「あ…やっぱサユリちゃん…ふふふ。」
サキが口を押さえながら妙な笑いを漏らす。
「ち…違うって!サキまで…。」
サユリは困り果てて頭をかいている。
「そう?…ココロ、可愛いし頼りになるし、私は好きだよ!」
屈託ない笑顔、一切の迷いもなく彼女は告げた。一瞬しんと静まる空気。
「何よ~。二人とも黙らないで。」
そしてその沈黙すらも笑顔で吹き飛ばすサキ。
そんなサキの破天荒な発言はまるでココロだ。アクツとサユリは思わず吹き出した。
「素直だな~。しかしココロは羨ましい。」
しかしアクツとサユリの脳裏にはキヨの姿が映っていた。柊咲江が高島清助と重なるのだ。性別も容姿も違う二人の共有する何かが二人には鮮明に映り、胸を強く締め付ける。
それから3人は屑丘バッティングセンターでゴロゴロしたり、テレビを見たりと思い思いに過ごしていた。
ちょうど3時くらいだろうか、日が傾き始めた頃にバッティングセンターの駐車場に一台の黒塗りの乗用車が止まった。3人とも珍しい車の客だと思ってそれを見やる。
「なんだ…?」
最初に違和感に気付いたのはアクツだった。車から出てきたのは見覚えのあるスーツの2人組み。どこで見たかは…定かではなかったが、確実に見覚えはあった。
「なんか嫌な感じ…」
サユリはその姿に本郷時条一郎がやって来た時を思い出した。2人の男は一直線にバッティングセンターの中へ入ってくる。アクツら3人はソファに腰掛動かずに彼らの出方をうかがう。
「進藤心の居場所は知ってるか?」
二人とも身長180以上で肩幅も広い、目つきは鋭く…まるで刑事のようだ。アクツは思い出した…彼ら2人を屑丘警察署で見かけたことに。いつだか忘れた…あの場所には何度か世話になっているからその中で見たのだろうと悟った。
「心がどうかしたんですか?」
アクツが立ち上がる。内心ビビってはいたものの女子2人の前で情けない姿は見せられない。何よりこんな時に一番頼りになる男がいないのだ。
「圷順平だな。君らでもいい。屑丘警察署に来てくれないか?」
ただ刑事の口調は思いのほか穏やかだった。犯人扱いされた昔とは違う感じがした。
「何かあったのですか?」
アクツは少し安心しながら質問を変えた。
「先日、君たちは池田直人という男の職場を尋ねたな?」
丁寧な質問をする刑事に代わって、強い口調の刑事が質問で返してきた。コンビのようだが少し若い。二十歳を少し超えたぐらいだ。
「はい。会いましたけど…俺たちで。」
アクツはその質問内容に対しては何も考えずに率直に、むっとして答えた。
「池田直人が死んだ。」
即座に答えた刑事の言葉に、3人は空気が凍りついた気がした。そもそもその事実を理解することに時間がかかった。たった3日前に爽やかに別れた彼が死んだというのだ。
「今日の10時頃、彼のアパートで、死体で発見された。第一発見者は恋人を名乗る林八千代。彼女と同僚の証言からここ数日間で池田と接触した人物に話を聞いている…屑丘警察署に来てほしい。」
スナック「バロン」にやってきた刑事にも同じ話を聞かされる進藤心。母である雫も神妙な面持ちでその話に耳を傾ける。
ココロはもう何がなんだか分からなかった…詳しい話が全然耳に入らないほどに混乱していた。頭を抱え込み、テーブルに突っ伏して…今にも発狂しそうな自分を押さえていた。池田直人が死んだのはお前のせいだ。心の中で自分にそう言われた気がした。