第23話「虎馬」
犬養とココロの再会から15分後、中心広場に駆けつけたパトカーに犬養が乗せられていた。いつの間にか紙袋はどこかに消えていて、野次馬たちがパトカーの赤色灯に集まっていた。
ココロ、サキ、火口そして曽我の4人はその様子をただ黙って見送った。
犬養は「君とぼくが似ているから」という言葉を最後に一切話すのをやめ、警察の言葉に従っていた。
あれほどココロの心を覗き続けた犬養がココロの目も見ようとしなかった。ただココロには犬養のその最後の言葉が引っかかっていた。似ているのだろうかと自問自答が始まっていた。
「すまないね。」
中心広場のベンチに座って頭を抱えるココロに火口の言葉が響いた。
「あ…いえ…別に謝らなくてもいいんです。
俺の方こそ、すいません。冷静じゃなかった。」
火口の謝る理由をココロはすぐに理解できた。火口恭介もまたココロの過去を知る人物の一人だからだ。
「警察官同伴で犬養一のリハビリという名目で屑丘の町を散歩させるつもりだったんだ。
それで逃げられちゃってね…ココロに聞かれた時、伝えないほうがいいだろうと思って黙ってた。」
ココロは何も返事をしなかった。あの時…屑丘警察署の取調室でそれを知ったら、ココロはすぐにでも警察署を飛び出して血眼になってあいつを探しただろう。でもまぁ…そうだったとしても結果は変わらなかっただろう…そんな考えがココロの脳裏を過ぎった。
「犬養はキヨを殺してないんですか?」
ココロの怒りに触れるとすればそこだった。犬養一は高島清彦殺害事件の容疑者でありながら、証拠不十分で立件されなかった。しかし司法の判断で彼には精神療法と保護観察がさせられた。屑丘警察署が犬養一の精神鑑定を依頼した結果だ。
ココロが知っているのはそれだけだった。
なぜ証拠がないのか?
なぜ精神療法と保護観察なのか?
犬養が何をしたのか?
一切、ココロの耳には入ってこない。警察関係者の人間も犬養を直接に担当したものでなければ知らないそうだ。
ココロは火口のリハビリ…という言葉でそれを思い出した。
「その証拠はなかった。」
火口はそれだけ言った。ココロはキヨの死の事は何度も火口や曽我に尋ねた。しかし彼らから得られる答えはいつも同じだ。犬養の担当でない以上、我々が知っていることはない。そして我々はその担当が誰であるのかも聞いていない。
「ココロ…」
隣に座っていたサキがやっと口を開く。心配そうに呟き、ココロの肩をそっと撫でる。
「ごめん。テンション下がってるね…俺。」
そんないつになく心配そうなサキに対して思わず苦笑いするココロ。
「ううん。気にしないで。」
サキもふだんの彼女の明るさを隠し、ココロにそっと寄り添う。そのサキの優しさもココロには少し辛かった。
「帰ろう。」
ココロはそっと囁く。今、ココロにできることは何もなかった。静かにその場を去ってサキや自分の帰りを待っているアクツ、サユリを安心させることだ。
ココロが重たい体を持ち上げるように立ち上がった。実際、紙袋に投げ飛ばされて体ががたついている気がした。まだ少し膝が震えている。そんな自分の軟弱さにココロはまた笑いそうになった。
夜9時を回っても相変わらず中心広場は賑やかで、野次馬がいなくなっても若者たちの話し場所となっていた。ココロは自転車にもたれかかるように押しながら歩き、サキはそのヨロヨロとした姿を心配そうに見ていた。また二人は無言だった。
屑丘の中心街を過ぎて辺りに賑やかさ消え、御門川の沿いを静かに二人で屑丘バッティングセンターを目指していた。川の流れる音だけがココロとサキの耳に入っていた。
「なぁ…。」
ココロがもうすぐにバッティングセンターに着くことを悟り、口を開く。
「ん?」
サキが小さく返事をした。
「今日のことさ…あの二人には黙っててほしいんだ。」
ココロは中心広場からこのことをいつ言おうか迷っていた。
「何で?」
サキはそのココロの要望にすぐに顔を上げて、その真意を理解しつつも問う。
「余計な心配をかけたくないんだ…。
サキには話してなかったけど…今日会った、あの犬養って奴は俺には殺したいほど憎い奴でさ…あの二人には思い出すのもキツイ奴なんだわ…。
二人には思い出させたくないんだよ…。
だから頼む…。」
ココロは自転車に体を預けながら下だけを向いていた。サキも犬養とココロの会話…「死んじゃった友達。」と言った単語からもただの喧嘩相手でないことは想像がついた。サキの返事はなかった。
「ありがとう…。」
ココロは返事のないサキにそれだけ言っておいた。
「ただいっま~!」
屑丘バッティングセンターに着いた直後、ココロが大声でサユリとアクツを呼んだ。電源は落とされ真っ暗だが、いつもアクツやサユリの集まる小さな休憩室の電気だけがつけられ、アクツとサユリはそこにいた。
「うるせ~なぁ。」
ソファに寝っ転がって愛読書のヤングジャンプのグラビアページに目を通しながら、アクツは面倒くさそうに言った。サユリはそんなアクツの向いに座って休憩室の小さなテレビでドラマを見ていた。
「ただいまぁ。」
サキもココロの後ろについてちょこちょこと入って行く。
「おぉ!サキちゃんも一緒か!」
サキの声に反応してアクツが嬉しそうに起き上がる。ココロとサキが休憩室のガラス扉を開けて入ってきた。
ココロは安心した。二人が、自分が紙袋にやられたことに気付いていなくて…とは言え、投げ飛ばされてかすり傷をおった程度だ…気付くわけもないと思っていた。
「はい。今日はここで遊ぼうかなと思って戻ってきました。」
と言ってサキがアクツの隣に座った。
「そうか。そうか。おじさん、嬉しいよ!」
なんてことをアクツが言っているのを横目にココロはサキの隣に座った。
「で?どうだった?屑丘署なんて楽しくないだろ?取調室に入れられるしよ~。」
アクツもココロと屑丘署に行っているようで、取調室を談話室に使いのはいつもの事のようだった。
「…えっと…。」
サキは思わず言葉に詰まった。何を話せばいいか…わからなかった。犬養のことはもちろん、サユリがいる手前、林八千代のことを話すわけにもいかなかったのだ。
「何もなかったよ。散歩しただけだったよ。得られた情報もなし。」
ココロが会話に割って入り、ピシャリと言い放った。
「ココロ。お前は相変わらず嘘が下手だな。」
アクツはニヤニヤしながら、煙草に火をつけた。何か言いたげだ。
「犬養に会ったろ?」
ココロは一瞬、目が点になった。アクツがこうもあっさりとしかも笑いながら犬養の名前を出すことに驚いたし、そして何より犬養に会ったことを知っていることに面食らったように黙ってしまった。
「…何で知ってんだよ…。」
一瞬の沈黙の後、ココロが答えた。
「やっぱりな~…。会ったのか。」
ココロはやられた…と思い、はっとなった。アクツにカマかけられたようだ。
「カマかけたのか?」
「あぁ。」
ココロの問いにアクツはそれだけ言って煙草をくわえた。
「何で分かった?」
「私も会ったんだよ。」
続けざまに放ったココロの問いに先ほどまで興味なさそうにテレビの方を見ていたサユリが即座に答えた。
「会ったって…犬養に?」
テレビの方に体を向けている横のサユリの方をココロが見やる。サユリは不機嫌そうにそっぽを向いたままだ。
「そうだよ。相変わらず怖いくらい白くて、女みたいで。でも不気味で。人の心の中にヅケヅケ入ってくる奴だったけどね。」
サユリが犬養に会ったと聞いてココロは思わずぞっとした…自分の仲間誰一人もあいつに近づけさせたくないからだ。近づけさせたら最後…無残な姿になって帰ってくるかもしれない…そんな恐怖の記憶がココロを支配する。
「私はね。帰ったらココロにすぐ言うつもりだった。」
背中越しでサユリの声が少し震えているような気がした。ココロはサユリの言いたいことがすぐに分かった。
「ごめん。」
ココロにはそれしか言えなかった。
「ココロぉ…お前、またサユリ泣かしたろ。」
アクツは少し笑ってはいたが、彼もサユリと同じ気持ちだろうとココロは思った。
「泣いてねーよ。バカ。」
サユリが震えた声で反論した。相変わらず3人に背を向けている。
「私は死なないから。」
短い沈黙の後、消えそうに小さな声でサユリが吐き出した。
「だってよ。俺も同じさ。」
アクツも相変わらずな調子で煙を吐き出しながら呟く。
「んで…ココロ。
そろそろお前の本音も聞かせろよ。
あいつをぶっ殺してきたのか?」
黙ったままのココロにアクツが再び問う。
ココロはムスッと立ち上がる。そしてズカズカとバッティングセンターの方へ。
「おい…どうした?」
心配そうにアクツがココロを目で追う。サユリがテレビを止めて、前を向きなおす。その目には零れ落ちそうな涙が溜まっていた。
真っ暗なバッティングセンターが轟音を上げて動き出す。マンソン君(超剛速球使用のマシン)がうねりをあげてボールを運び、その巨大な機械腕を引き上げる。
鈍い音とともにボールが射出された刹那、速度190キロのボールの轟音とともに鋭い金属音がバッティングセンターに響く。
「うっるせぇ!!」
ココロが叫びながらボールを打ち返してる。
「俺だって!俺だって…」
肩で息しながら次々とマンソン君の放つ剛速球を弾き返す。
「うるせぇっ!何で俺がこんな目に…」
「何でキヨが殺されてんだよ!!」
「あいつが何した!!あいつが…あいつが…」
ココロの叫びを吐き出し、ボールを返し続ける。
それが20球続き…汗だくになって肩でぜぇぜぇと呼吸するココロが戻ってきた。
「聞け!!サユリ!アクツ!そしてサキ!」
ココロが叫ぶ。