第1話「屑丘」
屑丘町…深夜になっても落ちないはずのコンビニの明かりが少し消え始めていた。街灯がチカチカと煌いて小さな羽虫を寄せ集める。屑丘町の西側を一直線に走る巨大な壁:通称「黒壁」夜になればその名の通りまさに影の如くそこに静かにそびえている。
そのクロカベに沿って廃車になった車がずらりと並んでいる。時折、壁のすぐ向こうを走る赤鬼町行きの列車の振動に合わせて…壁沿いの家々の窓ガラスがカタカタと揺れている。薄暗くなった町を歩くのは、黒壁沿いの廃車の中に住む年長のホームレス達、見るからに賢くない若者、昼夜問わずシャッターを閉めてばかりの町の中心を一直線に走る屑丘商店街のそのシャッターに一人で、スプレーでひたすらに自らの思い描くアートを書き続ける者、薄汚れた従業員のやる気のないボーリング場に集まる怪しげな大学生、夜な夜な屑丘のパトロールをする中年、薄暗いコンビニの中でいびきをかいて眠る少女…おかして、野蛮で、不思議なものばかりが集まる町「屑丘町」。
そしてまた一人…その町へと出た。
錆で赤黒くなったボロボロの自転車をギコギコと走らせる男の名は進藤 心。歳は20。夜でも自転車にライトがいらないくらい光り輝く白に近い金色の髪は、セットもされずにライオンのようにもじゃもじゃと後ろのほうへと逆立っている。大きくギラギラとしたその瞳、鋭く高い鼻からも彼の野性的なエネルギーが感じられる、体は大きくないものの、白く細長い手足をフルに使って自転車を楽しそうに転がしている。ただ無心にただ無邪気に。
この時間をうろつく若者には珍しい地味な白のTシャツに履き古して色が薄くなったジーンズ、ボロボロになった便所サンダルという格好。
屑丘町の西よりクロカベを右手に、ココロは町で一番大きな川:御門川に架けられた大きく湾曲した橋:赤鬼橋を力いっぱい登る。アーチのてっぺんまで登ってしまったら後は両足を離して風に乗るように走っていく。その時もココロの自転車は鈍い悲鳴を上げた。
川と並行に町を横切るようにして東側へとペダルを廻し続ける。桜並木に頭が触れるようなギリギリを立ち漕ぎする。風がまた彼の金髪を後ろになびかせる。
御門川に沿って立つ細長い街灯の本数が町の東側に行くにつれて少なくなってくる、ココロは、今度は川から離れるようにわき道へ入った。そこから春雨団地の細い路地をスルリスルリと慣れたように抜けていく。
見えてきた…屑丘町バッティングセンター。屑丘町唯一のバッティングセンターでココロの憩いの場。
入り口の窓ガラスは割れており、ガムテープで修理された跡があり、ボールが飛んでいくのを防ぐネットも穴だらけ、バッティングマシーンはたったの三台、バットも凹んでいるものばかりで頼りない、入り口の電球が切れかけており薄気味悪い光が辺りの暗さに溶け込んでいるのだ。入り口には、最近、買ったばかりの友人の愛車がその美しい黒光りしているボディを自慢するように停められている。
「おーい!!」
ココロは自転車を撒き散らすように入り口の目の前に放り出した。少年のような笑みで中へと手を振り、かけていく。
中はバッティングマシーンにスペースの大半を奪われた薄暗く細い通路になっている。
「ココロー…来た来た…。」
「おっせーよ。」
中から男女の声がする。
「またお前、髪色抜いたろ!禿げるぞ!」
中で煙草を吹かす一人の男がココロの方へやってきた。ノラリクラリとおぼつかない足取り。
「おっす!アクツ!…お前こそ、不自然な肌色だぞ。」
ココロが笑って答える。彼の名は圷順平。ココロの高校の同級生で中学からの悪友。体格は小柄なココロに比べると彼よりも少し大きいが標準的。根元の方にかなり黒の残った茶髪を後ろで束ね不自然に日焼けした茶色い肌とカラフルなジャケットに派手な横文字の入ったTシャツ、白いラインの入ったジーンズに赤いスニーカーという格好はココロとは対照的だ。細く切れ長な目で、高く筋の通った鼻、ぶ厚い下唇の下に銀色の口ピアスが二つ付いている。耳にも大きな赤い星型のピアスが輝いている。
「いいだろぉ?…ココロもそんな白っちぃ肌じゃ弱弱しいぜ!ヒサロ行こうぜ!」
そんなココロと全く反りの合わない悪趣味な悪友の行動理念は、「もてる為」である。
「うっせーよ。」
彼をいなしてココロはまた別の人物を探すようにキョロキョロしている。
「あれ?…サユリは?」
「私はここだよ…」
さらにその奥、ボロボロになって黄色い綿の飛び出したソファに足を組んで不機嫌そうな少女が座っている。真っ黒のおかっぱに近い髪型、黒縁の眼鏡、小さなまん丸の瞳と低くつぶれたような鼻、童顔だが歳はココロと同じ20歳の女子大生。赤いパンダがプリントされた黄色のTシャツに少し色あせたジーンズ、履き古したスニーカー、一切色気のないファッションだ。
「おぉ!久しぶり!」
ココロは大袈裟にその少女:和田小百合の隣に腰掛けた。少女は不機嫌ながらも少し照れながら体を端に寄せて少年から距離をとる。
「久しぶりって…昨日もあったよ。
あんた…いい加減、打ち代払ってよ。」
とサユリは慣れたように進藤心に今月まだ払われていないバッティングマシーンの使用料を請求する。
「はいはい。これ今月分!」
ココロはぶっきら棒にジーンズのポケットからクシャクシャの千円札数枚と小銭を渡した。
「本当に足りてるの?」
それを数えるサユリを尻目にココロは渡した小銭から200円抜き取って打席へ入る。
「お!久しぶりだな!マンソン君!」
アクツが防球ネットの網に捕まって楽しそうに、唸りはじめるマシーンをそう呼んだ。
マンソン君とは、屑丘町のバッティングセンターにおいてココロ専用とされる長剛速球170キロから190キロを投げる怪物マシーンである。無理やりに調節したマシーンであるためにその始動音も他とは異なりまるで叫ぶような唸り声を上げるのだ。
「さぁ…来い!」
ココロはバットを構えた。バットよりも細く見えるその白くて細い腕が夜の闇で浮き上がっていた。
「うるさいから…深夜は迷惑なんだよねぇ…。」
まだ不機嫌そうなサユリはソファに横になるようにその光景を観察している。
マンソン君は力強くその鋼鉄の腕を回転させてボールを上へ上へと押し上げる。そして…それが頂点に達した瞬間、激しいゴムの力とで恐ろしい速度で腕を逆回転に引き戻してボールを放った!
音と同時にココロの真横に達した白球が抉るように彼の真横をすり抜けた。打席の後ろに備え付けられた衝撃吸収用のカバーに当って鈍く大きな音と共にバッティングセンター全体が振動するかのような衝撃が辺りに走った。
「こぇ〜…相変わらずだな。
ココロ、久しぶりで見えないんじゃないか?」
とアクツは調子よくネット裏から高い声を出している。しかしココロの耳にもうそれは届かない。
打席に入って精神が研ぎ澄まされたのだ…進藤心は決して野球少年ではない、そもそもスポーツした経験がほとんどない。しかし彼に具わる先天的にして超人的な運動神経、反射神経、怪力は少なくともその三人は誰よりも知っていた。
そしてまたマンソン君がボールを運びはじめた。ココロは精神を集中した。マンソン君の音でボールの出るタイミングを計り、一瞬、ボールが見えた瞬間にボールが通るであろう道筋を感じ取るのだ…。マンソン君がはじき出した時速180キロのボールは激しい音と共に一瞬で、ココロの感じ取っていた位置へとやってきた!すでにバットは出ている!ジャストミート!
きれいな高い音と共に白球は前方の防球ネットに突き刺さった。
「うわっ…すっげぇ。」
見慣れていたサユリも思わずそう漏らしてしまう程、ココロは鮮やかにそれを打った。
それからは、ココロはいつも通りパカパカと球を打ち続ける。快音が響き渡る。
「お前、野球選手になれよ。」
アクツは飽きてしまったのか、煙草に火をつけながら呟く。
「やだね〜。俺は、ここで野球するのが楽しいんだよ。」
ココロがやっと返事をした。
そして10球目、マンソン君が白球をグイグイ押し上げる…。
恐らく190キロ…ココロは何となくそう思った。ココロは、自分でも驚くほど直感が研ぎ澄まされる時がある。周りの音が消え、空気が自分に何か教えてくる…そんな瞬間が来ることを自分でも知っていた…。そして今がそれだ。
マンソン君は激しい腕の回転とともにボール勢いよく放った。
今までよりもずっと容易い。ボールの来る位置が手に取るように感じ取れた。そして…。
鋭い金属音と共に白球はさらに激しいスピードで前方へライナーとなって弾き返された!
ココロの直感が再び働く…打球の行方を自然に体が察知したのだ!
ライナー性の打球はバッティングセンターの金属の格子部分にぶつかって見事にそのスピードを落とすことなくココロの方向へと跳ね返ってきた!
ココロは振りぬいたバットをそのまま片手でグリップ逆さに持ち替えて地面に突きつける!打球は弾丸のようにココロの足元へと走ってくる!
そこへココロはバットの先端を地面に突き刺すように振り落とした!
今度は、静かなボールの回転の音だけが響いた。機械は静まり、白球がココロの足元でたった今その回転をやめてバットの先端によって地面に押さえつけられていた。
「お前…イチローかよ。」
「俺は、ココロだっての!」
とそんな会話が驚いて固まった2人とココロの間で繰り広げられる。
それから暫く、3人はココロを中心とした昔話に花を咲かせた。
アクツはずっと、ココロと初めて会ったとき、初対面なのに自分がスクーターごと投げ飛ばされた事を大笑いしながら話していた。
サユリも機嫌を直して、ココロの怪物的なエピソードに花をそえていた。
「せっかくだし…外行こうぜ!」
しばらくして突然、アクツが立ち上がった。
「えぇ?…私はいいよ。」
とサユリは急に遠慮勝ちになった。
「行こうぜぇ…。和久さんに会いたくない?」
アクツは車のキーを取り出して、指先でくるくるとキーをまわし始めた。
「面倒だしなぁ〜。」
と急に声が弱々しくなるサユリ。
「ココロはどうする?」
アクツは鍵先でココロの顔を指す。
「俺はぁ…どうしょ…」
チラチラとココロはサユリを見やる。
「う〜ん…どうしよ…。」
と悩み続ける。
「ほらほら!小百合ちゃん!ココロ君は、小百合ちゃんが来たら行くってよぉ!」
とアクツは相変わらず調子よく彼女を盛り上げた。
「わかったよ!行けばいいんでしょ?」
と複雑そうな笑顔を見せるサユリ。
「よ〜っし!行こう!」
ココロの掛け声が夜の屑丘に響く。
ちょうど同じ時刻…ある男が目を覚まし、食事の時間を迎えていた。
どこかも分からないような、暗闇の中で微かな光に映し出されるのは、金属バットと不気味に伸びた男の舌。血の付いたバットをアイスでも食べるようにペロペロと舐める。小さく震えるような悪魔の笑い声がどこかで響いていた。
屑丘の夜が始まった。
読んでいただいたことに感謝します。
がんばって書き続けるので、また読んでください。