第15話「屑丘温泉大学」
屑丘温泉大学は、屑丘駅の東口から出ているバスで10分ほど行った場所にある。
朝になると、大学生が大学の名前の入った自慢げにぶら下げてズラリズラリと列をなしてバスを待っている。
ココロの乗る自転車に、サキはココロと背中を付き合わせるように乗っていた。そしてその行列を横切った。
ココロは昨日の和久井からのニュースをまだ仲間たちに言えずにいた。和久井には自分から話すのでまだ二人には言わないようにメールした。もし二人に言えば、心配をかけることになる。自分一人で…そういう気持ちが強かった。
「ねぇ…今日、静かだね?」
サキはココロが妙に神妙で、どこか遠くばかりを見ていることには気づいていた。
「そう?…緊張してんのかもな…」
何気なく返事をするココロ。
「ふ〜ん…かわいい娘に会うから?それともDDに接触するかもだから?」
つまらなそうな声を出すサキ。
「いや…どっちも…かな?」
ココロはデリカシーのない返事をする。これは無意識だ。
道は混んでいた。東側の商店街の近くの道路にも関わらず、車どおりも多く中々進まない。ココロにとってそれは驚きだった。大学生らが登校で車を使っているようだ。中には怪しい装飾を施したものや、爆音喚きたてているものもちらほらいる。
ココロは頭の中で火口と曽我から授かった情報を整理する。DDのターゲットの可能性のある女性は、屑丘温泉大学文学部2年:林八千代。彼女が今日、大学で講義を受けるという情報も入手済みだ。DDがすでに彼女に接近している可能性がある、それを好機としてDDを捕獲する。
「ヤッチーは囮なの…?」
サキはココロに呟く。
「ヤッチー?…あぁ。女の子?
まぁ、囮と言えば囮だけど…ヤッチーを守るのも俺たちの勤めだからな…そしてヤッチーの近くの怪しい人間を探すんだ。
サキには、ヤッチーへの接触を頼んでもいいか?」
そろそろ温泉大学に近づいてきたのか…辺りの緑が増えて、道幅が狭くなった。車もあまり入ってこない道だ。大学生の乗る車が、二人の自転車を抜かして行く。
「オッケ〜…DDが出てきたら、私がとっ捕まえるから!」
「よし…大学に入ったらDDの話題は基本的にタブーだからな?
俺たちが探ってばれたら不味いからな。それとなく探りを入れてみよう。」
大学の校門の前に自転車をいつものように立てかけて、いざ中へ。
この日のココロは大学に入るということもあって違和感を少しでもなくすためにTシャツにボロジーンズ、ザンダルといういつものユニフォームの上に紺のパーカーを羽織っている。ただこの金髪は目立つだろうと心配していた。
屑丘温泉大学は、偏差値30〜35のいわゆる「誰でも入れる大学」である。校舎内は、ピンクや赤、緑、青、蛍光色で目の疲れるような色をした校舎が並んでおり、それぞれの建物には「ウサギ」、「ライオン」…と言ったように動物の名前で区分されている。まるで子どもが喜ぶ遊園地だ。和田小百合はこの大学の文学部オセロ学科、和久井清彦は理学部算数学科だ。和久井曰く、この大学で算数を学べば15の段までの九九が言えるらしい。
「ヤッチーは文学部の書道学科だよ。」
とサキがキョロキョロしながら教えてくれた。大学に入るのは二人ともあまり経験がなかった。ココロも何度かサユリと一緒に来たことはあったが…中に入るのは初めてだった。
ボーリング場の駐車場で遊んでいたような、不真面目そうな面子の輩がキャンパス内を大声を出しながら、煙草片手に歩いている。
「大学って…高校みたいだね。」
サキが呟く。皮肉でも何でもない…ココロも同じ事を考えた。しかし二人の派手さがちょうどいい具合にかき消された。この中にいても違和感のない少ない二人だった。
キャンパス内を散歩するココロとサキ。ココロは、歩くだけで蛍光色の校舎が目に付いて、目がチカチカする気がした。
「こんなに人がいたら…見つかるわけないよね。」
サキは肩を落として、歩くのをやめた。彼女の言うとおり人は多かったし、まだ会ったこともない人間を写真から探すのは難しい。その横顔の写真からでは、彼女の雰囲気も伝わってこない。ただ判るのは美人というだけだ。
「腹減ったなぁ…学食行くか…。」
まだ10時半だが朝ごはんも抜いてきたココロは体力的にもその現状に疲れが溜まってしまった。
「学食って行ってみたーい!」
サキは疲れを忘れて立ち上がる。そしてその笑顔を振りまく。ココロは、どうも彼女の前ではふだんの自分が保てていない気がした。彼女の光で自分に妙な陰ができる気がした。
カレーが250円、うどんが190円…etc。驚くほど安い…と二人は学生食堂のサンプルの前で話し込む。まだ朝ということもあってか学食には人が少ない。椅子とテーブルが50以上並べられ、すぐ横のまた大きな厨房で白衣を着た中年の女性たちが楽しそうに談笑しながら大きな鍋をかき回し、食器を洗っている。
二人はカレーを注文した。食券を買って、そのおばさんたちに見せれば勝手に作ってくれる。肉の少ないカレーがぶっきらぼうに二人のおぼんに乗せられた。安っぽくて少し汚れたプラスチック製の容器にどこにでもある銀のスプーン…それでも二人にはその巨大な食堂も巨大にして外から丸見えの厨房も、感じの悪い接客も新鮮だった。
「割とおいしーじゃん!」
二人は声を大にした。本当に割りとおいしかったのだ。
「もっと不味いと思ったな。」
とココロは感心してしまった。なぜかそんな料理に対する失礼な評価もここでは言っていいような気がした。
「相変わらず声でかいね…。」
人が少ないこともあってか、よく通る二人の声の背後からココロにとって聞きなれた低い女性の声がした。
「サユリ!」
振り返って、ココロがまた大声で叫ぶと…地味なキャップに黒縁眼鏡、大量生産もののさっぱりしたジーンズ…まったく女性らしさを感じさせない格好で、彼女が不機嫌そうに立っていた。
しかしその横にサユリの大学の友人だろうか…少し派手目な今風の女性たちが2人並んでいる。一方、サユリのTシャツにはこちらを向いて中指立てている黒い狸がプリントされている。
「お前…この学校に似合わないなぁ。」
ココロはそのサユリの格好を見て、思わず口に出した。
「うっさいなぁ。」
文句を言いながら、ココロの隣に座る。
「友達か?」
派手目な女の子たちもサユリの横に座った。
「初めまして〜!」
ココロには、そんな軽いのりで挨拶されてもふだんからサユリ以外の女子と触れ合う機会が少ないためどうしてもぎこちない。
「あ…ど…ども。」
つまりながら照れくさそうに挨拶する。ココロの横にいたサキが何かに気付いた。ココロのわき腹を小突いて、三人の女子のうちの一人を顎で指した。
「あ…やっち…」
ココロは思わず声に出してしまった。写真とは少し違う…派手な印象を与えるが…間違いなく彼女である。切れ長の目に長い黒髪、身長もヒールを履いているせいかココロと大差ない。艶やかにして美しい女性のイメージをココロは得た。もし本当にDDが自分と同じタイプの女性に惹かれているのなら、彼女に惹かれるのは…納得だ。
「どうしたの?」
サユリ達がどぎまぎするココロとサキを心配そうに見つめる。
「い…いや…別に。」
ココロは急いでその写真を隠した。
「えっと…初めまして。柊 咲江といいます。
サユリちゃんは、3人とどういう知り合いなの?」
サキが動揺を隠すようにサユリに尋ねた。二人ともこんなに早く見つけられるとも思っていなかった。
「初めまして。林八千代です。
サークルだよ。
私達は大学の将棋サークルに入ってるんだ。」
「はじめまして。新見加奈子です。
私は和田さんとは同じ学科で、よく授業も一緒に受けてるんですよ。」
新見は黒のキャップを目深に被り、長い後ろ髪を縛っている。身長が高くパンプスを履いてココロより少し低いほどだった。大きな優しそうな瞳が特徴的だった。同年代とは思えない、優しそうで余裕のある笑顔で場を和ませていた。
大学でオセロの勉強してサークルは将棋…ボードゲームの上で4年間過ごすサユリ達に特に何の疑問も持たないココロだった。それくらいこの学校の不思議ちゃんぶりは屑丘でも有名なのだ。
何気ない2,3個の世間話の後、サキが切り出した。
「最近、怖いよね〜。DDだっけ?
屑丘でも騒ぎになってんじゃん。」
何の違和感もない切り出し方だった。一瞬、話題に詰まった瞬間にサキが話を振った。ココロは思わず、うまいなぁと関心してしまった。先ほどからガールズトークに加われずに歯がゆい思いをしながら、学食のカレーをチマチマと食べていたところだった。
「そうそう〜。柊さん、可愛いから気をつけないと〜。」
新見はサキほどではないが初対面の人間にも積極的に話をするようだった。
反対にサユリと八千代は愛想よく頷いているばかりであまり自分から話をしたりはしない。
「えぁ〜?そぉ〜?嬉しいなぁ。
でもどんな奴なんだろうね?…DDって。」
どんどん強引に話を進めるサキに、ココロは少しドキドキしていた。傍から見れば普通のガールズトークなんだろうが、近くでDDが聞いている可能性もある。ココロは周りをキョロキョロ見回す。それらしい怪しい人物どころか、学食には5人以外誰もいなかった。
「相当ドSな男とか…かな。」
八千代が久しく口を開いた。
「単なる愉快犯かもよ…騒がれたいだけの男とか。」
サキも自分の意見を適当に添えてみる。
「案外、女に恨みのある女かもよ?…女の恨みは深いから〜。」
新見が笑いながら付け足した。
「それ怖い〜。」
女性たちは口を揃えて笑いながらそう言った。ココロはすでに眠たくなってテーブルに突っ伏していた。
それから女4人はココロのことなど放っておいて自分らの勝手な話をしていた。サキは最近、ココロやサユリと知り合ったことなど…八千代は自分が書道3段であること…新見は実は一度社会人をして大学に入ったため、年齢が23であることなど…ココロにとってはどうでもいい話で、気が付いたら眠っていた。
「起きてぇ〜。」
そんなサキの声でココロが目を覚ましたとき、すでに夕方だった。ずいぶん眠ってしまったようだ。すでにそこにはサユリたちの姿はなく、サキが一人で学食のアイスを食べていた。
「そろそろ帰ろうと思って…起こしちゃった。ごめんね?」
「いや…大丈夫。」
ココロからすればもう少し早く起こしてもらいたいくらいだった。嫌な夢を見た…。
「DDはいたか?」
眠たい目を擦りながら、サキに訪ねる。
「う〜ん…
もしかしたらって加奈子ちゃんが話してくれたんだけど。
加奈子ちゃんの友達が最近、大学の周りをウロウロする怪しい車を見つけたんだって。全面スモークガラスで隠した黒のワンボックス。ゆっくり,大学の周りを走ってたらしいよ。」
「それ…怪しいな。DDは車を持ってるんだろ?
そこからも探ってみるかな。」
そう言ってココロは立ち上がり二人は温泉大学学食を出た。退屈そうな学生たちが地べたにしりもちをついて座っている。ココロにとってこの大学はあまり好きではない場所となった。
先ほど見た夢…。ココロはある人物を思い出した。
堂島道利…
そんな名前が頭の中に浮かんだ。