第10話「容疑者Dの変身」
ある朝、堂島道利が奇妙な夢から目を覚ますと、自分がベッドの中で巨大な蛹に変わっているのを発見した。鎧のように固く、乾いた褐色の肌。腹の部分は少し柔らかく、そこに何本かの節入っている。
これは一体?…などと彼は思わなかった。それは、自らの罪、怠惰と堕落の結果であることを彼は、知っていた。ただ突然、それは病のように彼の体を重くしたのだ。陰鬱な気持ちで、ベッドから起き上がることもできず、ただ流れるだけの毎日が彼の体を重くした。
昼夜逆転の生活、同じ椅子に座って、一日同じ画面を見続ける。奇怪な虫になったのは、もうずいぶん前の話だったかかも知れない。それを今になってやっと気がついただけに過ぎないと、堂島は結論を下した。
12の時から、光を嫌い、夜ばかり起きていた。自分だけの世界に入り浸り、口を開いた記憶は遠い昔。高校に入った今では、現実と非現実の境どころか、自分と他人の境すらも分からない気がした。無意味、無意味、無味無臭の日々。散らかり、鼻につく匂いが充満した部屋にも慣れた。
自分以外の誰も入らないこの領域が現実、それ以外は嘘の世界。本当は、誰かに踏み込んできたほしい…自分でこの境界を踏み越える越えることはできない。そんな日々が輪廻の如く繰り返されて…今は15歳。自分は、そんな蛹だ。自分では決して羽化することをしようとせず…誰かがその甲殻を破って、本当の自分を羽ばたかせてくれる事を待っている…蛹だった。
踏み越えてきたのは、意外な人物だった。
「誰?」
ノックの音が聞こえた時、堂島即答した。その力強い響が、同居する両親のそれとは明らかに違っていたのだ。
「…久しぶり。堂ちゃん。」
声色は変わっていたが…その呼び名で呼ぶ人物は一人だけだった。
「犬養君?…」
もう昔のように「いっ君」とは呼べなかった…犬養一は、堂島道利の小学校時代の友人だ。昔の記憶ではさらさらとした前髪の奥に大きく澄んだ瞳がとても印象的な美少年だった。白く細長い手足には弱々しい印象を持っていた。病弱で学校は休み勝ちだった。ただ最も記憶にあるのは、彼の話術であった。独特な言葉遣いでたくみに相手の心に入って行き自分に惹きつける。犬養と話しているとまるで自分の精神が見透かされているような気分になった。
中学に入ると、堂島は同じクラスの女子たちから、ふとしたことが原因でいじめを受け、学校へ行かなくなった。一方、犬養は相変わらずその話術で、色々と交友の輪を広げたようだ。噂だけは、入ってきた。
「昔みたいにいっ君って呼んでよ。」
彼のゆっくりとした話し方は相変わらずだった。そのペースで相手を安心させる。しかし堂島にとって、犬養はすでに過去の存在だった。
「何しに来たの?」
堂島は冷たく言い放った。ドア越しに冷たい視線も送った。
「屑丘工業高校入学おめでとう。」
気がつけば今日が入学式だった。願書を送り、書類を送り、入学金を送れば入れ、卒業できるような高校だが…両親の薦めで堂島も入学した。気付けば、入学式は今日だった。
「いっ君も…屑丘工業?」
堂島は冷たさを失った驚きの声を漏らした。
「そう。しかも同じクラス…。」
堂島は屑丘工業に小さな興味を持った。しかしまた堂島は守りの姿勢に入り、返事を拒んだ。彼と話せば、自分が今までと違う存在に変えられてしまう気がした。それが怖かった。
「なぁ…そろそろ出ないか?」
犬養は、堂島の予想通りの言葉をかけてきた。堂島は何も答えない。静寂が流れる。
「あの時から…ずっと後悔してた。堂ちゃんを、俺が守ればよかったと思ってる。」
堂島は、その言葉に思わず心が震えた。動かなかった感情という巨石が、動かされていくのを感じた。犬養は、いつもより速いペースで、神妙に話した。
「友達だったろ?…頼って欲しかったんだ。
だから今度は、今度こそは、ぼくを頼ってくれ。」
今が羽化の時だ。堂島は直感した。