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幸せそうに

 ――魔王を殺せ。

 それが私が家に帰るための条件だという。



 今朝、アヒルは朝食を食べに現れなかった。

 使い魔も見ない。

 がらんどうのような魔王城。



 私は城の広大な前庭を歩いていた。重い足を引きずるように、見るだけで気持ちが挫けるような城門に続く長い道を。


 三ヶ月前、魔王城に来たばかりの頃は、何度か外に出ようと城門まで歩いた事がある。多種多様の魔物の姿が彫られた、天辺が見えないほど高い堂々とした城壁。そして見るからに堅固な城門、鉄板で補強された重たげな扉。堅牢無比。禍々しい魔王の門。


 門扉の前にたどり着いた私はそれを見上げる。


 門に閂などなくても、何度も試した私には開かないことがわかっていた。腕力の問題ではない。この扉は魔法で閉じている。


 ここで扉相手に格闘していると、いつもアヒルがグワグワ言いながら止めに来た。指を痛めたらアヒルに呼ばれた使い魔が薬を持って来た。


 でも、今日は誰にも止められてなるものか。


「お願い」


 私は扉に手をかけた。開いて、どうか、開いて。ここが地の果てだろうと構わない。帰ってみせるから、だから。


 開いて。


 アヒルは魔王を殺せと言った。分からない。


 私には何も分からない。魔王の名前もアヒルの名前も、夢の意味も、前世のことも、魔王のことも姫君のことも、なぜ私が魔王を殺さなくちゃいけないのかも分からない。


 分からないけど、理不尽なのは分かる。

 生まれ変わりだからとか何とかで無理矢理喚ばれて、なんのために喚ばれたかも、どうすれば家に戻れるのかも分からずにふた月過ごして、それで、魔王を殺せ?


 私は聖剣を持つ勇者じゃない。やっと大人と言ってもらえることがある程度の、十五の生意気な小娘なのだ。

 誘拐されて来たような魔王の城で、元凶らしいアヒルけ言葉を仕込んで服を作るようなどうしようもないような阿呆で、愚かで、前世だっていうジネヴラ姫が何を思っていたのかも知らないのに、ふざけないでよ。どうして殺さなくちゃいけないの。何でそれが帰還条件なの。


 どうして、扉は開かないの。


「姫様」


 使い魔の声。夢の中、雨の中でジネヴラ姫を待っていた男の声だった。……私は振り向いた。


 青空より闇夜が似合うだろう黒い髪に禍々しいほどの赤い、何かを燃やす瞳。それだけ。

 きっとそうしなければ白と見紛う金色なのに、いつも城の色を少し映したように灰色がかってる不思議な、でも見慣れた色のアヒルはいない。


「…………なによ」


 私は聞いた。何よ、何よ何の用。

 黒髪の青年は私を見つめた。上から下まで、品定めするように。


「ジネヴラ姫は美人だった」

「そうね」

「ジネヴラ姫は上品だった」

「そうね」

「ジネヴラ姫は青い目だった」

「そうね」

「ジネヴラ姫は金色の髪だった」

「そうね」

「ジネヴラ姫はよく微笑んでいた」

「そうね」

「ジネヴラ姫は優しい声をしていた」

「そうね」

「ジネヴラ姫は正真正銘の姫君だった」

「そうね」

「ジネヴラ姫はアヒルが好きだった」

「そうね」

「ジネヴラ姫はよく歌ってくれた」

「そうね」

「ジネヴラ姫は聡明だった」

「そうね」

「ジネヴラ姫が好きだった」


 赤い目が私を見ている。悲しみと憎悪にも似た、怒りを燃やした瞳。


「お前じゃない」


 ジネヴラ姫はお前じゃない。


「生まれ変わりがなんだ、魂が同じだからなんだ。ジネヴラ姫として生まれジネヴラ姫として育ったあのジネヴラ姫じゃなきゃ、違う。お前じゃない」


 私は彼に答えた。


「そうね」


 そうでしょうね。用はそれだけ? 魔王の使いなら、それが魔王の考え? 悲しくも悔しくも、怒りも湧いてこなかった。ただ、そうなの、と。何もかもどうでも良くて、アヒルがいない事だけがなんだか心に引っかかった。黒い服のアヒル。どこにいるのだろう。

 赤い瞳が揺らめいた。


「だが、あいつは違うって言うんだ」


 精悍な顔には、怒りと困惑とひとさじの憧れを混ぜた表情。


「お前はお前だと。芯が同じなら咲く花がどんなものだろうと愛おしいと。生まれ持った、魂に刻まれたその性質が何度でも心を動かすのだと」


 分からない、という顔。私もやっぱり分からない。

 あなたは誰、魔王は誰、アヒルは誰。あいつって?


「でも……だから、前回も俺は負けたんだな」


 ふいに浮かんだ諦観(あきらめ)

 唐突に、しかし流れるように優美に青年は地面に片膝をついた。


「我が魂は(さき)の聖剣の継承者、この体は聖剣を軸に王に創られし魔の眷属。されど魔王の友としてお願いする。先の世より魔王の妃と定められし姫よ、どうか我が王に救いを。私と共においで下さい」


 差し出された手。

 聖剣の継承者は歴史上何人もいただろうが、魔王の友はおそらく一人しかいない。最後の勇者。魔王と姫君と護衛と魔術師と旅をしたという、南のカクタス出身の聖剣の勇者。過去の英雄。魔王の使い魔。どうでもよかった。けれど、どうでもよくなかった。王に救いを。それは。


「アヒルは……」

「あの方を魔王と呼ぶのをお厭いか。その手にかけるを躊躇なさるか」


 アヒルは魔王だ。魔王じゃなきゃ良いのに、魔王だ。彼は自分で自分を殺せと言ったのだ。

 私を見上げて、手を差し出したまま元勇者の使い魔は笑った。皮肉っぽく悲しげに。


「王が望むのは姫君との永遠か、姫無き永久の死。…………王を殺せばここでの記憶は全て消され、そのまま家にもどれるだろう」


 殺すのが嫌なら永遠を。


「あいつもはや貴女を手放すことすらできない。置いていくなら殺してくれ、と。俺にはやっぱり分からない」


 あなたは? 私は。


「私は……」


 気付けば使い魔の手を取っていた。分からない。でも、彼はどこかで私が来るのを待っている。


「案内して、魔王のところに行くわ」


 使い魔が頷いた瞬間、城の中のどこかに転移した。





 見たことのない大きな扉を開けると階段があった。私は使い魔に手を取られたままそこを下った。螺旋状の、長い階段だった。地の底に続くような果てしない道だった。

 終わりは唐突で、やっぱり扉があった。


 私はそこにひとりで入った。


 灰色の世界だった。扉すら閉じた瞬間消え去った、何もない、夢の中の灰色一色。でもそう思ったのは一瞬で、すぐに何かがある事に気付いた。


 十歩ぶん先でひっそりと横たわる、飾り気のない灰色の石造りの棺。そして、その前には黒い服のアヒル。


『私を殺しにきた?』


 空気を震わすことなく、彼は私の頭に直接声を届けた。


「あらそう、喋れたの」

『ここではね。ここは私が作った世界だから』

「ふうん」


 十歩分の距離を挟んで私は彼と見つめあう。


「なんで今ごろ殺せなんて言ったの」

『君が服を作ってくれたから、あまりにも幸せで』


 幸せで、もういいと思ったの? そう。それで。


「どうして私が殺さなくちゃいけないの」

『もう君以外に殺される気がおきないから。帰りたいなら私を殺してよ』

「どうして私をお城に喚んだの」

『君を見ながら目を閉じたのに、目を開けたら君がいないなんて酷すぎる』


 小さな沈黙。


「あなたに必要なのは私、それともお姫様?」


 黒い帽子の乗った小さな頭が横に傾いた。


『君だよ。いつだって』


 なぜそんなことを聞くのかすら分からない、というような答えかた。泣きたくなった。私は私で、姫君は姫君で、それだけで、でも私と姫君は同じで、違って………。


「どうしてアヒルなの」


 ぽろりと出た救いようもない質問にもアヒルは律儀に答えてくれる。


『いちばん最初に浮かんだから。魔王城の庭は元々魔物の瘴霧が立ち上る荒れ野でね、それを聖剣の力で浄化して今のようにしているんだ。でも私が人形(じんけい)でうろうろしてると草木は枯れるし動物は死ぬしで。だから本体はこの棺桶に入れたままで自由に動ける体を作ったんだ』


 小動物なら君も好きかと思って。と付け足されて私は言葉を失った。ジネヴラ姫はアヒル好きだった。けれど、それだけではなくて『君も』。


 何も考えられていないのに、口は勝手にいい加減な疑問を転がす。


 草木が枯れるなんて、前回の勇者一行に混ざって旅をしていたときはどうだったの。


『……前回まではただの魔力の結晶で、影みたいなものだったんだけど、今回の復活は本当に本体だったんだよね。動かすの何千年ぶりだろう、っていうような』


 最初の魔王。よくわからないが、それと今までの魔王は違うらしい。――ああ、でも、そうだ。ようやく頭が少し動いた。今はそんなことはどうでもいいのだ。


「開けてもいい?」


 聞けば、アヒルは黙って体をずらした。

 私は十歩ぶんの距離を詰めて、棺の蓋に手をかけた。私のお腹の上あたりの位置にある重たげなそれは、自分から開くように軽々と開いていく。そして、ごとり、と向こう側に落ちた。


 青ざめて見えるほどに白い肌、白に金と灰色が混ぜ込まれた髪、黒いロープの袖から見える指先までが繊細で。

 それは、あまりに美しい芸術品だった。ため息どころか、息をすることを忘れるほどに。その美しさゆえに隠され、封じられた神だと言われても信じられるほどの。


 目の前で、髪と同色の長い睫毛がゆっくりと上がっていく。予想通りの、それでも息を呑まずにはいられない、魔王城と同じ嵐のごとき灰色の双眸。

 すべてが、無機質な完璧さを有する彫刻だったものが、生命の鮮やかさと深い深い倦怠と冷酷さを纏っていく。


 彼こそが魔王。遠い昔にこの地に封じられしもの。


 熱いような冷たいような、音を忘れて吹き荒ぶ嵐の瞳が私をとらえて。

 ふわりと微笑った。


「私を、殺してくれる?」



 それに対する答えはもう決まっていた。

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