月面反射式呪術と現代改訂版丑の刻参り
無線で月面反射通信ってのがある。
電波ってのは周波数によって飛び方がまちまちで、直進する訳ではない。
近くても間にでかい建物だの山だのがあると届かないことがある。
そこで一回電波を月面に当てて反射させて通信しようぜ、ってのが月面反射通信だ。
地面と月の間には邪魔になる建物も山もないからな。
そこでふと思った。
呪術や魔術でやたらに月が重要視されるのって、月の魔力とかそういうのではなく単に反射坂として重要視されてるんでないか?
地球上で呪術を通すのは山や建物、さらには結界だのがあって難しい。呪う相手が無防備でも関係ない他人さまの呪い避けで邪魔されることもあるだろう。
蠱毒にしたって蠱毒を作るとこまでは呪術だけど、作った蠱毒自体は自分で相手のところに運んでいる。
人を呪っても相手が全然死なないんだけど、いう場合は呪うことに夢中になってその呪詛をどうやって相手に通すか忘れている可能性がある。
呪うだけでなく呪物を送りつけるなり、式神やら人工精霊やらで呪詛を送りつける必要があると思われる。
なんか便利な方法ないかのう? と思った呪術師や魔術師が気づいたのが夜空に浮かぶでっかい反射坂。
月に呪術をぶつけて反射させてそれを地球に、相手の頭の上に落とせばいいんじゃね?
更には潮の満潮干潮の境を狙えば、月の重力が海を引っ張る時から、地球の重力がそれを引き戻す時に変わる瞬間を狙えば、月の重力に乗せて呪詛を月に送り反射させて、地球の重力に乗せてそれを相手に落とせば威力倍増じゃね?
更に更に、呪詛の月面反射を行った場合、呪詛返しが意味ない可能性がある。呪詛を返したところでその呪詛が返っていくのは、術者では月だからな。
更に更に更に、呪詛の際になんらかの月に関わる神や妖怪、魔物の功力を利用している場合、呪詛返しを行うことすら不可能になる。
月に関わる神さまは大抵が魔術やら黒魔術やら呪術の神さまだ。そんな神さまのところに呪詛を返したらどうなることやら。
ここまで書いていて気づいたのが、どこ神話でも語られていないが存在するであろう太陽神と対になる新月の神だ。
新月は黒魔術の月とも言われる。
天空にその姿がないことから名前もなく、記されるとしても黒い円や丸といった簡素な象徴なため他の神々に混じり忘れさられてしまったが、きっと存在する。
太陽神の対であるから、それは女性神で正しくはブラックホール神なのだけども昔はブラックホールが観測できなかったから新月にその姿を新月になぞらえられた死と終焉を司る呪詛の神の存在をなんとなく感じる。
なんだ俺がいまでっち上げている呪術体系の主神、陀枳尼マリア菩薩とはこれか。
そうかそうか、あればブラックホール神であったか。
すげえ納得だ。
でっち上げでやっていても、こうぴたっとはまる瞬間があってそれが真実のように錯覚してしまうのがオカルトの嫌なとこだよな。
オカルトに真実など存在せず、いくら覗きこんでも見えるのは歪んだ自分の姿だけと踏まえてないとはまるんだろうなあ。
さあ、みんなも誰かを呪い殺すときは、月面反射だ!
話変わって、呪詛の運搬についてだが丑の刻参りってあれって呪っても呪詛を相手に運搬する部分がないじゃん。
あの藁人形って蠱毒みたいに相手の住居まで運ばなきゃだめなんでない?
というかあれってそもそも呪殺の法なのか?
あんな古い呪詛で肝心の呪詛の運搬が抜けているなんて、もともとが違うもんなんじゃないか?
確か、鉄輪って。
と軽く鉄輪で検索したら、すぐ出てきたじゃん。
歌舞伎の鉄輪は丑の刻参りして、生きながら鬼になる話だって書いてあるじゃん!
やっぱり呪詛ではあるが、呪殺ではないじゃん。
だよな。
頭に五徳乗せて、丑の刻、牛には角がある動物の時刻に行う呪術だもん、最初から頭から角生やすことしか考えてないじゃん!
藁人形だな。
藁人形のせいでなんとなく藁人形をつかった共感呪術による呪殺だと勘違いされてしまったんだな。
これでは幾ら呪っても相手は死なないわな。
やっぱり狂人とか殺人鬼とかより、自分がなにをやってるか分かってない人間が一番怖いわな。
物事がまるで見当違いの方に歪んでしまう。
もうなんで鉄輪で検索するだけで出てくる簡単な答なのに、みんな誤解してるんだろう。
思い込みだな、完璧に思い込みだ。
呪っても人が死なない理由のかなり部分がこれだな。
無知と思い込みでまるで見当違いの方法で呪ってるから相手が死なないんだわ。
特に丑の刻参りなんて、五徳に丑の刻だろ?
あからさまに鬼になることを志向してる呪術で、呪い殺そうとしても誤作動すらしないだろう。
生きながら鬼なるってんだから、必要なのはあれだよあれ。
崇徳上皇の、かの罪を救わんとする膨大な行状を速やかに三悪道に投げ込み、かかる功力をもって日本国の大魔縁とならん、というやつ。
必要とされるのは相手へ憎しみではなく、自分自身をすら燃やし尽くす絶望と怨嗟だ。
であれば藁人形の意味も違ってくる。
共感呪術のための相手の形代ではさらさらない。
崇徳上皇は自らしたためた膨大な写経を三悪道に投げ込み、魔王となった。
ならば、藁人形とは術者自身だ。
絶望と怨嗟で人としての自分を藁人形に託して、人である自分を殺して鬼になるのだ。
人であるからこんなにも苦しく悲しい、ならば人である我を殺して鬼になろう。
うん、誰かが憎い殺してやりたいで成る呪法ではないな。
憎いと思う自分自身をも燃やし尽くす黒い炎が必要だ。
そうか、娘道明寺もあれは変形の丑の刻参りだな。
清姫が大蛇に変じて安珍を焼き殺すのは安珍憎しではない。もはや自分ごと燃やし尽くすしかなかったのだ。
古典芸能怖いな。
呪詛や人の恨みつらみに対する直感的で本質に切り込む理解がある。
俺は四谷怪談のヒロインが非常に苦手なのな。祟られそうで名前も書きたくないんだけど、それはあのヒロインが完全に歌舞伎の創作上の人物で実在してないのに、祟る。
現代で言えば貞子やら伽椰子が実際に祟るようなもので、それが嫌で苦手だったのだけど、それも歌舞伎の持つ呪詛や怨念に対する深い理解があってのことなのだなあと、なんとなく納得。
うしろ暗いとこへの理解が深すぎる。
ということはリングや呪怨が歌舞伎になったら、貞子や伽椰子も実際に祟るのか。
やめてくれよ、スーパー歌舞伎リングとか呪怨とかは。
さてさてさてさて、丑の刻参りでは藁人形を神社の木に打ち込むが、こうなってはその意味も違ってくる。
子供の頃に神社で神さまに遊んでもらった友人曰く、貴船神社って普通だよって話だが、それは貴船神社がもともとそういう神様だからだろう。
そうでない神社なら藁人形を木に打ち込み理由は一つ。
聖域の汚染だ。
藁人形を打ち込むのは普通の木ではだめだ。目的が聖域の汚染なのだから、絶望と怨嗟で保護機能がぶっとんだ脳で聖域を狂った聖域に変えるために行うのだから、注連縄が巻かれているような御神木ではなくてならない。
藁人形を打ち付けるのは手段であって、目的は聖域の汚染なのだから御神木がなく、社の警備が緩いなら直接ご神体を狙ってもいい。
それもできないなら方位から攻める。
もともと丑の刻を狙う呪術なのだから、方位も丑の方から汚染する。
鬼門から攻めてもいい。鬼門は丑寅の方角だしなあ。
そして丑の刻参りは七日間参る。
七日、七曜か。
七日参ることが重要なんじゃない、これが意図してるのは七日間参ることで七曜、つまりすべての時間軸の汚染を意図しているのだろう。
そうか、狂った聖域を作るためには場所だけではなく時間軸の汚染も必要なんだな。
おそらく地球は自転してるし公転してるから、時間軸も一緒に汚染しないと場所だけだと汚染した座標が遥か彼方に移動してしまうからだろう。
通り魔、なんの関連もなく脈絡のなく突然遭遇して再現性のない怪異とはこれか。
汚染された固定座標に対して俺たちのが回転する地球とともに突っ込んでいるのか。
であればラブクラフトのコスミックホラーも可能性が出てくるな。外宇宙の他種族が呪術で汚染した座標に地球が突っ込んだら。
コナン・ドイルのポイズンベルトのラブクラフト版だな。
誰か書いてくだされ。
狂った聖域を作るのに必要なのは最短で七日、最長で一年になる。
季節だけの汚染もできるかもしれん。
ホラー映画にあるような決まった季節にだけある怪異やら、特定の時間の怪異なんのはその時間軸だけが汚染されているんだろう。
なかなかに楽しいな。
さてさてさてさて、人を呪ってのなかなか死なないのは呪っても運搬を忘れているだとか、そもそも勘違いでまるで違うことをやっているからだとわかった。
ちゃんと人を殺そうと思ったら、自分がなにをやっているか正しく理解している必要があるが、そこまで物事を理解できる人間なら、呪うより現実で確実な方法で人を殺せるだろう。
俺だって人を殺そうと思ったら、死体さえなけりゃいいじゃん埋めればいい話だろとなるし、俺より頭の人たちはもっと気の効いたことを考えるだろう。
世に殺人者は沢山いる。
死体が見つかってないだけで。
現代で必要なのは、自分の手もとも怪しい馬鹿でも使える呪術だが、そんなのねえよ!
さすがに思い付かないぜ。
よく考えたら現代改訂版ではなくトラデイショナルエディションだな。