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ウサギとカメと、それからフクロウ

作者: カニオトコ

とあるホテルの地下にあるバー。店内は薄暗く、シックな飾りつけだ。ジャズの名曲がスピーカーから心地よく流れている。客は全部で5,6人ほどいるが、広いのでお互いの会話は聞こえない。それが、俺がこのバーを交渉の場所として選んだ理由だった。

「お願いしますよ、ウサギさん」向かいに座っているカメが泣きそうな顔をしながら言う。

全く、これだからカメってのはダメなんだ。俺は心の中で毒づく。男がこんなみっともない顔をしてどうする? そんなんで女を守れんのか? 男というのは、たとえどんなピンチに立たされようと毅然とした態度をとらないといけないのだ。と心の中で説教をする。

俺は葉巻をとりだし、火をつける。深く煙を吸い込み、吐き出す。煙がカメの顔にかかる。相も変わらずみっともない顔をしている。悪態をついてやりたかったが、そんなことをしても何の得にもなりゃしないことを俺は知っていた。一時の感情に身を任せ、長期的にものを考えられないのは、低能なサルがやることだ。ウサギには似合わねえ。

「本当に、お願いしますよ」しびれを切らしたカメが同じことを繰り返す。

はあ。俺は心の中でため息をつく。さっきからこいつときたら、「お願いします、お願いします」の一辺倒だ。交渉の場では言葉が一番の武器だという当たり前のことにすら気づいていない。まったく、脚だけでなく頭までとろいのか。

葉巻を灰皿に押し付け、口をゆっくりと開く。

「いいですか、カメさん。あなたは自分で勝負を受けたんですよ。それをいまさら中止しろだなんて、あまりにも都合のいい話じゃありませんか?」俺はゆっくりと、カメの眼を見ながら言う。

カメはそれだけでたじろいだ。簡単なもんだ。

「ええ……。はい、すいませんでした……。私も軽率でした、つい頭がカッとなってしまって……、つい、あんな勝ち目のないレースを受けてしまいました。でも、どうにか、来週のレースだけは、中止してほしいんです。お願いします……」カメが深々と頭を下げる。

男がこんな軽々と頭を下げるのか。と俺は心底あきれる。

だが、もちろんそんなことは言わない。ウイスキーが入ったグラスをつかみ、口に運ぶ。一口だけ口に含み、ウイスキーの香りを味わう。

「本当に、お願いします……。家族が見てるんです……。愛する妻が私にはいるんです。彼女を悲しませたくはない。それに、子供たちの前で惨敗なんてしたら、父親としての威厳がなくなってしまう……。お願いです、ウサギさん」

俺は何も答えず、葉巻を深く吸い込み、煙を吐き出す。

「お金なら払います。今日、20万持ってきました。コツコツ勤勉に働いてためたお金です。これでどうにか、勝負はあなたから辞退したことに……」カメがバックの中から金を取り出す。

俺は金に一瞥し、視線をカメに戻す。本当は、実物の金に心臓が高鳴り、笑みがこぼれてしまいそうだったが、平静を装った。交渉の場では、動揺を悟られてはいけないのだ。

「これで、どうにか、お願いします……」カメがもう一度深々と頭を下げた。

一呼吸おいて俺は話し始める。

「いいですか、カメさん。勝負は一度決まったことなんです。男に二言はありません。それは、取り消せません」

カメが絶望的な顔をする。それを確認して、俺は話を続ける。

「しかし、こう見えて私も恒温動物。このまま、来週のレースであなたに勝ったとしても、私の良心が痛むでしょう。そこで……」

俺は身を乗り出しカメに体を近づける。声のボリュームを一段階下げて話す。

「こうするのはどうでしょう。スタートと同時に私があなたを置き去りにして、走る。走って走って、ルートを4分の3ほど行ったところで、私はわざと止まるわけです。そこで、私はみんなに聞こえるようにわざと大きな声で『やあ、カメの奴。とろいな。どれ、どうせならここいらでちょっと一休みしてやるか。ちょっとつかれたしな』というわけです。そして、一休みをする。だが、残念なことに草のベッドがあまりにも気持ちよくて私は深い眠りに落ちてしまう。そして目が覚めたら、あなたはもうゴールのテープを切っている。そして私はばつが悪くなって、そのまま村を後にする。あなたは持ち前の勤勉さと努力で、ハンディキャップを乗り越え、私に勝利する。素晴らしい話でしょう?まるで絵本みたいだ。あなたの奥さんもその勤勉さに胸を打たれ、子供たちはお父さんの頑張る姿を見て、あなたのことをより尊敬する。私はもう村を出て行ってしまっているから、秘密がバレる心配もない」

カメが目を輝かせる。それを確認してから、神妙そうな顔を作り、こう続ける。

「しかし、それをすることはあまり簡単なことではないんですよ。私は町を去らなくてはいけませんし、そうなるとお金も幾分かかってくる」そして、カメの出した金に目を落とした。

「あの、この20万でよければ、ぜひ持って行ってください!お願いします!」カメがすかさずいう。

「20万、ですか」俺はもったいぶった動きで机の上の金をとり、一枚ずつ数える。

カメはおびえた顔をしている。

「少し足りませんね……。最低でも50万はないと……」俺は大きなため息をつき、その金を机の上に投げる。目の端で、カメの顔が青ざめているのが見えた。それを確認してから、俺は笑顔を作って言う。

「しかし、私にも暖かい血が流れています。もしあなたが独り身であれば、一文たりとも負けなかったのですが、女子供を辛い目に合わせるのは私の信条に反します」

カメの顔に血の気が戻る。身を乗り出し、話を聞いている。

「そこで、間を取って30万、というのはどうでしょう」

カメの眼が輝いた。

「ええ、30万なら、この婚約指輪を売れば、何とか都合がつきます。妻には失くしたことしておきます。ありがとうございます。ウサギさん」カメが深々と頭を下げる。

「いえ、なんてことありませんよ」俺は優しくカメに声をかけた。

ふん。簡単なことだ。全く、これだからカメをかもにするのはやめられない。俺は心の中で大笑いした。

「じゃあ、ウサギさん、残りの金はレースの日までに用意しておきますんで」カメがこびへつらうように笑う。

「ああ、頼んだよ」

「じゃあ、これで」カメが荷物をまとめ、そそくさと席を立った。

「ああ、カメさん」

「はい?」カメは恐る恐る振り返る。

一呼吸おいてから俺は口を開く。

「家族を幸せにしてやりなさい」そういって、カメにウインクをした。

カメの顔が感動で満たされる。唇を震わせ、涙をこらえている。今にも泣き出しそうだ。

「はい!ありがとうございます!」カメはもう一度深々と頭を下げ、店を出ていった。


カメの姿が見なくなった後、俺は一人で笑いだす。ふふ。傑作だ。最後のあの顔ときたら。どこまでも能天気な野郎だ。あの野郎、俺に感謝していたぞ? 恐喝の加害者に。全く愉快なことだ。

俺は葉巻をゆっくり吸い込み、この後のことを考える。

これで俺は金を手に入れ、来週この町を後にする。またどっかの池辺の町で遊び、金がなくなればカメを脅せばいい。何とも楽な生活だ。この生活ができるというのも、俺がウサギとして生まれた、ただそれだけの理由だ。カメなんかに生まれなくてよかったぜ、一生ウサギのかもとして生きていくことになっちまう。そんな人生はまっぴらだ。


店から出て、心地の良い生ぬるい風を肌で感じながら夜の街を歩く。気持ちのいい夜だ。どうせ明日は何もすることがないし、今日手に入った金でキャバクラにでも行こう。何しろカメの情けない顔を見た後だ。可愛らしい子猫ちゃんたちと話して、目を浄化しよう。

そんなことを考えながら歩いていると、上からいやな視線を感じた。恐る恐る上を見上げると――鋭く光る眼が夜空に浮いていた。ああ。ウサギはため息をつく。

「お久しぶりですね、ウサギさん」フクロウ特有の低く抑揚のない声で言う。

「へへっ、フクロウさんじゃないですか。何をしてらっしゃるんですか?」俺は作り笑いを浮かべる。

以前フクロウの機嫌を損ねたとき、ひどい目にあわされた。もうあんな思いはしたくない。

「いや、ただ散歩をしていだ。通りかかったときに、偶然君を見つけてね」フクロウが表情を変えずに答える。

「ええ、そうでいらしましたか。それじゃ、私はこれで……」私は笑顔を崩さずに別れを告げ、振り返る。

「待て」フクロウの声が響く。

ああ、本当に嫌な奴にいやな時にあっちまった。と俺は思いながら振り返る。

「……どうしましたか?」

「君はバーの中で何をしていましたか?」フクロウが言う。

「いや、カメとお話を楽しんでしただけですよ。『もしもしカメさん、最近の調子はどうですか?』ってね」

「ほう、お話を楽しんで、お金を受け取ったわけですか?」フクロウが冷ややかに言う。

ちくちょう。店の中にいやがったのか。薄暗かったから全然気づかなかった。周りに注意するべきだった。

「いや、あれは前に貸していたお金を返してもらっただけですよぉ。いやだなぁ、フクロウさん、人聞きが悪い」声が上ずるのが自分でもわかる。くそっ、こいつの前だと調子がくるっちまう。

「ほお、そうでしたか。それは失礼でした」

「それじゃ、私はこれで……」

「ところで、ウサギさん」フクロウが話をさえぎる。「ちょうど今お金がなくて困っているんですが、20万ばかし融通してもらえませんか?」

ちくしょう。こいつ、話を全部聞いていやがったのか。目と耳だけはいいからな。本当に嫌な奴だ。俺は歯を食いしばる。

「20万、ですか?それは、ちょっと今は、きついですね。10万なら何とか用意できますが」

「……」フクロウは何も言わない。俺は焦る。

「じゃあ、間を取って15万ってのはどうでしょう?」俺は間の抜けた笑顔で言う。仕方ない。こうなったらかっこつけている場合ではない。

「……」

「じゃあ、18万ってのはどうでしょう?」

フクロウが何も言わずに隠していた爪を出す。鋭くとがった爪に月の光が反射し、きらりと光った。

俺は思わず身震いした。以前フクロウに痛い目にあわされた時の記憶がよみがえってきた。

「……わかりましたよ。20万あげますから、もうこれっきりにしてくださいよ」自分が泣き声になっているのが分かる。

俺はポケットから金をとりだし、道に放り投げる。

「今後のお前の行動次第だな」フクロウが木からおともかく降りてきて、にやりと笑った。

そして金を拾い、泣き顔の俺をそこにおいて、音もなく羽ばたいていった。



教訓:金はとろい奴からとるに限る。



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